記憶は。
「準備出来たか?」
「うん、出来た。」
二日経った、浩介は仕事の有給に入って、今日から旅行だ。
久々の旅行、しかも記憶を無くしてからは初めてだから、うまく行くかはわかんないけど、まあ浩介もいてくれるし大丈夫だろ。
「じゃ、いこっか。」
「うん。」
靴を履いて、寒空の下に出る、今日は晴れてて、積もった雪がちょっと溶けて来てるみたいだ、鍵を閉めて、俺たちは空港に向う為のタクシーを呼んだ。
「羽田空港までお願いします。」
「了解です。お客さん、どこかに旅行に?」
「はい、二人で沖縄に行くんです。」
「二人……?」
タクシーの運転手が、話を振ってくる、浩介は眠そうにこっくりこっくりしてたから、俺が答えたんだけど、バックミラー越しに、タクシーの運転手が怪訝そうな顔をしてる。
なんでだろ?俺変なこと言ったかな?って考えるんだけど、何せ違和感なんてない。
「……。楽しみですね、私もよく昔は旅行に行っていたものです。」
「そうなんですか?印象に残ってる場所とかあります?」
「そうですね、北海道に冬に行ったときは、凍えるかと思いましたね。」
「冬の北海道ですか?寒そうだなぁ。」
運転手は、怪訝な顔をひっこめて話を振ってくる、ちょっと空気がぴりついたと思ってたから、そういう話をしてくれるのはありがたい。
「何をしに冬の北海道行ったんです?」
「雪まつりを見たい、と子供にせがまれまして。お客さんと同じくらいの子供なんでね、もう巣立ちましたけれど……。それでも、子供はいつまで経っても子供ですよ。」
「そうですか、俺の親も生きてたらそういってくれたのかな。浩介の両親も亡くなってるって話だし、あんまり親の話に縁がなくて。」
「そうでしたか。ん?浩介?」
「横で寝てるこの子ですよ。可愛くて仕方がないです。」
「……。お客さん、もしかして最近入院されてました?」
「ええ、交通事故にあったらしくて。まあ、記憶がないので実感はないんですけどね。」
「……。それは悲しいですね、お連れの方も悲しんでいらっしゃったのではないでしょうか?」
「わかんないですよ。でも、それでも一緒にいてくれるのが嬉しいです。」
うたた寝してる浩介を見ながら、俺は改めて感謝する、記憶を失ってしまって、俺が一人にならない様にしてくれてる事に。
それに、そんな俺を好きだって言ってくれてる事に。
「それで、沖縄のどちらに観光へ?」
「決めてないんですよ、浩介任せです。」
タクシーの運転手は、不気味な客を乗せてしまったな、と心の中で呟く、法律上乗車拒否を出来る程の相手ではないから、羽田空港まで高速を走っているわけだが、内心ではいつ何が起こるか、と考えていた。
話の内容から、二週間前に事故死した坂崎浩介と共に事故にあった人間のようだが、確か名前は坂入悠介といっただろうか?と記憶を呼び起こす。
記憶喪失になっている事までは報道されていなかったが、そんな客が沖縄に一人で行こうとしている、というのは不思議だった。
記憶喪失だと本人は言っているが、何やら幻覚が見えているようでもあり、亡くなった浩介の事を話している様子だ。
「沖縄はね、海が綺麗ですよ?あと、美ら海水族館がおすすめですかね。」
「そうなんですか、どこ行くのか楽しみですよ。」
突然暴れたりしない様に、刺激を与えない様に、話をする運転手、こういう時、よく酔っぱらいの相手をしながら運転をしていた経験が活きてくる。
相手に合わせ、刺激をしない言葉遣いが、身についている、運転手は慎重に、悠介に不気味がっている事を悟られない様に、言葉を紡ぐ。
「沖縄といえばシークァーサーとか、グルメも色々とありますからね。楽しい旅になるでしょう。」
「記憶もポンと思い出してくれればいいんですけどね。って、そう簡単にはいかないか。」
「そうだといいですね。」
そろそろ羽田空港に着く、この不気味な客とのやり取りも終わりだと考えると、運転手はホッとするのであった。
「えーっと、こっちか?」
