4章 世の理、人の理 4 糸を引く者(4)
「それでは最後の織田家について話そうか。織田家の所領は三河の西の尾張だ。一国ではあるが、田畑が多く、交易で栄えておるので、今川の三ヶ国と比べても決して侮れる相手ではない」
「土地が豊かで強いんだね」
「それだけではない。織田の当主は信長と言って二十七、八の者だ。こ奴が曲者で、若いころは奇行ばかりしておると噂が流れて来た。尾張でも、うつけ、うつけと言われておったようだが、戦にめっぽう強い。あれよあれよという間に、分裂していた織田家をほぼ統一し、尾張のほとんどを手中に収めおった」
「武将としても強いんだね」
「認めたくはないが、そうなんであろう。こ奴の親父も戦上手であったが、おそらくそれ以上の戦上手だろうな。武力に任せて今では尾張の守護のように振る舞っておる。正真正銘の守護は信長によって数年前に放逐された。本来、信長は守護の下の守護代、さらにその下の一奉行に過ぎぬ。それが力でのし上がったのだ」
「下剋上ってのだね」
「そうだな。おそらくそう何年も経たぬうちに、用済みとなった守護の関係者は、ことごとく難癖をつけられて追放されるであろう。ただし、その時まで信長が権力の座にいればだがな」
「その言いっぷりということは、兄さま、大規模な織田征伐があるとのあの噂は、本当なのですね」
姫が緊張した面持ちで問うた。
「あぁ、そうだ。細かい時期まではまだ決まってはおらぬが、夏前には出兵することが確実だ。去年の夏から、各奉行に戦に必要な物資の追加納入が命じられておる」
「戦争になるんだね」
「今川の城が織田の付け城にあって、助けを求めておる。付け城というのは、相手の城の周りに城や砦を築き、城の身動きを封じたり、食料その他の調達を妨害する戦法だ。助けに行かぬという選択肢はあり得ぬし、助けに行けば戦になる」
「仕方ないんだね」
「セイ、お前さん、ずいぶんと浮かない顔をして居るが、お前さんを戦に参加させるつもりなど毛頭ないから、安心してくれてよい。なに、今回は本当に大規模な動員をかけるのだ。お前さんの力を借りなくとも、数の力で圧倒できよう」
「ありがとう、若さま。けど、戦争は好きにはなれないよね」
それを聞いた若さまは優しげな眼差しを向け答える。
「うむ。限られた例外を除けば、戦を好むものは少ないであろう。戦を好まぬは正気である証拠だ。戦は嫌でそれでよい。俺も嫌いだ。稼業でなければ、こんなことはせんであったろう」
「そうだね。若さまもなんだね」
その時、部屋の外から男の人の声がした。
「失礼いたします。若様、そろそろお時間でございます」
「そうか、分かった。すぐに行く」
若さまは外に向かって返事をすると、ポンと両膝を叩いて立ち上がった。やっぱりどこかに行く用事があったんだ。当たった。
「兄さま、今日は歌会始の日でしたわね。どうりでそのお召し物なのね」
「そういうことだ。志麻、お前さんはいいな、気楽で」
「気楽も何も、わたしは呼ばれていないもの。さぁ兄さま、頑張ってらっしゃって」
「おう、せいぜい足掻いてくる。それと言い忘れておったが、歌会始が終わったら掛川に戻る。溜めた仕事もあるでな。だから、十兵衛から動きがあったとの知らせが来ても、焦って勝手に動くでないぞ。動くのは俺が駿府に戻って来てからだ。よいな」
「分かったわ、兄さま。約束するわ」
「よし、では行って来る」
若さまは重い足取りで部屋から出て行った。
「ねぇ、姫。歌会始って何?」
「一年で最初にやる歌会のことよ。主催は御屋形様ね。歌会では和歌を皆で詠むのよ」
「楽しそうだね。だけど若さま、すごく嫌そうだったよね。なんでかな?」
「兄さまはね、和歌が下手なのよ。すごく」
「そうなんだ」
「ええ、今川の家来衆の人たちは皆、たいして上手ではないの。御屋形様はお上手だけど、太守様はそうではないわね。太守様は漢詩の方だから。上手ではない家来衆の中でも、兄さまは群を抜いて下手なのよ」
「それはつらいね」
「そうね。今回もきっと落ち込んで帰って来るから、慰めてあげないとだわね」
「姫、ちょっと嬉しそう」
「そんなことないわよ」
姫はそう言ったけれど、僕には楽しそうにしているとしか見えなかった。
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
応援、感想など頂けたら嬉しいです。画面の前で滝のような涙を流して喜びます。もしかしたら、椅子の上でクルクル舞い踊るかもしれません。
誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。




