04 二度目のダンジョン
両膝を直角に曲げた状態で木崎茜は深い森に取り込まれた。身体を支える椅子はなく派手に後ろに転んだ。
「ちょっと!」
怒りに任せて即座に立ち上がる。栗色のショートの髪を手で整えながら周囲を見回す。立ち並ぶ巨木が枝葉を伸ばして空を覆い、辺りは薄暗い。
「……ダンジョンっぽいね」
警戒する猫のように忍び足で周囲を探る。やや目尻の上がった猫目を正面の巨木に向けて滑らかな動作で左側へ回り込む。数歩で全身が硬直した。
黒いブーツを履いた足が見えた。仰向けに寝ているようだった。首を伸ばすようにして先を見ると迷彩柄のズボンと上着が確認できた。
数回の呼吸で思い切って顔を見ると、あー、と遠慮のない声を上げた。駆け寄って両肩を掴み、激しく左右に揺さぶった。
「呑気に寝てる場合じゃない!」
「……なに、もう、朝?」
ガクガクと揺れる頭で木崎慶太は目を覚ました。
「早くダンジョンから解放してよ! スマホゲーの途中なんだから!」
「姉さん、ちょっと落ち着いて」
軽く手で払うようにして慶太は上体を起こした。生欠伸のあと、ぼんやりした目を周囲に向ける。
傍らにいた茜が声を落として訊いた。
「もしかして、慶太もここがどこなのか、わからないとか……」
「ごめん、姉さん」
後頭部に付いた枯れ葉を払って言った。
茜は警戒を強めて周囲に目をやる。
「ここは前と違うけど、ダンジョンだと思う。椅子に座っていたら、いきなり森だからね」
「僕もベッドで寝ていて、これだから……問題は、解放の条件だね」
慶太は胡坐を掻いた。真剣な態度が童顔にも表れて少し大人びる。
「解放の条件って何よ?」
「前のダンジョンは家族が最深部にきたことで条件を満たしたんだと思う」
「え、慶太が決めたんじゃないの?」
「決めたのは神様だよ。『最後を知らない方が楽しめるよねぇ』って言われて」
慶太の苦笑いに茜も釣られた。
「あの神様ならやりそうだよね。慶太の意識が戻ったのも、そのタイミングに合わせてダンジョンを創らせたから、だったりして」
「神様なりの演出とか言いそう」
二人は思い出して笑った。程々に緊張感が取れたところで慶太は自身の姿をざっと見た。
「この迷彩服にも意味があると思う。腰にはナイフがあるし、まずは持ち物から見て行こうよ」
「そこから相手の意図を読み取れたらいいんだけどね」
二人は所持している物を枯れ葉の上に並べた。交互に見て共に頷く。
「姉さんの持ち物と全く同じだね」
「このライターは煮炊きに使うのかな」
茜は手前の赤いライターを手にして翳した。プラスチックの容器を揺らすと中身の液体が同調した。
慶太は消毒液と包帯、絆創膏を眺めたあとで一枚の名刺大の紙を摘まんだ。書かれた一文に溜息を吐いた。
「森のダンジョンの解放条件は、あまり考えたくないんだけど」
「命の取り合いかな」
「さらっと言うね」
「だって普通のゲームと同じじゃない」
その直後、茜はがっくりと項垂れた。
「……そうよ、スマホゲーよ。あと少しでラスボスだったのに……」
「落ち込むところって、そこなの?」
呆れた顔で慶太は並べた物をポケットに戻して立ち上がる。軽く尻を叩いて何度か強い瞬きをした。
「とにかく行動するしかないね」
「森の中のスタートだから適当に歩けばいいよ。ある意味、楽だよね」
茜は遅れて立ち上がる。
「すでに迷っているようなものだけど、保険として目印は付けておくよ」
慶太はナイフを抜くと近くの幹に横線を刻んだ。
「役に立てばいいけど」
茜は両手を突き上げるようにして伸びをした。
二人は一方に向けて歩き出した。
体感で四十分程度の時間が過ぎた。見慣れた風景に最低限の緊張感も薄れていく。
「姉さん、待って」
鋭い言葉で慶太が足を止めた。緩んだ表情を引き締めて左横に注目する。
茜も同じ方向に意識を傾ける。不審なものを見るような目付きで言った。
「穴かな」
「行ってみよう」
慶太はナイフを抜いた。警戒しながら近づいていった。
二人は縁に立ち、穴を覗いた。深さは三メートル程で底に石や土、押し潰された枯れ葉が見える。
「古い井戸とか」
茜は気楽に初見の感想を口にした。
「……落とし穴かもしれない」
口調が硬い。慶太は頭を深く下げて石の隙間を睨み据える。
「私達以外に取り込まれた人がいるってこと?」
「たぶん、だけどね。しかも罠を仕掛けた人物はかなり悪質で、あとから石を投げ込んでいる」
「確かに石は見えるけど、底に初めからあったんじゃないの」
茜は同じような姿勢で見つめる。
「ほら、あの下になった石を見て。欠けているところが新しい。あとから落とした石に当たってできたものだよ」
「あんた、よく見てるわね」
「推理物のゲームも嫌いじゃないから」
言いながら姿勢を元に戻す。周囲の様子を隈なく見て考え込むように口を閉ざした。
茜はポンと肩を叩く。
「まだ何かあるみたいね」
「……この落とし穴は普通じゃない。ダンジョンマスターの罠と思った方がいい」
「深さがあるから? 時間を掛ければ掘れないこともないように思うけど」
「そうじゃなくて、掘った土がどこにもないんだよ」
その場で茜が回る。一周すると目が丸くなった。
「本当だ。石や枯れ葉は見えるけど、盛られた土はどこにもないね」
「掘ったというよりも、何かの力を使って刳り貫いたような感じがする」
二人は、ほぼ同時に一枚の紙を取り出した。
『現実と隔離された殺戮の森へようこそ』
その一文が見えない圧力となって二人の肩に伸し掛かる。