わたしが追放令嬢だった頃 ~『英雄断罪』図書館置き去り事件~
初めて書いたミステリーです。(ミステリーを名乗れるかは微妙ですが)
28000字ほどありますが、一気に読んでいただきたく思い、分割しませんでした。
あれは、小学三年生の夏休み――。
家族でC県のS灯台へ行った時のことだ。
わたしは、初めて灯台の上まで上り、そこから眼下に広がる海を見た。
緩やかにカーブを描く水平線は美しかった。
しかし、そんなことよりも、わたしは、そこでとんでもないことに気づき、目眩を起こして倒れそうになったのだ。
―― わたし、昔、こういう高くて狭い場所に閉じ込められていたことがある! そして、小さな窓から、同じような水平線を毎日眺めていた気がする……。
小学三年生にとっての「昔」って、いったいいつだ? ――と考えてわかった。
それは、前世の記憶だってことに……。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
「ルイーズ様、灯りをお持ちいたしました」
「ありがとう、エステル。これらの本を、書庫に返してもらえますか?」
「まあ、もう読み終わってしまわれたのですか?」
「ええ。ここにいると、ほかにすることもあまりないですから」
「そうですね……。では、明日また、別の本をお持ちいたしますね」
「お願いします」
書き物机の燭台に灯をともし、本を手にとると、侍女のエステルは静かに部屋を出ていった。
ここは、王都を遠く離れた、辺境の断崖に立つ王家の離宮。
離宮と言えば聞こえはいいが、要するに罪を犯した元貴族の収監施設だ。
ルイーズ・アクスフィアは、アクスフィア侯爵家の娘だ。
いや、父も弟も行方知れずとなり、彼女も罪人となった今、アクスフィア侯爵家は後を継ぐ者もなく、家系は途絶えたも同然だ。
だから、侯爵令嬢というのは過去の肩書きであって、ここではただの囚われ人、追放令嬢ルイーズ・アクスフィアにすぎない。
今から三ヶ月前、革命軍の討伐に向かった父と弟の帰りを屋敷で待っていた彼女は、突然王城に呼び出された。
そして、国王から、革命軍を密かに支援し、領地の収穫物を送ったという身に覚えのない罪によって、辺境の離宮への追放を言い渡されたのだった。
王軍に加わり戦地へ赴いていた父と弟が消息を絶っており、アクスフィア家は、一家揃って王家を裏切ったと疑われたらしい。ルイーズは何度も無実を訴えたが、処分が覆ることはなかった。
ルイーズは、この離宮に連れてこられ、塔の最上階にある小部屋に案内された。
最低限の家具のほか、細い鉄格子が嵌まった海が見える窓と小さな扉があるだけの部屋。
食事は日に二回、侍女が階下から運んで来る。
望めば茶や菓子、本、紙やペンなど、様々な物を手に入れることができる。
監視役の侍女がいて外には出られないが、特別不自由を感じることもない暮らしだった。
国がどうなったのかも、父や弟がどこへ消えたのかもわからぬまま、外の世界から切り離されたルイーズは、この部屋で水平線の微かな変化だけを眺める日々を、いつの間にか受け入れていた。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
わたしの前世は、無実の罪により追放された侯爵令嬢ルイーズだったのだ。
高い塔の天辺の小さな部屋に閉じ込められ、そこで短い生涯を終えた。
自分が、異世界からの転生者だと気づいても、別に何も変わらなかった。
前世の世界の方が、明らかにこっちより文明の発達は遅れていたし、残念ながら、こっちに転生しても精霊の加護とか聖なる魔力とかは授からなかった。
前世の知識と授けられた特殊な力を駆使して、こっちの世界で大活躍――、とはいかなかったのだ。
わたしは、いたって普通な子ども時代を過ごした。
日々の暮らしの中で、自分が転生者だと意識することもなかった。
残念ながら、前世では十七歳で亡くなっていたので、たいした人生経験も積んではいなかった。
今生でもそうだが、前世でも本好きだったらしく、本から得た知識を多少は思い出すことができた。歴代の王の功績とか、ロマンチックな流行の詩とか――。
当然のことだけど、この世界で役立つものはほとんどなかった。
そして、いつのまにか前世の寿命を越えて生き延び、今に至っている。
わたしの名前は、水元咲桜里。
C大学付属の中高一貫校の図書館で司書をしている。
わたしは、この学校の卒業生であり、元図書委員長でもある。
卒業後も、イベントや展示の手伝い、図書委員が参加するビブリオバトル選手権の指導などで、たびたび図書館にお邪魔していた。そんな折、在学中にお世話になった先生から声を掛けていただいたのをこれ幸いと、大学卒業後すんなりここに就職してしまった。
勤め始めて二年。もともと図書館員を目指していたし、決して採用が多いわけではない正規の司書として働けているので、今の境遇には何の不満もない。
だけど、ときどき思うのだ――。
前世に比べ今生は、ずいぶんと平凡な人生になりそうだなあと――。
「まただわ! 本当にもう、誰なのかしら?」
司書歴七年の職場の先輩、扇町さんが呆れたように言った。
彼女は、図書委員たちが書架整理をしていて発見した、破損本や誤登録本などを入れておくボックスの中を点検していた。
「どうしたんですか?」
「例のラノベコーナーの迷子本よ!」
「ああ……」
ラノベブームの影響で、この図書館にもラノベコーナーを作って欲しいというリクエストが、生徒たちから寄せられるようになった。
予算の問題や上層部のやや頭の堅い方々からのご意見もあって、コーナー設置の計画は一度は頓挫した。
しかし、しばらくして、しつこく要望し続けた図書委員や若手教員・司書の熱意が通じ、生徒から寄贈された本でなら、コーナーを設けても良いというお許しが、例の方々から出たのだった。
もちろん、すべての寄贈本を受け入れるわけではなく、司書が一冊一冊目を通し、学校の図書館に相応しくない内容を含むものは、お断りすることになっている。
生徒に呼びかけたところ、すぐに二百冊ほどが集まり、無事にラノベコーナーは開設に漕ぎ着けた。
図書委員がポップを作ったり、関連本(といっても、図書館の所蔵資料だから、『ヨーロッパの城郭・宮殿解説図鑑』とか『幻獣・神獣大事典』程度なのだけれど)を並べたりして、コーナー誕生を盛り上げてくれた。
コーナー開設から半年あまり、寄贈本も増え、貸し出し数も伸びてきた。
今のところ生徒たちの評判も上々だ。
入学時のオリエンテーション以来、ラノベコーナー目当てで初めてここへ来ましたと声をかけてくる生徒も結構いる。
そのラノベコーナーで、近頃おかしなことが起こっている。
誰かが、図書館の登録資料ではない私物の本を、ラノベコーナーに無断で置いていっているのだ。
わたしたちは、それを「迷子本」と呼んでいる。
「もしかして、『英雄断罪 ~復讐を誓った氷の王子の報復の剣は、勇者も聖女も賢者も許さない! 謝ったってもう遅い!~』の続きですか?」
「そうよ! 第四巻! こればっかり四冊目よ。しつこいわよね」
「もう、間違いとかうっかりとかじゃなくて、このシリーズを図書館に置いて欲しくて、わざと棚に紛れ込ませているとしか思えませんね」
「そうかもね。でも、このシリーズはだめよ! 残酷なシーンが多すぎるわ」
このシリーズの第一巻は、コーナー開設時に一度持ち込まれたことがある。
そのときは、扇町さんともう一人の司書が目を通し、戦闘シーンの残酷さを理由に、図書館には置けないと判断して寄贈をお断りした。
わたし自身は、このシリーズは一冊も読んだことがない。ライトノベルは嫌いじゃないが、このタイプのタイトルの作品は、ちょっと苦手だ。
どちらかというと、もう少しファンタジックなタイトルの方が好みだ。
「コーナー開設の時に、第一巻を持って来たのって、図書委員の長谷川君でしたよね? ということは、彼がやっているんでしょうか?」
「それは、ないんじゃない? あの子は、ミステリーにしか興味がなくて、ミステリー研究会にも入っているの。『英雄断罪』の第一巻も、誰かに頼まれて持って来たようなことを言っていたわよ」
「へぇ、そうなんですか……」
扇町さんは、生徒一人一人のことをよく把握している。
今の高校三年生は、中学校の一年生のときから接しているので、もう六年間の付き合いになるはずだ。
口外することはないが、図書館をよく利用する生徒の読書傾向や好みを詳しく掴んでいるに違いない。
かく言うわたしも、高校の二、三年生の時、着任間もない彼女と、好きな本を巡って様々なおしゃべりを楽しんだ人間だ。
図書館にはない本を、個人的に貸してもらったこともあった。
話の通りだとすれば、一番怪しいのは、彼に『英雄断罪』の第一巻の寄贈を頼んだ人物だ。彼のクラスメイトだろうか?
