6章 尾張遠征 3 寿桂尼(2)
姫の説明が続く。
徐々に、僕にも事情が分かり始めた。それとともに、寿桂尼様の顔は険しくなっていく。
「このような事情でございまして、御屋形様に御目通りを願いたいのですが、御目通りの御許可がなく、門番が通してくれせぬ。なにとぞ、大叔母様のお力をお借りしたいのです」
寿桂尼様が、ゆっくりと頷く。
「本当にあれは世話の焼ける。相分かった。このおばばが力を貸そう」
そう言うと寿桂尼様は文机に向かい、さらさらと書状を書き始めた。すぐに書き終わると、違い棚の手箱から印を取り出し、文の袖に朱印を捺した。
「歸」印だ。それは、確かに寿桂尼の書状であることを示すとともに、寿桂尼の並々ならぬ決意を表していた。
「この印が捺されていれば、必ず御屋形様に取り次がれる。そして、御屋形様ならば間違いなく、冬青姫の話を真剣に捉えてくださる」
差し出された書状を、拝むようにして姫が受け取った。
「御屋形様に伝えておくれ。おばばはまだまだ元気であるし、ひよっこの尻拭いは昔から得意だ、とな」
はい、と姫は短く答えた。
「それを伝えれば、冬青姫、そなたの役割は終わりじゃ。早よ行け」
「ありがとうございます」
姫はガバッと立ち上がると、一礼し、すぐに玄関に向かった。僕も一礼して部屋を後にし、姫の後を追いかける。
雨は未だに降り続いているけれど、ここに来た時よりは弱くなっていた。
「さぁ、道は開けたわ。何としても御屋形様を説得して、尾張に向かって貰わねばならないわ。セイも頼りにしているわよ。何かいい説得があったら教えてね」
うん、と僕は頷く。と言っても、僕に説得なんてできるだろうか。ちょっと自信がない。けれどそれが姫の望みならば、何としてでも説得しなければならない。姫には返しきれないほどの恩があるのだから。
何が僕にできるかを考えながら来た道を戻り、再び四足門まで来た。いろいろ考えたけれど、いい案は思いつかずに着いてしまった。
門番の侍は僕たち二人を見ると、やれやれという風に言った。
「姫様、ご許可は取られましたか。取られていないのであれば、お通しできませんよ」
それに対し、姫は鼻高々に言い返す。
「寿桂尼さまより書状を頂いてまいりました。通していただけるかしら?」
「拝見できますか?」
「ここでは雨で濡れてしまうわ。中に入れてちょうだい。寿桂尼さまの書状を騙るなんて、馬鹿な真似はしないわよ」
ここまで言われてしまえば、門番の侍では朝比奈の姫を止めることはできないらしい。渋々ながら姫と僕は門を通され、最初の建物の中の座敷に通された。ここで待て、ということだね。
しばらく待つと、三浦内匠助様お見えでございます、と廊下から声が掛かった。襖が音もなく開くと、三浦正俊殿が入室し、姫の前に腰を下ろした。
「寿桂尼様の書状をお持ちだとか」
はい、と言って、姫が懐から書状を差し出した。正俊殿は受け取ると、開いて目を通す。
「確かに寿桂尼様の書状。承りました。すぐに御屋形様に取り次ぎましょう」
「お願いいたします」
姫が頭を下げたので、僕もそれに倣う。
「雁の間にてお待ちいただこう。私はその間に、御屋形様を探さなければならぬ」
そう言って、正俊殿は部屋を後にした。僕たちは係の侍に先導され、駿府構の中の奥へ進む。深い水堀にかかった橋を越え、さらに二つの空堀を越えた先にある建物、その一室に通された。
姫は入口のすぐに座り、僕はその左後ろ、廊下に座るように言われた。正俊殿が先導役に命じた時、下男もですか、と小声で聞かれていた。やはり、僕は異質のような気がする。たぶん、ここってかなりの地位のある人でないと入れない場所じゃない?
部屋は二十畳ほどの広さで、板敷き。奥には畳が敷かれ、その部分だけ少し高くなっている。奥の壁の中央には、何やら文字が書かれた掛け軸が掛かっており、左に鎧兜、右に刀が二振り飾られている。右手は障子が張られ、左手は雁の飛ぶ姿が遠く描かれた襖だ。素人の僕にも、ここは格が高い場所なのだと推測できる。
しばらく部屋を見物して待っていると、人の来る気配がした。右奥の障子が開かれ、正俊殿、御屋形様、御前様が現れた。
「志麻ちゃん、ごきげんよう。そこで五郎さまに会って、志麻ちゃんが来ているって言うものですから、来ちゃった。あたくしも、ご一緒してもよろしくて?」
「お志寿ちゃん、こんにちは。御屋形様さえよろしければ、わたしはいいわよ」
皆の視線が、御屋形様に注がれる。
「決まりじゃな。皆で話を聞こうか」
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
応援、感想など頂けたら嬉しいです。画面の前で滝のような涙を流して喜びます。もしかしたら、椅子の上でクルクル舞い踊るかもしれません。
誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。




