7章 西へ 2 志麻、大井川で後悔する(3)
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待合所を出て通りを進む。すぐに教えてねー、と待合所の前で叫ぶ丁稚に手を振り返事をしてから、志麻はセイの肩にピタリとくっつき、コソリと話しかけた。
「ねぇ、何とかして向こう岸に渡れない?」
たぶん、セイは源太に魔法のことを話していない。話すのであれば、セイの口からでなくてはならない。
「えっ、魔法でってこと?」
セイも声を殺して答えた。
「ええ、ここで長い時間、足止めをされていては、戦に間に合わないわ」
セイはそれを聞くと、うーんと唸った。
「そうだね。間に合わないと、来た意味がないからね。けど、ごめん。今じゃ目立っちゃうよ。絶対に噂になる」
どういう方法で渡るかは分らないけれど、この大井川の渡しも、対岸の井籠の街も、人が大勢いる。その者たちに見られれば、噂にならないのは無理な話である。しかも数が多いので、勘違いやほら吹きの戯言にはならないだろう。
「今じゃダメってことは、そうね、例えば、夜ならばいいってことかしら?」
「うん、夜なら大丈夫」
セイがコクコクと頷いた。
「わかったわ。考えてみるわ」
夜。夜となれば、明け方近くの夜にならざるを得ない。夜の早くに渡っても、宿場や町の木戸は閉ざされ、宿に入れない。夜通し歩くのは危険だし、その分、昼に休憩が必要だから、全体として速く進めるわけでもない。
結局、志麻たちは木賃宿を取ることにした。木賃宿は旅籠と違い食事を出さない。旅人は、薪代を払い竈を借りて自炊するか、外で食べるか、のどちらかを選ぶことになる。その分、宿代は安く済むのだ。
懐に余裕がないわけでもないけれど、この先にどういう出費があるか分からない。無駄はなるべく抑えたい。
丁稚に宿を取ったことを伝えてしまえば、やることがない。
川の様子は気になる。しかし、セイと源太が川の様子を見に行きたいと言ったのを、休める時に休んでおきなさい、と止めてしまった。当然、自分が行くわけにはいかない。三人は宿でごろごろして過ごしていた。
やったことと言えば、昼近くになって源太に軽食を買いに行ってもらったくらいである。
その軽食を食べ終えたころに、丁稚が息を切らしてやってきた。
「お姉さんたち、船だけ先に動くことになったよ」
大井川を渡るには、徒歩で渡るか、船で渡るか、の二択だ。船は基本的に荷駄用で、値段が高く設定されている。なので普通、旅人は徒歩で大井川を渡ることになる。
「お姉さんたち、急いでいるのでしょ? 徒歩はまだだけど、知らせた方がいいと思って」
できた丁稚である。
「ありがとう。いい判断だわ」
志麻は懐から幾ばくかの銭を取り出すと、ニコリとしてセイに手渡した。
手渡されたセイは、怪訝な表情を浮かべ、手にした銭とわたしの顔を見比べている。そこに源太が肘で軽く小突き、顎で丁稚の方を指した。
セイは何かに気付いたらしく、ハッとして丁稚に小銭をそのまま手渡した。
「お兄さん、ありがとう」
丁稚が目を輝かせて言うのを、セイは、うんと曖昧に答えた。
「でも姫、あげちゃってよかったの?」
と、セイは自信なさげ、というよりは、申し訳なさそうにわたしを見て言った。
「何か、悪いことがあったかしら?」
「えっ、鉄兄さんに甘やかしてはいけないって言われたでしょ」
「ええ、わたしは言われたわ。けれど、セイ、あなたは言われていないわ。ほら、この子も『お姉さん、ありがとう』ではなくて、『お兄さん、ありがとう』って言ったでしょう。問題ないわ」
「はぁ……」
それを聞いて、セイは狐に騙されたような顔をしている。
「それにね、セイはわたしから渡された銭を、何も言われていないのにこの子にあげたでしょう。それは、この子の働きが褒美に値する、と思ったからよ」
セイは少し考えた風に宙を見ると、そうだね、と言った。
「そう、だからこれは、よい奉仕に報酬を与える、正しい商取引の一端なのよ。決して甘やかしではないわ」
ぐふっ、ワハハハ。突然、それまで黙っていた源太が笑い出した。そして、
「姫さま、なかなか悪どいですね」
だ、そうだ。失礼しちゃう。
「人聞きの悪いことを言うのはよして欲しいわ。ねぇ」
丁稚に念を押すと、うん、と元気な返事が返ってきた。
「さぁ、この子が折角、いち早く教えてくれたのだから、こんな所でぐずぐずしていられないわ。すぐに大井川を渡るわよ」
セイの「うん」と、源太の「おう」が重なると、慌ただしく出発の準備を始めた。
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大井川の対岸、井籠に着いてからは、速足で駆け抜けた。午前の遅れを取り戻すとともに、宿代と渡り賃が思ったよりも掛かってしまったのを取り戻すためだ。
掛川には朝比奈家の別邸がある。父さま、そして兄さまが、掛川城主に任じられているために与えられたものだ。もちろん志麻も住んだことがあるし、慣れ親しんだ家臣もいる。
その掛川の別邸に着いたのは、戌の刻の半ばを過ぎた頃(午後八時頃)であった。
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
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誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。