「来週の月曜日に、図書委員会がありますよね? そのときに長谷川君に、それとなく『英雄断罪』の寄贈を頼んだ人物のことを聞いてみます。その人物が本校の生徒なら、犯人の可能性はかなり高いと思います」
「そうね。長谷川君以外に、『英雄断罪』を持って来た子はいなかったわよね……。司書教諭の倉岡先生にも相談しておくわ。早く引き取って欲しいし、こういうことが流行ったりすると困るのよね」
そう言って扇町さんは、カウンターの後ろの「忘れ物」というプレートを付けた棚に、『英雄断罪』の第四巻を並べるために席を立った。
これまでに置いていかれた三冊の隣に、第四巻が置かれるのを見た瞬間、わたしは、あの灯台に上ったときと同じような目眩を感じた。
だれかが、わたしの頭の中で囁いた。
―― この本を読みなさい。この本には、おまえがずっと知りたかったことが書かれているはずだから――。
えっ? どういうこと? 何、今の? 神の啓示?
眼を見開き固まってしまったわたしの前で、扇町さんが手をひらひらさせた。
わたしは、現実に引き戻され、思わずまばたきを繰り返した。
「どうしたのよ、水元さん。なんか変なものでも見た?」
「あ、いえ……。あの、その『英雄断罪』なんですが……。いや、いいです。何でもありません。大丈夫です」
「落とし物」を勝手に持ち出すわけにはいかない。
しかし、わたしは、今やこのシリーズを読まずにはいられない気分になっていた。作品への興味のあるなしに関わらず――。
―― ずっと知りたかったことが書かれている――。
わたしが知りたかったこと――それは、どんなことを指しているのだろう?
わたしは、仕事帰りに駅で電車を待つ間に『英雄断罪』の電子書籍版を購入し、乗車すると早速スマホで読み始めた。
明日は休日だ。ラノベ四冊なら、なんとか明日中に読み終えるだろう。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
一年ほど前、異世界から降臨した勇者を称するカイトという若者が、国境にある寒村の神殿で、「精霊が鍛えし聖王の剣」を手に入れた。
彼は、剣に選ばれし者として、圧政を敷くこの国の王家を滅ぼし、この国を民衆の手に取り戻すと叫び、革命を宣言した。
勇者に賛同する人々が、各地で蜂起し、王家打倒の動きは国中に広まった。
勇者は、聖なる力を持つという若い女レイアや、新たな国の形を訴える、賢者を自称するジョージという男らとともに、反対勢力を制圧しつつ、王都を目指して進軍を始めた。
王軍が組織され、革命軍と激戦をくり広げていたが、民衆の支持を得て膨れあがり勢いづく革命軍を押さえ込むことはできず、少しずつ劣勢に追い込まれていった。
王軍の参謀であるルイーズの父やこの戦が初陣の弟は、なんとか勝機を見いだそうと、必死で剣を振るいながら転戦を繰り返していた。
たびたび戦地から届いていた二人からの手紙がぷっつり途絶えた頃、最後の砦である王都を死守せんと、各地から王軍が引き上げてくる中で、父の旧友であるサンドフォード侯爵から、二人が行方知れずになっていることがルイーズに告げられた。
ある朝、野営地から、突然二人揃って姿を消したのだという。
革命軍に寝込みを襲われ、人質にするために攫われたのだろうと考えられたが、心ない人々は、革命軍に寝返ったに違いないと噂していた。
サンドフォード侯爵は、参謀であるルイーズの父は、何かこの状況を打開する作戦を思いつき、息子と二人だけで軍を離れて、秘密裏に行動しているのかもしれないと言った。
ルイーズもその言葉を信じて、二人を待つことにした。
しかし、二人の消息はわからぬまま、戦況が好転することもなく、彼女は、あの追放の日を迎えることになったのだった。
「エステル、どうせ答えてはもらえないのでしょうけれど――、今、王国はどうなっているのですか?」
ここへ来て三ヶ月。もう何度、ルイーズは同じ問いかけをしたことだろう。
エステルの答えも、また、いつもと同じだった。
「ルイーズ様、わたくしにも、よくわからないのでございます。今は、王都と連絡をとることも儘なりません。革命軍は、この離宮の存在に気づいていないようですので、こちらも鳴りを潜め、少しずつ状況を探るしかないのでございます」
エステルは、ただの侍女ではない。おそらく、ここにいる他の侍女たちも――。
彼女たちは、それなりの訓練を受けた女戦士に違いない。
ここは辺境に構えられた収監施設であると同時に、王家の秘密の砦なのだ。
何層にも及ぶ地下室には、王家の宝が隠されているのかもしれない。
どちらの軍が勝利を収めても、自分がここを出られることはない。
なぜかわからないが、ルイーズにはそんな予感があった。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
月曜日。
わたしは、欠伸をかみ殺しながら、カウンターに座っていた。
『英雄断罪』を徹夜で読んだから?
いや、まだ、第一巻しか読めていない。
一気に読破するつもりで、勢い込んで読み始めたのだが、頭が混乱して先へ進めなかったのだ。小説のことを考えるだけで、眠れなくなってしまった。
それほど、『英雄断罪』は、わたしにとって衝撃的な物語だった。
『英雄断罪』の第一巻は、こんなストーリーだ。
主人公は、リルバーン王国の第二王子ジェラルド。
彼が隣国のガイヤール王国に留学している間に、母国で革命が起こる。
異世界からやって来た勇者カイトが、リルバーン王国の乗っ取りを企み、人々を扇動して、「打倒王家」を旗じるしに挙兵したのだ。
ジェラルドは、急いで帰国し自らも王軍に加わることを望んだが、ガイヤール王に止められた。
ガイヤール王の妃は、ジェラルドの叔母であり、両国は友好関係にある。
ジェラルドと共にガイヤール軍を派兵することも可能であったが、リルバーン王国は混乱の最中にあり、誰が王家に味方し、誰が王家に敵対しているのかもはっきりしない。
王は、今しばらくガイヤール王国に留まり、戦況を見極めてから帰国することをジェラルドにすすめた。
しかし、戦に関しては素人で、簡単に鎮圧されると思われた革命軍は、不思議なことに人々の支持を集め、怒濤の勢いで王都包囲を成し遂げつつあった。
王軍の名のある軍人が、次々と命を落としたり捕らえられたりしていた。
ジェラルドは、密偵からの知らせに、焦燥感をつのらせながらも、カイトたちの暴挙を、ただ隣国で指をくわえて見ているしかなかった。
そんなある日、ガイヤール王国の王城の門前で、二人の男が捕らえられる。
隣国から国境を越えてきた隊商の一員と思われたが、二人はジェラルドとの面会を願い出た。
そして、王から賜ったという、柄に碧玉がはめられた美しい短剣を示す。
この二人の男こそ、リルバーン王国軍の参謀の一人であるアクスフィア侯爵とその息子セオドアであった――。
そうなのだ――。
信じがたいことだけれど、『英雄断罪』の舞台やストーリーは、わたしの前世の世界とそこでの出来事そのものだったのだ!
そして、主人公のジェラルド王子は、前世のわたし――ルイーズの婚約者だった。
わたしはこれまで、自分の前世について誰かに話したことはない。
夢見がちな読書好き女子の妄想として笑われるのがオチだと自覚していたし、裏切り者として追放されたあげく早世した令嬢などという前世は、ちょっと格好悪すぎて人に話せるものではなかったからだ。
もちろん、『英雄断罪』を読んだ幼いわたしが、物語に合わせて、自分の前世を捏造してしまったということもない。
わたしが自分の前世に気づいた頃、まだ、『英雄断罪』は出版されていなかった。まあ、万が一何らかの形で世の中に発表されていたとしても、小学三年生には難しすぎて読めなかったと思う。
いったい作者は、どうやってわたしの前世の世界を知ったのだろう?
もしかして、作者は、わたしの前世に関係のある人物なのだろうか?
『英雄断罪』の著者名は、「阿久須哲人」となっているが全く心当たりはない。
そして、そんな『英雄断罪』シリーズが、わたしが勤務する図書館の書架に、無断でくり返し置かれているという謎。
それは、偶然のできごとなのだろうか? それとも――。
放課後になって、図書委員会の定例会が開かれる頃には、どうにか眠気も収まり、わたしは長谷川君と話すチャンスをうかがっていた。
いつものように、委員長の駒込さんが司会をして、来月の館内展示のテーマや図書委員会だよりの特集について話し合いが行われた。
話し合いは短時間で終わり、委員たちは、残りの時間で書架整理をすることになった。
勝手に外国文学の棚へ行き、書架整理をするふりをしながら、『クロフツ短編集1』をこっそり読んでいる長谷川君に、わたしはそっと近づいた。
「あのう、長谷川君……」
「えっ?! うぁっ、み、水元さん……。あ、な、何ですか?!」
長谷川君は、仕事をしないで本を読んでいることを、わたしが注意しに来たと思ったのか、慌てて『クロフツ短編集1』を棚に押し込んだ。
こらこら、『クロフツ短編集2』の右側には入れないでしょ! 1は左だよ!
