6章 尾張遠征 3 寿桂尼(1)
3 寿桂尼
五月十四日辰の刻(八時頃)。
昨日の夜半から雨が降り始めた。今朝も降り続け、今日は道場での稽古が中止だ。何をしようかと思っていたセイは、姫から付いて来てちょうだいとお願いされ、今、駿府構、四足門の前に来ていた。
「ですから、朝比奈家の姫様といえども、ご許可なく通す訳には参りません」
四人いる門番のうち、一番年配の侍が言う。
「だから、はこちらの台詞よ。大事な話があるって言ってるじゃない。太守様が危ないのよ」
姫も、何度言ったか分からない言葉を繰り返した。
「ですから、事前に御目通りのご許可を取ってください。ご許可がないのならば、通せません」
「何度も言うけど、そんな時間があったらとっくに取っているわ。時間がない急用だって言ってるでしょ」
不毛な押し問答を聞いていたセイは、大きくため息をついた。太守様が危ない、とだけ、姫から聞かされている。けれど、それ以上は聞いていない。聞く前に蓑という藁でできた外套を着せられ、また、編笠を頭に乗せられ、駆けるようにして四足門まで来た。なので、理由を聞く機会を逸していた。姫が、どうしてここまで焦っているのか、分からない。
「ねぇ、姫。門番の人たちも困っているよ。日を改めたら?」
「セイもそう言うのね」
「でも、勝手に姫を通したら、門番の人たちがあとで怒られちゃうんじゃない? 勝手にできないんだよ」
うんうんと、門番たちが頷く。
「ぼうず、よく言った。そうなんですよ。姫様。拙者の勝手はできませぬ。どうかご理解ください」
「本当に頭の固い人ね。よくそれで今川家の門番が務まる」
門番の四人は、一瞬、顔をムッとさせたけれど、冷静を装って沈黙した。
「しょうがないわね。セイ、行くわよ。付いて来て」
姫は、僕の返事も待たずに歩き出した。慌てて僕も追いかける。
「姫、どこに向かうの?」
追いついた僕が問うと、沓谷よ、とだけ姫は答えた。沓谷がどこだか分からない。質問しようにも、笠と蓑に打ち付ける雨の音が邪魔で、会話するのが煩わしい。どうせ着けば判ることだから、姫に付いて行けばいいや。
四足門を出発して東海道を東に進み、北に折れる。この方向は朝比奈の屋敷の方向だ。黙って姫の後を付いて行くと、朝比奈の屋敷に向かう道を越え、さらに北に進んだ。五町ほど北に進んだところで姫は右に曲がり、僕もそれに従う。道は谷津山の凹みのような谷に向かって進み、寺まで続いていた。寺の上の方には砦が見える。
姫は山門を抜けると、大声を上げた。
「大叔母様、志麻でございます。御目通りを願います!」
雨にも負けない声で二度繰り返し、三度目の途中で建物の障子が開かれた。見たことがある。寿桂尼様だ。
「誰かえ? このような静かな寺院で、大声をあげるのは」
寿桂尼様はなんだか楽しそうだ。
「志麻でございます。大叔母様、お話がございます。どうか、お聞き届けください」
「そう声を張り上げなくてもよい。さぁ中へお入り。八郎左衛門が桶と手拭いを持って行くから、玄関でお待ち」
はい、と姫は元気よく答え、玄関に入った。玄関で笠と蓑を脱いでいるうちに、初老の男の人が桶と手拭いを持ってやってきた。お花見で寿桂尼様のお供をしていた人だったと思う。福島八郎左衛門というそうだ。
雨と泥で汚れた足を洗い、中に通される。通された部屋は畳敷きで、奥には達磨の掛け軸、隣の違い棚には手箱が整然と並び、手前左には文机がある。文机に面する障子は朝比奈の屋敷の物より格子が細かい。反対の襖は生成り色の下地に銀鼠色の破れ七宝の文様が施されている。寿桂尼様は部屋のやや奥中央に座って待っていた。
「まぁ、お座り。で、どうしたのだね?」
姫は座るなり話し始める。
「このままでは、太守様が危のうございます……」
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
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誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。




