2章 幻影 2 嘘と真(5)
御屋形様がそう言いかけた時、横の障子が、バタン、と勢いよく開け放たれた。
「五郎! なぜおる!?」
大声の主は兄さまである。
「おう、弥次郎、探したぞ」
御屋形様は平然として言ってのけた。
「探したぞ、ではない! 五郎、なぜこんなところにおるのだ!?」
兄さまは、志麻と家の者をちらりと見ると、決まりの悪そうな顔をして言い直した。
「御屋形様、どうしてこちらにお出でなのですか?」
御屋形様は笑って答える。
「言ったであろう、お主、弥次郎を探しにだの」
「そうではありません。どうして御屋形様がこちらにお出でになるのですか。仰って頂ければいつでも伺います」
「わしが会いたいと思ったのだから、わしが会いに行ってもよかろう?」
「そういうことではなく……。まさか、一人でお越しになったのですか」
「そんな訳あるか。ちゃんと共を連れてきたぞ」
「では、そのお共はどちらに?」
兄さまの眉がピクピクと動く。兄さま、沸騰し始めているわね。
「なんやかんや申して付いて来なんだった。今は、敷台におるかのう」
敷台は玄関に隣接する家来の控えの場だ。だから、駿府構から朝比奈屋敷まではお供を連れてきたけれど、屋敷の玄関にお供を置いてきてしまったと言うことらしい。
「お供の身になって下さい。いくら主人からみて家臣の屋敷であろうと、勝手に入る訳にはいかないでしょう。叱責で済めばよい方で、手打ちにされても文句は言えません」
「お主も竹丸と亀吉と同じことを言う。固いのう」
「ちょっと待って下さい。竹丸と亀吉って、わが一族の竹丸と海老江家の亀吉ですか!?」
「左様」
御屋形様はさも当然と言ったように、うん、うん、と頷く。
「左様、ではありません! どちらもまだ元服も済ませていない子供ではありませんか。亀吉に至っては、まだ九つですぞ」
「どちらも賢いゆえ、別に構わんがのう」
「もしや、お供はその二人だけでございませんよね」
「二人いれば供など十分であろう?」
「もし道中、賊に襲われたらどうするのです!」
「わしがおる」
御屋形様は腰の刀をポンと叩いて胸を張った。
「わしがおる、ではありません」
「なに、見くびるな。賊が来ようとも、わし一人で竹丸も亀吉も守ってやれるのう」
「主人が警護の者を守ってどうするのですか! 話が逆さまでございます」
「相変わらず石頭だのう。わしは強いから大丈夫だ」
「お言葉ですが、それがしでも二十本に一本は取れますぞ」
御屋形様は、事の成り行きをハラハラと見守っていた志麻の方を向くと、いたずらそうな笑顔を見せた。
「冬青姫、そなたの兄は姫の前だからといって見栄を張っておる。何百と稽古で打ち合ったが、弥次郎に取られたことは、ほとんどないのう」
「志麻、聞かんでもよいぞ」
兄さまはすかさず言った。そして、
「御屋形様、それでも三本は取ったことがございます」
「数えておったのか?」
「ええ、数えておりました」
「ではやはり、お主の言った二十本に一本は、分かったうえでの大風呂敷であったということだのう」
御屋形様は一人、うん、うん、と納得している。一方、兄さまは苦虫を噛み潰したような表情である。
「兄さま、お顔が怖いわ」
「あぁ、志麻も言うてくれるな」
兄さまは、ふう、と大きく息を吐くと、もう一度わたしを見やった。
「この通り、御屋形様は天邪鬼なお方だ。驚いたであろう」
「えぇ……。ほんの少しだけ、噂は聞いていたけれど、以前お見かけした時は、もっと鋭利な雰囲気でしたので」
「御屋形様は、普段は猫を被っておられるからな」
御屋形様はその様子を見て、くつくつと笑っている。
兄さまは二度ほど首を大きく横に振ると、行き場もなく途方に暮れていた家の者たちに声をかけた。
「一人は敷台に向かい、竹丸と亀吉をここまで通してやれ。もう一人は母上に、御屋形様がお越しになったと伝えてくれ」
家の者たちは、はっ、と言うと、そそくさとそれぞれ向かって行った。
家の者たちが完全にいなくなるのを確認して、兄さまは御屋形様に向き直る。
「で、五郎よ。本当に何しに来たのだ?」
「おっ、姫がおるのにその口調でええのか」
「志麻にはもうバレた。今さら取り繕っても遅いわ」
「左様か。その方がわしも気楽でよいがのう」
「では、答えてもらおうか」
兄さまがにじり寄って問うた。
「お主に会いに来たのは半分本当だ。遠江の近況も聞きたいしの」
「もう半分は?」
「何やら冬青姫が半死半生の者を助けたと聞いてのう。それを見に来たのじゃ」
「まぁ、御屋形様はセイを見に来てくださったのね」
「ほう、その者はセイと申すか。案内してくれるかのう?」
「はい、こちらです」
わたしを先頭に、御屋形様、兄さまの順で歩き出す。ちらりと見た兄さまは右手をおでこに当てて、やれやれ、と首を振っていた。
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お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
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誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。