2章 幻影 1 講義と試練のこと(4)
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「お師匠、こんばんは」
「来たようだな」
お師匠は尾をくねらせて言った。
「今日は少し遅かったな」
「ええ、少し考え事をしていたら、なかなか寝付けなくて」
「セイのことか?」
「お師匠には分かってしまうのね」
志麻はそう言うと少しほっとしたように、そっと胸に手を当てた。
「なんとなく、ではあるが。話してみいや」
促されて志麻はおずおずと切り出した。
「今日は暖かかったからセイの部屋の障子を開けて、庭を見てもらったの」
「うむ」
「昼八つも終わり頃(午後三時頃)に障子を閉めに行ったのだけれど、セイがとても辛そうな顔をしていたわ。いえ、辛そうな顔だったのを無理に笑顔にしていたわ」
「単に寒かったということは?」
「いいえ、お師匠。わたしも障子を開けて復習をしていたのだけれど、本当に今日は春みたいに暖かかったのよ」
「では体のどこかに不調があったか」
「それならわたしに隠す必要はないわ。温めるなり、冷やすなり、さするなり何かできる訳だし」
「ならば答えは一つであるな。故郷のことを考えていたのであろう」
「セイの故郷……。お師匠にはセイがどこから来たのか分かるのですか」
「どこから来たのかも、話している言葉も分からぬ。が、この世の外から来たことだけは分かる」
志麻が目を丸くして聞く。
「セイは幽霊や鬼、天狗のようなものなの!?」
「いや、違う。セイは人だ。これは間違いない。だが、この世とは異なる世界から我らのいるこの世界に流れ着いてしまったようだ」
「そんなことが、あるのですか……?」
「あった、としか言いようがない」
「はぁ」
そう言うと志麻は黙りこくって考え始めた。お師匠はただ黙って志麻の次の言葉を待っている。
しばらくして、志麻が口を開けた。
「セイは自分の世界に帰れるのかしら」
「どうであろう。こちらから向こうへ帰った話など聞いたことがない。神隠しを思い浮かべるが、あれは人さらいか、事故に遭うて行方が分からぬようなったに過ぎぬ」
「そう、だわね」
「もう一つ悪いことがある」
「何でしょうか」
志麻は背中に寒気を覚えた。夢の中のここでは暑さも寒さもないにも関わらず。
「セイを見つけたとき、周りに火の気はあったかえ?」
「いいえ、なかったわ」
「そうであろう。と、すると、セイは向こうの世界で焼かれてから、こちらの世界に来たことになる」
「そう言うことになるわね。つまり、向こうの世界に何らかの強い感情、怨みや後悔のようなものを残している、とお師匠は仰りたいのね」
「うむ、もちろん単純に故郷を離れて辛い思いもあろうが……」
「どうしたらよいでしょう?」
志麻は恐る恐る聞いた。
「姫がどうにかするしかないであろう。我は直接セイと話すことは出来ぬ。縁が結ばれておらぬ故」
「わたしが、ですか」
「他におらぬであろう?」
志麻はお師匠の顔をまじまじと見つめてみたけれど、感情はやはり読み取れない。
「よし、ではこれを姫への宿題としよう。セイと話せるようになったならば、その心を支えてやるのだ」
これはかなり難しい宿題を課された。もちろん志麻は断る気など一切ない。今まで気づかなかったけれど、それをやって当然であると思えた。
「わかりました。よくよく考えておきます」
「うむ、いつ話せるようになるか分からぬ。心しておけ」
「はい」
志麻の固い決意のこもった凛とした声が響いた。
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
応援、感想など頂けたら嬉しいです。画面の前で滝のような涙を流して喜びます。もしかしたら、椅子の上でクルクル舞い踊るかもしれません。
誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。