6章 尾張遠征 1 花見と稽古と友達のこと(3)
遠中殿が扇で指した桜林を見ると、若さまと数名の身なりの良い人たちが、談笑しながらこちらへと歩いているところであった。
一人、背の高い黒い帽子を被った恰幅の良い五十前後の男の人がいる。萌葱色の半袴に、紅色の着物を着て、その上に薄い白の着物を重ねているから、下の紅が透けて見える。たぶん、この方が中納言様じゃないかな。
その中納言様はこちらに気が付くと、駆け足でやって来た。
「志麻姫、元気にやっておったか?」
「はい、元気でいましたわ。中納言様もお変わりないご様子で、何よりです」
息を弾ませている中納言様に姫が答えると、それを聞いた中納言様は、遠中殿に不満げに訴えた。
「聞いていたでしょう、姉上。志麻姫が我のことを、中納言様、なんて言うのです。ひどくありませんか?」
「あら、あなた、本当に中納言なのだから良いじゃないの」
遠中殿は、あっけらかんと答える。
「よくないですよ。志麻姫は姉上のことを母上と呼ぶのに、伯父である我のことは他人行儀に、中納言様、ですよ。我は悲しい!」
中納言様は右手で両方の目蓋を覆い、天を仰ぐ。
「大の大人がそんなことで騒ぐんじゃありません。しっかりおし」
「志麻姫が余所余所しいのですよ。こんなに悲しいことがありましょうや。姉上」
そう言って中納言様は倒れ込むと、遠中殿の着物の裾をぐいぐいと引っ張り出した。
「これ、着崩れるじゃない。およしなさい」
「そうは言われても、こうせずには、おれませんよ」
「昔から変わらないわね。あなたは」
遠中殿は、呆れてものも言えないという表情だ。
しかし、どことなくこの二人は似ている。ベタベタ感というかなんというか。遠中殿も姫によく抱き付いている。何度も見た光景だ。そして相手の言うことを聞かない。そう言えば、姫も若さまにベッタリだ。これって、中御門家の空気なのかな。
遠中殿は腰を折ると、中納言様のおでこを、ピシャリ、と手のひらで叩いた。
「本当に面倒な子ね、あなたは。志麻ちゃん、今日ここには、なんやかんや五月蝿く言う人は居ないから、この子の好きなように呼んであげなさい」
五十前後の男の人を、この子、と呼ぶのは変な気もするけれど、遠中殿と中納言様とは、歳が離れているっぽい。子供の頃からの呼び方が、変わらず今にも引き継がれたのかな。貴族であると聞いていたから、もっと厳めしい人を想像していた。僕は驚くと同時に、笑い出しそうになるのを何とか堪えていた。
「母上がそう仰るのなら、分かりましたわ。母上、伯父様」
それを聞いた中納言様は、シャキッ、と立ち上がると、何度も、うんうんと、嬉しそうに頷いた。
「それはそうと、こちらが伯父様がお呼びになった、セイですわ」
中納言様はそれを聞くなり、僕の手を力強く握った。
「そちがセイか。よくぞ我が姉上、甥、姪を助けてくれた。中御門一家を代表して礼を言う。ありがとう」
呼ばれた理由がそれと分かって、僕は安心した。
「僕の方こそ、姫や朝比奈の人たちには良くして貰っているんだ」
「そうか、そうか。セイは朝比奈家の客人であったと聞いておるが、お国はどちらなのだ?」
「お国? えっと……」
「ごめんなさい、伯父様。セイは記憶喪失なのですわ。ひどい怪我をして気を失っていたところを見つけ、助けたのですけど、怪我のせいか、記憶を失ってしまいましたの」
「おお、そうであったか。詮無いことを訊いてしまった。許されよ」
「ううん、大丈夫」
どう答えようか困っていたところを、姫の機転に助けられた。記憶喪失にしてしまえば、異世界のことなどを説明しないで済む。魔法を使わずに異世界のことを信じて貰うことは不可能だろう、とセイは理解していた。
「では、こちらに知古はそうはおらんであろう。何の助けになるか分からぬが、我から皆を紹介しようぞ」
中納言様は、その前にまず自己紹介をした。名は宣綱、姫の伯父で中御門家の当主だ。京の都の堅苦しい暮らしに飽いて、駿河で羽を伸ばしているそうだ。
それから中納言様は、今日ここにいる中御門家の一人一人に引き合わせてくれた。
宣綱様の伯母で、また御屋形様の祖母であり、駿河における中御門家の後見人の立場にある寿桂尼様。
その寿桂尼様の娘にして宣綱様の妻であり、御前様を代行して今川家の家政を預かる御屋敷様。
宣綱様の息子で、僧侶となった伊豆の御子とも呼ばれる賀永殿。
その妹の中御門姫御料人とも呼ばれる大瑠璃殿。実名は盈子なのだという。
寿桂尼様の妹で、山科言継の妻である御黒木殿。
宣綱様の従兄弟で、駿河服織庄にある建穂寺の院主、心性院隆慶殿。
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
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誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。




