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小説

恋してるとか好きだとか

作者: 空猫


大きな雲が風にまかせて、遠くの街へと流れていった。街にかかった大きな陰もまた、何処かに消えてしまった。

家を出た私は、染み入るような薄い水の膜で足を包み込むように、いつもの道を歩いた。雨が残していった匂いが漂うコンクリートの道は少し輝いて、何処か嘘らしくも見える眩しさをもっていた。新しく舗装し直した部分の輝きはとても細かく、そのプリズムは多様な色彩で晴れ間を辺りに伝えていた。

私はすぐに角を曲がって、街の小さな商店街を通った。そこに並んだひさしは、内側にその薄暗くベトベトとした影を未だに残している。しかしその表は十分な日に当たって、それについては知らん顔をしていた。店を営む人々もそこを通る人々も、未だ晴れ間への準備をしているようで、商店街の人通りは少なかった。

少し遠くには、犬の散歩をしている人が見えた。その上には建物を越えてひらける薄い青空がある。さっきまでの雲の尾が、ゆらゆらと漂う細長い魚のようにも見え、また空模様は雲の白さを無理やり青空に擦りつけたような色彩をしていた。何処か不思議な統一感のある配色に私は胸がなった。私は魚が深い海へと潜ってゆく姿を想像して、そのまだ見ぬ境地の美しさを期待した。

さっきの犬は大人しい様子でありつつ、尻尾を左右に大きく振りながら弾むような足取りで歩いていた。

光の影は薄くなり始めている。

私は今恋をしようとしていた。


全てが善い方向へと進む兆候を私にちらつかせているように見えた。街をゆく人達を片目に見ては、快くささやかな幸せを願ったりもした。あの人の幻影は私の視界から外れることがなくなっていた。

ーー商店街の脇道からの風が私の髪を乱す。自転車はそんな私を追い越してゆくーー

しかしまだそれらは不明瞭なものであった。その事実は私に安心と期待と不安を与えた。私は薄い空を見た。また雲が訪れてしまっても構わない気もしたが、澄みきって目を眩ませるほどの濃紺の渦に飲み込まれるのも悪くない気がした。しかし濃紺を見つめる先に行き着くのは、何も無い黒のようにも思えた。だがしかしゆらゆらと煌めく魚の鱗はどんどんと小さくなっていく。

私はまだ薄く白いこの空を気に入っていた。建物の二階に並んだ出窓の硝子にもその姿が浮かびでて、より透明で現実に染まろうとしているその空の色を見ては、私はその迫力に体が芯から揺らぎそうな思いになった。


私はまた角を曲がった。アスファルトの滑らかな凹凸がよく見られる小路に入った。日の目が入り込む隙間もないような通路は、埃のように散り散りとなった暗闇の粒がひしめいているような場所であった。

心做しか薄く微笑むような姿を見せていた空も、ここでは水の中に石灰の粉がよろよろとふためいているように、それはただ白く濁って見えた。

小路ではよく足音が響いた。感覚の狭い建物の隙間に振動した空気の波が、何処かの世界を変えてしまっているのではと、私は少し思った。

窪みに溜まった雨水の鏡は奇妙で、澱みの一つもないというのに、その奥深い世界に希望はなかった。全ての色彩が色褪せるというふうに、何処からか光が差していても、その光はさらにこの世界の闇を濃くしていた。小路特有の槍のように細く鋭い風が吹くと、その表面は歪み、波紋の広がりと同時に世界は一瞬にして消え去ってしまった。

その風に後押しされる私の歩みもとても恐ろしく思える。

一瞬、あの人の幻影が水溜まりの中に見えた気がした。私はまだ恋に怯えている。


大通りに出た。街並みが何処か白々しいように思えた。

通り沿いの花屋では、店員が表に出してある花に水をやっている。細かい粒の煌めきは、皆同一の軌道を描いて笑った。車が傍を通る度、軽々とその風圧に軌道を乗せて、大海原を進む船に張られた帆のような、大いなる膨らみを湛えて、笑みを零し続けていた。

そこをちょうど通り過ぎる時、私はあの水が植木の中に溜まっいるのを見た。花は少し傾いた日差しに撫でられ、自らを透かさぬ透明感を放っていた。


私は駅に着いた。またすぐに会えるのかなと、あの人に出会う前にもそんなことが頭をよぎった。プラットフォームから望む遠くの山並みが青々としたシルエットを見せていた。いつかこの目線に夕日を望む時に、儚い慕情を寄せるのだろうか。

私は遠くに浮かんでいる雲の穏やかな変形に気づいた。もうあの雨を降らせた雲は無いのだと思った。


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