8章 桶狭間山 2 沓掛城にて(2)
空気の悪化を感じてか、親徳殿が話題を転換して言う。
「武節方面は無理でも大高城と連絡が取れんのか?」
「落武者狩りが出ているとのことでございまして、何ともしがたく」
「清洲に向かった葛山殿の方はどうだ? 北条家の応援の衆もそちらであろう?」
「使いを出しましたが、まだ戻っておりません」
申し訳なさそうな連絡担当の武将に、親徳殿は手の平で空をポンポンと上下に叩き、ご苦労、と労った。
「こうも周りと連絡が取れないとなると、もう軍勢は散ってしまったのではないか?」
そうぼやいたのは庵原忠縁殿だ。
「ところで武田の軍勢はどうした? なぜおらん?」
庵原元政殿が床を右の拳で叩き、怒りの形相で怒鳴った。
「そうだ、そもそも武田が逃げ出さなければ、こうはなっていないはずだ」
やはり庵原忠縁殿が同調する。
「いや、あれは戦場の偽計の類であろう?」
長谷川殿が窘めるように言う。また、言い合いが始まりそうだ。
「なれば、ここに武田がいなければおかしいであろう。なぜ居らん?」
「ここにいないことが全てを物語っておりますな」
やはり、元政殿、忠縁殿が反論した。
「いや、それとて早合点ですぞ。ほぼ壊滅と変わらないような引き際であったのですから、武田も壊走してしまったのやもしれませぬ。今川軍の中にも散ってしまった軍勢はおりましょう。初めらから逃げたと決めつけるには証拠が足りませぬ」
長谷川殿も一歩も引かない。
「いやいや、わしは桶狭間山の戦場で、武田の衆を見ておらんぞ。そもそも持ち場に居らなんだったのじゃないか? あの時、乱取りをしている衆もおったようだが、武田の衆もそれに出かけていたのではないか? わしはそう思うぞ」
元政殿が吐き捨てるように言い、忠縁殿は深く頷いた。
「わしも同感だ。そもそも武節を攻めているのは誰だ? 下条の奴らだ。下条はどこの配下だ? 武田だ。武田に下条は未だ武田の配下かと訊けば、そうだと答える。なぜ今も武田配下の下条が、今川配下の武節の菅沼家を攻める? 道理が合わぬであろう」
「しかも武田配下の下条が今川配下の菅沼を攻めたのは今度が初めてではないぃ」
「そうだ。加えて道理が合わぬと言えば、武田と織田の関係だ。外交は協調するのが約定。今川と織田との和睦を破ったのは織田だ。そうであるから、武田が我らと歩調を合わすが道理。それなのに武田に織田との関係はどうなったと訊けば、言を左右にしてはっきりしたことを言わない。おかしいではないか」
「全くだ。武田の奴らは無理と書いて道理と読んでいるに違いない」
「違いない。そんな状態で太守様の守りを引き受けたにも関わらず姿をくらます。となれば、乱取りに言っていたに相違あらん。良く出来た援軍様だ」
元政殿と忠縁殿は怒髪天を衝くという風で、その語気の荒げっぷりは言葉に表せないほどだ。
「皆さま、話が逸れてござる。今話すべきはこの城から引くのか留まるのかでござろう」
関口殿が見回して、というよりも、睨み回して言うと、急に評定の場は静かになった。
「あの……」
ここで初めて志麻は口を開いた。
「発言してもよろしいでしょうか?」
皆の視線が関口殿に集まる。
関口殿が頷くと、すぐに皆の視線が志麻に注がれた。
「評定の前に主だった方々に御伝えした通り、御屋形様がここに向かっております。御屋形様のご到着を待ってから考えても良いのではないでしょうか」
「そうは言うても、姫が駿府を発った時にはまだ駿府構にいらっしゃったのであろう。いくら早く準備をしても、軍勢を動かすとなれば時間がかかる」
関口殿の発言は当然と言えば当然だ。
「御屋形様は、早急に動かしてくださると仰いました」
「姫、言いたくはないが、姫は軍事を知らなすぎる」
これは反論のしようもない。ここにいる歴々の武将に比べれば、わたしは本当に小童なのだから。
「返す言葉もございませんが、わたしの御屋形様への信頼、そのわたしの信頼に顔を立てて頂きまして、何卒、二日の御猶予をお願い存じます」
「たった二日間か」
言った近藤殿は期間の短さに不満のようだ。
「織田方も壊走に近い形で引いたのでございます。今日明日で体制を立て直せるものでしょうか? 二日の間にここを攻めることは難しいと存じます」
「姫の言にも一理あると思うが、みなの衆はどうお考えか?」
親徳殿が見渡して返事を促した。
「姫にここまで言われてしまえば、無碍にするのも男が廃る、か」
言ったのは意外なことに元政殿だ。
「状況悪化の兆しが見えないのであれば、動かないのもまた一つの手ではないか?」
関口殿の最後の言葉で、大勢は決まったようだ。
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
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誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。




