7章 西へ 2 志麻、大井川で後悔する(2)
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藤枝の宿場から一里を進むと、大井川の渡しに至る。
「大勢、人が集まっているね」
セイが前方の街の奥、船着き場に集まる旅人の塊を見て、楽しそうに声を上げた。
「そうねぇ、これでも今日は少ない方だと思うわ。前に見たときには、この二倍も三倍も順番待ちの旅人でごった返していたわね」
掛川と駿府との往復で、何度かこの渡しを通ったことがある。父さまに連れられてなので、一般の旅人のように待つことは無かった。けれど、その時の旅人たちの様子は記憶に残っている。
「何かあったのでしょうか?」
源太が心配そうに尋ねた。
「かもしれないわね。たまたま順番待ちが少ないだけ、ならいいのだけれど。何れにしろ、行ってみれば判るわ」
待合所となっている建物に近づいてみると、二人連れの旅人と船頭が何やら揉めている。
「こちとら急いでるんだ!」
「うるせぇ、素人はスッ込んでろ!」
殺気だった眼光鋭い旅人の抗議に、腕が丸太のように太く浅黒い肌をした船頭が一喝を喰らわす。とても話を聞けそうにない。仕方ないので志麻は周囲を見渡し、一番年の若い丁稚に声をかけた。
「ねぇ、これはどうしたの」
志麻より三、四歳年下であろうその丁稚は、愛想のよさそうな笑顔で振り向いた。
「先を急いでいるお客さんが、親方に文句を言ったんだよ。お姉さんも急ぎなの?」
「ええ、急いでいるわ。どう? 順番待ちは多そう?」
はっ、と何かに気づいた様子の丁稚は、言いにくそうに言葉を繋げる。
「ごめんなさい、お姉さん。順番待ちで混んでいるんじゃなくて、今、船が出ていないんだ」
「えっ、風もなく、雨も降っていないのに?」
「うん、言葉で説明するより、見てもらった方が早いや。お姉さん達、付いて来て」
丁稚は手招きをして歩きだした。付いていくと表通りを抜け、町の端にあるこんもりと盛り上がった土手に登り、再び手招きをしてから奥を指差す。夕凪を源太に預け、志麻とセイが続いて土手に登った。
土手からは、雄大な水を湛える豊かな清流が見える、はずであった。
「濁流だわ」
そこには、ねずみ色に濁る荒々しい暴れ川の姿があった。
「これじゃ、船でも渡れないね」
セイがポツリと言う。
「どうして!? 昨日も今日も、何とか御天道様が頑張って雨が降らなかったじゃない!」
丁稚にそう言って、志麻は、はっと口を押さえた。
「ごめんなさい、あなたに当たることではないわ」
「うんう、気にしないで、お姉さん」
丁稚は慣れたことなのか、あまり気にする風でもなく答えた。
「ありがとう。分かったらでいいのだけれど、どうしてこうなっているのか分かるかしら?」
「上流で降ったんじゃないかな? ほら、大井川はうんと山奥から流れて来ているから」
言われれば当然である。志麻は降られず旅ができたことに喜んで、その当たり前のことを失念していた。
「そうね、きっとそうだわ」
大井川の濁流の先を眺めれば、対岸の宿場である井籠が見てとれる。たったそれだけの距離なのに、辿り着けない。辿り着けさえすれば、今日中にかなりの距離が稼げるはずだ。
「ねぇ、何時ぐらいになったら船が出せるか、分かるかしら?」
丁稚は首を傾げ、少し考えた後に、
「ごめんなさい、僕では分からないや」
「では、それが分かりそうな人はいるかしら?」
「それなら鉄兄さんかな」
「紹介してくれるかしら?」
「うん!」
その元気のよい返事を確認すると、志麻は懐から幾ばくかの銭を取り出し、丁稚に握らせた。
「いいの?」
「案内してくれるお礼よ。内緒にしてね」
「うん!」
先程よりも数倍元気のよい返事を丁稚は返した。丁稚であるからには、自由に使えるお金が全くないか、あったとしても雀の涙ほどであろう。丁稚とは、そういうものなのである。
待合所に戻ると、丁稚はパタパタと奥に走って行き、二十歳を少し超えた頃の船頭を連れて来た。これが鉄兄さんなのだろう。
「お客さん、川留めがいつ解除されるかってことでいいですか?」
丁稚を脇に従えた鉄兄さんは、確認するように問いかけた。
「ええ、早くてどのくらいか、見通しを教えて欲しいわ」
鉄兄さんは頭を軽く掻くと、少し困ったような表情を浮かべた。
「川のことは御天道様の気分次第、といったところでしてね。先ほど私が川を見たところだと、もし上流で降っていないのなら早くて昼過ぎ、降っていたらいつ川留めが解けるか、確かなことは言えないですね」
出発前にもう一度、川中天神を参拝すべきだったわ、と志麻は後悔したが、もう後の祭りである。
「それに、川留めを判断するお役人様のさじ加減も幾分かはありまして、私どもとしては、こうなればこう、とは言えないんですよ」
ダメ押しのような言葉を耳にして、志麻は頭を抱えそうになった。いくら志麻でも川役人に圧力と思われるようなことはできない。そんなことをすれば兄さまに迷惑が掛かる。一介の旅人ならば頼めるかもしれないが、逆に志麻の立場では無理なのである。
「わかったわ、ありがとう」
志麻は平静を装って答えた。
「お客さん、宿を取るなら早い方がいいですよ。今日は渡れない、となってからでは、手頃な宿は全部埋まってますから。高い宿に泊まるか、下手をしたら土間で寝ることになるかもしれない」
宿屋の板間が埋まれば、残るは土間しかない。外で寝るよりは多少マシといったところだから、それは避けたい。それに夕凪のこともある。
「そうね、忠告ありがとう」
「お姉さん、落ち着くところが決まったら僕に教えて。川留めが解けたら真っ先に伝えに行くから」
丁稚が自分の胸をポンポンと叩いて言った。
「あら、有り難いわ。お願いするわね」
うん、と頷く丁稚を尻目に、鉄兄さんはゴホンと咳ばらいをすると、
「まぁ、水しかありませんが、一服してから探しに行ってください。それぐらいの余裕はまだありますよ。ここまで歩いてきて、まだ飲んでいないでしょう」
「あぁ、ありがとう、頂けるかしら?」
鉄兄さんが丁稚に目配せをすると、丁稚は奥の方へ水を取りに行った。
もちろん、ただ親切に水をくれるというわけではないだろう。
「お客さん、うちの小僧を甘やかしたでしょ。困るんですよ、そういうことされると」
ほら、やはりバレていた。丁稚のあの態度ではバレない方がおかしい。まだあの年齢では、そこまで考えてうまくやることができないんだわ。
と、そこまで考えて、はたと志麻は考え直す。鉄兄さんの目は怒っていない。というよりも笑っている。本当に迷惑で言っているのではなく、一応の規則だから言っているに過ぎないようだ。
つまり、丁稚は鉄兄さんがこうであることを分っていて、志麻たちに知らせに行くことを申し出たのだ。子供であっても、丁稚であっても侮れないものだわ。
「何のことだか分からないわ。それにしても気の利くいい子よね。お小遣いをあげたくなったわ。けれどダメなのでしょう?」
「はは、ダメなんですよ。そういうことでお願いしますね」
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お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
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誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。