それは後で直すことにして、わたしは早速、例の質問を口にした。
「作業中に申し訳ないんだけど、ちょっと教えて欲しいことがあるの」
「ど、どんなことですか?」
「あのね、ラノベコーナーを開設したとき、長谷川君、『英雄断罪』って本を寄贈しようとしたでしょう? 誰かに頼まれてあの本を持って来たって聞いたんだけど、誰に頼まれたのか教えてもらえるかな?」
「あっ、なんだ……、そういう話か……。あの、でも、なんで今頃そんなこと聞くんですか?」
「ああ、そうだよね……。実は近頃ラノベコーナーに、何度も勝手に『英雄断罪』を置いていく人がいて、ちょっと困っているの」
長谷川君は、迷子本の一件について気づいていないようだったので、ざっくり事情を伝え、彼に『英雄断罪』の寄贈を頼んだ人物を疑っていることを正直に話した。
「へえ。そんなことが――。おかしことするヤツがいるんだなぁ……。でも、あれ、誰に頼まれたのかは、俺もわかんないんですよ」
「わからないって、どういうこと?」
「休み時間が終わって教室に戻ったとき、机の上にあの本が置いてあったんです。本の上に『寄贈したい』って書かれた付箋が貼られてました。図書館に行くのが面倒なヤツが、図書委員の俺に頼んだってことかなと思って、そのまま持って来たんです」
「ふうん……。結局、『英雄断罪』は寄贈を断ることになって、あなたに返したと思うのだけど、その後はどうしたの? 寄贈を依頼した人がわからなかったのなら、どうやって本を返したの?」
「誰に返せばいいかわからなかったんで、付箋の空いている所に、赤ペンで『ダメだった』と書いて、教室のロッカーの上に置いときました。気がついたらなくなっていたから、たぶん、クラスの誰かだとは思うけど……」
「そうなんだ……」
そうなんだ――。持ち主が誰なのか、長谷川君にもわからないのか――。犯人捜しの作戦は、早々に行き詰まってしまった。
会話が途絶え、何とはなし気まずい雰囲気で突っ立っていたわたしたちに、裏側の棚を整理していた駒込さんが、ひょこっと隙間から顔を覗かせ、声を掛けてきた。
「ごめんなさい……、盗み聞きしていたつもりはないんだけど、ちょっと、気になる言葉が聞こえちゃって……。あの、今、『英雄断罪』のこと話してましたよね?」
この、いかにも今どきのJK風な風貌ながら、実は大の読書好き、それも時代小説が大好物という委員長は、書架の角に立ちわたしたちを手招きすると、声を潜めて話し出した。
「ラノベコーナーで、迷子になってた『英雄断罪』の第二巻と第三巻を見つけて、ボックスへ入れたのはわたしなんです」
駒込さんの話は、次のようなものだった。
『英雄断罪』の第一巻が、迷子本として回収されたのは、今からふた月近く前のことだ。見つけたのは、高校二年生の苫米地さんという図書委員だった。
ラノベコーナーの開設には、生徒たちが深く関わっているので、図書委員は、コーナーの管理にも気を配っている。
休み時間に、真面目に書架の整頓をしていた苫米地さんは、ラノベコーナーの一番下の棚に、ぽつんと一冊だけ置かれている『英雄断罪』の第一巻を発見したのだそうだ。
苫米地さんから話を聞いた駒込さんは、すぐに、『英雄断罪』の第一巻を落とし物として預かっていることを書いた連絡票と、私物を間違って返却ボックスや書架に返さないで欲しいという文言のポスターを作り、図書館の入り口の掲示板に貼りだした。
しかし、一週間以上待っても、『英雄断罪』を引き取る者は現れなかった。
そして、今度は、ラノベコーナーの点検をしていた駒込さん自身が、迷子になった『英雄断罪』の第二巻を見つけてしまったのだ。
「第二巻は、『妖怪付き古民家喫茶は今日も大賑わい~あなたの悪運、コーヒーで払います~』の第四巻と第五巻の間に、逆さまにして挟んであったんです。わざと目立つように置いて、わたしたちに『英雄断罪』を確実に発見させようとしているんだなって思いました」
「犯人は、あの本を図書委員の目に触れさせたかったってこと?」
「ええ。ああいう置き方を気にするのは、書架を整理する人間だけですよ。本を借りに来た一般の生徒は、目的の本を見つけるのに夢中で、書架が乱れていてもあまり気にしませんから……。第一巻を見つけたときに、すぐに連絡票やポスターを貼りだしたので、本を書架に紛れ込ませれば、必ず図書委員が気づいて手に取るとわかったんだと思います」
「それで、第二巻も置いてみたわけか……」
そういえば、わたしが、『英雄断罪』を読むことになったのも、図書委員に回収された迷子本が、カウンターの後ろの落とし物の棚に並んでいるのを見たからだ。まあ、変な天の声が聞こえはしたけれどね――。
「それってさあ、図書委員でなく、司書さんや図書館の先生方がターゲットだった可能性もあるぞ!!」
「「えっ?!」」
黙ってわたしたちの話を聞いていた長谷川君が、突然、話に割り込んできた。
ミステリー好きの彼は、「『英雄断罪』図書館置き去り事件」(注・後日、長谷川君が勝手に命名した!)に、がっつり食いついてきた。
そして、目をきらきらさせながら、自説を語り始めた。
「やっぱ、俺の机に第一巻を置いた人物が怪しいよな――。あのときも、もしかしたら、図書委員や司書さんの中の誰かにあの本を読ませることを目的に、寄贈本として俺に預けたのかも」
「そうそう。犯人は、『英雄断罪』をラノベコーナーに置いて欲しいわけではないと思うよ。きっと、ヘイゾー(注・委員長は、長谷川君をこう呼んでいるらしい!)が言うように、図書委員か図書館で働く人の中に、どうしてもあの本を読んで欲しい人物がいるのよ。犯人は、その人物が『英雄断罪』を手にとってくれるまで、本を置き続けるんじゃないかと思う」
「そんなに読んで欲しいなら、直接その人に渡せばいいと思うけどな。そうはいかない事情でもあんのかね?」
二人には言えないけれど、犯人が読んで欲しいと思っている人物っていうのは、きっとわたしなのだ。
犯人は、なぜか、わたしが追放令嬢ルイーズの生まれ変わりであることを知っていて、ルイーズが知ることなく亡くなった革命騒動の顛末を、『英雄断罪』を通してわたしに伝えようとしているように思える。
第一巻を読んで、父と弟がジェラルド王子のもとへたどり着いていたことがわかったとき、前世のこととはいえ、わたしはとても嬉しかった。
二人は、裏切り者ではなかったし、革命軍に捕らえられたわけでもなかった。
過酷で非情な戦いの日々を、知恵と勇気で生き抜いてくれていたのだ。
あの小さな部屋で、毎晩唱え続けたわたしの祈りの言葉が、神様に届いたのかもしれなかった。
作者もそうだが、犯人も、わたしの前世に関わりのある人物なのだろう。
そして、二人とも、わたし同様、前世をあの世界で過ごして、この世界に転生してきたのだ――。
そうだ。この世界へ転生したのは、わたしだけじゃないんだ……。
「と、ところで、委員長が最初に言っていた、犯人について、引っかかることがあるって……、それはどんなことなの?」
「ああ、それ――。二週間ほど前に、第三巻を見つけたときなんですけど、本の中にスリップが挟まっていたんです」
「売り上げスリップか――。しおり代わりに使っていたのかしら?」
「ええ。わたしもよくやります。そのスリップは、印刷面を内側にしてたたみ直してあって、外側の無地の部分にメモがあったんです」
「メモ? 何て書いてあったの?」
「それが……、『ルイーズは、どこに?』って、書いてあって……。わたしが読んだ第三巻までには、ルイーズなんて登場人物は出てこなかったし、小説と関係ないメモかとも思ったんだけど、これまでの犯人の行動から考えて、読ませたい相手へのメッセージなのかなって気がするんです……」
―― ルイーズは、どこに?