「あっちじゃない?悠介、こっちこっち。」
空港に着いた俺達は、保安検査場を探した、案内図と睨めっこしながら、記憶の中では初めての空港に苦戦する、浩介が手招きをしてる方に行くと、「保安検査場」って丁寧に目印があって、自分の視野の狭さにちょっと驚く。
「じゃあ、僕向こうで済ませてくるから、悠介はあっちで済ませてきてね。」
「はいよ。」
時間は一応余ってるけど、効率考えて別の列に並ぶ、俺一人になった途端にちょっと心細くなるけど、まあすぐに合流できるし、頑張ろう。
「悠介、こっちだよ。」
「あ、浩介。そっちも終わったのか?」
「うん。」
保安検査を無事に?抜けて、浩介と合流、浩介は先に終わってたみたいで、俺の事を待ってくれてた。
「じゃあ、乗ろっか。」
「うん、楽しみだね。」
搭乗口まで歩きながら、窓から飛行機を眺める、これに乗るのか、って考えると少し気乗りがしないのは、多分高所恐怖症なんだと思う。
「悠介、怖がってる?」
「うーん、ちょっと、な。」
そんな俺の心境を感じ取ったのか、浩介はくすくすと笑ってる、俺は面白くないんだけど……、って思うけど、多分話に聞いた昔乗った時のことを思い出して、笑ってるんだと思う。
同じ様な反応したらどうするんだろうな?って思うけど、どんな反応だったのかは覚えてないし、多分覚えてても繰り返せない、だから、新鮮な気持ちで飛行機に乗れる、と思う。
「空、今日は晴れたから綺麗だと思うな。」
「そっか、それは楽しみだな。」
今日の空は、綿菓子みたいな雲を散りばめた、いい天気だ、飛行機に乗ったら、海の青さと雲の白さと、それに青空が見えて綺麗だと思える。
前乗った時はどんな景色だったかは覚えてないけど、楽しみだ。
「こっちだって、行こ、悠介。」
「はいよ。」
時々、俺たちを見てジーっと見てくるというか、変なものを見る目で見てくる様な視線というか、そういうのを感じる。
けど、これから行く旅の楽しみだったり、飛行機に乗る緊張だったりで、それはあんまり気にならなかった。
「そろそろ動くかな?」
「ちょっと怖いな……。」
「大丈夫だよ、手繋いでれば怖くないよ。」
発進のアナウンスがされて、とうとう飛行機が動き出す、俺は途端に怖くなってきて、浩介の手を握る。
浩介はくすくす笑いながら手を握り返してくれて、落ち着かない俺の気持ちを何とか落ち着かせようとしてくれる。
飛行機はグーンと速度をあげて行って、滑走路をすいすい走っていく、俺は窓側に座ってたから、余計にそれがわかっちゃって、どんどん怖くなってくる。
とうとう、飛行機が地面から離れる、ボーっていうエンジン音を響かせながら、風を切って飛行機は飛ぶ。
重力のずれというか、引っ張られる感覚があって、空を飛んでるんだって自覚する、気持ち悪い様な感覚になって、俺は浩介の手をぎゅっと握りながら目を瞑る。
近くの席で子供がはしゃいでる声がするけど、俺はそんな風にはしゃげないというか、怖いって気持ちのほうが強い。
「ほら悠介、綺麗だよ?」
「たんま、まだ怖い……。」
数分経っても目を瞑ったまま、俺は恐怖に耐えようとする。
「ねぇお母さん!海ー!」
「そうねぇ、綺麗ねぇ。」
なんていう親子の会話が聞こえてくるけど、怖いもんは怖い、少しして、飛行機の高度が安定してきたのか、だいぶ重力の感じには慣れてきたけど、それだけ高いっていうのも間違いないし。
「ほら、空だよ。」
「……。」
怖いけど、うっすら目を開けて外を見てみる。
「……。綺麗だな……。」
空に散りばめられた雲が、もう下にあって、一面の青空が広がってる、浩介の方をちらっと見ると、浩介はその綺麗な景色に見入ってるみたいだった。
「もう、怖くないでしょ?」
「おう、もう慣れた。ありがとな、浩介。」
ずっと浩介の手を握りっぱなしだったことを思い出して、ゆっくり手を離す、怖いってよりも綺麗って方が強いのか、そこまで恐怖を感じないし、目の前の景色に見惚れる。
「悠介、高校生の時と同じことしてるよ?」
