第2話
「あれ…?あの後ろ姿って…、」
よく見ると、知り合いのカナだった。
「カナさん!」
「え?……あぁっ!輝くんじゃん!」
輝に気がついたカナはパァッと笑顔になり、手を振る。
この長らく会っていなかった事を払拭してしまうカナの持ち前の明るさは大学生時代から変わっていない。
そして、外見も大学時代からずっとボブヘアーのカナがそこに居た。
輝はそんな彼女をみて、ホッとした。
「カナさん、久しぶり!」
「本当だねぇー!輝くん、なんか垢抜けた?」
「ブリーチしたせいかな?」
「それもだけど、ハーフアップめっちゃ似合うね!KーPOPアイドルみたい」
「…そう?やっぱり?」
大人になると見た目を褒められる機会など、滅多にない。
輝は照れ隠しに、ほっぺに両手を当て可愛子ぶってみせた。
「やっぱりって!言われ慣れてんなぁ?」
「いやいや、ないない笑」
「本当かなぁ?……てか、あれ?今日はどっちで来たの?」
「どっちって?」
「輝くんが出る側?それとも指導者側?」
「指導者側だけど…僕ってカナさんに指導者になったって話したっけ?」
「いや。旦那から聞いてるから」
「あぁ〜!彰からちゃんと情報行ってるのか。なんか恥ずかしいな、」
彰は大学時代からの輝の親友で、今も同じ劇団に所属している。
劇団の中では、おちゃらけた役を振られる事が多い彰だが、根はものすごく真面目でどんな役でもしっかり自分の中で作りこんでくる。
その熱意は少なからず輝にもあるのだが、彰の作り込みレベルはマニアックで綿密なのだ。
輝はいつも「あそこまで出来そうもない。というか、やれない事はないだろうけど、毎回やっていたら僕の演劇脳がショートすると思う…いや『すると思う』ではなく、『する』。絶対ショートする。」と思っている。そして、彰の尊敬出来るところでもあると言う。
「それで、輝くんの生徒さん達は出番、終わった?」
「さっき終わってフィードバックしてきたとこ」
「そっかそっか。無事に終わって良かったね。」
「うん。」
輝は、チラっとカナの隣にいる少女を一瞬みたつもりだったが、カナは彼の視線がさっきから自分と少女を行き来している…と会った時から感じていた。
「…輝くん、もしかして用があったのって私じゃなかったりする?」
「まぁ、その、この子の踊りが凄く素敵で、繊細なのに力強さも感じて。それで、どうやったらあんな風に踊れるのかが聞きたくて。」
輝は、チャンスとばかりに少女の目を見て話しかけた。
「君の踊りすごいね!どうやって身につけたの?あの表現力ってさ、」
さっきまで舞台でしなやかに動いていたはずの少女は、輝から目を逸らすとカナの後ろに隠れてしまった。
「ごめんね…?知らないおじさんに聞かれても困っちゃうよね、」
スっ…と少女から数歩離れる。
すると、カナは輝の耳元で言った。
「この子、ちょっと色々、あって…。」
" 色々、あって…?"
