第三十七節 武田勝頼は愚かな人物なのか
歴史書によると。
武田勝頼は、間違った判断をして武田家を滅ぼした『愚かな人物』であるらしい。
結果だけを見ればそうかもしれないが……
勝頼は、本当に間違った判断をした愚かな人物であったのだろうか?
三方ヶ原合戦の直後。
言葉巧みに操られた数万もの民が城内に潜んでいるとはいえ……
武田軍が全力で攻撃すれば、浜松城は間違いなく落ちたはずだ。
当然ながら老若男女問わず全ての民を『虐殺』することになるが。
背景を調べず、ただ結果だけを見て勝頼を愚かな人間として書く歴史書の筆者たちにはこう問いたい。
「勝頼より自分の方が賢い人間だと思い込んでいる、あなたは……
数万の民衆を虐殺することを何の『躊躇いなく』判断でき、かつ実行する『覚悟』があると理解してよろしいか?」
と。
長島一向一揆で数万の民を虐殺して勝利した織田信長だけではない。
アレキサンダー、カエサル、ナポレオンなどの歴史上の偉人たちも……
武器を手に取った大勢の民を虐殺することで反乱を鎮圧し、秩序を守った『英雄』としてその名前を轟かせた。
ナポレオンに至っては、『大砲』の筒先をパリの一般市民へ向けたと記録されている。
しかも普通の砲弾ではない。
ぶどう弾という、小さな鉄片を無数に詰めた砲弾をである。
命令を受けた兵士は唖然とした。
「これを……
一般市民へ向かって撃てと?」
ナポレオンは平然とこう答えたらしい。
「武器を手に取った時点で、奴らは一般市民などではない!
国賊だ!
社会の秩序を乱す屑どもだ!
さっさと撃ち始めんかっ!」
そして。
チュイルリー宮殿の制圧を目指して進む一般市民へ向け、数十門ものカノン砲が次々と火を吹く。
密集していた市民に対して至近距離でぶどう弾を浴びせたことで、たちまち阿鼻叫喚の地獄絵図が展開された。
人間の頭が、腕が、足が、いとも簡単に砕け散った。
顔には無数の鉄片が突き刺さり、もはや人間の痕跡すらない。
市民は『恐怖』に震え上がった。
手に取った武器を放り投げ、先を争うように逃走した。
こうして。
大規模な反乱を一瞬で鎮圧したナポレオンは救国の英雄と讃えられ、その後は権力の階段を瞬く間に駆け上がってフランスの皇帝に即位した。
勝利とは……
夥しい血と汗という犠牲を払った先にこそある。
戦争の素人たちが、さも分かったかのように語る浅い机上論からは絶対に生まれない。
歴史書の筆者たちに、勝頼を愚かな人間として書く資格などない。
◇
武田信玄と四郎勝頼の会話に舞台を戻そう。
「『父上の後継者は、兄上の太郎義信しかいない』
それがしもずっと思っていたことです。
父上や兄上のように徹底的にはできない……
民に刃を向けるなど、それがしにはできませぬ」
「太郎は太郎、そなたはそなたじゃ。
無理をする必要はない」
「……」
「わしはまもなく死ぬ。
これからは、そなたの時代ぞ?
そなたの思う通りにせよ」
「軍議の席で、浜松城を総攻撃するよう命じなかったのは……
それがしの考えを尊重してくださったからですか?」
「それもあるが、もう一つある」
「もう一つ?」
「織田信長の軍勢を釘付けにする役割を担っていた朝倉義景殿から書状が届いたからじゃ。
『このままでは、朝倉軍は撤退を余儀なくされる。
武田軍には一刻も早く西へ兵を進めて欲しい』
と」
「朝倉軍が撤退!?」
「そなたなら分かるはずじゃ。
朝倉軍が撤退を余儀なくされる『理由』を」
しばらく考えてみた。
「理由?
朝倉義景殿の書状には、理由について何も書かれていないではないか。
これでは分からないぞ……
いや、待てよ。
分からないときは、相手の立場になって考えるのだ。
越前国[現在の福井県]から近江国[現在の滋賀県]へとなだれ込んでいる義景殿の立場になって……
ん?
