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肖像画*窓辺の乙女〈2〉

「絵がなくなっているんです」

 弁護士・矢仙仁さんは繰り返した。

「幾度探しても、あの日、彼女が描いていて、突然入って行った僕に驚き、慌ててイーゼルごと反転して隠したあの絵(・・・)が何処にもないんです」

 僕と来海サンを交互に見つめると彼は断言した。

「誕生日の贈り物と言っていたから、四月六日には完成していたはず。だから、持ち出さない限り絵は部屋の中にある。それは間違いない」

 明瞭な声で理路整然と続ける。

「階下に降りて僕は絵が持ち出された可能性についてご両親に尋ねました。お二人が言うには、カンバスを抱えて外へ出る姿は見ていない、また、彼女の部屋には一切手を付けていない、とのこと。娘の死があまりに辛すぎて実はまだ娘の部屋に入ることができないのだ、という悲しい事実も、その時僕は知らされました。念の為、家の何処かに飾ってないだろうか、このことも確認しました。というのも、樺音は描いた絵で自分が気に入った数点を家の中に飾っていたからです。最近、新しい絵を掛けたりはしていない、というのがご両親の答えでした。これをどう思います? 僕のために描いた、僕への贈り物の絵は消えてしまったんです」

 ここで言葉を切った。店内を見回しながら、

「もしや、時間経過で消えてしまう絵具とか、その種のものがあるのだろうかと、ネットで画材屋関係をチェックしていてあなたの店を見つけたんです。〈謎を解きます〉とありました。ですから、飛んできました」

 カウンターの縁を掴んでいきなり矢仙さんが立ち上がった。

「あの絵は僕のために描かれたんです! どんなことをしても僕は取り戻したい! 誰にも渡したくないんだ!」

 自分の荒げた声に彼自身が戸惑ったようだ。身を強張(こわばら)らせて椅子へ身を沈めた。

「すみません。取り乱すつもりはなかった――最後まで冷静に話を伝えようと思っていたのに……」

「いえ、お気持ちはわかります」

 そう、わかり過ぎるほどだ。喪失の痛みは僕だって知っている。だが、悲しみの沼に引き摺りこまれる前に、僕は言った。

「2、3質問させてください。絵がない、とあなたは仰っていますが、あなたご自身はその絵をご覧になったんですか? つまり、どんな絵か知っているんですね?」

 少々バツが悪そうに視線を下げる。しかしすぐに僕の目をまっすぐに見て、答えた。

「ええ、知っています。細部まではわかりませんが、大体の構図というか、絵柄は見たんです。あの日――ドアを開けた瞬間、吃驚して振り返った樺音、その背後のイーゼルに置かれた絵……」

 矢仙さんは両手を振って宙にサイズを示した。

「大きさはこのくらい」

「……F8号(455×380mm)くらいだな」

「刹那、騙し絵みたいな感覚に捕らわれたのを記憶しています。というのも、描かれているのはまさに彼女の部屋、窓の前に座ってこちらを見ている彼女がいた――」

「自画像ですね」

「そうです。背後の窓は大きく開け放たれていて、ちょうど真向いに駐車場を挟んで低いビルが建っているんですが、その屋上のクリーム色のラインが地平線みたいに見えました」

 再び青年の声が熱を帯びる。

「僕は絵画のことはからきしわからないんですが、でも、自信を持って言います。素晴らしい絵でした! ほとんど完成してました! その絵が、彼女の自室の何処を捜してもないんです。何度も捜しましたよ、でも、見つからない。こんなことってありますか?」

 若い額に苦悩の皺を刻んで弁護士は訴えた。

「このままだと、僕は頭がどうかなりそうだ。一番嫌なのは、彼女の大切な家族を疑ってしまうこと。ひょっとして、と僕は考えずにはいられない。素晴らしい出来栄えだったあの絵――娘の肖像画――を僕に渡したくなくてご両親が隠している?」

 暗い微笑が(よぎ)る。

「でも、それはあり得ない、わかっています。それなのに、そんなことを考える自分自身が僕は許せない。樺音だって、こんな僕を見たらきっと幻滅するだろう……」

「わかりました」

 僕はうなづいた。

「明日の朝、改めて連絡します。では、今日はこれで」

「え?」

 唐突な僕の言葉に、一瞬、矢仙さんはポカンとしてこちらを見返す。

 その視線を受け止め、努めて感情を交えず僕は言った。

「お約束します。明日(・・)、必ず、解決の糸口をお伝えできるはずです」


「何か、思うところがあるのね、そうでしょう、(あらた)さん?」

 矢仙仁氏が辞去するや、鋭い洞察力を有す来海サンが僕を振り返って言った。

「うん、まぁね。でも、軽々しく取り扱えない案件(ケース)だから……」

「じゃ、私も何も訊かない。口出しもしない。この種の事柄に関して私は未熟過ぎるもの。今回は傍観者に徹するから新さんがいいと思うようにやってみて」

 こういう処が、来海サンが最高の相棒だと身に沁みて思う瞬間である。


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