1章 出会い 2 命の恩人(6)
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この国に来てから初めて食事をした。白くてドロッとした食べ物である。この国にも粥はあるんだな、と思った。
食べてみて驚いたことがある。粥の食べ心地が重いのだ。王国の粥はもっとサラサラ食べられた。
とは言え、食べなければ体は回復しない。頑張って食べたけれど、お椀に一杯で限界だった。
明くる日の朝も粥を食べた。見た目は前日の粥と変わらない。けれど、口に運んでみたら全然違う。パクパク食べられた。
食が進むよう工夫してくれたのだと思うと、感謝の気持ちで一杯になる。
ここの人たちの変わった服装や変わった部屋に、最初は驚き、戸惑いもしたけれど、心根から優しい人たちなのだと分かる。きっとこの国は平和で豊かなのだろう。そう思えた。
食事を終え部屋で一人になった時、一つの決心をした。そう、魔封じを破るのである。
なかなかに勇気のいる。何といっても魔封じを破ろうとすれば、激痛が走るのだ。
魔法使いは、自分の中にいくつもの魔法回路と呼ばれるものを持っている。魔法使いが最初に教育されることは、使えるかどうかに関わらず、基本的な魔法回路を自身の中に作ることだ。そのそれぞれの魔法回路に魔力を流すことによって、いろいろな魔法を発動するのだ。
魔封じは、その魔法回路が格納されている領域への通り道である魔力回廊に設置された関門のようなものだ。それを破壊しないことには、その先にある魔法回路に魔力が流れず、魔法使いは魔法が使えない。
この魔封じを破る方法は二つ。魔封じが耐えられないほどの魔力を注いで魔封じを破壊するか、外から他の魔法使いに解呪してもらうかだ。
他に魔法使いが見当たらない以上、自力で破壊するしかない。
意を決め、魔力回廊に魔力を注いてみる。
その瞬間、脳天に雷撃を受けたような痛みが全身をめぐった。とてもではないけれど、耐えられない。
――はぁ、痛すぎる。
落胆は大きい。回復魔法さえ使えれば、この重傷であろうとも瞬く間に治せるのに。
回復魔法には二種類ある。自分にかけるものと、他人にかけるものだ。
自分にかける回復魔法は効果抜群。剣で切られようが矢で射られようが、魔法を発動する隙さえあれば倒されることはない。魔法使いが強い理由である。
一方、他人にかける回復魔法は効果が非常に悪い。自らの魔力を生命エネルギーに変換し、それを他者に与える。その際、大量のロスが発生するのだ。消費魔力の割に回復量が少ない。
それでも、魔法使いによる治療はニーズが高かった。もちろん魔法使いは数が少ないし、軍に所属しているので誰でも呼べる訳ではない。王侯貴族か、ある程度裕福な者のみが依頼できた。
今のところ魔法使いが来る気配はないので、僕は自力で回復するしかない。
いや、魔法使いが来るのならば、回復魔法ではなく魔封じを解いてもらった方がいいよね。
と、そんなことを考えていた時、木の引戸が開き、ぞろぞろと四人入ってきた。少女に丸顔の女の人、お爺さん、髪を剃った男の人、だ。
今までの観察から、少女がヒメ、丸顔の女の人がオケイ、お爺さんがジュウベイ、髪を剃った男の人がジライという名前だと予想している。そしてオケイとジュウベイはヒメの配下かな。たぶん。軍にいた経験で何となく判る。ジライとヒメの関係はよくわからない。協力者、かなぁ。
何を始めるのかと眺めていると、ヒメが紙と筆を取り出し、何やら文字を書き始めた。
――えっ? 縦書き?
僕は縦に書く言葉を知らない。この時点で読めないだろうことは分かっていた。見せられた文字は、画数の少ない丸みを帯びた軽やかな感じのする文字であった。
仕方ないので首を横に振る。
――あっ! どうしよう? ここでは身振りの意味も違うのかもしれない。しまった。何も考えていなかった。
そろりとヒメに目をやった。けれど、もう次の紙に文字を書き始めている。
伝わったかと少し不安になるけれど、大丈夫そう?
次に見せられた文字は、先ほどのものよりも画数が多く複雑であった。もちろん読めない。
それでも違う種類の文字になったのだから、首を横に振る身振りの意味は同じだったんだな。
また首を横に振って、読めないと伝えた。
――ん、僕が文字を書いてみればいいんじゃないかな。紙と筆をもらうには……、身振りで伝わるかも知れない。
重い手を持ち上げ、文字を書く身振りをしてみた。
すると、すぐにヒメが気付いて紙と筆を渡してくれた。ヒメは勘が良いようだ。助かる。
僕は文字が書ける。いや、ヒメがスラスラ書いた後に言うのは何だけど、王国では文字を書けるのは一種のステータスだ。それだけで高い身分の者だと思われる。僕の両親は字を書けないけれど、僕は魔法使いとして王都に連れて行かれ、習ったのだ。
僕は、気を抜くと重力に負けてしまいそうな腕を何とか動かし、『ありがとう、ここはどこですか?』と書いた。もちろん、王国の文字であるアトロス文字で、である。
僕の書いた文字を見て四人は話し始めたけれど、しばらくすると沈黙してしまった。
いや、分かっていた。全く見たことのない文字を見せられた時点で、王国の文字も通じないことを。
ただ、一縷の望みをかけて試したかっただけなのだ。
……。
――あれ? 沈黙するにも長すぎはしないか。まずかったのかな。僕が文字を書いたの。
どうしようと考えていると、自然と俯いていたようだ。その下がった視界の隅で、ひらひらと手か動いている。
ヒメが僕を呼んでいたようだ。
何だろう、と視線を向けると、ヒメは自分の胸を指し、「シマ、シマ」と言っている。
『シマ』って何?
そう僕が頭を悩ませている間に、ヒメは、オケイ、ジュウベイ、ジライを指して、その名前を呼んでいる。そして僕の方を指して、僕に何か求めている。
余計分からなくなってしまった。ヒメは『ヒメ』でないの?
二巡目が始まった。けれど、頭が混乱の真っ最中だ。
ヒメは『ヒメ』でなく『シマ』……。だけど、みんなヒメを『シマ』でなく『ヒメ』と呼ぶ。なんで?
でも、それを置いておいても、この場面では僕の名前を聞いているような気がする。普通に考えれば。けれど、違う事を尋ねられているのなら、間違った答えをしたら後々困ったことになるんじゃない?
すでに三巡目が終わりになり、僕が指されている。
――えーと、混乱したら、その時考えればいいか。
「セイ」
意を決して答えたのに、思ったよりも小さな声になってしまった。
それでも皆に十分聞こえたようだ。一気に場の雰囲気が明るくなった。名前を尋ねられていたで合っていたんだよね。「セイ、セイ」と何度も呼びかけられる。
皆はまた話し始めたけれど、相変わらずヒメは『ヒメ』と呼ばれている。
そこで気づいた。『ヒメ』は愛称なんだ。本名が『シマ』。けれど、みんな本名では呼ばず、愛称の『ヒメ』で呼ぶ。そうなれば、全て話は解る。
取り敢えずではあるけれど、名前の交換ができてホッとした。ヒメ、オケイ、ジュウベイ、ジライ。この四人が命の恩人だ。
僕はこの恩を、どうすれば返せるのかな。
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
応援、感想など頂けたら嬉しいです。画面の前で滝のような涙を流して喜びます。もしかしたら、椅子の上でクルクル舞い踊るかもしれません。
誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。