確か。
越前国から近江国に入る道は北国街道と呼び、『非常に険しい山道』だと聞いたことが……」
◇
北国街道。
北陸道とも呼ぶ。
大阪府から京都府、滋賀県、福井県、石川県、富山県を通って新潟県に至る道である。
最大の難所が滋賀県と福井県の県境であり、その経路は2つ。
塩津[現在の滋賀県長浜市西浅井町]から北陸自動車道やJR北陸本線に沿って敦賀[現在の福井県敦賀市]を経て今庄[現在の福井県南越前町]に至る経路。
もう一つは、余呉[現在の滋賀県長浜市余呉町]から国道365号線に沿って敦賀を経由せず、真っ直ぐ今庄に至る経路。
どちらも共通するのが……
非常に険しい山道であることだ。
北陸自動車道もJR北陸本線も非常に長いトンネルで突き抜けている。
国道365号線に至っては、S字カーブが連続していて走りにくいことこの上ない。
当時。
どちらの経路も、通るのは至難の業であっただろう。
◇
「父上。
越前国から近江国に入る道は、非常に険しい山道と聞きます。
我ら武田軍と比べ、朝倉軍は兵糧などの補給に困難を極めるのではないかと」
「その通りじゃ。
我ら武田軍の補給線は……
甲斐国から駿河国までは富士川を通る船があり、駿河国からここ遠江国までは通りやすい平地の道。
一方の朝倉軍は非常に険しい山道。
どちらが補給に困難を極めるか、火を見るより明らかであろう」
「父上。
そもそもの話ですが……
朝倉軍に、補給の必要があるのでしょうか?」
「どういう意味じゃ?」
「北近江[現在の滋賀県長浜市一帯]には、同盟相手の浅井長政がおります。
浅井家と親しい商人たちから『現地調達』する方法があるかと」
「息子よ。
あの織田信長が、朝倉軍が現地調達するのを黙って見過ごすと思うのか?」
「まさか……
信長は、商人たちに圧力を掛けたと仰るのですか?
『朝倉軍に何も売るな』
と?」
「うむ」
「しかし……
そんなことが可能でしょうか?
下手をすれば、近江国の商人たち全てを敵に回すことになりますぞ」
「わしは既に、多数の密偵[スパイのこと]を放っておいた。
どんな方法を用いたか分かるだろう。
いずれにしても……
朝倉軍が撤退するとなれば我らにとって一大事じゃ。
軍議の場で皆の意見を聞いておく必要がある」
「かしこまりました。
急いで軍議の支度に掛かります」
◇
武田信玄の立てた『西上作戦』とは、3つの段階から成っていた。
第一段階。
室町幕府を味方に付けて、大義名分を得ること。
実際のところ。
幕府の内部は完全に腐り切っていたらしい。
家臣の何人かにお金を掴ませると簡単に買収でき、調子に乗って『信長討伐命令』まで出してくれた。
続いて、特に重要なのは第二段階……
『信長包囲網』を築いて信長の大軍を釘付けにすること。
既に信長の敵であった朝倉家と浅井家が率先して兵を出した。
朝倉軍2万人は越前国[現在の福井県]から近江国[現在の滋賀県]へと進出して浅井軍5千人と合流し、2万5千人の連合軍で織田の大軍3万人を釘付けにしてくれている。
最後の第三段階。
孤立無援の徳川家康を、武田軍3万人で滅ぼすこと。
討伐命令によって信長を幕府の奸賊とし、包囲網を築いて信長が援軍を出せない状況を作り出した上で、信長の盟友である家康を討つ。
盟友を見殺しにした男として、信長の評判を地に堕とすのである。
ただし。
ここで朝倉軍が撤退してしまうと、浅井軍5千人だけで織田の大軍3万人を釘付けにすることは不可能となる。
朝倉軍の撤退は、作戦全体の『破綻』を招くほどの非常事態なのだ。
◇
軍議の席にいた者たちは……
驚いてこんな声を上げ始めた。
「朝倉軍が撤退!?
それは真か?」
「朝倉軍が撤退すれば……
我らは徳川家康だけでなく、あの織田信長も相手にせねばならなくなるぞ!」
「朝倉義景!
どれだけ愚かな男なのじゃ!」
「それよりも……
織田軍の何千挺もの鉄砲隊を、我らだけで相手にせよと?
ただでさえ鉄砲の弾丸と火薬が足りないというのに!」
「これは一大事であろう!
ひとまず甲斐国へと撤退すべきでは?」
荒れた軍議を立て直そうと、信玄が一声発する。
「息子よ。
そなた、何か意見があるか?」
「はっきり申し上げますが……
徳川家康と織田信長の両方を相手にすることが、それほど大きな問題なのでしょうか?」
◇
父は、息子が言ったことの意味が分からない。
「どういう意味じゃ?」
「そもそも。
朝倉・浅井連合軍2万5千人が、いつまでも織田軍3万人を釘付けにできる保証など……
最初からなかったのでは?」
「……」
「この戦いを、いつまで他人を当てにして進めるつもりなのですか?」
【次節予告 第三十八節 利害で結ばれた関係が、当てになるのか】
「他人を当てにした作戦で、戦争の『決着』が付いたことなど一度もない」
これは古今東西あらゆる戦争において共通する真理です。
真の勝利を得たいなら、己の力で戦うしかありません。