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大罪人の娘・前編  作者: いずもカリーシ
第壱章 前夜、凛の章
3/48

第参節 天下布武

この日。


織田信長からの命令は、あまりにも『奇妙』であった。

「明智光秀の長女、凛。

摂津国(せっつのくに)へ行き、荒木村重(あらきむらしげ)の長男・村次(むらつぐ)に嫁ぐように」

と。


え?

今、何と?

わたしが摂津国へ行って、荒木村重の長男に嫁ぐ?


荒木家は摂津国を治める『大名』のはず。

家臣の娘に過ぎないわたしが、どうして大名の長男に?


凛が最初に抱いた疑問であった。


 ◇


「わたくしは織田家の娘ではありません。

大名の長男といえば……

いずれは後継者となる御方でしょう?

家臣の娘が『釣り合う』相手なのですか?」


凛の言っていることは何も間違っていない。

後継者になれない次男や三男ならまだしも……

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「光秀様。

凛様の(おっしゃ)っていること、ご(もっと)も[その通りという意味]と存じます。

荒木様の身になってお考えください。

信長様の一族の姫君ではなく、家臣の娘が嫁いで来るのです」


「……」

「『一族の娘を、荒木家などに与える必要はない。

家臣の娘で十分だ』

こう見下(みくだ)しているのと同じです。

嫁がれた凛様への風当たりが厳しくなるのは、火を見るより明らかでしょう。

信長様は、どうして……

凛様を辛い立場に追い込もうとなさるのですか?」


こう指摘したのは、凛の隣にいる侍女頭(じじょがしら)阿国(おくに)である。

10歳以上も年長のためか、その声には落ち着きが感じられる。


阿国の言っていることは正しい。

家臣の娘である凛よりも、信長の一族の娘の方がはるかに価値が高い。

嫁をもらう立場になって考えれば一目瞭然(いちもくりょうぜん)だろう。

さすがの光秀もこれには反論できない。


信長の一族の娘をもらえば、織田一族の仲間入りができる。

信長から切り捨てられる心配も、粛清(しゅくせい)の対象となる可能性も低くなる。

将来への安心感はとてつもなく大きい。


では……

なぜ家臣の娘なのか?


なぜ、『明智光秀の愛娘』でなければならないのだろうか?


 ◇


光秀はずっと苦悶(くもん)の表情を浮かべ続けている。

この結婚の命令は、父にとって本望ではなかったのだろう。


「凛。

荒木村重を摂津国の大名に任命したのは信長様だが……

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「父上が仕向けた?

どうして、そのようなことを?」


「『策略』の一環(いっかん)として」

「策略?

どんな策略なのです?」


「今は教えられん。

教えれば、策略ではなくなってしまう」


「そんな……

策略だから、黙って摂津国へ行けと(おっしゃ)るのですか?

わたくしは父上の娘でしょう?」


「……」

「理由も教えずに娘を追い出すのですか?

それに……

父上は、わたくしの気持ちをご存知のはず。

あんまりではありませんか!」


娘の目から大粒の涙が流れ始めた。

それを見た父の苦悶(くもん)の表情が、さらに歪む。


「凛よ。

これは……

今は亡き煕子(ひろこ)に『誓った』ことなのだ」


「母上に?」

「そなたの母の美しさに一目惚(ひとめぼ)れしたわしは……

同時に、そなたの母が並外(なみはず)れた純粋さを持つ人であることも知った。

わしの(こころざし)を理解し、支えてくれる相手はそなたの母しかいないと確信して、一か八かの賭けに出た」


「父上の志とは何です?」

「そなたは、長く続く『戦国乱世』が大勢の人々を苦しめていることを存じていよう?」


「存じておりますが」

「『戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したい』

これが、わしの(こころざし)だ。

この志を最後まで(まっと)うして見せると……」


「母上に誓ったのですか?」

「うむ。

わしは……

どんな『手段』を用いてでも、そなたの母への誓いを守りたい。

だからこそ。

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 ◇


一方の凛は、父の話の意味を理解できなかった。


「今すぐ!?

そんなに重要な国なのですか?

摂津国(せっつのくに)とは」


「そうだ。

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「どんな強大な武力があるのです?」

「そなたは賢い。

行けば必ず分かるだろう」


(あるじ)の信長様も……

父上と同じ(こころざし)をお持ちなのですか?」


「信長様が使っている(いん)[印鑑のこと]。

そこに全て込められている」


「印?」

「『天下布武(てんかふぶ)』」


「天下布武?