それは、ルイーズであったわたしへの問いかけにほかならない。
そして、そんな問いかけをする人物は、一人しか思い当たらない。
あの人も、この世界に転生していたのだ……。
そして、なぜかわたしを見つけ出し、わたしの近くにやってきたのだ。
わたし自身が自分の前世に気づいているかわからないので、あの人はまだ、わたしに声をかけることができないでいる。
そりゃそうよね。いきなり、「あなたの前世は、追放令嬢のルイーズですか?」なんて、きけるわけがないよね。
だとしたら、わたしから名乗りを上げるしかないわね。
委員会が終わり、生徒が誰もいなくなった図書館。
わたしは、「第四巻を使って、犯人への接触を試みてみるから、ラノベコーナーをそれとなく監視していて欲しい」と、委員長と長谷川君に頼んだ。
二人とも、当番ではないときも、できるだけ図書館に顔を出すと約束してくれた。委員長は、ほかの委員にも声をかけておくと言ってくれた。
二人は、本を置き去りにした犯人が判明することに、興味を持っているようだったが、わたしの関心は、もちろん別のところにある。
転生したあの人に会ってみたい――。
前世で、いつまでもルイーズを探し続けていたであろう、あの人に――。
わたしは、「忘れ物」の棚の前に行き、そこから『英雄断罪』の第三巻と第四巻を取り出した。
第三巻には、委員長が言っていた、「ルイーズは、どこに?」と書かれたスリップが今も挟んであった。筆跡を確認して、再び棚に戻しておく。
第四巻には、スリップは挟まれていない。
わたしは、リサイクル箱にあったスリップを一枚取り出し、問いかけへの答えを書いた。
そして、第四巻にそのスリップを挟み、ラノベコーナーへ置きにいった
一度回収された迷子本が再び棚に戻ったら、本を置いていった人物はすぐに気づいて興味を持つだろう。本を取り出し、必ずこのスリップに目をとめる。
さあ、その後、いったいどんなことが起こるのだろう? ――
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
怒濤の勢いで進軍を続けてきた革命軍が、ついに王都へと入った。
国王一家はもちろん、多くの貴族たちはとっくに王都を離れ、いまだ革命軍の支配が及んでいない北方の辺境へと逃れていた。
もぬけの殻となった王城や貴族の館を占拠した革命軍は、カイトを皇帝とする新国家の樹立を宣言した。
聖女レイアによるカイトへの戴冠式が王城内で盛大に催され、カイトは、「カイトニア帝国」の初代皇帝となった。
しかし、この成り上がり皇帝を容認しない諸外国からは、戴冠式への出席者は一人もやってこなかった。
すぐにも、国の体制を整える必要があったが、所詮、革命軍は寄せ集めの集団であり、国家の運営に携われるような人材は乏しかった。
おまけに、革命軍の多くの兵が、初めて見る王都の華やかさに心を奪われ、略奪や破壊に走ったため、たちまち王都の住民の反感を買ってしまった。
賢者ジョージは、国王一家をとらえ、王女をカイトの妃として迎えることで、皇帝カイトの正当性を示し、人々からの支持を回復しようと考えた。
しかし、北方の辺境へ何度か精鋭軍を送るも、ゲリラ化した近衛兵や王軍の残党たちに阻まれ、国王一家の行方を知ることさえかなわなかった。
戦を続ける必要がなくなったことで、多くの兵士は日々戦意を失っていき、法外な報償を求めて騒ぐ者や酒や女や博打におぼれる者も現れた。
粛清の嵐が吹き荒れ、革命軍を離脱したり批判したりする者は厳罰に処せられた。
しかし、時すでに遅く、革命軍およびカイトニア皇国は崩壊への道をたどりつつあった。
そんな中、アクスフィア父子から、現在の戦況を詳細に聞き出したジェラルドは、ガイヤール王国と同盟を結び、その兵力を後ろ盾についに挙兵した。
王都は陥落していたが、逆に国境付近は手薄になっており、ジェラルド率いる新・リルバーン王国軍は、あっという間にいくつかの砦を革命軍から奪い返した。
その知らせは、各地に身を潜めていた王軍の兵や文官たちに驚くべき速さで伝わった。
彼らは、革命軍の目を盗み追手から逃れながら、次々と新・王国軍へ馳せ参じた。
若輩ながら、恵まれた体躯と並外れた胆力で、つねにジェラルドの前に立ち、襲いかかる敵兵をひるむことなく薙ぎ払うセオドア・アクスフィアの姿は、新・王国軍の人々に勇気と希望を与えた。
革命軍の容赦ない簒奪に苦しんでいた各地の豪農や豪商たちも、ひそかに新・王国軍に支援の手を差し伸べていた。
新・王国軍は、一気に兵の数を増やしたが、武器や食料の調達で苦労することはなかった。
貧しい人々の間でも、すでに革命はただの幻想と化していた。
結局は、皇帝カイト、聖女レイア、賢者ジョージをはじめとする幹部たちばかりがいい思いをし、下の方の兵たちには、恩賞が与えられることもなかった。
異世界から来たカイトは、そうした決まり事すら知らないようだった。
次第に、かつての王国や王家を懐かしむ者が増え、己のしたことも忘れて、カイトニア皇国への不満ばかりが囁かれるようになっていった。
ついには、革命軍から新・王国軍へ寝返る者さえ現れたのだった。
やがて、力をつけた新・王国軍が、かつての王都へ攻め上ってきたころには、町の人々は諸手を挙げて歓迎し、彼らを迎え入れるべく、城門をすすんで開こうとするまでになっていた。
カイト率いるカイトニア皇国軍とジェラルド王子率いる新・王国軍の最後の戦いが、旧王都郊外のオーダンの丘で繰り広げられようとしていた。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
わたしは、その晩、スマホの中に積ん読(?)してあった、『英雄断罪』の第二巻から第四巻までを勇気を出して読破した。
隆盛を極めた革命軍も、カイトを皇帝に据えて皇国を建国した辺りから、次第に勢いを失っていく。そして、ついに、アクスフィア父子とともにジェラルド王子が兵を挙げる。
各地で展開される戦闘の描写は、あまりにも生々しく凄惨だが、ジェラルド王子を待ち受ける運命もまた過酷なものだった。
第四巻の最後で、ようやく王国は再興され、ジェラルド王子は国王となる。
そして、スリップを挟んだ第四巻を、ラノベコーナーに戻してから三日後――。
わたしたちが待ちに待った瞬間がやってきた。
昼休みもあと十分で終わるというとき、ふらりと一人で図書館へ入ってきた男子生徒がいた。
すらりとした長身で、なかなかに眉目秀麗な人物だ。
確か、我が校の剣道部を世に知らしめた立役者ということで、一時話題になった子だ。内部進学ではなく、試験を受けて高校から入学してきた、えぇっと――。
「あら、三年の垣内君じゃない? 受験も近いのに、この頃ときどき見かけるようになったわよね」
さすが、扇町さん! よく覚えていらっしゃる。そうそう、垣内君という子だ。
そんなに利用実績がある生徒じゃないのに、扇町さんの記憶力はすごい!
垣内君は、とくに何かを捜しているという様子でもなく、図書館内を移動してラノベコーナーの方へ向かった。
近くの書架を整頓していた委員長が、わたしに目配せした後、棚に隠れるようにしながら彼の後をつけていった。
ラノベコーナーは、カウンターからは死角になっているが、委員長はコーナーが見える場所に陣取り、じっと彼の動きを監視していた。
午後の授業に間に合うぎりぎりの時刻になって、コーナーの前にしゃがんでいたらしい垣内君が立ち上がった。
彼は、第四巻を持ってカウンターに歩いてくると、少し上気した顔でわたしに本を差し出しながら言った。
「これ――、この図書館の本じゃないですよね。棚に紛れ込んでましたよ――」
「え? ああ、……どうもありがとう……」
本を受け取る瞬間、軽く手が触れた。
あれ? なんか、ちょっと微笑んだ? 気のせい?
軽く会釈して、垣内君は図書館を出て行った。
えっ?! どうなってるの?! 彼、なんで、この本を見つけちゃったのよ?!
垣内君の退室を確認して、委員長がカウンターへ早足でやってきた。
「垣内君と何話していたんですか? 彼、あそこで、なんか書いていたんですよ、本に挟んであったスリップに! ポケットからペンを出して――。あのスリップ、水元さんが入れたんですか? うそっ? 第四巻が置いてある?! ああ、授業が始まっちゃう! もう! その本のスリップになんて書いてあるか、見ておいてくださいね! 放課後、ヘイゾーと一緒に来ますから、詳しいことはそのときに! ね?」
「あ、う、うん……」
垣内君が、何か書いていた? えっと、ヘイゾーっていうのは、長谷川君……のことよね?