「そうなのか?」
「うん、昔もこうやって、僕の手を握ってたのに、いつの間にか景色にうっとりしてたよ。」
「それは恥ずかしいな。」
ちょっぴり恥ずかしい、俺は覚えてない記憶、浩介は懐かしそうに話をして、思い出し笑いをしてる。
早く思い出さなきゃな、って改めて浩介を見て思わされる気がする、一緒に思い出を語れるように、一緒に今を生きていけるように。
「ねぇお母さん、あのお兄さん一人で喋ってるよ?」
「どうしたのかしらねぇ?まー君、ああいう人には関わっちゃいけないのよ?」
「なんでー?だって変だよ?」
悠介と隣り合った、一列隣の親子はひそひそ話をしていた、息子の方が窓のほうを見ていたら、何やら一人で話をしている男がいる。
母親は息子に注意をするが、まだ幼い息子は不思議でたまらないのだろう。
「いいから、話しかけたりしちゃいけませんよ?」
「はーい……。」
通路越しにでも窓から外を眺めたい息子からしたら、どうしても悠介は気になってしまうだろう、しかし、母親は悠介が危険人物なのではないか、と考え息子を止めた。
ーまもなく、当機は着陸いたします。ご着席の上、シートベルトを締めてお待ちくださいー
「着陸だって、悠介、一番怖いんじゃない?」
「かもしれない……。浩介、手え繋いでもいいか?」
「うん、いいよ。」
着陸のアナウンスが入って、俺は本格的に怖くなってくる、本能的な恐怖というか、そういうことに関して怖いっていう気持ちが、記憶がなくても心の底から湧き上がってくるみたいだ。
「悠介、強く握りすぎだよ。」
「ご、ごめん……。」
いよいよ高度が下がり始めて、俺は心臓が上の方において行かれる感覚を覚える、実際そんなことはないんだけど、感覚的にふわっと浮いてるというより、落ちてってる感じっていうか。
「気持ち悪……。」
「すぐ終わるよ、頑張って。」
乗り物酔いってわけじゃないんだけど、気持ち悪くなってくる、ちょっとずつ高度を下げていく飛行機の中で、その気持ち悪さに耐える。
ー当機は着陸いたしました。お客様、ご搭乗ありがとうございましたー
「ほら、ついたよ。」
「ほ、ほんとか?」
十分位気持ち悪い感覚に耐えてると、浩介が笑いながら到着を教えてくれる、心臓が上の方に行っちゃってる感覚もなくなって、ほっと溜息をついた。
「降りよっか。
「おう、そうだな。」
あんまり飛行機の中にいると、あの気持ち悪さを思い出しそうな気がする、だからじゃないけど、そそくさと飛行機を出る準備をして、俺と浩介は沖縄の地に降りたった。
「綺麗だなぁ。」
「何か思い出せそう?」
「うーん、どうだろ……。」
空港が海沿いっていうのもあって、飛行機の中では気づかなかった青い海が、目前に広がってる、サンゴ礁の綺麗な風景と、青く澄み渡った海。
心奪われるには十分な光景というか、俺は昔も同じ反応をしたんじゃないかって思う。
「なんか頭痛い気がする……。」
「大丈夫?」
「うん、大丈夫だと思うけど……。」
沖縄の綺麗な海に見惚れてると、ずきずき頭が痛くなってきた、なんだかはわからないけど、なんかが胸の奥のほうでつっかえてる様な、そんな感じもする。
「大丈夫?少しラウンジで休憩する?」
「うーん、大丈夫だと思うから、いいよ。観光、行こ。」
「本当に大丈夫?」
「おう、平気。」
浩介が心配そうに俺の顔を覗き込んでくる、俺は、精一杯の強がりで笑って、預けてる荷物を取りに行った。
「ホテルってどこだっけ?」
「メモしてあるんじゃなかった?」
「そだそだ、メモメモっと。」
預けてたキャリーケースを受け取って、タクシーを拾おうと外に出る、外は海風が吹いてて、潮の香りと波の音が耳と鼻をくすぐる。
覚えがある様な、ない様な、そんな感覚に陥りながら、海を眺めつつタクシーの駐車場を探す。
「あ、あそこか?」
「そうだね。」
ちょっと外を歩いてると、タクシー乗り場に人が並んでるのが見える、俺達も並ばなきゃって思って、急いで烈の後ろに向かう。
「結構待つっぽいな。」
