1章 出会い 2 命の恩人(4)
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明くる十一月十三日の辰三つ時、今で言う午前九時。
本堂より離れへ渡る廊下を、志麻は歩いていた。
お世話になっている承然や慈来を始めとする寺の関係者に、挨拶を済ませてきたのだ。
昨日は慈来の指導の下、鶏子白を少年に塗り、包帯を巻き直した。
未だ少年は目覚めない。
それでも志麻は少年が救かると信じている。慈来に話した通り、救かると信じなければならない、と思った。今は、救かる、と確信に変わっている。こんな心の移り変わりは道理に合わないと、志麻にも分かっている。それでも、ただただ救かると強く強く思うのだ。
本当を言うと少し怖い。この確信も、何か大きな力によって動かされているように感じる。
大海原を小舟で漕ぎ出してしまったような心細さ。天候は荒れる気配を示し、志麻と少年の乗った船は波に翻弄される。
確信と不安。
少年の寝る部屋の襖の前に立ち、混乱する心を静めるように、ふぅ、と息を吐く。
襖を開け中に入ると、部屋の中央に少年は寝ている。
むしろを二枚重ね、その上に古着を敷いて敷物とし、上にも古着を何枚もかけている。
静かに少年の枕元に近づき、腰を下ろした。顔を覗き込むと、少年の目が開いている。
「わぁ、気付いたのね」
よかった。本当によかった。これで少年は救かる。
先ほどまであった不安な気持ちが、霧が晴れるように消え去った。
少年の唇が微かに動いたのを、志麻は見逃さなかった。けれど、声は出ていない。
それもそうだろう。少なくとも、丸二日は水を飲んでいたのだから。
慈来から、目を覚ましたら白湯を与えるよう言われている。
「ちょっと待っていてね。すぐに戻るから」
寺の台所に走って向かう。
台所ではお景が寺の手伝いをしていた。事情を寺の者に伝え、お景とともに白湯を持って離れへ戻った。
少年に白湯を与えると、一気に杯を飲み干した。
包帯で表情は判らないけれど、とても美味しそうに飲んでいるのは分かる。杯に注ぐたび、すごい勢いで消えていくのだ。
水差しの白湯はついに尽きた。それでも少年は、まだ欲しいと目で訴えてくる。
「お景、もう白湯がなくなったわ。元々どれくらい入っていたかしら」
「五合は入っていたと思います。すごいですね。全て飲み干してしまうなんて」
「ええ、あまりに美味しそうに飲むものだから、考えずに注いでしまったわ。こんなに一度に飲ませて、よかったのかしら」
「慈来さまにお伺いを立ててからの方が、よかったかもしれません」
「そうね。では、これで終わりにしましょう」
お景も頷いて同意した。
「と、いう訳だから、今はお終いね」
志麻は少年に向き直り、目を見て言った。
「********」
少年の発した言葉は、聞いたこともない。思わず、志麻とお景は顔を見合わせた。
「困ったわね。唐人か高麗人だったかしら」
「姫様、近ごろ聞くようになった南蛮人かもしれません」
「そうね。言葉が通じないのは参ったわね。何があったのか、聞き出せないわ」
「はい、このような惨たらしい行いをする野盗がいるのなら、すぐに岡部様か御屋形様に報告せねばなりませんのに」
「ええ、早く何とかしたいわね。けれど、今は彼に回復してもらう方が先ね」
「はい、そうでございます」
「では、お景、彼をもう一度寝かせてあげて」
お景が少年を寝かせると、志麻がやさしく語り掛ける。
「ここは安全、大丈夫よ。あなたは救かるわ。だから今は休んでちょうだい。きっとよくなるから」
少年に言葉が通じる訳ではない。けれど、想いは通じるはずだ。
静かに少年が頷いたように、志麻には見えた。
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お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
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誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。