天下に武を()く、武力を用いて天下を取るという意味だと聞きましたが?」


「そうではない。

天下布武の『武』。

この武という字は、海を越えた遠い異国から伝わってきた。

槍に似た武器の『(ほこ)』という字と、『()』めるという字を組み合わせて完成させた字であるらしい。

『武』とは……

武器を止める、つまり(いくさ)()めるという意味なのだ」


「つまり。

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「うむ」

「父上。

そんな都合の良い話を誰が信じるのです?

武力を持つ者は必ず、(おのれ)の武力に頼ってきました。

こうして意味のない(いくさ)が何度も繰り返されてきたのです。

人が(つむ)いだ『歴史』は、武力を持つ愚かさをずっと証明してきたではありませんか!」


「まずは目の前の『現実』を見よ。

凛。

そなたのような若い娘が城を出て、安心して城下の町を歩けるのはなぜだ?」


「この地が平和だからです」

「なぜ、この地が平和なのか?

申してみよ」


「そ、それは……」

「それは?」


「信長様の武力を『恐れ』、乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)を働こうとする者が現れないから」

「それはつまり……

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「……」

「違うのか?」


「その通りです」

「ならば。

乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)を働こうとする者に対して、

『乱暴狼藉を止めよ』

こう命令するには……

圧倒的な武力を見せ付けて相手を恐怖のどん底に(おとしい)れ、(あらが)う意欲を完全に()いでおく必要があるではないか」


「……」

「それでも。

命令に従わず、乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)に加え、(いくさ)や侵略を止めない者どもは……

一人も生かさず(ことごと)く首を()ねて根絶(ねだ)やしにする」


「一人も生かさず、根絶やし?」

「うむ。

これが平和を達成する『唯一』の方法なのだ」


「そこまでしなければ達成できないのですか?

やり過ぎでは?」


「従わない者を中途半端に見過ごせば、いずれまた(おのれ)の目先の利益に目が(くら)んで弱い者への乱暴を働くに決まっている。

『徹底的』にやるしかない」


「徹底的に……」

「中途半端は、かえって事態を悪化させるだけだ。

むしろやらない方が良い。

徹底的にやらねば、結果は出ない」


「ですが……

そんなにうまくいくものでしょうか?

信長様が強大な武力を持てば、相手もそれを上回る強大な武力を持とうとします。

際限(さいげん)がありません」


「強大な武力を持つ『時間』を相手に与えなければ良いではないか。

だから、そなたが行くのだ。

摂津国の大名と親戚になれば一瞬で強大な武力を得ることができる」


「でも……

どうして、わたくしなのです?

わたくしが行っても荒木家の誰も喜びません。

信長様の一族の姫君が行かれた方がずっと良いはずです。

父上、お願いです。

信長様に取りなしてくださいませ」


「凛よ。

これは、わしの大いなる策略の一環だと申したはず。

取りなしてどうこうできる話ではない。

もう変えられない『宿命』なのだ」


「あまりにも(ひど)い!

どうして、織田一族の中から姫君を出さないのです?

どうして!

信長様は、家臣の娘までも政略結婚の道具になさるのですか!」


凛の感情は、歯止めが利かなくなりつつある。


 ◇


侍女頭(じじょがしら)阿国(おくに)がもう一度援護した。


「光秀様。

恐れながら申し上げます。

摂津国がそれ程に大事ならば、やはり信長様の一族の姫君を嫁がせるべきではありませんか?

凛様が大きな犠牲を払う意味がどこにあるのでしょうか?」


「阿国よ。

確かに、信長様の一族から姫君を出す方が良いのは明らかだ。

実際に多くの姫君が任務を背負って嫁いで行った。

近江国(おうみのくに)浅井(あざい)家に嫁いだ(いち)様、三河国(みかわのくに)の徳川家に嫁いだ五徳(ごとく)様、そしてあの甲斐国(かいのくに)の武田家に嫁いだ御方(おかた)も……

その一方で、家臣の娘は何の任務も背負わないのか?

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


「それは……」

阿国は返す言葉を失った。


「我らは、『一つに』なるべきではないのか?

家臣の娘だから関係ないなどと申して良いのか?」


「……」

「阿国よ。

思い出して欲しい。

もう15年くらい前になるが……

そなたに『桶狭間の戦い』を教えた日のことを」


「桶狭間の戦い?」

「あの日。

戦いの本質を見抜けたのは、そなた一人だけであった。

そして。

何よりも大事なことを学んだはずだ」


「一つになることが大事だと……?」

「うむ。

思い出してくれ、阿国」


光秀が言う日のことを、阿国は思い出そうとしていた。

【次節予告 第四節 桶狭間の戦い】

凛の侍女頭・阿国。

幼い頃に戦争で家を焼かれ、両親も殺されて戦災孤児となります。

親戚を頼って隣の越前国へと歩き、何とか辿り着いて保護されますが、実際には『保護』とは名ばかりであったのです。

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