序章 前夜
序章 前夜
「いつも通り、明日の夕方には戻るわ」
「ええ、そうしてちょうだい」
はい、と母上に返事をすると、わたしはひょいと軽く飛んで愛馬に跨った。
「二人も、頼んだわよ。気を付けてちょうだいね」
二人の一人、わたしの乳母は、承知しました、と答えた。
もう一人は下男で、任しておくんなせぇ、と答える。
月に一度のいつもの光景だ。
「では行って参ります。母上」
「行ってらっしゃい」
手を振る母上に、わたしも手を振り返す。愛馬に脚で合図を送る一瞬早く、愛馬が歩き出した。いつものことだから、とこの子も思っているのだろう。聡い子だ。
『いつものこと』は温かいけれど、ちょっとだけ退屈。揺れる愛馬の上でそう思った。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
生まれ故郷の村を一望する丘の上、僕は磔にされていた。
無数の侮蔑と共に憎悪の籠った眼差しが周囲にたむろする帝国兵から注がれる。
足元では処刑人たちが薪を積み上げている。
どうやら、僕は串刺しではなく火炙りで殺されるようだ。だけど、それに何の感慨もわかない。目前に広がる惨状に比べてしまえば。
村は蹂躙され、破壊され、放火されていた。村からぐずぐずと未だ立ち昇る煙で空に霞がかかっている。
ここからでも殺された村民の屍がいくつも目に入る。
あの曲がった背中は三軒先のお爺さん。あの特徴的な服装は薬師のお婆さん。幼い子供と母親は折り重なる様にむくろを並べ、大地を赤く染めている。
――巻き添えにしてしまった……。
帝国の処刑人は僕がこの村の出身と知り、わざわざ村を襲った。そして、その有様を見せつけた上で処刑しようとしている。それだけ僕は、というより僕の持つ属性は、敵国である帝国から憎悪の対象となっていた。
僕は魔法使いである。魔法使いは数少ない。
他の者が一切できない特別な力を使うことは、恐怖と嫉妬の対象となった。それは容易に憎悪と嫌悪に変化する。
魔法は強力だ。だから味方からは頼りにされ、その憎悪と嫌悪を内に隠してくれる。
一方、敵からはむき出しの憎悪と嫌悪が向けられる。
事実、帝国では他国の魔法使いを、悪魔の子と呼ぶのが一般的である。
さらに悪いことに、魔法の力で仲間が殺された場合、それが魔法使いによるものだと簡単に分かる。
それは魔法使いが捕まれば報復を免れないことを意味していた。
そして僕は今、その報復を受けているのだ。
圧倒的な軍事力を持つ帝国が、突如として僕の暮らす国『王国』に侵攻し、戦争が始まった。
王国の防衛線はいとも簡単に突破され、前線で孤立した僕は力尽き虜囚となった。
「おい、悪魔のガキ! お得意の魔法はどうしたぁ」
処刑人のニヤニヤとした顔が目に入る。
当然、魔法使いをそのまま捕まえておけるわけがない。魔封じの術をかけられるのだ。
この処刑人はそれを判ったうえで言っている。
「何とか言ってみろよ。つまらん奴め」
魔力回廊を開こうとしてみる。
――うっ!
頭が爆発し、四肢が裂けるような痛みが全身に襲い掛かる。捕まってから何度やっても同じだ。これが魔封じの効果だ。
「フハハハハ! こやつ魔法を使おうとしたぞ。馬鹿な奴め。帝国の魔封じが破れるものか」
処刑人が僕を怒らせようとしていることは分かっている。それでも思わず睨みつけてしまった。
目が合った。
「悪魔のガキ、止めておけ。やっても痛みで気絶するだけだ。それじゃぁ面白くない」
いや、意識があるまま焼かれるのと、気絶したままで焼け死ぬのならば、意識がない方がまだマシかもしれない。どうせ死ぬにしても、このまま破壊された村を見るのもつらい。
「おっと、余計なことを考えるなよ。おい、お前。悪魔のガキが気を籠め始めたら、ぶん殴ってやれ」
取り巻きの部下が、はっ、と答えた。こいつもニタニタした顔つきで気色悪い。
どうしても意識のあるまま焼き殺したいらしい。
自分の中で闘争心が萎れていくのがわかる。それと同時に後悔が心を支配していく。
村を、村人を巻き込んでしまったことが悲しい。助けられないことを心の中で詫びた。
僕がこの村の出身と知られなければ、捕らえられなければ、軍隊に行かなければ、いや、魔法が使えなければ、こんなことにはならなかったのかな。
「執行官殿、こんなものがありましたぜ」
帝国兵の声で後悔の殻から現実に戻った。
「なんだぁそれは」
「油のようですぜ」
処刑人は、ほう、と言うと、帝国兵の持ってきた壺を覗き込んだ。
コバルト色の光沢のある滑らかな陶器の壺。あれは聖油だ。村の教会の至宝である。
伝説では、この地を興した英雄が倒した火竜の臓器から搾り取ったものだと言われている。火竜のブレスは凄まじく、それを受けた者は消し炭も残らず消え去るのだそうだ。そのブレスの燃料が聖油ということになる。
「壺の方はいい値で売れそうだな。中身は……いらんな」
「へい、中の油を少し出して火を付けてみたんですが、そりゃーよく燃えました。どうです? あれに使っては」
そう帝国兵は言うと僕を見やった。
――悪趣味な
「ふむ、それも面白かろう。おい、奴にかけてやれ。壺は大事に扱えよ。壺は」
部下の男が壺を受け取ると僕にかけた。薪だけでなく僕にもかける念の入れようだ。
「よし、いいな」
そう言うと処刑人は松明を受け取り、満足そうな笑みを浮かべた。
「諸君! 皇帝陛下の赤子、帝国の守護者にして人類の良心たる諸君よ! 今、この世から一つ悪魔が消え去り、この世界、皇帝陛下の治めたもう世界が、また浄化されるのだ。それは諸君ら、帝国の英雄のお陰である。小官は今から諸君らの代わりに、最後の仕事をしたいと思うが、よろしいか」
地響きのような帝国兵の歓声があがる。
処刑人は僕に近づき、松明を高く掲げ、そして投げ入れた。
炎が聖油に燃え広がる。
その瞬間、炎は爆発的に広がり、渦巻く炎の柱となった。
僕が最後に見たのは、赤く荒れ狂う炎の奥に未だ煙を上げ続ける故郷の姿だった。
お読みいただき、ありがとうございます。
夜雨雷鳴と申します。
応援、感想など頂けたら嬉しいです。画面の前で滝のような涙を流して喜びます。もしかしたら、椅子の上でクルクル舞い踊るかもしれません。
誤字脱字もあったら教えてください。読み返すたびに必ず見つかるんですよね。どこに隠れているんでしょう?
では、次のエピソードにて、お待ちしております。