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大罪人の娘・前編  作者: いずもカリーシ
第参章 武田軍侵攻、策略の章
26/48

第二十四節 宿命の長篠設楽原決戦、幕開け

1575年5月。

凛が嫁いでから半年ほどが経った頃のこと。


そこから400kmほど離れた甲斐国(かいのくに)[現在の山梨県]で、ある大きな出来事が起こっていた。

武田信玄(たけだしんげん)の息子で、東日本最強の大名・武田家の当主代行を務めている四郎勝頼(しろうかつより)が軍勢を起こしたのだ。


勝頼の率いる武田軍は、徳川家康が治める三河国(みかわのくに)長篠城(ながしのじょう)[現在の愛知県新城市]を1万5千人もの大軍で包囲する。

これに対して長篠城の守備隊はたった500人程度しかいない。


攻城戦は、攻撃側が守備側の10倍の兵力を用意するのが『常識』であるはずが……

なぜか今回は30倍も用意している。


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 ◇


一方。


明智光秀の居城である近江国(おうみのくに)の坂本城[現在の滋賀県大津市]に、一人の客人が突如としてやって来た。

主君・織田信長その人である。


「何も構うな。

光秀が来るまで待つ」

城内が上を下への大騒ぎとなっているのを見た信長は、こう言って周りを安心させようとしていた。


少しの間を置き、領内を視察していた光秀が慌てて戻って来ると……

唐突に娘の話から始める。


「まずは。

凛のことで礼をさせて欲しい」


「凛のこと!?

それがしの娘の名前を覚えておられたので?」


「うむ」

「信長様が凛と会ったのは、10年近く昔のことですが?」


「今は亡き、我が愛娘(まなむすめ)と同じ『目』をしていた娘のことを……

忘れるはずがあるまい」


「信長様の『愛娘』!?

それは……

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「ああ。

そうじゃ」


「やはり。

凛は、あの御方と同じ目を……」


「凛を手放すのは、さぞかし辛かったであろう」

「お気遣い有り難く存じます」


「ところで。

凛には、荒木村重(あらきむらしげ)を大名に任命した『理由(わけ)』を教えてあるのか?」


「『策略』、とだけ伝えております」

「教えなくて良いのか?」


阿国(おくに)が付いているので問題はないかと」

「阿国?

ああ……

そちが実力を見込んで侍女(じじょ)にした、あの美しい女子(おなご)のことか」


御意(ぎょい)

娘はいずれ気付くでしょう。

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これはどういう意味なのだろうか?


 ◇


「で、あるか。

ここから本題だが」


「本題とは……

勝頼が、長篠城(ながしのじょう)を攻めるための大軍を起こしたことでしょうか?」


「どう思う?」

「たった500人の兵で守る城を落とすため『だけ』に、莫大(ばくだい)な銭[お金]を投じて1万5千人もの大軍を用意するなど有り得ないことかと」


「やはりそう思うか」

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「ならば。

勝頼の(しん)の狙いは?」


「長篠城の城主は、少し前まで武田家に属していたとか。

その者を……

家康殿が、娘を差し出してまで徳川家へ寝返らせたと聞きます」


「ん?

その者とは、奥平定昌(おくだいらさだまさ)のことか?

家康がどうしても寝返らせたいと申すゆえ……

こう提案した。

『婿にすると約束してはどうか?』

とな。

極秘に約束を交わすように念押しはしたが」


「勝頼は恐らく……

何らかの方法で、その情報を(つか)んだのでしょう」


「何っ!?

家康め、どれだけ情報が筒抜けなのじゃ!

間抜けにも程があるぞ!

ん……

いや、違うな。

勝頼の情報収集能力がはるかに優れているからか」


「その通りかと」

「くっ……」


「そして。

極秘の約束を知った勝頼は、その約束を『逆手』に取る方法を思い付いたのでしょう」


「逆手に?

それはつまり、長篠城を落城寸前の状態に追い込むことで……

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御意(ぎょい)

「勝頼が1万5千人もの大軍を用意した狙いは、城ではなく家康本人であると……

さすがだな。

うまいやり方を思い付いたものじゃ」


長篠城の城主・奥平定昌(おくだいらさだまさ)は、家康の長女・亀姫(かめひめ)の婚約者となっている。

家康が定昌(さだまさ)を見殺しにすれば……

最悪の結果として、亀姫は祝言(しゅうげん)を挙げる前に未亡人となってしまうかもしれない。

可愛い娘をそんな目に合わせたい『父親』が、どこにいるのだろうか?


ここまで読み切った勝頼の実力には、さすがと言うしかない。


 ◇


光秀は考えていた。


定昌(さだまさ)を救いに来た家康を、勝頼が返り討ちにするつもりだとすると……

目的は2つしかない。

家康の首を取るか、家康を()らえるか?

