7章 西へ 1 志麻、出立する
7章 西へ
1 志麻、出立する
永禄三年五月十五日申の刻(午後四時頃)。
志麻たちは宇津ノ谷峠を越えて山西に入った。昼前に朝比奈屋敷を母上たちに見送られ出発し、安倍川、藁科川を渡り、歓昌院坂を登り切り、宇津ノ谷峠を越えて今に至るのだ。今日の宿を予定している藤枝まで、残りは平坦な道が続く。いつ降ってもおかしくない空模様であった。それでも、何とか降られずに一日目の難所を越えられて、志麻たち一行には安堵感が広がっていた。
セイと源太が先を歩き、志麻が愛馬、夕凪の手綱を持って続いている。夕凪には旅の荷物が載せられている。夕凪の体力を考えると当然に志麻も歩きなのだ。
何かあったらすぐに夕凪に乗って避難するよう、十兵衛から懇願されていたけれど、そうするつもりはない。わたしは逃げるために尾張に行くのではなく、太守様を救うために行くのだから。
セイは露草色の素襖の上に胴だけを付け、簡単な作りの兜を背中に背負っている。武器は刀だけだ。セイの場合は、武器自体が邪魔になるのだ。
源太は千歳緑の素襖の上にしっかりと甲冑を身につけている。兜を背負い、朝比奈の旗差物を建て、手には二間半程の槍を持ち、腰には刀を差している。重い甲冑を脱いで夕凪に乗せてはどうかと提案したけれど、それには及ばないらしい。どうやら念願の甲冑を着れたそのことの方が、重さよりも嬉しいようだ。
「お前、なんで黙っていたんだよ」
出発してから黙っていた源太が口を開いた。出発して以来、チラチラとセイの方を何度も見ていた。何か言いたげではあったけれど、ずっと躊躇っていたのだろう。セイの口ぶりからして対等の友達だったのに、一方は客人で、一方は家来だ。朝比奈屋敷で対面した時の位置関係が、そのまま地位の関係を象徴している。どう話しかけていいのか、計りかねていたのよね。きっと。
「なにさ、藪から棒に」
きょとんとしてセイが答えた。
「なんで朝比奈様の客人だって黙ってたんだよ」
源太は顔をセイとは反対方向の下に向け、不貞腐れたように、そして、ぶっきらぼうに言った。
「僕、言ったと思う」
「客人とは言ってないだろ。怪我をして拾われたとは聞いたけど」
早口でまくし立てたと思ったら、源太の声は尻つぼみで声が小さくなった。
「そうだっけ?」
セイは空を見上げて首をひねっている。
「怪我をして朝比奈様に拾われた客人の噂は聞いていた。そんで、お前は怪我をして朝比奈様に拾われたって言うじゃねーか。だから、最初はお前がその客人なんだと思った。その客人は一人で何人もの賊を討ち取った、とも聞いた。けど、お前弱いじゃん。本当に賊をお前が倒したのか?」
「僕一人でじゃないけど、倒したのは本当だよ」
「あんなに弱いのに、どう立ち回ったら倒せるんだよ」
源太の疑いはまだ晴れない。不安そうな疑いの目をセイに向けている。
セイはくるりと振り向くと、わたしに、
「ねぇ、源太が僕が賊を倒したのを疑ってくるんだ。姫からも何か言ってやってよ」
源太の疑いも無理もないのかもしれない。セイは魔法が使えるけれど、それ以外の武術はからっきしだ。たぶん、薙刀を持ったわたしの方が、刀や槍を持ったセイよりも強いだろう。セイは魔法を使わないで自身を守れるよう護身術を習いに行っている。だから、肉体強化のような魔法を含めて使っているところを源太は見ていないはずだ。
「源太、セイの言っていることは本当よ。セイは賊を何人も倒したんだから。そうね、セイがいなかったら、わたしも、母上も、もうこの世にいなかったかもしれないわ。セイには得意技があるのだけれど、剣術は全然ダメなの。それを見たある御方から、道場で剣術を習うよう言われて通っているってわけ。解ってくれる?」
突然、源太は立ち止まると振り向き、立膝に腰を落とし頭を下げた。
「姫様がそうおっしゃらられるならば、わたくしに一切の異存はあろうはずもございません」
道の真ん中でそんなことをするものだから、危なく夕凪が源太を踏みつけるところであった。手綱を引いて何とか回避したからよいものを、危ないところであった。
「源太。そういうことをしてもらっては困るわ。もっと普通にしてちょうだい。それに、敬語がおかしくなっているわよ。いーい、前にも言った通り、そういう畏まり方をされては、わたしの肩が凝ってしまうわ」
「はっ、畏まりまして」
初めての出征で気負いしているのか、元々の気質なのか。どちらにしても、これでは先が思いやられる。
「違うわよ、『はい』とか『わかった』にしてちょうだい」
源太はしばらく沈黙した後、わかりました、と答えた。なかなか堅物なのかもしれない。
「まぁ、それぐらいならいいわ。さぁ立って。そして、あれを見てちょうだい」
志麻たちは一行は、ちょうど岡部若宮八幡宮を過ぎたところであった。志麻が指した右の方向には朝日山城が見える。源太も立ち上がってその方向を見た。
「朝日山城の右奥に見えるちょっとした山の凹み、あそこで怪我をしているセイを見つけたのよ」
「姫、長慶寺にも寄ってく?」
セイは直接、慈来にお礼を言いたいのだった。魔法のこともあり、まだ実現していない。
「いいえ、今回は時間がないわ。寄っていたら、今日の宿の藤枝宿に間に合わないわよ。木戸が閉まってしまったら野宿よ」
「そっかー、残念」
「尾張から帰ってきたら行きましょ」
うん、とセイが元気よく返事をする。
今まで山西に来た時の目的地は、長慶寺であった。つまり、この道を右に曲がる。まっすぐ行くときは、いつも父さまか兄さまに伴われていた。だから、この先の一歩はある意味未知への一歩かもしれない。そんなことを志麻は思った。
「さぁ藤枝宿までもう少しよ。行きましょ」
その日は無事時間内に藤枝宿までたどり着き、宿屋に泊まった。
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
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誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。