そうだ! スリップを見なきゃ――。
「ごめんね、カウンターまかせちゃって! 駒込さん、なんだかあわててたわね? そう言えば水元さん、最近よく図書委員とこそこそ相談してるよね? 何か秘密のイベントでも考えてるの?」
業者への連絡で、カウンターを離れていた扇町さんが、戻ってくるなり言った。
わたしは、第四巻を持った手を背中に回して、手探りでスリップを抜き取った。
そして、「忘れ物」の棚にさりげなく本を戻しながら、スリップは折りたたんでポケットにしまった。
少し気持ちが落ち着いたところで、扇町さんに返事をした。
「学期末も近いので、図書委員にも協力してもらって、迷子本の持ち主捜しの作戦を立てたんです。もしかすると、持ち主が見つかって、今年中に『英雄断罪』を持ち主に返せるかもしれません」
「そうなんだ。もしわかったら、その生徒に厳しく言っといてね。もう二度と私物の本を図書館に置いていかないようにって!」
「はい、必ず!」
わたしは、図書館に隣接する事務室の休憩スペースで、遅い昼食をとることにした。テーブルに、水筒と弁当の包みを置いて、ちょっとぼんやりする。
垣内君が、何を書いていったのかとても気になる。
もしかすると、ただ落書きをしただけだったりして――、いや、あの子はそういうタイプじゃないよね。まじめそうだもの……。
わたしは、黙々と弁当のドライカレーを口に運び、急いで昼食を終えた。
そして、ポケットから二つ折りにしたスリップを取り出した。
神社でおみくじを開けるときのような気分で、スリップを広げてみる。
―― ルイーズは、桜のもとに。今は、書架のなかに。
これは、わたしが書いたメッセージ。
そして、その横に、急いで書いたにしては、やけに丁寧な文字で書かれていたのは――。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
オーダンの丘での戦いは、両軍が対峙した時点で雌雄は決していた。
革命軍の多くの兵は戦意を喪失しており、次々と新・王国軍に投降した。
賢者ジョージは、最後の賭に出た。
勇者カイトの運と「精霊が鍛えし聖王の剣」の加護を信じ、勇者カイトと王子ジェラルドの一騎打ちを申し出たのだ。
新・王国軍内からは、もちろん大きな反対の声が上がったが、ジェラルドは、天命は自分にこそあると言い、一騎打ちに応じることに決めた。
しかし、そこで予想外のことが起こった。
聖王の剣を掲げ、まさにジェラルドに斬りかかろうとしたカイトが、突然吐血して倒れたのだ。
カイトを癒やそうとして駆け寄った聖女レイアもまた、同じように吐血して、勇者の横に寄り添うようにひざまずいた。
革命軍は、大混乱となった。
泣き叫ぶ者、誰彼かまわず武器を向ける者、神に慈悲を請う者……。
かろうじて正気を保つことができた少数の兵士を指揮し、賢者ジョージは二人を戦場から運び出すと、王城へと立てこもった。
運び込まれた勇者と聖女に危険な病の兆候を見て、恐怖に駆られた町の人々は、王都から逃げ出そうと各城門に押し寄せた。
革命軍が、籠城して半月が過ぎた。
意を決して、新・王国軍の一隊が、しんと静まりかえった王都に潜入した。
そこはすでに、死の町と化していた。
王都に残った人々の多くは、謎の病によりすでに絶命していた。
かすかに息がある者も、とても運び出せるような状況ではなかった。
王城内の状況は酸鼻を極め、王の寝室では、勇者カイトと聖女レイアであったと思われる骸が、寝台に並べて寝かせてあった。
賢者ジョージも、最後まで二人に付き添ったのか、寝台の横の椅子で、屈み込むようにして事切れていた。
謎の病で命を失った人々の屍が、葬る者もいないため、城内の至る所に転がっていた。
連絡を受けたジェラルドは、辛い決断を下す。
王城もろとも王都を焼き払い、病のもとを根絶することにしたのだ。
たくさんの大弓が用意され、王都に向けて一斉に火矢が放たれた。
王都を包んだ巨大な炎は、十日あまりの間、天を焦がし続けた。
王都から遠く離れた、王国の北部辺境。
ジェラルドは、セオドアと数名の兵を引き連れ、王家の人々が隠れ住んでいると伝え聞いた、洞窟神殿を目指していた。
王都の事後処理は、アクスフィア侯爵ほか、信頼の置ける重臣に任せてある。
いずれは、別の土地に王城を再建し、遷都することになるであろう。
ジェラルド一行の到着が伝わるや、各地に潜んでいた元王軍の兵士たちが、次々と現れ一行に付き従った。
そして、ジェラルドは、ついに王家の人々の潜伏先にたどり着いた。
「父上―っ!!」
「おお、ジェラルドか!!」
神殿の前で、父子はひしと抱き合い、互いの無事を喜び合った。
王妃や妹のエメリア姫は、溢れる涙に頬をぬらしながら、革命軍から王国を奪還し、帰還を果たしたジェラルドを讃えようと駆け寄った。
ジェラルドの兄である王太子クロードは、隠遁生活の中で目の病を患い、侍従に手を引かれながら、ふらつく足でジェラルドのそばへやってきた。
変わり果てた王太子の姿を見て、怒りと悲しみに身を震わせたジェラルドであったが、昔のように兄に優しく頭をなでられて、ようやく笑顔を浮かべたのだった。
ジェラルドは、国王から、王都から脱出できた王族や貴族の多くが、農民に身をやつし、この近辺や隣国付近に隠れ住んでいることや、王家の財産の大半は王城にはなく、いくつかの場所に分散し秘匿してあることを知らされた。
そして、王城の再建や王都の復興に、それらを存分に使うよう命じられた。
最後に国王は言った。
「わたしは、おまえがガイヤール王国の力を借りて、いずれ革命軍の討伐に立ち上がるであろうと考えていた。そこで、おまえの婚約者であるルイーズを革命軍の目から隠すため、王家への反逆者という汚名を着せ王都から追放した。ルイーズを人質に取られることだけは、なんとしても避けたかったからな」
「父上、ルイーズは、どこにいるのですか?」
「ルイーズは、この国で最も安全な場所にいる。可哀想だが、我らや家族の身を案じて抜け出したりできぬよう、戦況などは一切伝えず、囚われの罪人として閉じ込めてある。早く会いに行ってやれ! そして、真実を話してやってくれ!」
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
閉館時刻を過ぎた図書館の閲覧コーナーの一画。
倉岡先生にお願いして、三十分ほど場所を貸してもらった。
名目は、学期末に向けての委員会作業の確認。何それって、感じだけどね。
集まったのは、もちろん、わたしと委員長と長谷川君の三名。
「垣内とは、意外だったなあ……。あいつさ、まあ、剣道が忙しいってこともあって、つきあいあんまり良くないんだよね。だから、同じクラスだけど、よく知らないところ多いんだ。ラノベにはまっているようには、見えなかったんだけどな。俺の机に第一巻を置いてったのも、きっとあいつだよね?」
「たぶんね。垣内君が、ラノベにはまっているかどうかはわからないよ。『英雄断罪』には、こだわりがあるようだけど――」
委員長と長谷川君の考えは、今日の行動から、『英雄断罪』置き去り犯は、垣内君ということで一致しているようだ。それは、そうなんだけどね……。
わたしは、ポケットから、例のスリップを取り出した。
二人は、待ってましたという顔で、身を乗り出してきた。
「これが、わたしが第四巻に挟んだ、そして、垣内君が走り書きを残していったスリップ――」
わたしは、折りたたんであるスリップを広げた。
―― ルイーズは、花のもとに。今は、書架のなかに。
「ルイーズは、どこに?」という問いかけへのわたしの答えだ。
それに対して、垣内君は、次のようなメッセージを残していった。
―― やっとルイーズを見つけた! あとは夢を叶えるだけだ。
「何ですか、これ?!」
「これだけなの? これじゃ、さっぱり意味わかんないよ!」
委員長と長谷川君は、首を傾げながら、何度もスリップを見直していた。
メッセージ以外に、何か符号やイラストなどはないかと探していたようだ。
当然だ。わたしと垣内君には、意味のあるやりとりだけど、たぶん、事情を知らない人間には、何を伝えたいのかわからないだろう。
二人なら、わたしと垣内君の前世の話を信じてくれるだろうか?
わたしがルイーズで、垣内君がジェラルドだった頃の話を――。
いや、私たちの話は突飛すぎて、この想像力豊かな二人でも受け入れることは難しいだろう。どうしようか?