「仕方がないよ、沖縄は人気だし。」
「でも冬だぞ?北海道のほうが人気なんじゃないか?」
「どうなんだろうね?沖縄は冬も寒くないし、高校生の修学旅行とかもあるんじゃないかな?」
確かに、真冬といってもパーカー一枚でこと足りる位の涼しさだし、マフラーなんかもまかなくて平気だ、千葉にいたときはあんなに寒かったのに、ってちょっと不思議な気分だ。
浩介もコートは脱いでて、トレーナー一枚になってるし、大体二十度位はあるんじゃないか?って感じだ。
「まあ、寒いよかましだな。寒い中こんな行列待たされるのは、ちょっと辛いし。」
「そうだね、あったかいから丁度いいかも。あ、列進んだよ?」
「お、そうだな。」
後列にいる人がなんか言ってる様な気がする中、俺達はちょっとずつ前に進む、潮風がパーカーの袖を揺らして、心地良い風を送ってくれる中、これからのことが楽しみだ。
「お待たせしたね、さあ乗ってくれ!」
「ありがとうございます。浩介、乗ろうぜ。」
「……?」
順番にタクシーが来ては人を乗せていって、俺達の番になった、浩介に声を掛けながらタクシーに乗ると、運転手が怪訝な顔をする。
運転手は中年太りというか、結構年は行ってそうな五十くらいのおじさんで、丸い顔にちょっと吊り目な感じが印象的だ。
「お客さん、一人で沖縄かい?」
「え?もう一人いますよ?からかわないでくださいよね。」
「二人……?連れの人は一緒じゃないのかい?」
「ここにいるでしょう?さっきから変なこと言わないでくださいよ。」
タバコ焼け酒焼けした感じの声で、タクシーの運転手が変な事をいうもんだから、正直戸惑う、浩介の方を見ると、浩介も戸惑ってるというか、困ってる様な顔をしてた。
「まさか、幽霊でも連れてるっていうんじゃないだろうな?職業上そんな話は多いが、勘弁してくれよ。」
「ふざけるのもいい加減にしてくださいよ……。浩介はここにいるでしょう!」
「浩介……?って、坂崎浩介かい?」
「そうですけど!……。って、なんで苗字まで……?」
運転手がふざけてるのかと思ったけど、なんで浩介の苗字まで知ってるのかと疑問が、運転手は深刻そうな顔をしながら、口を開く。
「って事はお客さん、坂入悠介って名前じゃないかい?」
「そ、そうですけど……。」
「やっぱりそうか……。週刊誌に乗ってたんだよ、お客さんの名前。」
「それって……。俺が事故にあったから、ですよね?なんで浩介まで……。」
ますます意味が分からなくなった、事故の事が週刊誌に載ってたとして、なんで浩介のフルネームが出てくるか?って。
「……。あんた、記憶喪失なんだろう?」
「な、なんでそれを……。知ってる人少ないはずなのに……。」
「誰かがリークしたんだろうよ。記憶喪失、恋人の幻覚が見えて気持ち悪い、ってな。」
「げん……、かく……?」
突然の話に、全く頭がついていかない。それもそうだ、今横にいる浩介が幻覚、いないものだなんて言われてるんだから。
俺は、必死に否定しようとするけど、言葉が浮かんでこない。
「坂崎の方は事故で即死だったんだとか、そんな坂崎浩介がそこにいるのなら、なんでこんなところにお客さんを連れてきたのか、聞いてみるといい。」
「そん……な……。こう、すけ、が……?そんなことないよな!なあこうす……。」
隣にいたはずの浩介がいない、さっきまで、ほんの一分前に一緒にタクシーに乗ったはずの浩介の姿が、どこにもない。
「浩介……?」
「ちょっとお客さん、落ち着いたらどうだ?」
「浩介……!」
運転手の言葉が耳に入ってこない、俺はどこかに行ってしまった浩介を探すために、タクシーを飛び出した。
「浩介!こうすけ!」
空港のロビーから、歩いて行けるビーチ、探せる所はいくらでも探した、でも、浩介はどこにもいない。
「こうすけ……。」
三十分も走り回ってると、呼吸が乱れて走れなくなる、空港の外、丁度誰もいなかったビーチの砂浜で、俺は体を九の字にして呼吸を整える。
「なんで……、いないんだよ……!」
