6章 尾張遠征 3 寿桂尼(3)
御屋形様は正面の畳中央に座り、御前様は畳の上の左に座った。正俊殿は畳の手前、板敷きの右側に、部屋の中央を向いて座った。
「では、詳しく聞こうか」
御屋形様の言葉で、姫が説明を始める。境目の城を救援した後、北上して織田の軍勢を叩くのか、南下して在地の国衆を屈服させるのか。見聞きした情報から、この二つの方針が同時に存在していると推測せざるを得ない、と。
「御屋形様、家中の意見は二つに割れていたのではないのですか?」
黙って聞いていた御屋形様は、感心したように頷いた。
「冬青姫は聡いな。当たっているが、少し違う。二つに割れていたのではなく、三つに割れておったのだ」
姫は驚いて聞き返した。
「三つですか」
「そうじゃ。冬青姫の言うように、一つは北上して織田との決戦をせよ、という意見。これは関口、松平、鵜殿などと、主に三河衆が支持した。もう一つは、南下して水野を屈服させよ、という意見。これは朝比奈備中、飯尾、井伊、岡部などと、主に遠江衆が支持した。最後の一つは、東に戻り鱸のような残りの三河の国衆を屈服させよ、という意見。これは三浦、朝比奈丹波、庵原、葛山などの、主に駿河衆が支持したの」
「三国で割れたのですね」
「左様じゃ」
「それで、評議ではどの案に決まったのです?」
御屋形様は、少し困ったような表情を浮かべた。
「それがじゃな、割れたまま決まらなかった。故に、どの案が有利かを親父殿自らが戦場で決める、ということになった」
「やはりそうだったのですね」
姫は納得といった表情で頷いた。二分していたのではなく、三分していたけれど、ほぼ姫の見立てで当たっていたのだ。寿桂尼様の屋敷で聞いた時には、まさか、と思ったけれど、正しく予想した姫はすごいんだな、と改めて思った。
「ほれ、セイ、何か言いたげじゃな。何か引っかかるところでもあったかの?」
突然、御屋形様に話を振られ、どぎまぎしてしまった。廊下に座ったからには、話を聞かれるとは思ってなかったのだ。
「えーと、僕、よく分からないのだけど、太守様って王様みたいなものでしょ。だから、臣下が反対しても太守様一人でこれだって決めちゃえば、みんなそれに従うんじゃないのかなって」
僕の話を聞いて、御屋形様は御前様と顔を合わせている。そんな変なことを言ったのかなぁ、と心配になる。
「数多いる大名に中にはそのような大名もおるかもしれぬが、今川はそうでないの。亡き雪斎がいた頃は、雪斎が一切の軍事を取り仕切って決めておったが、親父殿はそうはなさらない。よく家中の話を聞くのが親父殿じゃ」
「そうなんだ。少し意外でした」
今まで御屋形様を見てきて、きっと太守様も御屋形様みたいなんだと思っていた。一人でいろいろ決めて、周りを巻き込んでいく。そう思っていたとは、言わないでおこう。
「雪斎はおらぬ上に、今回はさらに間が悪い。筆頭家老の三浦は、当主が優柔不断の嫌いがあるし、次席家老の朝比奈は、まだ年が若い。二十も、三十も年上の重臣層を相手にしては、家格が高いと雖もその発言で決まりとはいかぬ。しかも、きれいに三分割した。どの案に決めても、過半数が自分の案を否定される。否定されれば不満も出ようものよ」
「道中、家臣からしきりに翻意を促されるよりも、戦場で直前に決めてしまう方がよい、と考えたのですね。直前では翻意させる時間がないから、従う以外に方法がない」
姫が続けたのを聞いて、御屋形様がその通りとばかりに頷く。
「御屋形様、今の話、わたしに予想が出来たのでありますから、間諜を入れているであろう織田も、同様に予想できますわ」
そうかもしれぬ、と言った御屋形様の目が、真剣の色を濃くした。
「であれば、家中の意見を統一するその直前が、目標がない宙ぶらりんの状態であり、警戒感が一番薄れ危険です」
「冬青姫が織田であれば、どう動く?」
御屋形様が、半身を乗り出して聞く。
「織田は今川に比べ、兵が少数。そうであれば、恐れ多くも本陣の太守様の御首級を狙いますわ。境目の城の周辺は尾根と谷が続く丘陵地帯と聞きます。地の利のある織田は、今川が陣取る尾根から見えぬ谷を使って本陣に近づくこともできる、かと存じます」
「なるほどの、今川の本陣は突然現れた敵に大混乱になり、親父殿は討たれることになる、という訳かの。して、その確率はどの程度と冬青姫は見積もるか?」
聞かれた姫は人差し指を頬に当て、宙を見てしばらく考えると、
「二割かと」
と、だけ答えた。
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
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誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。