このどちらかである。


信長も同じことを考えていたようだ。

「光秀よ。

勝頼は、家康の『首』を狙って長篠城を囲んだのか?」


「『常識』で考えればそうでしょう。

家康殿は信長様の盟友(めいゆう)です。

人は誰しも、友を見殺しにするような者を信用しません。

家康殿の首が取られるようなことがあれば……

間違いなく信長様の名は地に()ちます」


「そうなれば。

勝頼は、わしよりも優位に立てるだろう」

御意(ぎょい)


「そちは先程……

『常識で考えれば』

と申したが。

他に、何かあるのか?」


「返り討ちにした敵の大将首を取る。

ごく当たり前の常識ですが……

勝頼は凡人(ぼんじん)[普通の人という意味]などではなく、むしろ父の信玄すら凌駕(りょうが)するほどの『非凡(ひぼん)』な人物です」


「わしもそう見ている」

「凡人ほど目先のことに(とら)われて『行き当たりばったり』な行動を取るものですが……」


「非凡な人物がそんな行動を取るとは思えないな」

「そうならば。

家康の首を取ることは……

かえって事態を悪化させる可能性があることくらい『読み切る』はず」


「かつての徳川家は、大国である今川(いまがわ)家の支配を受けていた。

散々とこき使われ、(いくさ)の最前線に送り込まれ、ひたすら血を流し続けたのじゃ。

辛い日々を送っている間もずっと……

いつか独立を勝ち取ろうと誓い合い、固い絆を結んでいたと聞く」


「徳川家の『結束力』は尋常(じんじょう)ではありません。

家康の首を取ったところで、家臣たちは絶対に降伏などしない……

むしろ(あるじ)(かたき)を取ろうと結束して厄介極(やっかいきわ)まりない敵と化すでしょう」


「家康の股肱(ここう)の家臣どももすべて根絶(ねだ)やしにしない限り……

徳川家を倒すことなどできん」


「そうなのです。

だからこそ……

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「家康の首を取らないとすれば……

()らえるということか?

捕らえてどうする?」


「捕らえる理由は、『人質』とする以外にありません」

「人質!?

何のため?」


「人質とする理由も一つだけです。

人質の命と引き換えに、(おのれ)の『要求』を通すこと」


「己の要求!?

その内容は、何ぞ?」


「それは……」

「何じゃ?

はよ申せ」


「信長様との『和平』です」

「何っ!?

わしとの和平?」


そして。

光秀の次の話は、信長を激しく動揺させた。


「同じ(こころざし)を持つ友との和平よりも、(おのれ)の『復讐(ふくしゅう)』を優先させるおつもりですか?

お忘れではありますまい。

勝頼は……

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「……」


 ◇


一方。


武田軍1万5千人は、徳川軍500人が守る長篠城を完全に包囲していた。

全力で攻めれば1日で落ちるような兵力差である。


しかし。

総大将・勝頼の命令はあまりにも非常識であった。


「城はたった500人しかいないが、200人を超える鉄砲隊がいると聞く。

多くの犠牲が出るような城攻めをしてはならん」


「本気で攻めるな、との(おお)せにございますか?」

「そうだ」


「200人を超える鉄砲隊がいるとは言え、決して落とせぬ城ではありますまい。

全軍で総攻撃すれば1日で落ちましょう」


「城を落としてはならん。

ただし、落ちる寸前までには追い込んで欲しい。

この城を救うためにやってくる『援軍』こそが我らの相手なのだから」


「こんな城を救うために援軍が来るのですか?

一体、誰が……?」


「徳川家康」

「家康!?

それは(まこと)にございますか?」


「家康は来る。

必ず来る。

長篠城の(あるじ)は、家康の愛娘(まなむすめ)の夫ぞ。

自ら徳川軍本隊を率いて駆け付けて来るだろう」


「なるほど……

駆け付けて来た徳川軍本隊を討ち、家康の首を取ると!

見事な策かと存じます!」


「無益な殺生(せっしょう)をするでない。

家康は必ず、『無傷』で捕らえよ」


周りの者たちは唖然(あぜん)としている。

「家康を捕らえる!?

敵の大将の首を取るのが(いくさ)の常識では?」


「わしにそんな常識などない。

これは、命令だ。

良いな」


「はっ」

こう応えながらも、周りの者たちはひそひそと話している。


「勝頼様は……

家康を無傷で捕らえて、一体どうするつもりなのか?」

と。


 ◇


こうして。

勝利した信長を天下人(てんかびと)とし、敗北した勝頼を滅亡へと突き落とした、あの戦い。


『宿命の長篠(ながしの)設楽原(したらがはら)決戦』が幕を開けた。

【次節予告 第二十五節 織田信長の愛娘、毒殺事件】

一人の女の死が、一人の男の『復讐』の炎を激しく燃え上がらせる結果を招いていました。

その女性……

織田信長の愛娘とは、どんな人物なのでしょうか?

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