4章 世の理、人の理 1 月は照らす(1)
4章 世の理、人の理
1 月は照らす
朝比奈屋敷が襲撃を受けてから、一日と半が過ぎた。
その間に、僕は母屋の部屋から別棟の部屋へと移っていた。
母屋は元々、朝比奈家の家族が使うためのものだったらしい。僕がそこを使っていたのは、重傷人だからの特例だったそうだ。すっかり元気になった僕を、そのまま母屋に置いておくことはできない。離れの客間に移ることになった。
移ると言っても何も持ち物を持たない身なので、僕の身一つが客間に移っただけだ。
そして僕は今、一人、その客間に大の字になって寝ころんでいる。
今朝も日の出前に見廻りに参加した。昨日の見廻りの人たちから、今日も来てくれと頼まれたのだ。
見廻りの後、朝比奈屋敷の中を回って、僕の国、王国を知る人はいないかと探し歩いた。けれど、誰一人として知る人はいない。そうすると、早く町に出て聞き込みをしたい。明日、姫が案内してくれるのだけれど、今から待ち遠しい。
と、言うことで、今はやれることがない。やれることがないので、大の字になって天井を見ているのだ。
寝転んでいると、畳から仄かに香るイグサの香りに包まれる。秋の牧草地を思わせる成熟した草の香り。気品があり、厳かな雰囲気を感じさせる。こちらに来て、初めて嗅ぐ香りだ。けれど、嫌いじゃない。こうしていると心が落ち着く。
客間の一方は三間(5.5m)、もう一方が二間(3.6m)の長方形で、畳敷き。二間の方の片方が庭に面していて、障子がある。反対の片方は襖で奥へと続いている。壁には掛け軸が一幅、椿の花が鮮やかに咲いている。
昨日の朝食時に、お杏殿にこの国のことをいろいろ教えてもらった。
光を通す紙が貼られた戸は、障子。部屋と部屋とを結ぶ戸は、襖。草で作られた敷物は、畳。
通辞の魔法で言葉は通じる。けれど、知らない物の名前は、分からない。この国には僕の知らないものが多すぎる。
特に頭を悩ませるのが敬語だ。多くの種類の敬語があって、とても使いこなせる自信がない。
それでも、少しは使えないといざこざに巻き込まれてしまう、と言うのがお杏殿の忠告だ。ためになる忠告だと思う。思うのだけれど、正直やれやれ、という感じかな。
「セイ、ちょっといいかしら?」
襖の奥から姫の声がした。
「姫、どうぞ、どうしたの?」
襖が音もなく開き、姫の顔が見えた。
「あら、寝ていたかしら。起こしちゃった?」
「ううん、やることがないから寝ころんでいただけ。眠ってはいないよ」
すうーっと胸いっぱいに空気を吸い込む。
「ここの畳はいい香りがするね。だから寝ころんでみた」
「そう、ここの畳は新しいから。たしか畳を替えて、セイが最初のお客さんだわ」
「なんか得した気分だね」
僕はそう言って起き上がる。
すると、姫の奥にもう一人いることに気付いた。お景殿だ。
「あっ、お景殿だ。会いたかったです。お礼が言いたかったです。たくさんお世話してくれてありがとうございました」
そう言って、僕は手をついてお辞儀をした。こちらでは、これが正しい方法のはず。
お景殿は、朝比奈屋敷に来てもからも、僕の世話を姫とともに引き受けてくれた。感謝をしてもしきれない。
「姫様が仰っていた通りセイなのですね」
「そうだよ。僕だよ、セイだよ」
「こんなにお顔がきれいになって……、信じられない気持ちですわ」
「そうだよね。話さないとだよね」
「セイ、話してしまっていいの?」
姫が僕に確認する。僕に気を使って、魔法のことは黙っていてくれたようだ。
「お景殿には、話さないといけないと思う」
「そう、分かったわ」
「じゃぁ、そこではなんだから、二人とも入って座ってよ」
それから僕は、お景殿に僕が魔法を使えること、魔法で体を治し賊を退治したこと、僕の生まれ故郷のことなどを話した。
お景殿はすごく驚いていたようだけれど、僕と姫の顔を見て信じてくれたようだった。
最後に、僕が魔法を使えることは秘密にして、と頼んだ。お景殿はすぐに察して約束してくれた。
「ところで姫は何の用事だったの? もしかして、今日、一緒に町に行ってくれる?」
「うーん。今日のところは無理ね。今から町に行っても、ほとんど回れないで帰ることになるわ。すぐに暗くなるから。明日の約束は守るわよ。そうね、辰三つ時(午前九時)に出発でいいかしら?」
「明日の辰三つ時。ありがとう。じゃあ、今日の用件は何なんだったの?」
「兄さまが呼んでいるわ。話したいことがあるそうよ」
「分かった。すぐ行くよ」
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
応援、感想など頂けたら嬉しいです。画面の前で滝のような涙を流して喜びます。もしかしたら、椅子の上でクルクル舞い踊るかもしれません。
誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。