3章 夜襲 2 死ぬということ(1)
2 死ぬということ
「およそ事、善なれば則ち長し。古に因れば則ち行わる。誓作、章らかなれば、人すなわち強し」
お師匠が読み上げ、続けて志麻が読む。読み上げられた声は、無限の空間へ消えていく。
今、志麻は武経七書の一つ、司馬法に取り組んでいた。
「厲を滅すれば祥なり。厲を滅する道、一に……」
あれ? 変なところで読み上げが止まったわね。区切るにはおかしところだわ。
「お師匠。どうしたの?」
「姫、そなたの屋敷に、賊が侵入しようとしておる」
「は?」
ゾク? 続? 属? 俗? 族……?
抑揚のないお師匠の口調。空を見上げて空だな、と言うように驚きも怒りも恐れも感じない。余りの落ち着きようで、志麻は「ゾク」の意味を取り損ねた。
「賊、これは忍びの者である。中に手練れの者がおると見える。家の者共は気が付いておらぬ」
「えーー!? ちょっと、なに平然と言ってるんですか。大変じゃないの!」
志麻はキョロキョロと辺りを見回した。
「姫、落ち着かれよ。ここから賊が見える訳なかろう」
「ええ、そうね。でも……。えーと、えーと」
頭が空回りしてうまく思考ができない。賊!? 忍び!? 侵入!?
心臓は太鼓を打ち鳴らすかのように、バクバクと音を上げている。同時に背中に寒気を感じ、手は汗で湿る。
「兵法書を読むまでもなく、慌てたら負けだ。深呼吸をせいや。ほれ、一つ、二つ、三つ」
お師匠の言葉に合わせて深呼吸をする。十回ほど深呼吸をして、多少なりとも落ち着きが戻ってきた。
「ありがとう。お師匠」
「将たる者は、何があっても慌ててはならぬ。軍師となれば、猶更だ。軍師が慌てれば将も慌て、将が慌てれば兵も慌てる。逆に、軍師に威厳と落ち着きがあれば、将は希望を見出し、希望ある将の下で兵は初めて勇戦できる」
「はい」
「よし、落ち着いたようだの。では今より目を覚まして、そうであるな、常盤局を連れて遠中殿の許へ逃げ込むがよい」
「母さまを連れて母上のところに行けばよいのね」
「うむ。近くに武器となるものはあるか?」
「薙刀があるわ」
「では、それを持っていくがよい」
「ええ」
「銅鑼や鐘はあるか?」
「近くにはないわね。中臈を呼ぶための鈴ならば母上のところにあるけど」
「中臈……女中がおるのか。その者も一緒に逃げた方が良かろう。他にはおるか?」
「いいえ、他の者は夜にはいないわ」
「左様か。では今から起こす。姫、何があろうとも諦めるでないぞ。諦めたら全てが終わってしまうゆえ」
はい、と答えようとした時には、すでに自室であった。
行灯の弱い灯りを頼りに周囲を見回す。誰もいない。
外から音もしない。まだ賊が建物まで侵入していないのか、もう侵入しているけれど音もなく忍び寄っているのか、分からない。
志麻は音をたてぬよう慎重に襖の上から薙刀を取り出すと、静かに母さまの許へと向かった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
応援、感想など頂けたら嬉しいです。画面の前で滝のような涙を流して喜びます。もしかしたら、椅子の上でクルクル舞い踊るかもしれません。
誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。