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大罪人の娘・前編  作者: いずもカリーシ
第参章 武田軍侵攻、策略の章
34/48

第三十二節 空城の計、徳川家康の真の狙い

三方ヶ原合戦(みかたがはらかっせん)は、結果として徳川・織田連合軍の惨敗(ざんぱい)に終わる。


魚鱗(ぎょりん)の陣を組んでいた『はず』の武田軍であったが……

いつの間にか包囲殲滅するための鶴翼(かくよく)の陣へと変わり、美しい翼が()えていた。

そして。

武田信玄の采配を合図に、その翼は徳川・織田連合軍の側面へと回り込んで一気に襲い掛かって来た。


無防備な側面を武田四天王の山県昌景(やまがたまさかげ)内藤昌豊(ないとうまさとよ)に突かれた徳川・織田連合軍は大いに驚愕(きょうがく)し、狼狽(ろうばい)する。

大混乱に陥って、もはや軍の(てい)()さなくなった。


再度の信玄の采配を合図に……

その翼が閉じ始め、徳川・織田連合軍は中に閉じ込められていく。


「殿!

退()きくだされっ!」

旗本(はたもと)[親衛隊のこと]たちに守られながら家康は慌てて退却を始める。


「家康を生きて帰すなとの命令じゃ。

必ず討ち取れ!」


武田軍の執拗(しつよう)な追撃により……

さすがの家康も死を覚悟した、その時!

摩訶(まか)不思議』な出来事が起こった。


「徳川家康はここにいる!

皆の者、取り囲んで討ち取れっ」


「ん!?

うぬは誰ぞ?

嘘を付くな!

家康はこっちじゃ!」


「惑わされてはならん!

どちらも本物の家康ではない!

偽物じゃ!

本物の家康は、ここにいるぞ!」


何と、家康の居場所を知らせる兵が次々と出現したのだ!

武田軍の兵だけでなく、武田軍の『ふり』をしている徳川軍の兵まで混ざっている。


肝心の徳川家康は、小太りの他にこれという特徴がない。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


 ◇


遠江国(とおとうみのくに)・浜松城[現在の静岡県浜松市]。


一人の『武器商人』が、徳川家康の帰りを待っている。

名前を茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)と言う。

数十年後に江戸幕府で大きな特権を与えられ、日本有数の豪商へと成り上がる男である。


四郎次郎(しろうじろう)

待たせたのう」


やたらと臭い男が声を掛けてきた。

見れば家康本人だ。

逃げる途中で、恐怖のあまり大も小も漏らしたのだろうか。


思わず鼻を押さえそうになったが……

(あるじ)に対して、さすがにそんな態度は取れない。


「家康様。

見事な惨敗だったようで……

一体、何が起こったのです?」


「わしは、浜松城を素通りした武田軍3万人の後を密かに追った。

撃って逃げ、撃って逃げを繰り返す戦法……

一撃離脱戦法いちげきりだつせんぽうよ」


「一撃離脱戦法?

それは(みょう)ですな」


「何が妙なのじゃ?」

「そもそも。

一撃離脱戦法とは、まともに戦わない戦法のことでしょう?

まともに戦ってないのに惨敗したのは『なぜ』です?」


痛いところを突かれた。

どうやら、四郎次郎は戦法のことをよく知っているようだ。

誤魔化(ごまか)しが通じない相手であった。


「ちっ……

そちは商人の割に、やけに戦法に詳しいではないか」


「ただの商人だと思われたら困りますな。

それがしは、(いくさ)に必要なモノを扱う武器商人ですぞ。

戦のことはちゃんと学んでおります。

戦を知らずして、戦に必要なモノの(あきな)いはできますまい」


「確かにそうじゃ。

そちには誤魔化さずに話さねばならんか」


「そう願いたいですな……

家康様」


家康は、全てを打ち明けることにした。


 ◇


「武田軍の後を密かに追って三方ヶ原(みかたがはら)の台地を上がったとき……

わしは、見たのじゃ」


「何を見たので?」

「武田軍が魚鱗(ぎょりん)の陣で布陣しているのを」


「魚鱗の陣?

そんな馬鹿な!

大軍がそんな陣形を使うはずがありますまい。

見間違えたのではなく?」


「そちは陣形にも詳しいのか。

見間違えたのではないぞ。

(まこと)に、魚鱗の陣で布陣しておったのじゃ」


「何と非常識な!」

「それを見たわしは、鶴翼の陣を組んだ」


「鶴翼の陣?

左右に広がる陣形ですか。

ん……

ああ、そういう狙いにございますか」


「そういう狙いよ」

「左右に広がり、側面から鉄砲で狙撃することを狙ったわけですな?」


「そうじゃ。

実際に、敵の前衛部隊の多くを倒すことができた。

倒れても倒れても向かって来たがな」


「何と凄まじい……」

「わしもそこまでは読んでいたのじゃ。

鉄砲隊の後ろに長槍隊を配置し、弾込めの時間を稼がせた」


「なるほど」

「ところが!

