8章 桶狭間山 2 沓掛城にて(1)
2 沓掛城にて
永禄三年五月十九日、桶狭間の退却から数刻後の夕刻。志麻は、沓掛城本丸にて開かれた評定に、末席ながら参加していた。
本来、志麻には参加資格がない。そこのところを桶狭間救援の功でしれっと参加しようとした。ところが世の中そう簡単にはいかないもので、重臣庵原元政殿から物言いが付いき、危なく追い出されそうになった。では、なぜ志麻が出席しているかと言えば、長谷川元長殿の口添えで辛くも同席が許されたのだ。すつる神あれば引きあぐる神ありだ。
評定の参加資格は太守様が与えるものだ。しかし、評定所の上座にその姿はない。沓掛城に着いて、すぐに気を失ったのだ。
深い傷は全部で五ケ所、浅い傷は無数にあり、血を多く失ったことが原因だと僧医が言っていた。
その僧医曰く、生死は五分五分、といったところだそうだ。
上座が空であれば、一方の評定に集まった重臣もまばらだ。大高城に先行した武将や、武節方面で織田の攻撃から守っている武将、清洲を圧迫するために飯田街道を進んだ武将とは、未だ連絡が取れない。その者たちを除く空席の三分の一は討死を果たし、残りは太守様同様に生死を彷徨っている。
重臣である三浦義就殿、斎藤利澄殿や準一門である久能氏忠殿 藤枝氏秋殿、古くから今川家に仕えた江尻親良殿、今川家中にその者ありと言われた庵原殿、牟礼殿、四宮殿といった錚々たる家臣が戦場で散った。特に伊豆元利殿、冨塚元繁殿をはじめとした太守様の馬廻衆の被害は甚大で、多くの者が太守様を守ろうと無理をし、その命を落としていた。
評定が始まるにあたり、僧医から報告された今川家の損害は御覧の通りだ。敵を退けたとはいえ、大惨敗という他ない。
結局、評定に参加できた者は極限られた者となった。
主だった者を挙げれば、まず、桶狭間山と沓掛城との連絡を確保していた関口氏経殿。今川家の御一門である関口刑部大輔家の人間である。ちなみに、芙蓉殿の父、元康殿の義父であるのは、関口刑部少輔家の関口氏純殿であり別人だ。新規に従属した国衆がこの二人を混同するのは、あるあるなのだ。
朝比奈親徳殿。二日前の前哨戦において肩を鉄砲で撃たれ、ここ沓掛城で治療を受けていた。今川家中の重臣で、と限れば、鉄砲に当たったのは親徳殿が初めてだ。
長谷川元長殿。急襲を受けた時、太守様の近くで戦った。鑓疵を三か所受けながらも、幸いなことに全て急所から外れ、どうにか評定に出て来られている。
庵原元政殿。こちらも急襲を受けた時、太守様の近くで戦った。今は包帯で首から左腕を吊っている。沓掛城に帰城した時、初めて左腕を骨折したことに気付いたらしい。
浅井政敏殿。沓掛城の城代。今川家の直臣で、彼が沓掛城の防備、大高城への物資輸送の整理を行っている。
近藤景春殿。沓掛城の城主であるが、今川軍を受け入れるために城を預け、自身は近くの高圃城に移って備えていた。太守様が運び込まれたと聞き、沓掛城に馳せ参じた。
庵原忠縁殿。鬼の将監の異名を持つ。急襲を受けた時、太守様の近くで戦いながらも、近習の中でも随一と謳われる武芸がものを言い、目立った傷を負っていない。
その他に五、六人の武将が評定に参加している。
「関口殿、どうなされる?」
口火を切ったのは朝比奈親徳殿だ。関口氏経殿は黙って諸将を見渡す。
「太守様討死との流言飛語が流れ、兵どもが不安がっておりまする。この城でもこの有様ですので他の城はどうなっているのやら」
浅井政敏殿が苦悶の表情で声を絞り出した。
「そうだ。下手をすれば、ここ沓掛城で孤立すやもしれませんぞ」
追従したのは庵原元政殿だ。
「かと言うて、今、太守様を動かすのは難しくないか?」
近藤景春殿が、とんでもないという顔で反対した。それもそうだろう。近藤殿は沓掛城の城主。今、ここに逗留する今川軍に去れれたら、城が危うくなると考えて当然だ。
「ここにいてはジリ貧ですぞ」
元政殿が関口殿に視線を投げて反論する。
「いやいや、お待ちくだされ。沓掛城にはまだ兵糧が十分にござる。ジリ貧になど成り申さぬ」
近藤殿も必死だ。そこに長谷川殿が加勢した。
「太守様が今ここにいれば、どう考えるだろうか。わしは太守様なら動かず、引くにしても境目の安定が成ってからだと思うが」
「いや、太守様はその様なことを仰っていないではないか。仰っていないのであれば、我ら評定衆が最善を考えるべきだ。違うか?」
元政殿の声は静かだけれど、明らかに怒気が含まれている。先ほどのわたしの参加を許可するかの問題でも長谷川殿と意見を異にしていた。おそらく、長谷川殿は太守様であったらどう考えるかを指針にし、元政殿は太守様がどう考えたか、言ったか、を指針にしているのだろう。そう、何となく思えた。
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
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誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。




