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7章 西へ 2 志麻、大井川で後悔する(2)

  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 藤枝(ふじえだ)の宿場から一里を進むと、大井川(おおいがわ)の渡しに至る。


「大勢、人が集まっているね」

 セイが前方の街の奥、船着き場に集まる旅人の塊を見て、楽しそうに声を上げた。


「そうねぇ、これでも今日は少ない方だと思うわ。前に見たときには、この二倍も三倍も順番待ちの旅人でごった返していたわね」


 掛川(かけがわ)駿府(すんぷ)との往復で、何度かこの渡しを通ったことがある。父さまに連れられてなので、一般の旅人のように待つことは無かった。けれど、その時の旅人たちの様子は記憶に残っている。


「何かあったのでしょうか?」

 源太(げんた)が心配そうに尋ねた。


「かもしれないわね。たまたま順番待ちが少ないだけ、ならいいのだけれど。(いづ)れにしろ、行ってみれば判るわ」


 待合所となっている建物に近づいてみると、二人連れの旅人と船頭が何やら揉めている。


「こちとら急いでるんだ!」

「うるせぇ、素人はスッ込んでろ!」


 殺気だった眼光鋭い旅人の抗議に、腕が丸太のように太く浅黒い肌をした船頭が一喝を()らわす。とても話を聞けそうにない。仕方ないので志麻(しま)は周囲を見渡し、一番年の若い丁稚(でっち)に声をかけた。


「ねぇ、これはどうしたの」


 志麻(しま)より三、四歳年下であろうその丁稚(でっち)は、愛想のよさそうな笑顔で振り向いた。

「先を急いでいるお客さんが、親方に文句(もんく)を言ったんだよ。お姉さんも急ぎなの?」

「ええ、急いでいるわ。どう? 順番待ちは多そう?」


 はっ、と何かに気づいた様子の丁稚(でっち)は、言いにくそうに言葉を(つな)げる。

「ごめんなさい、お姉さん。順番待ちで混んでいるんじゃなくて、今、船が出ていないんだ」


「えっ、風もなく、雨も降っていないのに?」

「うん、言葉で説明するより、見てもらった方が早いや。お姉さん達、付いて来て」


 丁稚(でっち)は手招きをして歩きだした。付いていくと表通りを抜け、町の端にある()()()()と盛り上がった土手に登り、再び手招きをしてから奥を指差す。夕凪(ゆうなぎ)源太(げんた)に預け、志麻(しま)とセイが続いて土手に登った。


 土手からは、雄大な水を(たた)える豊かな清流が見える、はずであった。


「濁流だわ」

 そこには、ねずみ色に濁る荒々しい暴れ川の姿があった。


「これじゃ、船でも渡れないね」

 セイがポツリと言う。


「どうして!? 昨日も今日も、何とか御天道様(おてんとうさま)が頑張って雨が降らなかったじゃない!」

 丁稚(でっち)にそう言って、志麻(しま)は、はっと口を押さえた。


「ごめんなさい、あなたに当たることではないわ」

「うんう、気にしないで、お姉さん」

 丁稚(でっち)は慣れたことなのか、あまり気にする風でもなく答えた。


「ありがとう。分かったらでいいのだけれど、どうしてこうなっているのか分かるかしら?」

「上流で降ったんじゃないかな? ほら、大井川(おおいがわ)はうんと山奥から流れて来ているから」


 言われれば当然である。志麻(しま)は降られず旅ができたことに喜んで、その当たり前のことを失念していた。


「そうね、きっとそうだわ」


 大井川(おおいがわ)の濁流の先を眺めれば、対岸の宿場である井籠(いろお)が見てとれる。たったそれだけの距離なのに、辿(たど)り着けない。辿(たど)り着けさえすれば、今日中にかなりの距離が稼げるはずだ。


「ねぇ、何時ぐらいになったら船が出せるか、分かるかしら?」

 丁稚(でっち)は首を(かし)げ、少し考えた後に、

「ごめんなさい、僕では分からないや」


「では、それが分かりそうな人はいるかしら?」

「それなら鉄兄さんかな」


「紹介してくれるかしら?」

「うん!」


 その元気のよい返事を確認すると、志麻(しま)は懐から(いく)ばくかの銭を取り出し、丁稚(でっち)に握らせた。


「いいの?」

「案内してくれるお礼よ。内緒にしてね」

「うん!」


 先程よりも数倍元気のよい返事を丁稚(でっち)は返した。丁稚(でっち)であるからには、自由に使えるお金が全くないか、あったとしても(すずめ)の涙ほどであろう。丁稚(でっち)とは、そういうものなのである。


