第11話:今夜の素振りは二千回。平穏への道は三センチより遠い
学園のテラス。
午後の柔らかな光の中で、あおいは一人、持参した急須でお茶を淹れていた。
(……ふぅ。やっぱり緑茶は命の洗濯ね。ココアも飲みたいな)
一口啜り、ようやく人心地つく。
だが、その静寂は一瞬で破られた。
「アステリア! ここにいたか!」
勢いよく現れたのは、レオだった。
かつての尊大な態度は影を潜め、その瞳には奇妙な熱が宿っている。
「……レオ王子。何かご用でしょうか?」
「……謝らせてくれ。俺が悪かった。キサラギからすべてを聞いたよ。お前を疑ったりして、本当に済まなかった」
一国の王子が深々と頭を下げる光景に、周囲の生徒たちがざわつく。
あおいは慌ててカップを置いた。
「えっ、あ、いえ、それは別に……」
「彼女――キサラギは本当に凄かった。あんなに美しくて強い女を、俺は他に知らない。……俺は決めた。一生をかけて、彼女を追いかける!」
(……熱っ! 想いの熱量が直接こっちに来てるわよ!)
(嬉しい……嬉しいけど、恥ずかしすぎる! 落ち着け私。中身は十五歳、お姉さんなのよ。ここで八歳の子供相手に赤くなってどうするの……っ、でも、湯気が出そう!)
「アステリア様ぁー!」
そこへ、レオを押しのけるようにマリアが抱きついてきた。
「無事でよかったですわ! もう、心配させないでくださいませ!」
(……マリアちゃん、いいなぁ。あんなに純粋に気持ちをぶつけられて。私なんて、自分の正体を隠して、ドキドキを千回の素振りで強引に埋めてるのに……)
その時、テラスの端で柱の影に隠れるようにしていた人影が、
重い足取りで近づいてきた。ジークヴァルトだ。
「……俺からも謝罪をさせてくれ、アステリア。キサラギの口から直接、俺も聞いた。お前とは無関係だったようだな」
ジークは消え入るような声で告げたが、
マリアがアステリアの腕に絡みついているのを見た瞬間、表情を一変させた。
「……本当にす……誰がお前なんかに謝るもんか! マリア様、やはりそのような者ではなく、私とこそ語らうべきです!」
「いやですわ。私、アステリア様に夢中なんですもの」
「……ぐぬぬ! やなりアステリア、貴様とは決闘だ!」
「あぁ、キサラギ……どこにいるんだ……」
「アステリア様、お茶を淹れ直しましょうか?」
「決闘だぁぁ!」
テラスがカオスに包まれる中、
正門の方からトランペットのファンファーレのような喧騒が聞こえてきた。
一台の豪華絢爛な馬車が滑り込んでくる。
「姫、着きました」
「ご苦労。さすが西側の学園は洗練されていますわね」
馬車から降り立ったのは、
金糸の刺繍が施されたドレスを纏う、見目麗しい令嬢だった。
その上品な立ち居振る舞いに、テラスにいた生徒たちが思わず息を呑む。
だが、その令嬢がテラスの方へ顔を向けた瞬間――。
「あっ! あれは、ジーク様! ジーク様ぁぁぁーー!」
今までの上品さはどこへやら、
彼女は満面の笑みで大きく手を振りながら、
ドレスの裾を翻して猛烈な勢いでこちらへ走ってきた。
「な……な、な、な……っ!?」
ジークヴァルトの顔から血の気が引く。
彼はなりふり構わず、アステリアの椅子の後ろに隠れた。
「……ジーク。なんで隠れてるんだ? 向こうで令嬢が叫びながら激走してくるぞ」
「あの姫は苦手なんだ……来るな、来るんじゃない……っ!」
令嬢はあおいたちの前でピタリと止まり、
乱れた息を整えることもせず、優雅に(だが少し息を切らして)カーテシーを決めた。
「皆様、ごきげんよう。私、ジークヴァルト様の許嫁。東の魔導王国のユリアといいますわ」
場が凍りついた。
魔導王国といえば、数日前までこの国と凄惨な戦争を繰り広げていた敵国だ。
「えっ? 魔導王国って、攻めてきた国じゃないか!」
レオが警戒して剣の柄に手をかける。
しかし、ユリアは小首を傾げて、ふんわりと微笑んだ。
「あら? 私、政治のことは分かりませんの。ジーク様がいれば、それで……」
「……ユリア、お前、今回の侵攻を知らないのか!?」
「はい。私達王家は、トリスの別荘で避暑を楽しんでいましたの。そうしたら、お父様が『ジーク様の国と勝手に喧嘩をしている不届き者がいる』とお怒りでしたわ。どうやら大臣の暴走だったらしくて」
あおいは呆然とお茶のカップを見つめた。
(……そんなことってある? 私があんなに必死に戦ってた時、この子たちは別荘でバカンス……)
「ですので、この度、他意がないしるしとして、私が留学してきたのですわ。ね、ジーク様?」
ジークヴァルトの絶望的な悲鳴と、レオの「キサラギ」への誓い、
そしてマリアの独占欲。
あおいは、冷めかけた緑茶を静かに飲み干した。
(おばあちゃん……学園生活、全然平穏じゃないわ……。今夜は二千回、素振りしなきゃ……)
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