7章 西へ 5 志麻、赤坂御位で飛ぶ(1)
5 志麻、赤坂御位で飛ぶ
五月十九日。昨日までのぐずついた天気が嘘のように晴れ渡り、真っ青な空に太陽が燦々と輝いている。
「熱いわね」
志麻は水筒の水を、ぐっと飲み込んだ。残りはあと一口といったところだ。どこかで足さなければ、とてもやっていけそうにない。
セイも源太も同じようで、自分の水筒の中を覗き込んで頼りない顔をしている。
豊川を渡るまでは気持ちのよい天気だと感じていたけれど、それから二時が経った今ではカンカン照りというのが正しい表現だろう。突然、梅雨を越えて夏の真っ只中に飛んでしまったかのようである。
暑さで伏し目がちになる顔を上げると、前方、張り出した二つの尾根に挟まれた緩やかな坂の中腹に、赤坂御位の宿場町の姿が目に入り込んできた。
あそこまで行けば確実に水が補給できる。
志麻は、最後の一口を勢いよくあおった。
――温いわね……
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
宿場町に着いて真っ先に向かったのは、井戸。冷たい井戸水で喉を潤すと、乾いた大地が水を吸い込むように、指の先、足の先まで生気が甦る感覚を覚える。
水筒も補充し、次に向かうはお茶屋さんだ。
峠越えの前後にある茶屋の定番で、目当てはお餅だ。
甘辛い味噌で味付けされたお餅を三つほどパクリと頬張ると、すぐに志麻たちは先を急ぐ。
昨日のこともあって、予定より半日は遅れているのだ。
阿弥陀堂の脇を抜け宿場町から出ると、姫、と前から呼び止められた。聞き覚えのある声だ。
――お師匠?
顔を上げて見れば、そこには美形の僧。あの遍照光寺で出会った僧である。
「姫、時間がない。凶事が迫っておる。一刻の猶予もない。急ぐのだ」
「えっ……」
志麻の答えも待たず、僧は陽炎のようにゆらゆらと揺らいで消えてしまった。跡には何も残らない。
「姫様、どうした?」
源太がわたしの驚き声を聞き取ったのか、振り返って問うた。続いて振り返ったセイも怪訝な顔をしている。
「ここにいたお坊様が……」
「お坊様なんていた? ねぇ、源太。見た?」
源太は首を振り、見ていないと言う。これはどういうことだ? 一本道で身を隠す場所もない。前にいたのだから、セイにも源太にも見られないなどということは、起きよう筈もないのだ。
美形のお坊様、お師匠の声、凶事……。その三つが、頭の中でぐるぐると巡る。
――えいっ!
志麻は、自分の直感に従うことにした。
「まずいことになったわ。このままでは、間に合わないわ」
「あとどれくらい残ってるの?」
心配そうにセイが質問した。
「残り七里は有るわね。歩きなら着くのは明日の昼、走り続けられると仮定しても日が沈む頃よ。たぶん、それではダメね。残る手は夕凪に誰か乗せて疾走させるくらいたけど、それでも間に合うかどうかは分からないわ」
「七里かぁ、じゃあ飛んで行けばいいんじゃないかな。そうしようよ」
セイの提案を聞いた源太がセイの肩に手を掛け、小さくため息をついた。
「セイ、姫様の話を聞いてただろ。走ったって間に合わないだろ」
「ん? 走るんじゃなくて、空を飛んで行くんだよ」
「ちょっと何言ってんだよ。鳥じゃないんだから、人間が空を飛べるわけないだろ」
呆れたよりは少し立腹した風に、源太の声色が変わっている。
「空を飛べるのね?」
わたしの言葉に、源太は、えっ、と目を見開く。これが普通の反応よね。
「うん。飛べるよ。大井川の時も言ったよね。飛べるって」
「ええ、確かにそう言っていたわ」
「あの時は目立ってしまうからダメだったんだよ。ほら、あの山の陰の方だったら、目立たないと思うんだ。だから、今度は大丈夫」
セイが指差した先を見ると、尾根から枝分かれした小さな尾根が、ぐるりと回り込むように延び、屏風のように視界を遮っている。旅人は普通、足元を見るものであるし、前を見ても地平線より上を見るものでもない。ましてや通行方向から逸れたところであれば、見られる危険性は少ないのだろう。
「そうね。あそこならば、街道の旅人の目には入らないわね」
それを聞いた源太の目が、またも見開かれた。
「姫様も、セイも、さっきから何を言っているんだ?」
源太の困惑は頂点に達したかのようだ。真ん丸の目をパチクリとさせている。
「まぁ、混乱するわよね。こんな話を目の前でされたら。この話を信じてっていうのは、無理かもしれないわ。けれどね、源太。わたしとセイを信じてついて来てちょうだい」
源太は明らかに半信半疑ではあったけれど、「は、はい」と返事をしてくれた。まだ頭の中は混乱しているのだろう。
「で、姫、夕凪は置いて行きたいのだけれど、いいかな?」
「無理なの?」
「んー、無理ではないけど、その分、力がいるし、時間もかかっちゃうから」
よく原理は解らないけれど、普通に持ち上げるにしても人一人と馬一頭では全然違う。そういうものなのだろうと頭では理解するのだけれど、今まで一緒に旅をしてきた夕凪を置いて行くと思うと、胸を締め付けられる。もちろんそれをセイに行っても詮無いことだ。
「そう、わかったわ。では宿場に戻って、何処か預ってくれるところを探しましょう」
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お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
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誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。