「色々?」とカナに聞き返すと「うん、」と頷く。
(なんだか今はこれ以上、詮索したらダメな感じだ。)
そう思った輝は、あっさりと身を引いた。
「そっか…ごめんね。」
「ううん。輝くん、また遊びに来てね!それじゃ。」
「うん、ありがとう。また。」
「葵、行こっか。」
この日、輝が少女について知り得た情報は彼女の名前が『アオイ』だという事だけだった。
数日後、輝は次の公演に向けて稽古小屋の片隅でストレッチをしていた。
「アオイちゃん…か、」
ポツリ…あの少女の名前を呟いた。
「アオイちゃんって誰だよ」と笑いながら隣に座ったのは、親友の彰だ。
彰はヨガマットを広げるとヘアバンドを付けて、その上でストレッチを始めた。輝もストレッチを続けていたが、不意に彰の横顔が視界に入った時『コイツは歳を重ねていく度に、若返ってる気がする…』と思った。
「相変わらず、彫りが深くて綺麗な横顔してんな。」
「輝、俺の横に居るといっつもそれ言うよね?なんか、若返ってごめんね?」
「謙遜しろ、少しくらい(笑)」
「だって、事実なんだもん」
「そうだけどさぁ…。てか、髪伸びたね?」
「ね〜、伸びちゃったよね~。次の公演の役柄的に肩くらいまで伸ばしとかなくちゃいけないからさ~。もう、ドライヤーの時間が長くて大変」
「そう?僕、結構サラッと乾くよ?」
「輝は元々、サラサラの髪の毛だからじゃん。毛量もそんなに多くないし。俺、毛量少し多めだし、髪の毛太めだし。でも、女性は俺らの倍ある長さの髪の毛をさ、毎日ケアしてんだよなあ…すげぇよ、ほんと。」
「マジで分かる、それ。アオイちゃんって子も髪の毛、長そうだった」
「その『アオイちゃん』ってさっきから言ってるけど、誰なの?まさか、恋でもしたのか?」
「いや、その子のダンスが忘れられなくてさ」
「へぇ〜珍しい」
「珍しいって何だよ。」
「輝って、あんまり他人に興味ないタイプだって思ってたからさ」
「なんか語弊ある言い方だなぁ…」
「ん〜上手く言えないんだけどさぁ、輝って良い意味で他人との線引きがハッキリしてる感じ?そんでもってパーソナルスペースが激狭!みたいな?」
「あの~彰くん?」
「なに?」
「貴方が喋れば喋るほど僕のHPがすり減ってるんだけど、どうしようか?」
「え、ごめん(笑)」
「それゴメンって思ってないやつ!まあ、いいや…というか、話戻すけどアオイちゃんって子、カナさんの生徒 だよね?」
「あぁ!アオイちゃんってウチのか!どこのアオイちゃんかと思った」
ケラケラと笑う彰に「そうじゃなきゃ、お前に話したりしないし!」と輝は詰め寄った。
「……まあ、だけど、アオイはただの生徒じゃないんだな、これが。」
「…どういうことだよ」
「アオイは、生徒であり、俺たちの娘でもある!」
「娘っ!?アオイちゃんが?!」
慌てる輝を見て、まさか真に受けるとは思っていなかった彰はアハハとのんきに笑う。
「ウソウソ。実の娘じゃないよ、もちろん。」
「じゃあ、何だよ、」と唇を尖らせ、輝はむくれる。
「まあ〜なんていうかなぁ…引き取ったっていうか、」
「…養子?」
「いや、養子ともまた違うんだよな。アオイを引き取ったのは施設からとかじゃないんだよ。それに一緒に暮らし始めてまだ3年しか経ってなくてさ。」
「…これって、聞いたらまずかったやつ?」
「全然!」
「でも、複雑そうじゃない…?」
「『複雑そう』っていうか、複雑は複雑なんだよな。アオイは色々と事があって今、ウチにいるからさ。」
「あ!」
「なんだよ、」
「カナさんも同じ事いってた。『色々あった』って。」
「まあ…な、」
濁した。
その時、彰は浮かない表情だった。
輝へ向けていた視線は、ゆっくりと稽古場の壁掛け時計にうつされた。
「輝、あのさ」
「ん?」
「葵はさ」
葵についての何かを告げられそうになった瞬間「おーい、始めるぞ!」と集合の合図がかかった。『彰が何を話そうとしていたのか?』輝は心の奥底でモヤモヤしたまま、稽古を始めることになってしまった。
「何だよぉ、、もぉう…」