ほんの数十分前まで一緒にいたのに、どこに行っちゃったんだ、本当にあれは幻覚だったのか。
じゃあ、俺が浩介のことを知っているっていうのは、なんでなのか。
「こうすけぇ……。」
波音が静かに響くビーチで、膝から崩れ落ちる、どこに行っても見つからない、そもそもいたのかどうかすらわからない、さっきの運転手の言葉が、嫌というほど頭の中で反芻する。
「なんで……、どうして……。」
苦しい、胸が苦しくてたまらない、頭が焼ききれる程痛い。
いないとどこかで理解していた浩介の事を、求めてしまう、狂おしいほどに。
「悠介、大丈夫?」
「こう……、すけ……?」
ビーチで跪いて息を切らしてると、浩介の声が聞こえた、俺は慌てて立ち上がって、ぐるっとあたりを見回す。
でも浩介はどこにもいなくて、声だけが聞こえてくる。
「ごめんね、悠介。僕……。」
「浩介!どこだ!いるんだろ!?」
「ううん、僕はもう、いないんだ。でも、僕はここにいるよ。」
「ここって……、どこにだよ!」
気が付いたら、涙で前が見えなくなってた、ぐちゃぐちゃに泣きながら、浩介の声に怒鳴るように返す。
本当は優しく答えなきゃいけないって、わかってるのに、でも、それが出来なかった、俺は浩介がいない理由がわからなかった。
脳が焼ききれそうな程に痛い頭痛もあって、俺はボロボロ泣いてる。
「悠介の中に、ずっと一緒にいるよ。僕は死んじゃったけど、僕は……。僕は、悠介を守って死んだ事、後悔してないから。」
「俺を、守って……?」
浩介の言葉が脳に響いた瞬間、めまいがしてきた、視界がバチバチと花火を映してるみたいになって、焼ききれそうな脳が何かを思い出そうとしてるみたいだ。
「悠介!危ない!」
「え……?うわ!」
キィィィィィ!ドン!
「こう……、すけ……。」
「今……、のは……?」
視界が暗転したと思ったら、トラックがこっちに突っ込んできて、それで浩介が俺を突き飛ばしてた。
俺はガードレールに頭を打って、それで倒れて、浩介の方を途切れそうな意識の中で見たら、血まみれのトラックが止まってて。
そこで、俺の意識は切れた。
「もしかして……。」
事故の記憶、今見えた光景は、事故の瞬間を思い出した記憶なんじゃないだろうか。
「あ、あぁ……。」
血まみれのトラック、吹き飛ばされた俺、浩介、言われなくてもわかる、何も思い出せなくてもわかる。
あれは、浩介が。
「うわわぁああぁぁぁあぁぁぁあぁあぁぁ!」
ビーチで叫ぶ、周りに人がいないから何も気にしない、というか誰かいたとしても気にする余裕がない。
脳が焼ききれそうな痛みはおさまったけど、現実に目を向けると発狂しそうになる。
「なんで……、こうすけ……!」
浩介はもういない、その事実が、俺を壊していく。
「いやだ……、いやだあぁ!」
涙が止まらない、嗚咽が止まらない、俺は、壊れた様に現実を否定したくて、現実を否定出来なくて、脳裏には、事故の時の事がずっと浮かんでて。
「いやだよ……、こうすけ……。」
否定したい、でも記憶が否定させてくれない、思い出さずに入れたら、どんなに良かったことか、でも、思い出してしまった事はもう、忘れられない。
「……。」
何も出来ずに、ただ空を見上げる、俺の目には何も映ってない、ただ空を瞳が映してるだけだ。
こんな事、忘れたままのほうがよかった、思い出さないほうが良かった、そんな事を考えても、現実は逃がしてはくれない。
膝を砂についたまま、俺は空を見上げるしかなかった。
「お客さん!」
「……。……?」
「探したよ!荷物忘れちまって飛び出して、どうしたんだい?」
「……。俺、少しだけ思い出したんです。もう、浩介はいないって……。だから、探したくて……。」
暫く色々考えながら立ちすくんでると、さっきのタクシーの運転手が声をかけてきた、確かに、俺は荷物を預けたまま飛び出していった、それをここまで探して追いかけてくるというのは、律儀な人だ。
もう、日が沈みかけていて、ビーチはオレンジ色に染め上げられている。