わたしが悩んでいる間も、二人はあれこれ考えていたようだ。
やがて、長谷川君が、突然何かがひらめいたという顔になって話し出した。
「そういえば――、垣内って高校から入ってきただろう? 高一で初めて同じクラスになったとき、きいたんだよね。なんで、この学校選んだのって? そのとき、言ってたんだ。『会ってみたい人がいたから』って――。それって、もしかしたら、水元さんのことだったのかも?」
「そうそう。私たちが中三のとき、図書委員が『全国高校生ビブリオバトル選手権』に出場して、優勝したでしょう? まだ大学生だった水元さんが、指導に当たったっていうんで、テレビとか雑誌とかで取り上げられましたよね? あれの影響で、次の年、うちの高校の受験者が急に増えたらしいですよ。垣内君もその一人だったんですよ、きっと」
そんなこともあったね――。その功績が認められて、わたしは翌々年ここに就職できたという話もある。垣内君はあの報道の中、何かのメディアでわたしを見て、わたしがルイーズだと気づいたのかもしれない。
「あのとき、ビブリオバトルで紹介した本て、何でしたっけ?」
「確か……、現代アーティストの伝記絵本みたいなヤツで――」
さすがの二人も記憶にないようだけれど、わたしはちゃんと覚えている。
平凡な今生における、数少ない我が栄光の記録だからね。
「エイミー・ノヴェスキーの『ルイーズ・ブルジョワ 糸とクモの彫刻家』よ」
「「ルイーズ!!」」
二人が同時に叫んだ。そして、「それだ、それだ!」と騒いでいる。
「つまり、こういうことだよ! 垣内は、水元さんに憧れて、この学校に入学したんだけど、一年生のときは、水元さんも大学四年で忙しくて、あまり学校を訪ねてこなかったから会えなかった。去年は、垣内自身が剣道の練習や大会出場で時間がなくて、せっかく水元さんがここに就職したのに、会いに来る時間がとれなかった。あいつは医学部志望だから、今年は受験準備で忙しい。でも、何にも伝えないで卒業するのが我慢できなくなって、変な方法で水元さんに近づこうとしたんだよ!」
「『ルイーズは、どこに?』っていうのは、『自分は、あのビブリオバトルの本のことを覚えてますよ、今あの本はどこにありますか?』って意味なのかな?」
「たぶん。あの本、選手権で優勝した後、花で飾った棚に賞状と一緒に展示してあったよな。今は、普通に書架の中に戻されたけどさ。そういう意味ですよね、水元さんがスリップに書いたメッセージは?」
「へっ?」
何だか、変な方向へと推理が進められている。
ここから、二人が納得できる結論が導き出されるのだろうか?
心配だけど、この謎めいた推理に、わたしも合わせてみることにした。
「ルイーズ」かぶりは、本当に偶然なのだけど乗っかってみようっと――。
「そうよ。『ルイーズ』って文字を見て、すぐにあの本のことが頭に浮かんだの。だから、ちょっと格好つけて答えてみたんだけど」
「垣内の返事の『やっと、ルイーズを見つけた!』は、本が見つかったってことで、『あとは、夢を叶えるだけだ!』は、ようやく本を読めるってことかな?」
ああ、そう解釈するのか――。
実際は、どうなんだろう? 垣内君の叶えたい夢って、何なのかな?
難しい顔で天井をにらんでいた委員長が、首を振りながら言った。
「違うわよ! 『やっと、ルイーズを見つけた!』の解釈はいいとして、『あとは、夢を叶えるだけだ!』は、水元さんに自分の気持ちを伝えようってことよ。『あなたに会いたくて、この学校に入学しました』とか、『ビブリオバトルを熱心に指導するあなたに憧れていました』とか、きちんと水元さんに言っておこうてことじゃないの? そうですよね、水元さん?」
「へっ?」
そういうことじゃないと思うのだけれど、委員長の話を聞いた長谷川君は、「さすが委員長!」とか言って、委員長の意見を全面支持することにしたようだ。
長谷川君は、名探偵気取りで、コホンと一つ咳払いをすると話をまとめた。
「垣内は、まず、寄贈を拒否された『英雄断罪』を迷子本として図書館に置くことで、持ち主に興味を持ってもらう計画を立てた。第一巻、第二巻と置き去りを繰り返して、水元さんを含め図書館に関わる人間をあの本に注目させた。そして、第三巻にスリップを挟んで、水元さんに謎をかけたんだ。水元さんが第四巻を使って反応してきたので、今、ようやく自分の正体を明かして、長年の夢を叶えようとしている。これが、我々を悩ませてきた『英雄断罪』図書館置き去り事件の真実だ!」
つっこみどころ満載の説だが、わたしたちの転生話よりもはるかに説得力がある話なのかもしれない。
二人がそれでこの事件を解決できたというなら、それでいいと思う。
心配なのは、今後の垣内君の扱いだ。今回の事件をきっかけとして、変な噂でも立ったら気の毒だ。さっさと事件に終止符を打ってあげよう。
「では、この件は、これで解決ということでいいわね。冬休みの前にでも、垣内君に預かっている本を返すことにします」
「あ、それは待ってください! これから入試の本番だから、垣内君を動揺させない方がいいと思います。彼の心は決まっているのだから、入試が終わって進学先が決まってから、ゆっくり話を聞いてあげてください」
「卒業式が済んだら生徒じゃなくなるから、あいつと水元さんが連絡先を交換しても、問題にはならないよね。だから、それまで待っててください。あの、俺があいつから連絡先を聞き出しておくから――」
「ヘイゾー、頼んだわよ! じゃ、今度こそ、これにて一件落着ということでいいですね?」
二人は、何だか少し嬉しそうな顔で、荷物をまとめて図書館を出て行った。
暗くなりかけた窓の外には、天気予報通り雪がちらついていた。
そして、時は駆け足で過ぎ去り、ようやく迎えた卒業式の日。
式後、委員長や長谷川君をはじめとする三年の図書委員たちが、図書館を訪ねてきてくれた。
職員みんなでお祝いの言葉をかけ、ささやかな花束を渡した。
ちょっとした談笑の時間に、長谷川君がわたしに封筒を届けてくれた。
垣内君からだった。スリップのメッセージと同じ丁寧な筆跡だった。
中学三年の時、ビブリオバトルのニュースで偶然わたしを見て、自分の前世を思い出したことや、わたしに会うためにこの学校へ入学したことが、簡潔に書かれていた。
そして、今年の夏、たまたまネットで見かけた『英雄断罪』のあらすじが、自分の前世の物語にそっくりなことを発見し、わたしになんとしても読ませたいと思ったこと、わたしが自分の前世に気づいているかがわからなくて、ずっともだもだしていたことなども記してあった。
―― まだ、試験が残っているので、もうしばらくは会えません。進学先が決まったら、ヘイゾーに訊いて俺から連絡します。いろいろと伝えたいことがあります。必ず、会ってください。
手紙の最後には、そう書かれていた。
これ以上、何を伝えたいというのだろう?
わたしは、連絡方法を書いたメモを長谷川君に託した。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
「ルイーズ! わたしだ! ジェラルドだ! 約束通り、そなたを迎えに来たぞ!」
丸一日、鞭を当てられ走らされ、泡を吹くほど疲労困憊した白馬から飛び降りたジェラルドは、追走してきたセオドアたちが引き留める声を無視して、離宮の玄関へ一人で飛び込んでいった。
玄関の掃除をしていた侍女は驚いて、侍女頭のエステルを呼びに奥へ入った。
追いついたセオドアに押し止められ、いらいらとしながら玄関で待つジェラルドの前に、黒い衣装を身にまとったエステルが姿を現した。
「ルイーズが、ここにいることはわかっている。ようやく父上にお目にかかり、すべてを伺うことができたのだ。父上は、仰った。わたしの婚約者であるルイーズが、万が一にも革命軍の手に落ちることがないように、彼女に無実の罪を着せ王都から追放したと――。もちろん、追放先がこの離宮であることは、極限られた者しか知らないことも――。おまえも王家に仕える者であれば、わたしの顔を見知っておろう? さあ、案内してくれ! 早くルイーズに会わせてくれ!」
エステルは黙ってうなずくと、ジェラルドたちを先導して離宮の塔の階段を静々と上り始めた。
彼女が、そっと服の袖で涙をぬぐったことに、ジェラルドは気づかなかった。
ジェラルドが案内されたのは、塔の天辺にある小さな部屋だった。
誰もいないその部屋には生活感がなく、こざっぱりと片付いていた。
「ルイーズは……、ルイーズは……、どこだ? どこにいる?!」
無人の部屋を見回し、声を荒げるジェラルドの前に、突然エステルはひれ伏し、床に額をこすりつけながら涙声で答えた。
「殿下……、ひと月、遅うございました……。ルイーズ様は……、ルイーズ様は、ひと月前……、例の流行病に罹りお亡くなりになりました……」
「ルイーズが……、死んだというのか?!」
「はい……。十日ほど伏せられた後、眠るように息を引き取られました。最後まで、王家の方々やご家族の身を案じておられました。わたくしたちは、戦況について、ルイーズ様にはいっさい伝えるなと申しつけられておりましたので、何もお話しできなかったのでございますが……」
「は、墓はどこだ?! ルイーズの墓は?! せめて、せめて……、死に顔だけでも見ておきたい……」
