第十三話 戻ってくる前に
食事が終わる頃には、家の中の騒がしさも少しだけ落ち着いていた。
ニルは椅子の上でうとうとしている。
トールは皿に残った肉を狙って、ミラに手を叩かれている。
そんな中で、リザだけはもう立ち上がっていた。
「行くの?」
エナが小さく聞いた。
リザは腰に短剣を差し直しながら、いつもの調子で笑った。
「場所を見るだけ。すぐ戻るよ」
「本当に?」
「本当。あたしは嘘つかない」
「たまにつくじゃん」
「トール。あんたは黙ってて」
「怒った怒った」
トールが笑う。
ダグさんは壁に立てかけていた斧を手に取り、俺たちを見る。
「俺は村の柵を直してくる。残った連中で見張りも立てる。お前たちは森の奥だ」
「親父、詳しい場所教えて」
「古い作業場は南の森を少し入った先だ。昔の運搬道が残っている。途中に倒れた標識があるから、それを西へ曲がれ」
リザはうなずいた。
「わかった」
「リザ」
ダグさんの声が少し低くなる。
「気をつけろよ。無理するな」
「わかってるって」
「場所を見るだけだ。野盗がいるとわかったら戻れ。じきにギルドから応援がくる」
ギルド。
その言葉で、胸の奥が少し冷たくなった。
明日の昼までには、エルド支部に知らせが届く。
そこから人が来る。
この村にとっては助けだ。
間違いなく必要なことだ。
でも、俺たちにとっては違うかもしれない。
ノエルを連れていかれるかもしれない。
ダリオさんの言葉が、頭の中で戻ってくる。
俺は思わずノエルを見た。
ノエルは何も言わず、俺の隣に立っていた。
「アレン」
リザが俺を見た。
「あんたはどうする?」
「……行きます」
「ギルドが来るの、嫌なんでしょ」
返事に詰まった。
リザは、思っているよりよく見ている。
「……嫌です」
俺は正直に言った。
「ノエルが連れていかれるかもしれないから」
ノエルの手が、少しだけ動いた。
「でも、この村を放ってはおけません」
リザはしばらく俺を見ていた。
それから、ため息をつく。
「わかった。でも無茶はしないこと。いい?」
「はい」
「よろしい」
リザはそう言って、ノエルの方を見る。
「ノエルはどうする?」
「行く」
ノエルはすぐに答えた。
「アレンが行くなら、私も行く」
「危ないよ」
「行かないと、アレンが危ない」
リザは呆れた顔をした。
それから、俺たちに背を向ける。
「いいよ。来な。ただし、あたしの言うことは聞くこと。勝手に突っ込んだりしたら、置いてくからね」
「はい」
「ノエルも」
「聞く」
「よろしい」
リザを先頭に、俺たちは家を出発した。
俺とノエルは少し遅れてついていった。
「リザさん、よく森を歩くんですか?」
「まあね。小さい頃からこの辺走り回ってたし。ギルドで依頼受けるようになってからは、嫌でも歩くようになった」
「依頼って、魔物退治とかですか?」
「荷運び。護衛。迷子のネコ探し。たまに魔物。金になるならだいたい受けるよ」
「何でもやるんですね」
「綺麗な仕事だけで飯が食えるなら、誰も苦労しないって」
リザは振り返らずに言った。
「それより、足元見な。森は前だけ見てると転ぶよ」
「はい」
言われて足元を見る。
草の下に木の根が隠れていた。
危ない。
普通に引っかかるところだった。
ノエルは俺の横で、じっとリザの足元を見ていた。
「リザは、転ばない」
「転ぶよ。誰だって転ぶ」
「でも、今は転ばない」
「今はね」
リザは少しだけ笑った。
村から離れるにつれて、空気が湿ってきた。
木々が濃くなり、昼なのに少し暗い。
しばらく歩くと、道の脇に倒れた木の標識が見えた。
苔に覆われていて、文字は半分ほど読めない。
リザがしゃがみ込む。
「これだね」
「ここを西ですか」
「そう」
リザは標識の周りを見る。
土に膝をついて、指で何かをなぞった。
「……荷車じゃない。人の足跡だね。何人か通ってる」
「野盗ですか?」
「たぶんね。村人がこんな奥に来る理由はないし」
リザは立ち上がり、声を落とした。
「ここからは喋る声を小さく。足音も」
俺とノエルは静かにうなずいた。
