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01 息苦しい

 昨日から降り続いた雨は止んだ。柔らかい五月の朝陽を浴びて生徒達が談笑しながら歩道をゆく。目にした人々は制服を見て表情を和らげた。

 紺色のブレザーに映える赤いリボンタイ。スカートは臙脂えんじのチェック柄のプリッツスカートで華やかさを醸し出す。聖路実女子学園せいろみじょしがくえんの生徒であった。

 生徒達は自然体で年老いた者に道を譲る。目が合った人物には漏れなく挨拶をした。地域の評判は上々だった。


 二年B組の教室に生徒達が集まり始める。授業に備えて机の上には教科書とノートが置かれていた。気ままな会話でさえ、品性を感じる。

 二人の女子が前後の席で話し込んでいた。

「金星の謎が解き明かされるかもしれません」

「探査機の話ですね」

「そうです。金星には地球と同じように海があったと言われています。今では灼熱の惑星ですが」

 一旦、言葉を切った。思慮深い顔で眼鏡の中央を押し上げる。前の座席にいた女子が身を震わせた。

「どうしました?」

「……金星に地球と同じように海があったとします。逆に今の地球が金星のような環境になることもあるのかと、つい想像してしまいました」

「ないとは言い切れません。太陽の膨張が始まれば地球は熱波に晒されます。四十億年、先の話ですが」

 二人は同時に安堵の溜息を吐いた。

 その近くでは五人が集まって株の話で盛り上がる。

「え、株の売買を高校生ができるのですか?」

「もちろん、できます。両親に頼んで証券会社に口座を作って貰いました。これで私もデイトレーダーの仲間入りです」

「でも、怖くないですか」

 小柄な女子が上目遣いで訊いてきた。他の二人が同意を示すように頷く。話の中心にいた女子は軽く口角を上げた。

「不安は勉強不足によるものです。株のランキングを見て優良な銘柄を見極めます。その目を鍛えれば、素早い損切りにも対応できます」

 堂々とした物言いに全員が感心した様子で席を寄せた。

 隣に座っていた城山響子しろやまきょうこは読んでいた文庫本をそっと閉じた。制服のポケットに収めると速やかに席を立つ。椅子の引き摺る低い音で会話は途絶え、周囲の目を集めた。

 響子はショートボブの毛先を気にするように指でいじる。円らな瞳を細めて品よく笑顔を作った。

「お花摘みに行ってきます」

 気負いのない一言で教室を出ていく。扉を閉めると会話が戻った。気にする素振りを見せず、右手へ歩く。

 言葉通り、中程にあるトイレに入ると奥の個室を選んだ。内側から素早く鍵を掛けるとポケットからスマートフォンを取り出した。起動してネットに繋げる。学生で賑わう掲示板のスレッド名の一つ、『可憐な乙女達』をタップした。

 書かれている内容を見て響子は薄い笑みを浮かべた。


『お花摘みだって、プッ』

『どこの公爵夫人よ』

『あなた達とは育ちが違うのよ、とか本気で思ってるんでしょ』

『実際、大手企業の社長だからね、パパが』

『パパってなんかエロい』

『そっちのパパじゃないって』


 響子は鼻で笑ってスマートフォンの電源を切った。視線を落とし、洋式トイレのレバーを足で押し込んだ。

「ろくでもない乙女がいたもんだ」

 流れる水に言葉を吐き捨てた。


 その後、響子は穏やかな表情で授業を受ける。ランチは学食で済ませた。誰の話の輪にも入らず、放課後を迎えた。

 響子は鞄を右手に提げると逸早く扉へ向かう。手前で立ち止まって後ろを振り返ると全体を見渡すようにして、にっこりと微笑む。

「ごきげんよう」

 教室に響き渡る声で言った。驚きの視線を会釈でかわして廊下に出ると、今度は遠慮のない笑い声が背を打った。

 軽く下唇を噛んで歩き出す。吹き付ける強風に向かっていくかのように上体を斜めに倒して階段を駆け下りていった。

 脇目を振らずに下駄箱で茶色のローファーに履き替えた。校舎を半ば飛び出し、身を焦がすような怒りに任せて正門を抜けた。

 急に全身の力を失った。グラウンドの前の道を、とぼとぼと歩いて高校の最寄り駅へと向かう。

 グラウンドから大きな声が飛んできた。その声に応じて複数が怒鳴るように言葉を繰り返す。

 横目をやると奥まったところにソフトボールの部員達が円陣を組んでいた。地区大会の突破を目標に掲げ、溢れる熱意を言葉にたくす。

 響子は立ち止まった。金網に指を引っ掛けて眺める。

「……どうでもいいし」

 ぽつりと言葉を残して足を速めた。


 木々が視界を遮る。周辺は薄暗く、昼夜の区別が付かない。

 響子は高価なステルス仕様の装備を身に付けていた。頭部の暗視ゴーグルを使用して周辺を探る。浮き彫りにされた人影を視認。腰に下げていたサブマシンガンを手に取って構える。気付かれないように忍び足で近づいた。

 標的と一定の距離までくると、ゆっくり背後に回り込む。そして大きな一歩を踏み出して枯葉を踏んだ。

 標的は即座に反応して駆け出す。最短の距離で突っ込んできた。かなりの重装備でライフル弾でも貫けるか怪しい。異様に太い左腕は頭部を守る。右手には巨大なサバイバルナイフを握り、接近戦の猛者を思わせた。

 瞬間、響子の視界から標的が消えた。迎撃とばかりに自ら距離を詰めて銃口を上に向ける。

 仕掛けた罠に掛かり、標的は逆さ吊りの格好でもがいている。響子は遠慮なくサブマシンガンを撃ち込んだ。乾いた音で薬莢やっきょうが飛び、血飛沫が上がる。絶命するまで続けた。

 罠の効果が無くなると標的は力なく落下。響子は戦利品としてサバイバルナイフを手に入れた。重装備は不要と見做みなし、その場で処分した。

 次の標的を求めて動き出す。


 四時間が経過した。響子はヘッドフォンを外し、TPSサードパーソン・シューティングの世界から離脱した。

「もう、八時半なのね」

 部屋着のまま自室を出てキッチンに向かう。途中、二つの重厚な扉をノックした。沈黙が両親の不在を伝えた。

「まあ、ね」

 薄笑いで、その場を離れた。仄明るい廊下を歩いてキッチンの扉を開けた。一歩を踏み出すと自動で明かりが点いた。長いテーブルを横目に業務用に匹敵する大型冷蔵庫の冷凍室を開ける。中には冷凍食品がびっしりと詰まっていた。

「カレーに、シチューに、これは五目チャーハンで、ラーメンは味噌と醤油、それと丼物に、たくさんあって迷っちゃうよね~」

 明るい声を出した直後に涙ぐむ。薄いカーディガンの袖を目に強く押し当てた。


 深夜帯、響子は何の前触れもなく目を開けた。ベッドから下りると床との間にできた僅かな隙間に腕を突っ込んだ。まさぐるようにしてスコッチを引っ張り出した。

「……お父様」

 しんみりした声で瓶の表面を撫でる。吹っ切るように立ち上がると机に大股で向かう。備え付けの本棚から一冊を抜き取って開くと小さな鍵が挟んであった。手にすると右端の鍵穴に差し込んで鍵を開けた。

 唇を引き結んで把手に指を掛けて引っ張る。中には様々な錠剤やカプセル剤が無秩序に詰め込まれていた。

「……もう、いいよ、ね」

 堪え切れずに涙が零れる。

 窓の外から何かが羽ばたくような音が聞こえた。

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