「なりません! もう、埋葬してからひと月たっております。ルイーズ様とて、今さら殿下に死に顔を見られたくはないでしょう。それに、ルイーズ様は、革命軍の者に墓を暴かれたくはないと仰って、墓をつくるなとお命じになりました」
「死に際に、そんなことまで心配していたのか……、ルイーズ……、なんといたわしいことよ……。わかった……。そのまま、静かに眠らせてやろう。ルイーズが眠る場所を教えてくれ。せめて、花でも手向けてやりたい」
エステルが失意のジェラルドを案内したのは、離宮の裏に広がる山桜の林だった。
ちょうど白い花がほころび始め、今年も春の始まりを告げていた。
エステルは、枝をしならせるほど蕾をつけた、一本の古木を指さした。
「あの木の根方に眠っておられます。いつか土に帰り、自分も桜の一部となる。そして、桜の花となって、何度でも殿下に会いに来る――、だからここに埋めて欲しいというのが、ルイーズ様のご遺言でございました」
ジェラルドは、エステルやついてこようとするセオドアたちをその場に残し、一人で古木に近づいた。
幹にそっと腕を回してみると、それはほんのりと温かかった。
春の日差しが幹を温めただけのことだったが、ジェラルドにはこの下に眠るルイーズが、自分の心にぬくもりを届けにきてくれたように思えた。
「ルイーズ――。ルイーズ――」
古木に頬を寄せ、亡き人の名を繰り返し囁く王子の姿を目にし、彼とともに戦場を駆け抜けてきた勇猛を誇るセオドアたちでさえ、もはや嗚咽をこらえることはできなかった。
山桜の枝を渡る春告鳥の澄んだ声だけが、あたかも死者に捧げる歌のように、悲しみに沈む木立の中に優しく染み渡っていった。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
卒業式から二週間後――。春の日差しが、きらきらとまぶしい日曜日。
わたしは、「海の光公園」の桜の木の下にあるベンチに腰掛けていた。
桜の花はまだ五分咲きぐらいだが、日曜日の公園は花見客で賑わっていた。
バス停の方から、ラフなシャツ姿の垣内君が歩いてくるのが見えた。
制服姿しか知らなかったので、なんだかちょっと新鮮だった。
彼は、わたしの姿に気づくと、少し早足になってこちらに向かってきた。
「すいません……。待たせちゃったかな?」
「ううん、大丈夫。わたしも、さっき着いたばかりだから」
待ち合わせ場所に先に着いた者は、嘘でもこう言わないとね。
わたしは横にずれて、彼が座るために十分なスペースを作った。
軽く会釈をしながら、わたしの隣に彼が腰を下ろした。10センチほど離れて。
「おめでとう! 垣内君、S大の医学部に合格したんだってね。この間、倉岡先生から教えてもらった」
「ありがとう……。前世では、大切な人を病で失ってしまったからね。あんな辛い思いをする人を、今生では一人でも減らしたいんだ……」
そんなに、ルイーズのことを思ってたんだ。
そして、生まれ変わっても、その気持ちを忘れなかったのね。
いい人よね。ジェラルド王子も垣内君も――。
「あの……、わたしからも、ありがとうって言わせてね。この本と出会わせてくれたことに、とても感謝してる……。前世なんて今さらどうでもいいと、ずっと思っていたのだけれど、父親や弟が裏切り者ではなかったことがはっきりして、何だかちょっと心が救われた感じなの。それからね、陛下が、わたしを守るために追放処分にしたこともわかったし。まあ、残念な最期ではあったけれど――。」
わたしが差しだした迷子本『英雄断罪』四冊が入った袋を、垣内君は左手を伸ばし、黙って受け取った。
指の長い大きな手だった。薬指と小指の付け根には、竹刀だこがあった。
頑張ってきたんだろうな……。できれば、大学に入っても剣道は続けて欲しい。
彼は、また会釈をしてそれを受け取りながら、ちょっと首を傾げて言った。
「それで……、これから、その、あなたはどうする?」
「どうするって……、前世のことはどうにもできないでしょ? まあ、詳しい事情がわかって、これからは、前世のことを、ちょっとだけ明るい思い出として心の中にしまっておけるかな……。今までは、思い起こしても悲しくなるだけだったけどね――」
いたずらな風が吹いて、私たちの上にはらはらと花びらが舞い降りてきた。
それは、とても華やかで美しい光景だったが、同時になんだかとても寂しく悲しい気持ちにさせる光景でもあった。
ようやく巡ってきた春が、もう、終わってしまうという名残惜しさかしら――。
「あのさ、俺は……、俺は、ほかの夢も叶えたいと思ってる!」
医学部進学のほかにも夢があるんだ! いいな! そういえば、わたしも大学に入ったばかりの頃は、今よりもいろいろな夢を持っていた――。
「いいんじゃない! 四月からは、夢と希望に溢れた大学生活がはじまるんだよ。前世のことなんかさっさと忘れて、思い切り今生を楽しめばいいよ! 前途洋々な若者なんだから、目一杯大志を抱いちゃいなさいっての――」
ちょっとふざけたわたしを、妙に悲しそうな顔で垣内君が見ていた。
えっ? 年長者っぽく言ってみたけど、引かれちゃったかな?
やだ! ため息までついてる……。
いちおう前世では婚約者だったのだから、いいイメージで出会っておくつもりだったんだけど、完全に失敗してしまったようだ。
これ以上幻滅される前に、そろそろ退散しよう。
「ごめんね。前世の君が愛した侯爵令嬢ルイーズは、こんな女に転生してしまったの――。だから、もう前世に縛られずに、今生での出会いに夢を持って生きていってね。わたしは、それだけを伝えるためにここへ来たんだ。じゃ!」
年上の威厳とか余裕みたいなものは、どこかに吹っ飛んでしまって、わたしは彼の前で子どものようにぺこりと頭を下げた。
そして、その場から立ち去ろうと、ベンチから腰を上げたのだけれど、それ以上は動けなかった。彼が、わたしの右手を掴み、ベンチへ引き戻したからだ。
わたしは、「ん・ひゃ」とか変な声を出しながら、彼の隣にぴったりくっついてもう一度座ることになってしまった。
「そんなこと言わないでよ。そっちはそれでいいかもしれないけど、こっちは……そうはいかないんだよ! だって……、前世では、いつか会えるかもしれないと思いながら、二十年以上も毎年桜の花を見て淋しい春を過ごしたんだ。結局、どんなに願っても亡くなった人に会えるはずはなく、悲しい生涯を終えたんだけどさ。それが、こうして生まれ変わってみたら、ルイーズも生まれ変わっていることがわかって、……とうとう会えたんだよ! どんなに嬉しかったことか――。なのにさ、このまま終わるってどういうこと?」
「べ……別に、終わっていいんじゃないの? 前世は前世、今生は今生なんだから――」
「そんなわけないよ! 生まれ変わって出会えたことには、意味があるはずだ。これはきっと、前世の俺たちを可哀想に思った神様が用意してくれたご褒美なんだよ。ご褒美はちゃんと受け取るべきだよ! 俺たちは、今生でも絶対に気が合うし、うまくやっていける……と思う。だから……その、まず付き合おう! そして、いずれ婚約して、それから結婚しよう! 今度こそ幸せになろう! それが夢なんだ!」
ものすごく真剣な顔で、とんでもないことを言っている。
大丈夫かぁ、この子ぉ? 受験勉強に打ち込みすぎて、どうかしちゃったか?
目の前の人物をよく見てね。君より六つも年上の学校の司書さんなんだよ!
「ねえ、冷静になってよ! 君が言っているのは、ジェラルドとルイーズの物語。この世界ではないどこかで始まって、そして終わった物語なのよ。ええっと……完結済み、続編はなし! つまりね、垣内慧や水元咲桜里の物語とは関係ないの!」
「そんなことない! 確かに、ルイーズに違いないと考えて近づいたんだけど、俺は、水元さんもすごく素敵な人だと思ってる。本を読みたいわけじゃなくて、あなたとおしゃべりがしたくて、図書館に行ってたやつもたくさんいたんだよ。レポートや感想文の相談にものってくれたし、必要な本が学校にないときは、公共図書館でも探してくれたよね。文化祭のクラス企画の資料を集めてもらったこともあった。新刊コーナーのポップとか見るだけで楽しかったし、リクエストカードへの断りの返事もわかりやすくて丁寧で――。ああ、やっぱり俺のルイーズだ、この人も本が大好きで優しい人なんだって思ってた」
嬉しい話だけど、それは図書館の司書としてだ。
だって、彼は、職場の外でのわたしのことを何も知らないし、もしかしたら、趣味嗜好は全然合わないかもしれない。
そんなわたしの迷いを読み取ったのか、わたしを励ますように彼は言った。
「これから、ゆっくりお互いのことを教え合おうよ……、今度はそっちも子どもじゃないから……、いろいろなことができるよね。二人だけで食事に行ったり、それから……旅に出かけたりとか……」
「無理しないの、お金ないでしょ! 今度は、そっちが子どもなんだから!」
「もうすぐ十九だよ、子ども扱いしないでよ! そのぐらいの金なら、何とかするよ。それに前世では、いちおう四十五歳ぐらいまで生きていたから、それなりにいろいろとわかっているつもりだし……」
少しうつむきながら、頬を赤らめて垣内君が口をとがらせた。
かわいいなあ――、と思ってしまう。いけない、いけない、絆されている!
