6章 尾張遠征 4 決意(2)
そんなことを話しているうちに、十兵衛とセイが、お杏に伴われてやって来た。
「さぁさぁ、二人とも、座ってちょうだい」
廊下に座ろうとした十兵衛を母上が部屋に入るように促し、わたしもちょっと横にずれて二人が座る空間を空けた。セイはちょこんと座り、十兵衛は恐る恐る腰を下ろした。
「二人にお願いがあるのだけれど、志麻ちゃん、尾張に出かけるんですって。だからお供に付いて行ってくれないかしら?」
思ってもいない話に二人とも驚いたけれど、驚きの具合はセイと十兵衛ではずいぶんと違う。
「姫、旅行に行くんだ。僕も付いて行くよ」
セイはけろりと答えた。まだ地理がよく分かっていないから、ただの物見遊山だと思っているのかしら。一方の十兵衛は、
「ややややややや、今の尾張でやすか。どうしてそんな……」
と絶句している。
「太守様の危機だわ。救けに行くのよ」
志麻の言葉に、十兵衛の見開いた眼はさらに広がり、真ん丸になった。
「太守様が危ないでやすか」
「わたしの見立てでは、五割の確率で太守様の身に危機が及ぶわ」
御屋形様に言った二割が本心だけれども、ここは話が通りやすいように志麻は大きく出ることにした。
「そんな、姫様が御出でになりやすよりも、駿府に残るお侍に行っていただく方が良いでやす」
「ええ、だから御屋形様にお願いして、ご出馬していただくことになったわ」
十兵衛は驚き過ぎて、しばらく息をのんだまま固まった。
「でやしたら、御屋形様に任せて、姫様は行く必要がないでやす」
しばらくして、十兵衛が苦悶の表情で絞り出すように言った。
「十兵衛、それじゃぁダメなのよ。わたしが行かないで何かあったら、わたしは一生後悔することになるわ。わたしに何ができるかじゃなくて、自分が行動することに意味があるの。お願いよ、十兵衛。わたしに付いて来てちょうだい。この通り」
志麻は手を合わせて十兵衛を拝んだ。
十兵衛は三度深呼吸をすると、
「わかったでやす」
嬉しさのあまり、十兵衛、と叫んだ志麻に十兵衛は思いがけないことを言った。
「けれど、あっしは尾張まで行けないでやす」
志麻の心は、嬉しさの絶頂から谷底に落ちるように急降下した。
「どうして? わたしには、十兵衛が必要だわ」
それを聞いて十兵衛は、すーと鼻で息を吸い込んだ。
「誠にありがたいお言葉でやす。けれど、まだ若いもんには負けないと日々豪語していた手前、お恥ずかしい話なのでやすが、体が持ちやせん。先日の賊の追跡で身に染みやした。何日も歩いた後では、姫様をお守りするなど出来やせん、と」
十兵衛は今年で五十八、体にガタが来ていてもおかしくない年齢だ。それでも、幼いころから志麻の世話をしてくれた十兵衛がそうであると認めることは、志麻には受け入れがたいように感じる。志麻はそっと視線を下に落とした。
「その代わりでは何でやすが、あっしの孫にお供をさせて下さいやせんか」
志麻は視線を十兵衛の顔に戻した。十兵衛はにこやかだ。
「まだまだひよっこで、そこらで油を売っているような者でやすが、やる気だけは十分でやす。必ずや姫様のお役に立てるはずでやす」
「十兵衛、ありがとう。わかったわ。その孫を連れて行くわ」
「それともう一つお願いなのでやすが、出陣の準備はあっしにやらせてくださいやせんか。しっかりした準備がないと心配で夜も眠れないでやす」
「わかったわ。十兵衛にお願いするわ」
十兵衛が深々とお辞儀をし、そして直ると、わたしたちは母上の方に視線を向けた。
「ということだから、母上、尾張に行ってよいでしょうか」
「あら、わたしは先ほど、いってらっしゃい、って言ったわよ。それより、栗と昆布と何だったからしら……?」
「打ち鮑、勝栗、昆布、それに御神酒です」
母さまが素早く答える。
「そうそう、用意できるかしら?」
「鮑は今からでは厳しいかと。お酒は甘酒で代用するとして、栗と昆布は用意できます」
「そう、ではお願い……ってやだわ。大事なことを忘れるところだったわ。ちまきよ。ちまき。ねぇ、常盤、今からでも間に合うかしら?」
母上は胸を押さえて母さまに問いかけた。
「材料は先日の残りがありますから、何とか間に合わせてみせます」
自信たっぷりに母さまが答えて、母上の表情は瞬く間に明るくなった。
「さすが常盤ね。では、今晩の仕込みをお願いするわ。明日は私も手伝うわ」
お任せあれ、と母さまが応じた。
「お杏、セイに新しい着物、三つ巴の家紋の入った着物を見繕ってあげてちょうだい。十兵衛の孫の分もね」
はい、と元気よくお杏が返事をする。
「それでは、わたしは志麻ちゃんの旅装束を探そうかしら。十兵衛も準備を頼むわね。みんな、いいわね」
皆が応じ、それぞれ割り当てられた仕事に向かう。母上による旅装束選びは一時もかかりやっと決まった。口には出さないけれど、母上も心配なのだと思う。その心配を紛らわすかのように装束選びを繰り返したのだ。改めて、太守様を助けて絶対に戻ってこなければならない、と志麻は固く心に誓った。
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夜雨雷鳴と申します。
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