「大丈夫かい?」
「……。どうなんでしょう、わかんないです……。」
「お客さん、止まるホテルは決めてるのかい?」
「はい、二人で……。って、俺一人でか……。」
運転手は、気の毒そうな顔をしてる、俺がそれだけ憔悴しきった顔をしてからなんだろうけど、俺自身どんな表情をしてるかがわかんない。
ただ、涙の跡はあるんだろうなって。
「送っていくよ、運賃はいらん。ほら、立ち上がるんだよ。お客さんの恋人は、こんな所で悲しませる為に、傍にいたのか?」
「何も……、わかってない……、くせに……。何を、言ってるんだ……。」
「わかりゃしない、お客さんの見てた幻覚ってのは、何のためのものかなんて、俺にゃわからん。でもな、恋人が傍にいてくれる理由ってのは、少なくとも悲しませる為じゃないと思うぞ?」
「……。じゃあ、なんで浩介は……。」
消えちゃったんだ。
何かをしたくて一緒にいたっていうのなら、なんで今消えちゃったんだ、俺にはわかんない、きっとそれは誰にもわからない。
「お客さん、ほら、行くぞ?」
「……。」
運転手に腕を掴まれて、立ち上がらせられる、俺は抗う気力もなくて、ただただ引っ張られるがままにビーチから歩いて行った。
「お客さん、ホテルってどこだい?」
「……、国際通り横の、えっと……。アルモントホテル……。」
「はいよ、あそこね。」
タクシーの運転手は、死にそうな顔をしている悠介を見て、放っておけないという義務感を感じていた。
それは、自分の言葉が悠介の今の状況を作り出した一端である、という事を理解していたからだ。
「誰か連絡を取れる人はいるのかい?」
「浩介の、弟が……。」
「弟さんか。そしたら、ホテルに着いたら一番最初に連絡を取ってやんな。」
「なんで、でしょう……?」
「きっと心配してるだろうからよ。傍目にみりゃ、あんたは一人記憶喪失なのに旅行に出てんだ。そりゃ、心配もするだろう?」
「そう、ですね……。」
掠れる様な声を出している悠介に、これからするべきことを伝える運転手、週刊誌には、両親は病死と書いてあったし、きっと悠介が連絡を取るべき相手はその弟なのだろうと考える。
「ホントならすぐ帰ってやるのが一番だろうけどよ、お客さんも目的があってここまで来たんだろう?」
「はい……。記憶を、取り戻そうって……。」
「なら、少しの間だけここにいるといい。移動の時足が必要なら、俺を呼んでくんな。何、ちょっとした御節介ってやつだ、気になさるな。」
「なんで……、そこまで……?」
「だから、ちょっとした御節介だ。一つ理由を挙げるとしたら、恋人がいなくなっちまう痛みってのがわかるって所だな。」
運転手の動機がわからない悠介は、戸惑っている、いくらその痛みを知っていると言っても、こんな不気味な人間に、手を貸そうとするその神経がわからない。
「放っておいてください……。ホテルに着いたら、そこまでですよ……。」
「いいや、駄目だな。あんたさんはこのままじゃ死んじまいそうだ。そんなの、胸糞悪いからな。それにな、俺はあんたさんを知ってる気がするんだよ。」
「知ってる……?」
「気がするだけだがね。昔の話だ、高校生の二人組が、手ぇ繋ぎながら乗ってきてな、クラスの集合に遅れそうだなんて笑ってて、それがずっと頭ん中に残っててな。それが、丁度かみさんが死んだ頃だったか。あんたさん見てると、その子らを思い出すんだよ。」
「……、そうですか……。」
その誰かに、悠介を重ねている運転手はわかっていた、それは、奇跡と言っても過言ではないだろう。
「よく覚えてるよ。浩介、悠介、なんて言い合って、手ぇ繋ぎながら笑いあって、幸せそうでな。かみさんが死んで、俺も死んじまおうと思ってた時に、この子らみたく笑いあう事が、一番の報いになるって教えてもらってよ。」
「それって……。」
悠介と浩介、そんな似ている名前のカップルは、そうそういないだろう、悠介は何も覚えていないが、きっとこのタクシーでは。