そこから先は、古い運搬道だった。
道と呼ぶには荒れすぎている。
両側から草が伸び、ところどころ倒木が塞いでいた。
でも、リザは迷わなかった。
折れた草。
泥についた靴跡。
木の幹についた新しい傷。
俺にはほとんどわからないものを、リザは拾っていく。
「すごいですね」
「感心するのは後。向こうに見つかるよりも先に、こっちが見つけるんだよ」
「はい」
そう言いながらも、リザの背中は少しだけ得意げに見えた。
どれくらい進んだだろう。
前方に、古い小屋の屋根が見えた。
木々の間に、沈むように建っている。
屋根は半分朽ちていて、壁もところどころ崩れている。
でも、人の気配があった。
細い煙が、小屋の裏手から上がっている。
リザが片手を上げた。
俺たちはその場で止まる。
リザは低く言った。
「見つけた」
心臓の音が大きくなった。
リザは木の陰へ移動し、俺たちにも手で合図する。
俺とノエルはその後ろにしゃがんだ。
小屋の奥から、男たちの声が聞こえる。
「くそ、あの女さえいなきゃ上手くいってたんだ」
「リザだろ。あいつ、しばらく村を離れてたはずなのによ」
「誰だよ。あいつがいないから大丈夫って言ったやつ」
「うるせえな。今夜もう一回行きゃいいんだよ」
今夜。
俺は息を止めた。
「村の連中は怯えてる。ギルドから人が来る前にもう一度行くぞ」
「白い髪のガキは?」
「あの魔法使いは面倒だな。詠唱もしやがらない」
「詠唱しない? なに馬鹿なこと言ってんだ」
ノエルの肩が小さく震えた。
俺は思わず剣の柄に手をかける。
リザが、俺の手首を押さえた。
首を横に振る。
まだだ。
そう言っているのがわかった。
「で、肝心のリザはどうするんだ」
「人数で囲めばいい。あいつは強いが、所詮一人だ」
「ガキの剣士もいたぞ」
「ただのガキだろ。適当に殺しとけ」
リザは口元を引き結んでいた。
怒っている。
けれど、動かない。
俺だけだったら、たぶん飛び出していた。
だから、リザは強いんだと思った。
リザが小さく囁く。
「戻るよ。場所はわかった。今は村に知らせる」
「でも、今夜――」
リザは俺をじっと見た。
「あたしの言うこと聞くって言ったよね」
「……はい」
「じゃあ戻るよ」
俺はうなずいた。
ノエルも、静かに立ち上がろうとした。
その時だった。
背後の茂みが揺れた。
「……おい」
低い声。
振り向くと、野盗の男が立っていた。
片手に短い斧を持ち、目を見開いている。
たぶん、見張りだ。
俺たちが来た道のさらに奥から戻ってきたのだろう。
一瞬、時間が止まった。
リザが動いた。
男が叫ぶより早く、リザのナイフが飛ぶ。
男の持っていた斧の柄に当たり、斧が地面に落ちた。
「走れ!」
リザが叫んだ。
でも、遅かった。
「敵だ! 村の奴らが来てる!」
野盗の声が、森に響いた。
小屋の方で怒鳴り声が上がる。
何人もの足音が動き出した。
「くそっ」
リザが舌打ちする。
「アレン、ノエルを後ろに!」
「はい!」
俺は剣を抜いた。
ノエルが俺の後ろへ下がる。
小屋の陰から、男たちが飛び出してくる。
剣。斧。短槍。杖。
数は、思ったより多い。
リザが短剣を構えた。
「場所を見るだけのつもりだったんだけどね」
「すみません」
「あんたのせいじゃないよ」
リザは笑っていなかった。
「でも、こうなったら切り抜ける。手加減してたらこっちが殺られる。だから躊躇するな。いい?」
「……それってつまり」
「ノエルを守るために、ためらうなって言ってるんだ」
「……はい」
心臓がうるさい。
手も震えている。
けど、後ろにはノエルがいる。
野盗の一人が、俺を見て笑った。
「てめえ、あの時のガキじゃねえか。借りを返すぜ」
「やってみろよ」
俺は剣に魔力を流した。
黒紫の光が、刃に薄くまとわりつく。
伸ばしすぎるな。
散らすな。
刃に沿わせろ。
父さんの声が、頭の奥で聞こえた気がした。
「迷うな。躊躇するな。ノエルを守るんだ」
誰に言ったのか、自分でもわからなかった。
ただ、次の瞬間には、野盗たちが俺たちへ向かって走り出していた。