わたしがつい、口元を緩めてしまった瞬間を、彼は見逃さなかった。
突然、わたしの肩に手を回し、耳元に顔を近づけると言った。
「ねぇルイーズ、どうか待っていてくれ。必ず君を迎えにくるから――」
留学先へと旅立つ日、別れ際にジェラルド様が、ルイーズであったわたしを抱き寄せて囁いた言葉だ。
あのとき十五歳だったわたし――ルイーズは、ジェラルド様の背に手を回し、その広い胸に顔を埋めながら小さくうなずき言ったのだ。
―― いつまでもいつまでも、お待ちしていますわ、ジェラルド様――。
残念ながら、今のわたしは、あのときと同じように答えることはできない。
お待ちすることにした場合に、立ち向かっていかなければならなくなる現実を考えると、頭は痛いし心は重い。
だって、今の状況はどう見たって、無垢な(?)高校生と彼を誑かした奔放な年上の図書館司書――、という不純な構図なのだもの。
ジェラルド様とルイーズの純愛を、そんな形に置き換えるわけにいかない。
わたしは、彼の両頬を優しく両手で包んで、そして、つまんで引っ張った!
「な、何?!」
「今日はここまで! 大学の入学式がすんだら連絡してね! えっと、入学祝いぐらいはしてあげるからね――。ただし、こっそりあなたの後をつけてきて、後ろの植え込みに隠れたつもりになっている二人も一緒よ!」
わたしの声を聞いて、後ろの植え込みがガサガサと揺れた。
小突き合いながら、委員長――じゃなくて、もう卒業したから、駒込さんと長谷川君が立ち上がって姿を現した。
「いつから気づいてたんですか?」
「話はよく聞こえなかったけど、いい雰囲気だなって思ってたのに、どうなってんだよ――」
二人のふくれっ面を見て、垣内君もわたしも大笑いしてしまった。
バス停に向かって、四人で歩き出す。
口げんかをしながら、前を行く駒込さんと長谷川君から少し離れて、垣内君がわたしのそばに来た。
ちょっと、いたずらっぽい目をして、秘密を打ち明けるように彼が言った。
「実はさ、俺たちには、もう一つやらなきゃいけないことがあるんだけど」
「な、何をしようっての? まさか、勇者カイトまで転生したわけではないわよね? 前世の恨みを今生で晴らすなんて、絶対に反対だからね! 絶対だめ! 『ざまあ』は禁止!」
わたしを見て、ひどく可笑しそうに彼が笑っていた。
そして、『英雄断罪』の第一巻を取り出して、わたしに表紙をみせた。
「違うよ! ねえ、『英雄断罪』の表紙をよく見てよ。著者名を見て!」
「えっ? 著者名? ああ、『阿久須哲人』さんて人よね」
「気づかないの?」
「気づかないって、何に……?」
垣内君は、第一巻のカバーをめくると、裏の白い部分にボディーバッグのペン差しから取り出したボールペンで、「あくす てつと」と書いた。
「『あくす てつと』の『あくす』はアクスフィアだ。そして、『てつと』は、たぶん『テッド』と読ませたいんだと思う。テッドは、セオドアの愛称だよね。この本の著者はきっと、君の弟のセオドア・アクスフィアだ!」
「まさか……、セオドアもこの世界へ転生しているというの?!」
「そうだ。セオドアのやつ、前世では無理だったけれど、生まれ変わって俺との約束を果たしてくれたんだ……」
『英雄断罪』の著者が、弟のセオドア――。確かに、彼ならこの作品を書くことができるだろう。わたしの死後も、ジェラルド様のそばでずっと仕えていたようだし……。
セオドアが、生まれ変わってまで果たした約束とは、どんな約束だろう?
「セオドアはあなたとどんな約束をしたの?」
「それは、またいつかゆっくり話すよ――。とにかく、何とかして『阿久須哲人』に、俺たちのことを知らせる方法を考えよう。向こうももしかしたら、俺たちを探しているかもしれない」
セオドアは、どんな人物に生まれ変わったのだろう。
著者紹介の欄には、これがデビュー作であることしか書かれていない。
男なのか女なのか? 若者かお年寄りか? 何もわからない。
「会えるかな? セオドアに――」
「会えるよ、きっと――。だって、俺たちがこうして会えたんだもの」
彼の中では、わたしは、もう「俺たち」の一部なのね。
だめだ、だめだ! 不純な構図を容認したがっている自分がいる!
でも、今生にも、少しはドラマがあってもいいかな?
わたしは、浮き立つ心のままに、『英雄断罪』を持つ彼の腕に抱きついた。
―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ―― ◆ ――
「陛下、まことでございますか?」
「ああ、もう決めた。明日にでも手続きを始めることにしよう」
ここは、リルバーン王国の王城内にある、国王の執務室。
国王ジェラルドと宰相セオドア・アクスフィアが、窓外に広がる満開の桜を眺めながら話をしている。
力を合わせ国家の危機に立ち向かってきた戦友であり、今では義理の兄弟でもある二人の間には、国王と臣下と言う立場を越えた、どこか打ち解けた雰囲気が漂っていた。
「承知いたしました。しかし、我が息子クレイグが王太子とは――」
「何の問題もあるまい。おまえは、宰相。そして、おまえの妻はわたしの妹だ。クレイグは、わたしの甥というだけでなく、次期国王に相応しい教育も十分に受けてきている。異議を唱える者などいないさ」
「確かにその通りですが――、それだけではないのでございましょう?」
「何を言いたい?」
「陛下は、今でも姉を救えなかったことを後悔していらっしゃるのかと――。その罪滅ぼしとして、せめて、姉と血のつながりがあるクレイグを王太子に望んでくださっているのではありませんか?」
王政復古が成し遂げられて十五年余り。
新たな国王ジェラルドのもとで、新生リルバーン王国は落ち着きを取り戻し、戦が人々の心に残した傷もようやく癒えつつあった。
二人にとっての最大の心残りは、往時の賑わいを取り戻した王国に、王妃としてルイーズを迎え入れられなかったことだ。
―― あとひと月早く迎えに行けていたならば……
この十五年余りの間、幾度となく繰り返されてきた自責の言葉。
しかし、時を巻き戻すことはできない。
だから、王は、彼女の魂を慰め癒やすためならば、どんなことでもするつもりでいる。それほど深く、彼女を愛していたのだ。
「考えすぎだ、セオドア――」
「そうでございましょうか? 陛下は、これまでお妃様をお迎えにならず、おそばに仕える女性との間に、お子様をもうけることもございませんでした。もしかしたら、それは、不遇のうちに亡くなった姉への義理立てだったのではないかとわたくしは考えているのですが――」
「わたしは、そんなに義理堅い人間ではないよ」
「そうかもしれません。しかし、愛情深いお方であることは存じております」
「ふふふ……」
二人が目にしている桜林は、ルイーズが眠る林の山桜から育てた苗木を、新しい王城の庭に移植してつくったものだ。
植えたばかりの頃は、弱々しげだった若木が、今では大きく枝を広げ、たくさんの花を咲かせるようになった。
満開のときを迎えた庭は、明日の復興記念日には、王都の市民に開放されることになっている。
「わたくしは、いつか、いかにして陛下がこの国を取り戻したかを書き記し、書物にまとめるつもりでございます。そして、それをここの桜の木の下に埋めてやりたいと思っております」
「ルイーズのためか? あれは、桜の花になって会いに来ると言っていたからな……。それに、本を読むのがたいそう好きであった……。今もまた、あれの魂は、この花霞のどこかに佇んで、我らを見守っているのかもしれない……」
「はい。おそらく姉は、塔に閉じ込められたまま、陛下や父やわたくしのことを案じながら、この世を去ったことと思います。ですから、こうして陛下が王国を再建し、この地に平和が訪れたことを、あらためて物語の形にして知らせてやりたいのでございます。物語が書き上がりましたら、陛下も読んでくださいますか?」
「もちろんだ。多忙なおまえにそんな時間ができるのは、ずいぶんと先のことになりそうだが、楽しみに待つことにしよう!」
穏やかに微笑みを交わす二人の目の前で、桜の枝が大きく揺れた。
そして、無数の白い花びらが、青く澄んだ空に勢いよく舞い上がった。
白い花の渦は、たった一度だけ参加した舞踏会で、白いドレスを身にまとい、恥じらいながら踊っていた、在りし日のルイーズの姿を二人に思い出させた。
くるくると回りながら、天へと上っていく花の渦――。
―― わたくしは 桜の花になって、何度でも会いに参ります……
花は咲き、やがて散り、また春を迎えて蕾をつける。
想い出の中に生きる彼の人のように、幾たびも美しく咲き誇る。
二人はそれぞれの思いを胸に、いつまでも飽くことなく、花びらが舞う空を見つめ続けていた。
―― 終 ――
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
作中の『ルイーズ・ブルジョワ 糸とクモの彫刻家』だけは、実際に出版されている本(絵本)です。2017年ボローニャ・ラガッツィ賞「アートの本」最優秀賞を受賞しています。
追記:申し訳ありません。『クロフツ短編集』も、もちろん実際に出版されております。