「お客さん、あんたさんのおかげで、俺は今こうやって生きてるんだ。だから、お礼をさせてくれやしないか?」
「……。俺、その時は浩介と……。」
一緒だったんですね、悠介は、自分が何も覚えていないというのに、何年も前の自分の事を覚えていてくれていた、この運転手の言葉に、涙が出てくる。
「あの子らがこうして大人になったってのは、時間の流れを感じるな。連れの子は気の毒だったが、あんたさんがこうして俺のタクシーに乗ったのは何かの縁だろう。だから今度は、俺があんたさんの力になる番だ。」
運転手も涙を浮かべながら、悠介に語り掛ける、こんな奇跡が起きたのだから、その奇跡を無駄にしたくはないんだ、と。
「ありがとう……、ございます……。」
嗚咽をこぼしながら、悠介は礼を言う、まだ記憶が戻ったわけでもない、浩介がいないという現実を受け入れられたわけでもない。
しかし、こんな風に手を差し伸べてくれる人がいる、それを感謝して。
「それじゃ、どっか行く時は連絡くんな。」
「ありがとうございます。えっと……。」
「比嘉だよ。比嘉。」
「ありがとうございます、比嘉さん。」
タクシーがホテルに着いた頃には、俺は少しだけ落ち着いてた、比嘉さんにお礼を言って、連絡先を交換して、比嘉さんの運転するタクシーは走り去っていった。
「えっと、ホテルの宿泊予約……。」
スマホを取り出して、メールを見て、ホテルの予約確認のメールを開いて、少し固まる。
―宿泊、二名様ー
この言葉に、俺自身の責任ではあるんだけど、傷つく。
「いらっしゃいませ、ご予約のご確認よろしいでしょうか?」
「えっと……。二人で予約してた、坂入です。ちょっと、一人になっちゃったんですけど……。」
「坂入様ですね、お待ちしておりました。」
ホテルの前でもたもたしてると、中からホテルマンの男の人が出てきて、案内をしてくれる、一人になった事情なんかは聞かれなそうで、そこはありがたい。
「701号室ですね、中でキーをお受け取りください。」
「あ、はい……。」
他にあんまり客がいないのか、部屋番号を言われながらロビーに入る、ホテルは綺麗に整備されてる感じがして、本来なら気持ちのいい宿泊になりそうな感じだ。
ただ、俺が喪失感の中にいるってだけで、それは変わらないはずだ。
「こちらです、お荷物をお預かりしますか?」
「いえ……、大丈夫です……。」
ロビーにいた別のホテルマンの女の人が、俺がキーを受け取ったのを確認すると案内してくれる、高校生の時にも泊まった、って浩介が言ってた、覚えのないホテル。
何かが思い出せないか、この喪失感を払しょく出来ないか、なんて考えながら、俺はエレベーターに乗った。
「こちらでございます、ごゆっくりお過ごしください。」
「ありがとうございます……。」
ホテルマンがいなくなって、俺は用意された部屋に入る、部屋は結構広くて、ダブルベッドがあって、窓側には二組の椅子とローテーブル、ベッドの前にはおっきなテレビがあった。
「……。」
キャリーケースをおいて、窓際の椅子に座る。
「電話……。」
比嘉さんが言ってた、悠治に電話をしてやりなって、俺は、重い気持ちのまま、悠治に手電話をしようとスマホを手に取った。
トゥルルルルルルル
「もしもし?悠にぃ?」
「……、悠治か?」
「うん。もう、沖縄ついた?」
「あぁ……。なぁ、悠治……。」
言い淀む、浩介がいないという現実を、もう一度再認識しなければならない様な気がして。
「あのさ……、その……。」
「浩にぃは元気してる?」
「えっと……、その……。浩介は……。」
「どうかした?」
もうわかってる、悠治は話を合わせてくれてるだけなんだって、浩介はもういないんだってわかってる、合わせる方も辛いことも。
だから、俺は自分の苦しさよりも。
「浩介は、死んでるって聞いた……。悠治、悠治は、俺が幻覚を見てるのを……。」
「悠にぃ……、誰かが言ってたの?」
「あぁ……。浩介は事故で死んでて……、俺は幻覚を見てるだけだって……。」