わしは……

信玄の罠にまんまと()まっていた。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「『餌』!?

どういう意味です?」


一撃離脱戦法いちげきりだつせんぽうは……

一撃を与えたら、すぐに離脱せねばならん。

これでは大きな戦果を上げることができない」


「仕方ありますまい。

『時間』を掛けて何度も繰り返すことで、敵を精神的に追い詰めていく戦法なのです。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……」


四郎次郎(しろうじろう)よ。

『既に』、多くの城が武田軍によって落とされているのじゃ!」


「……」

「さらに多くの城が落ちるのを、わしに黙って見ていろと申すのか?」


「……」

「すべては(おのれ)の武力が足りないからよ。

この事実が、いかに歯痒(はがゆ)いことか……

そちに分かるか?」


「お察しします」

「せめて……

奴らに一矢報(いっしむく)いてやりたかった!」


「魚鱗の陣を見たとき……

家康様は、とてつもない誘惑に駆られたのでしょう?

『一撃離脱戦法より威力のある十字砲火戦法を使い、大きな戦果を上げてから浜松城へ凱旋(がいせん)したい』

と」


「わしは……

その誘惑に負けた」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()……

武田信玄は何とも悪辣(あくらつ)な……」


「『兵は詭道(きどう)なり』。

孫子(そんし)の兵法にもある。

これを実際に用いることができる武将はそうはいないがな」


「して……

(いくさ)はその後、どういう展開になったのです?」


「武田軍は、いつの間にか鶴翼の陣へと変わっていた。

あの武田四天王が左右に配置されたことに全く気付かなかった」


「それに側面を突かれたと?」

「我らは、前方から武田軍前衛部隊と、左側面を山県昌景(やまがたまさかげ)隊、右側面を内藤昌豊(ないとうまさとよ)隊と三方から包囲された」


「あの、泣く子も黙る武田四天王に包囲されたのですか……

生きて帰れただけでも幸運かもしれませんぞ」


「そうであろうな……

つくづく、信玄のやることは用意周到であったわ。

鉄砲の弾丸と火薬が尽きたとの噂も、自ら『(さら)け出した』に相違(そうい)ない」


「自ら曝け出したですと!?」

「うむ。

わしが、安心して城を出るためにな」


「弱みというのは本来……

『隠したがる』ものでは?

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「わしは……

見事にしてやられたのじゃ!」


 ◇


四郎次郎は、信玄のもう一つの狙いに気付いた。


「家康様!

兵法によると……

鶴翼の陣は、左右の翼の部分に強力な軍勢を置くと聞きます。

まさか!」


「そのまさかじゃ。

わしは、最強部隊を中央から離してしまった……」


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

ただし。

家康様は兵法にお詳しい……

それすらも逆手に取られたと?」


「ここまでしてやられるとは……

全て、わしのせいじゃ!

わしが弱くて愚かなばかりに、大勢の者を死なせてしまった!」


(いくさ)は勝利することもあれば敗北することもあります。

敗北したとしても……

反省して学び、次の勝利に繋げれば良いことでは?

それよりも先のことをお考えくだされ。

武田軍は、追撃して来ますぞ」


「追撃なら、振りほどいたではないか」

「いえ。

もっと本格的な追撃があるはず。

急ぎ備えをなされませ」


「ならば。

城の門を全て開けるか」


「……は?」


 ◇


城の門を全て開ける!?


この男は一体、何を言っているのか?

惨敗して気でも狂ったか……

こう思わずにはいられなかった。


「四郎次郎よ。

わしの気が触れたとでも思っているのであろう?」


「い、いえ……」

「図星だな。

わしが仕掛けようとしているのは……

空城(くうじょう)の計』よ」


「空城の計?

それは……

わざと全ての門を開けて城をがら空きに見せることで、敵に罠かと警戒させる策略のことで?」


「うむ」

「用心深い大将ほど警戒して退却するかもしれませんが……

あの武田軍に通用しましょうか?」


「わしは警戒させるとは申しておらんぞ。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「え!?

城の中に入り込ませて良いのですか?」


「思い出せ。

そちは城の中に入ってからここまで来るのに、真っ直ぐの道を進んで来たか?」


「い、いえ。

道は何度も折れ曲がっておりました。

そのうち方向が分からなくなり、案内がなければ道に迷っていたかも……

ん!?

ああ、そういうことですか!」


「そういうことじゃ。

道が何度も折れ曲がっているのは、途中に兵を隠すためよ」


「鉄砲で狙撃するための……

ですな?」


「ありとあらゆる『場所』からな」

【次節予告 第三十三節 浜松に住む数万の民を兵士に】

南蛮人からもたらされた新兵器・火縄銃を利用した戦法が、短期間で著しい進化を遂げていく中。

ある者たちは……

凄まじい威力とは別の、ある『特徴』に注目しました。

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