5章 初陣 3 ねぐら(2)
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囲炉裏で薪がパチパチと爆ぜ、薪の山がごろりと崩れた。
泰朝が長い火箸で崩れた山を整える。
志麻たちは今、賊のねぐらから直線距離にして五町(550m)程の所にある民家にいる。十兵衛が百姓の主人から借り受けたのだ。
民家からねぐらは見えない。というのも、山から南に続く尾根が両者の間に入り込んでいるからだ。その尾根に、十兵衛は見張りに出ている。
「帰ってくれ。五郎」
泰朝が、さぞ迷惑そうに、そしてぶっきらぼうに言った。
「わしがおれば、兵の士気が上がる」
全く気にするようでもない氏真は、囲炉裏の火に手をかざしながら答えた。
「いや、兵が余計な気を使ってしまうだけだ」
「わしの家臣、陪臣が、わしに気を使うて何が悪い。むしろ日頃から接しておれば、本当の戦場で固くならずに済むじゃろ」
「そんな屁理屈を言っても、本当のところは、ただこの騒動に首を突っ込みたいだけだろ?」
「弥次郎、相変わらず無粋じゃのう。堅物めが」
飄々と言いのける氏真を諦めて、泰朝の矛先は氏真の隣に収まっていた松平元康に向く。
松平元康は仮名を次郎三郎と言い、官途は蔵人佐、松平家の当主である。歳は今年で十九。今川家の一般家来衆からは岡崎殿と呼ばれている。
岡崎の地は今川家勢力圏と織田家勢力圏の境にあった。時の松平家当主であった広忠は織田信秀に攻められ、命からがらにして降参した。そして、わずか六歳の息子、元康が織田家に人質として出される。その二年後、雪斎が織田信秀の庶長子、信広を生け捕りにした。その時までに広忠は病死していたが、松平家は織田から今川の配下へと立場を変えていた。ここに、元康と信広の人質交換が行われる。こうして、元康は今川家に保護された。元康、八歳の出来事である。
八歳の子供ではとても領国を経営できない。そこで岡崎領の経営は、元康の大叔母にあたる於久と、松平家重臣阿部大蔵によってなされ、元康は駿府に出仕することとなった。
これは松平家中の一部から見れば、当主の人質先が織田から今川に代わっただけ、とも取れる。事実そう憤慨する者もいた。
しかし、元康の駿府での扱いは、当然、人質などではなく、出仕した国衆の当主として扱われた。立派な屋敷が与えられ、元康の祖母、源応尼を駿府に招き、また武将としての教育も、与えられる限りのものが与えられた。
そして、今では今川家御一門衆の関口氏純の娘、芙蓉殿を妻に迎え、元康は疑似的に今川家御一門衆となっている。
「次郎三郎は、どうしてここにいるんだ?」
「俺っちは駿府の町を歩いていただけだってのに、五郎に無理やりここまで連れてこられたんじゃん。ここは何の集まりなんさ?」
泰朝が大きなため息をついた。事情を察したというよりは、やはりそうか、といった様子だ。
「そうか、それは災難だったな。ここは、我が屋敷に先日討ち入った賊共のねぐらを監視するための拠点、といったところだ」
「じゃあ、俺っちは賊を退治すればいいって訳だ」
泰朝は眉間にしわを寄せ、左右に首を振って応える。
「いや、五郎を連れて駿府に帰ってくれた方が、嬉しい」
「そんなん無理じゃん。五郎は言うこと聞かんし、それを考えたら賊を討った方が楽だって、弥次郎も解ってるら」
「やはり、そうか」
「どう考えたって、そうじゃん」
「はっはっはっ、次郎三郎は物分かりが良いのう。弥次郎も見習うがよい」
泰朝はむっとしながらも、それを隠すように氏真のもう一方の隣に座る武将、岡部正綱に話しかける。
岡部正綱は、通称を次郎右衛門尉と言い、叔父の岡部和泉守の後見を受け、岡部家の次期当主になるべく修行中だ。ねぐらの近辺には岡部家の知行地もあり、当主の名代として呼ばれたのだ。
「次郎右衛門尉、わざわざ済まないな。予定と違って人数が増えてしまった」
「俺はいいが、五郎が出張るのなら、叔父貴を呼んだ方がいいのではないか?」
「よいよい、和泉守が来たら何かとうるさい。わしも屋形らしくせんとだしの。お主で十分じゃの」
「御屋形様というものは、いつも御屋形様らしくするもんだぞ、五郎」
「弥次郎は、じい以上にじいだのう」
泰朝の抗議は、いつもの如く軽く流されてしまった。
今まで黙って聞いたいた志麻が、泰朝の耳元に顔を寄せてそっと囁く。
「ねぇ、兄さま、わたしがここに来ることがじゃじゃ馬ならば、御屋形様は何なのかしら?」
泰朝は、手をひらひらと振って志麻を追い払うと、
「皆まで言わすな」
と、ぼそりとつぶやいた。
「そこの兄妹、何をこそこそと話しておるのじゃ?」
見逃してくれる訳もなく、氏真が口を挟む。
「なに、志麻がセイを皆に紹介したいと申してな。連れてきても良いか?」
泰朝がとっさにウソをついた。表情は変わらない。慣れたものである。
「そう言うことにしておこうか。セイも来ておったのじゃな。連れてまいれ。次郎三郎と次郎右衛門尉は初めてじゃな」
二人が同時に頷いた。
「うむ、では、紹介が終わり次第、尾根にねぐらを見に行こうかの」
仕切りを始めた氏真を、泰朝が止めることはもうなかった。
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夜雨雷鳴と申します。
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