「……。」
悠治は黙る、俺は、悠治に申し訳なくて、浩介がいない事が苦しくて、涙が出てくる。
「浩にぃは……。浩にぃは、悠にぃが一人で苦しまない様にって、傍にいてくれたんだよ。でも、もう大丈夫だって、きっと思ったんじゃないかな。」
「俺、一人じゃ……。」
「浩にぃはきっと、悠にぃを一人にしたくなかったんだと思うよ。でも……、でも、ずっと一緒にいるわけにもいかなかったんだと思う。だから、誰かが浩にぃの事を教えてくれるのを、待ってたんじゃないかなって、僕は思うよ。」
「悠治……。」
きっと、悠治も言おうとしたのだろう、言ってたんだろう、それを聞けなかっただけで。
悠治の苦悩、それを俺は見て見ぬふり、知らんぷりをしてた。
「ごめん、悠治……。辛かったよな……?」
「……。悠にぃの辛さに比べたら、まだ大丈夫だったよ……。でも、悠にぃが全部を忘れちゃったんじゃなくて、浩にぃの事だけでも覚えててくれて、ちょっと嬉しかったよ。」
嘘だ、悠治も泣いている、それは苦しかったからだろう。
浩介は事故で即死、それに俺は記憶喪失で幻覚が見えてる、そんな環境の中で、辛くないわけがない。
「まだ、全部を思い出したわけじゃないけどさ……。でも、ほんとにごめん。」
「大丈夫だよ、悠にぃ……。それより、これからどうするの?」
「……。これから、か。どうすればいいんだろうな、俺。」
わからない、どうすればいいのか、どうすればよくなるのか。
何もわからない、浩介がいてくれないと俺は、何も出来ない。
「……旅、してみたらどう?ほら、メモしてなかったっけ?」
「メモ……?」
涙を堪えてる様な声を出しながら、悠治は提案をしてくれる、そういえば、旅のしおりを浩介と一緒に作った事を思い出す。
結局幻覚だった訳だけど、その幻覚は木尾から生まれたのかもしれない、って。
「旅……。一人で、出来るかな。」
「浩にぃが傍にいてくれるよ、大丈夫。」
「……。」
スマホの通話をスピーカーにしながら、旅のしおりを眺める、まだ涙はぼたぼた流れてるけど、視界不良って程じゃない。
「伊江島、国際通り、美ら海水族館……。」
「行ってみようよ。もしかしたら、記憶が戻るきっかけがあるかもしれないよ?」
「……。」
「浩にぃが繋いでくれた、大切な記憶の欠片。僕は、それを大切にしたらいいんじゃないかなって、そう思うよ。」
悠治はきっと、不安だろう、記憶をなくした俺が一人で、旅をするという事が。
でも、その不安を口にするんじゃなくて、希望を見せてくれる、まるで、浩介が記憶をなくしてから初めて会いに来てくれた、あの日みたいに。
「……。わかった、行ってみるよ。」
「でも、ひとつだけ約束してほしいんだ。」
「なんだ……?」
「毎日、電話して。ちゃんと、一日の終わりに電話してね。僕、それまで寝ないで待ってるから。」
「わかった、約束するよ。」
気が付くと涙がひいてた、悠治と話をして少し安心したからだと思う、悠治に安心する様にって意味で約束すると、悠治はホッとした様なため息をついた。
「それじゃあ、そろそろ夜ご飯だよね?また明日、待ってるからね。」
「わかった、必ず電話する。」
「うん。」
そういうと電話は切れる、俺は、そういえば昼から何も食べてないな、って思い出して、いろいろと気持ち渦巻いてるけど、気分は落ちたままだけど、まずは腹ごしらえをしようって思って、ホテルの食堂に向かった。
「悠にぃ……。」
電話が切れた後、悠治はため息をつく、記憶が戻ったわけではないが、浩介が死んでいる事は知った。
その影響で、悠介が死んでしまわないか、と不安なのだ。
「浩にぃ、お願い……。」
浩介の幻覚が見えていたのは、きっと偶然じゃない、悠介の中にある何かか、浩介の死後の想いなのか、それはわからないが、何か、何かがあるはずだと、悠治は感じていた。
「……。」
仏壇に向かい手を合わせ、悠介の無事を祈る、自分は何も出来ない、だからせめて無事であってほしい、と。