 待合所に戻ると、丁稚(でっち)はパタパタと奥に走って行き、二十歳を少し超えた頃の船頭を連れて来た。これが鉄兄さんなのだろう。


「お客さん、川留めがいつ解除されるかってことでいいですか?」

 丁稚(でっち)を脇に従えた鉄兄さんは、確認するように問いかけた。


「ええ、早くてどのくらいか、見通しを教えて欲しいわ」

 鉄兄さんは頭を軽く()くと、少し困ったような表情を浮かべた。


「川のことは御天道様(おてんとうさま)の気分次第(しだい)、といったところでしてね。先ほど私が川を見たところだと、もし上流で降っていないのなら早くて昼過ぎ、降っていたらいつ川留めが解けるか、確かなことは言えないですね」


 出発前にもう一度、川中(かわなか)天神を参拝すべきだったわ、と志麻(しま)は後悔したが、もう後の祭りである。


「それに、川留めを判断するお役人様のさじ加減も幾分(いくぶん)かはありまして、私どもとしては、こうなればこう、とは言えないんですよ」


 ダメ押しのような言葉を耳にして、志麻(しま)は頭を抱えそうになった。いくら志麻(しま)でも川役人に圧力と思われるようなことはできない。そんなことをすれば(にい)さまに迷惑が掛かる。一介の旅人ならば頼めるかもしれないが、逆に志麻(しま)の立場では無理なのである。


「わかったわ、ありがとう」

 志麻(しま)は平静を装って答えた。


「お客さん、宿を取るなら早い方がいいですよ。今日は渡れない、となってからでは、手頃な宿は全部埋まってますから。高い宿に泊まるか、下手をしたら土間で寝ることになるかもしれない」


 宿屋の板間が埋まれば、残るは土間しかない。外で寝るよりは多少マシといったところだから、それは避けたい。それに夕凪(ゆうなぎ)のこともある。


「そうね、忠告ありがとう」

「お姉さん、落ち着くところが決まったら僕に教えて。川留めが解けたら真っ先に伝えに行くから」

 丁稚(でっち)が自分の胸をポンポンと(たた)いて言った。


「あら、有り難いわ。お願いするわね」


 うん、と(うなづ)丁稚(でっち)を尻目に、鉄兄さんはゴホンと(せき)ばらいをすると、

「まぁ、水しかありませんが、一服してから探しに行ってください。それぐらいの余裕はまだありますよ。ここまで歩いてきて、まだ飲んでいないでしょう」

「あぁ、ありがとう、頂けるかしら?」


 鉄兄さんが丁稚(でっち)に目配せをすると、丁稚(でっち)は奥の方へ水を取りに行った。


 もちろん、ただ親切に水をくれるというわけではないだろう。

「お客さん、うちの小僧を甘やかしたでしょ。困るんですよ、そういうことされると」


 ほら、やはりバレていた。丁稚(でっち)のあの態度ではバレない方がおかしい。まだあの年齢では、そこまで考えてうまくやることができないんだわ。


 と、そこまで考えて、()()志麻(しま)は考え直す。鉄兄さんの目は怒っていない。というよりも笑っている。本当に迷惑で言っているのではなく、一応の規則だから言っているに過ぎないようだ。


 つまり、丁稚(でっち)は鉄兄さんがこうであることを分っていて、志麻(しま)たちに知らせに行くことを申し出たのだ。子供であっても、丁稚(でっち)であっても侮れないものだわ。


「何のことだか分からないわ。それにしても気の利くいい子よね。お小遣いをあげたくなったわ。けれどダメなのでしょう?」

「はは、ダメなんですよ。そういうことでお願いしますね」


  ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 お読みいただき、ありがとうございます。


 夜雨雷鳴と申します。


 応援、感想など頂けたら嬉しいです。画面の前で滝のような涙を流して喜びます。もしかしたら、椅子の上でクルクル舞い踊るかもしれません。


 誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?


 では、次のエピソードにて、お待ちしております。

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