6章 尾張遠征 2 出陣(2)
志麻は帰ろうと行列の去った道の先から視線を移す。すると、その端に芙蓉殿の姿が目に入った。芙蓉殿も見送りに来ていたのだ。見るからに芙蓉殿のお腹は大きい。もう御子が産まれてもおかしくないと聞く。ここは岡崎殿の屋敷からそう遠くないとはいえ、身重の身には大変なはずだ。しかし、それでも来ずにはおられなかったのだろう。隣には、乳母らしき女性が一歳くらいの幼児を抱いている。岡崎殿と芙蓉殿の御子、竹千代殿に違いない。
芙蓉殿は道の先から目を移さず、じっと見つめたままだ。志麻は、行列が去り解散し始めた人波をかき分け、芙蓉殿の所まで行った。けれど、芙蓉殿の目には志麻は入っていないらしく、一向に気付かない。声をかけて、初めてはっとしたように志麻を見た。
「冬青姫、そなたも来ていたのかえ」
いつもの芙蓉殿とは比べ物にならないくらい、か細い声で芙蓉殿は答えた。
「はい。岡崎殿には、先日の賊退治の折にお世話になりました」
そう、と応じた芙蓉殿は、明らかに気落ちしている。
「どうしたのです? 芙蓉殿。もしかして、岡崎殿と喧嘩でもなさったのですか?」
芙蓉殿は俯き加減に目を瞑り、静かに首を横に振った。
隣でやり取りを見ていたセイが、
「姫、芙蓉殿は岡崎殿が戦いに行ってしまって、心細いんじゃないのかな」
と、思いもよらぬことを言った。芙蓉殿の性格は、一言で言えば勝気。岡崎殿に相応しい戦の役割を用意しろ、とは言っても、心配で震えるような人ではないはずだ。少なくとも、今までそのようなことはなかった。
「まさか、そうなのですか?」
芙蓉殿が俯いた顔を上げ、志麻の顔を見た。
「妾を笑ってくれないでおし。お腹に子がいるせいで気が弱っているのかもしれないし、つい先日に、華陽院様が御遷化なされて心細いのかもしれないのだけれど、不安で不安で堪らないの。なんといっても今度の敵は、あの織田信長。我が殿は、一気に清洲を狙って雌雄を決する、と仰るけれど、あのうつけは、何をするか分からない」
華陽院様、つまり岡崎殿の祖母、源応尼が亡くなったのは、つい四日前だ。通夜は済んだけれど、葬儀はまだ行われていない。
通夜の席では気を張っていたのかもしれない。こんなに弱々しい芙蓉殿を初めて見る。衝撃を受けたけれど、志麻はそれを芙蓉殿に気取られないよう、顔に出さぬよう、平静をなんとか装う。
「心配するのは普通のことで、恥ずかしいことではありませんわ。けれど、今度の戦は一年も前から準備が進められ、兵の数も二万を優に越すとのこと。万に一つも、危ないことなどありませんわ」
志麻は芙蓉殿を元気づけようと、敢えて抑揚を大きくし、楽観的に言った。
「そう……、そうかも、しれぬ。少し、元気が出たのじゃ」
「ええ、そうですとも。それに竹千代殿は可愛い盛り。お腹の御子も、早く岡崎殿に会いたいと思っているに違いありません。そんな二人の御子を、岡崎殿が放っておく訳がありませんわ。必ずや帰ってきますとも。わたしが保証します」
志麻は大きく右手を振って、自分の胸を叩いた。
「冬青姫に会えてよかったのじゃ。必ず帰ってくる。帰ってくる」
自分に言い聞かせて、芙蓉殿は気持ちが前向きになったようだ。お付きの乳母も、ほっとしたような顔をしている。
「さぁ、お付きの方々、ここにいては、身重の体に負担になりますわ。駕籠は……って、もう待っていたわね。芙蓉殿には、帰ってお休みになられて」
芙蓉殿は、ありがとう、と志麻に礼を言うと、駕籠に乗せられ帰って行った。
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夜雨雷鳴と申します。
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