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6章 尾張遠征 1 花見と稽古と友達のこと(1)


 6章 尾張(おわり)遠征


 1 花見と稽古と友達のこと


 永禄(えいろく)三年三月五日。


 冬の寒さは過ぎ去り、春が訪れた。庭の木々には若葉が芽吹き、その木々に集う鳥たちも数を増やし、そして盛んにさえずく。

 木々や鳥と同じく、町の人々も春を楽しんでいるようだ。冬の間は背中を丸め、襟元をきつく締めていた人々も、体をほぐし、その歩みも気持ちゆったりとしたように思える。


 その駿河(するが)の町で、志麻(しま)は学問と薙刀(なぎなた)、弓の稽古で慌ただしく過ごしている。一方のセイは、氏真(うじざね)に勧められた道場に通い、武芸と筋力の回復に努めながら日々を過ごしている。


 セイは天井の木目をぼんやりと眺めていた。自室で仰向(あおむ)けに寝転んでるため、自然と目に入るのだ。


 目下、セイの胸中には一つのもどかしい思いがグルグルと巡っていた。それは、慈来(じらい)殿に感謝を伝えたいということだ。慈来(じらい)殿にだけは、(いま)だ感謝を伝えられていない。


 それを姫に相談したら、時期が早いと諭された。長慶寺(ちょうけいじ)から朝比奈(あさひな)の屋敷に移って、まだ二か月と半。いくら何でも、全て自然に治りました、は無理である。どうしても奇跡の力を疑わざるを得ない。セイが魔法のことを隠すのは、自分の為以外にも知ってしまった人に害が及ぶことを恐れるからなのでしょう、と。


 姫の言うことは正しい。頭では全くその通りだと思う。けれど、苦しい。


「セイ、いるわね?」


 寝ころんだ頭のその上、(ふすま)の向こうから姫の声がした。どうぞ、と返事をすると、姫は(ふすま)を開けて僕を見やった。


「魔力、足りない?」


 追跡の魔法を四つ行使してから一か月余り。魔力の蓄積はほとんど進んでいない。初めの頃は、一歩進んで一歩下がる状態の繰り返しだった。最近はやっと少しではあるけれど、貯められるようになった。


「ううん。大丈夫だよ」


 そう言って、僕は仰向(あおむ)けの姿勢から体を起こした。


「今は肉体強化の魔法だったからかしら、それを使っていないのね」

「あれ? わかった? そうだよ」

「ええ、体を起こすのが大変そうだったから」


 姫の言うように、肉体強化の魔法を使わなくても体を起こせるようになった。けれど、それを見て判ってしまうほど、体は自由には動かない。


「姫には何でもお見通しだね。あっ、どうぞ、中に入って座ってよ」

 入口に立ったままの姫に、僕は入るように促した。


「ここでいいわ。座ってしまうと長話してしまうもの。このあと、弓のお稽古なのよ」

「そうなんだ」


「それでね、そうそう、用なんだけれど、五日後にお花見をするわ。だから一日空けておいてちょうだい」


「お花見? それって何をするの?」

「桜の花を()でるのよ」


 二日前にひな祭りという行事があった。姫に連れられ、母屋の奥にある部屋に向かうと、階段状になった棚の上に、いくつもの人形が飾られていた。珍しいものではあったけれど、人形の価値なんてよく分からない。僕が人形だね、と言うと、それだけなの?って姫はふてくされていた。


「ひな祭りみたいに見るだけ?」

「あら、おいしいお弁当もあるわよ」


「そうなの、それは楽しみ」

「セイは花より団子なのね。あっ、お団子も出るわよ」

「お団子も好きだよ」


「わかったわ。楽しみにしていてね。けれどね、桜の花を見たら絶対に感動するんだから。ひな祭りみたいにはいかないわ」

「う、うん」

 僕は姫の熱意ある宣言に、少し気圧(けお)された。


「と、いう訳だから、五日後は明けといてね。では、わたしはもう行かなくちゃだわ」

 そう言って、姫は弓の稽古へと去って行った。


  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 九七、九八、九九、百。


 上段に続き、中段の素振り百回が終わった。すぐさま下段の素振り百回に入り、庭に集う少年たちは、一から声を上げて数え始める。


 セイの通う道場は、駿府構(すんぷがまえ)の東北、熊野(くまの)神社の隣にある。奥行三十(けん)、幅二十(けん)の土地が板塀で囲われ、門を入ると突き当りに床の少し高い建物があり、その手前が広い庭となっている。庭の両側には(えんじゅ)の木が整然と列をなし、中央は固い土で覆われている。ここで刀や(やり)の稽古をするのだ。


 道場の主は長老と呼ばれるヨボヨボの老人で、実際の稽古は師範二人と数人の師範代が行っていた。


 セイが初めてこの道場を訪れた時、長老は一言、まぁがんばりなさい、と言っただけだった。特別、何かを聞く訳でもなく、特別な扱いをする訳でもない。セイには、それが有り難かった。


 九七、九八、九九、百。


 下段の素振りが終わると師範代から、次は組み稽古だ、各々組を作って始めよ、と大きな声が掛かる。


 少年たちがすぐさま組を作っていく中、セイはポツリと一人でいた。そう、セイは浮いているのだ。


 始まりは、皆の前で紹介された時のことである。誰かがボソリと、変な髪、気持ち悪い、と言った。それでこの場の空気が決まってしまった。変わった髪の色を見て、好奇心に(あふ)れた色をしていた少年たちの目は、その一言でたちまち異端を見る目へと変わった。それから少年たちはセイに近づかないし、声を掛けようともしない。


 道場に通い始めの頃は素振りだけであった。六日前に師範から、セイも組み稽古に参加せよ、と皆の前で命じられた。そうではあるけれど、当然のように少年たちはセイに話しかけない。セイが組みを作ろうと話しかけても、まるで聞こえないかのように、時には明らかに迷惑がってその場を去ってしまう。セイは三日前から、もう誘うことを諦めていた。


 皆が組み稽古をしている中、セイは一人素振りをする。そうすることで現実に(あらが)うのだ。悔しがってはならない。悔しがれば周りをただ喜ばせるだけだ、と自分に言い聞かせ、ただ無心に木刀を振る。


 僕は剣術の稽古に来ているんだ。周りと()れ合うためじゃない。


  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 お読みいただき、ありがとうございます。


 夜雨雷鳴と申します。


 応援、感想など頂けたら嬉しいです。画面の前で滝のような涙を流して喜びます。もしかしたら、椅子の上でクルクル舞い踊るかもしれません。


 誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?


 では、次のエピソードにて、お待ちしております。

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