輝は目を細めて、集合をかけた劇団のリーダーである隼をジトォ…と睨んだ。
「えーそれじゃあ次の公演に向けての稽古を始めていきたいと思います!やっていく中で分からないところや、意見があったら僕の事を睨むんじゃ なくて言ってもらっていいかな?!輝くん!」
全体に向けて話してるかと思ったら、自分の視線に気づかれていた事に輝は少しビクッとした。
「なんすか」
「何かご不満がおありでしょうか?」
隼は、きっと大したことじゃないだろうと少し笑っていた。
輝が拗ねて自分を睨むことは2人の間でよくある流れの1つだったからだ。
「彰との話が良いところだったのに、『しゅ~ごぉ~!』とか隼さんが 言うから、話ぶった切られてぇ、」
「それで、怒ってるんですか?」
「………はぁい」
「よし!じゃあ、みんな、始めよっか!」
「素っ気なっ!理由、聞いたわりに素っ気な!!」
「えぇ?」と言う隼は、恒例のやり取りを楽しんでいた。
まあ、スタートが掛かれば輝もプロなのでスイッチを切り替えて、1役者として稽古に加わる。
そして、この日は次回公演の稽古で1日が終わった。
水を飲んでいた輝の背中を「おつかれっ!」と、軽く叩いた彰。
「ゴフッ」
不意に叩かれた衝撃で口に含んでいた水が変な所へ入り、むせ込んだ。
飲み損ねた水が口から漏れ、輝の服を濡らした。
「うぇえ!ごめんごめん!輝っ、大丈夫か?」
「だいじょーぶ…多分…、」
「こ、これで拭いてっ」
タオルを渡され、濡れた所を拭いていた時、輝は気がついた。
渡されたこのタオルが、どう見ても30の男が持つ絵柄では無いことに。
「彰…これ、お前のタオルか?」
「え?いいから早く拭けって、」
自分のバックに他のタオルがないか探し中の彰は適当に返事をした。
「いやいやいや!こんなパルテルカラーのタオル、彰のじゃねぇだろ!」
「はぁ?パステルカラー?……………あっ、」
しつこく「タオルを見ろ」と目の前に差し出されて、ようやくチラッと視線を上げた彰はピタっ…とタオルを探す手を止める。
その様子を見て何かを察した輝は茶化すように言った。
「おーいー、奥さんのタオル持ってきて惚気かよぉ〜」
「違う、やっべ…」
「え?違う?」
「それ………葵のだ。」
「………ええぇぇぇぇっ!口拭いちゃったよ?!」
「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛…奥さんに怒られるぅ…」
「『奥さんに怒られるぅ』じゃなくてさ、タオルどうすんの…?」
「お前は悪くないからいいよ…俺が渡しちゃったから…」
「いやいや、え?マジでこのタオル、どうすんの?」
「俺がひっそり洗って何事も無かったかのように、」
「知らないおじさんが使ったタオル、洗ってあっても嫌だろ!バカか!お前は!!」
「えぇ…じゃあ…新しく買う…?でも、こんな可愛いタオル買ったことないから、どこで買えばいいのか俺、わかんないよぅ…、ねぇ、輝、たすけて?」
「たすけてって言われても、僕も可愛いタオル買ったことないからどこに売ってんのか知らないよ?」
二人して頭を抱え込む。
稽古場のすみっこで。
30過ぎの男たちが。
体操座りで。
まさか、30歳になって若い女の子のタオルを不意に使ってしまい、こんなに頭を悩ませる事になるだなんて誰が想像できただろうか?
床に『の』の字を書いて、今にも消え入りそうな声で彰が話し出した。
「葵、俺たちの10個下なんだよね、」
「え、マジか…葵ちゃん20歳なのか、、」
「しかもあのタオル、葵がめっちゃ大事にしてるやつでさ」
「よりによって大切にしてたタオルかよ。人生詰んだじゃん、俺たち。彰、どうするよ…?」
「タオル新調しようにも売ってる場所わかんないし。わかったとしてもすっごいファンシーな可愛いお店に売ってそうじゃない?このタオル。」
「なんか、ふわふわなキャラ描いてあるもんな。」
「もし可愛いお店だったらさ、買いに行きにくくない?おじさん2人でさ」
「確かに…」
はぁぁ……と大きく重たいため息をつく2人に近づいてくる人影があった…。