表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
大罪人の娘・前編  作者: いずもカリーシ
第壱章 前夜、凛の章
2/48

第弐節 政略結婚の道具

本能寺の変の、およそ8年前。


ここは近江国(おうみくに)の坂本城[現在の滋賀県大津市]。

明智光秀が築き、完成して間もない城である。


「あまりにも(ひど)い!

信長様は、家臣の娘までも政略結婚の道具になさるのですか!」


娘の悲痛な叫びが響いている。

その美しい瞳からは、涙が流れ続けて止まることがない。


可哀想(かわいそう)に……」

悲痛な叫びを聞いた人は皆、胸が締め付けられる思いをしていた。


住んだこともないばかりか、行ったこともない摂津国(せっつくに)有岡城(ありおかじょう)[現在の兵庫県伊丹市]へ行き、会ったこともない、見知らぬ男性と結婚することを命じられた。

これを『政略結婚の道具』という。


父の(あるじ)である織田信長の命令とあれば、逆らうことなど決して許されない。

光秀の長女として生を受けた凛が自分の力では絶対に変えられない未来……

運命という言葉よりも、むしろ『宿命』という言葉の方が相応(ふさわ)しい。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

名前を左馬助(さまのすけ)と言う。


 ◇


この当時。

身分の高い女性は皆、花嫁修業をするのが習慣であった。


具体的には……

礼儀作法を覚え、歌を暗記し、茶道や書道を習い、(こと)や笛などの楽器を演奏することなどを指す。

他にも女性特有の(たしな)みとして、着物や化粧、華道などもある。


それらを凛は比較的早く身に付けていた。

父譲りの賢さゆえだと思われるが、そのどれにも『興味』を抱かなかったらしい。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「人は(けもの)[動物のこと]とは全く違う!

本能や感情を持ち、学習して成長するのは同じだけれど……

獣にはなく、人だけが持つものがあまりにも多いのでは?

そうならば……

人とは、どんな『存在』なの?」


「獣に『他人を思いやる心』があるとは思えない。

身近な存在の他は、警戒する対象でしかないのだから。

赤の他人であっても、傷付いた人を見て同情を感じるのは人だけ」


「それに。

人を傷付けた相手に対して(いきどお)りを感じるのも人だけ。

人だけが『正義感』を持っている……」


「人だけが(おのれ)の『生き方』について考え、悩んでいる。

生きる目的を探している!」


「人は、(けもの)とは全く別の……

『特別』な存在なのでは?」


「何らかの意図を()って生み出され、果たすべき使命を与えられていると考える方が自然でしょう?

銭[お金]を増やすこと、楽しむこと、有名になること、このことばかりを追求する生き方が、人らしい生き方であるはずがない!」


「そうならば……

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


時代、人種、性別、年齢を問わず、大勢の人間がこの答えを探し求めている。


 ◇


屋敷の中では、よく書物を読んでいた。

創作でも実話でも、小説でも日記でも……

そこには『物語』がある。


ときに強く感動し、ときに深く悲しむ。

物語の世界に入り込んで出られないこともしばしばあった。


「どうして、人は(おのれ)の都合ばかり考えるの?」

「それだから問題は解決せず、争いになるのでしょう!」

「そして、間違った正義を振りかざして(いくさ)を始める!」

「いつもこの繰り返しでは?」

こう(つぶや)いていた。


「人は、『どうして』……

自然に魅了されるのでしょう?」

屋敷の外に出て美しい景色を見るたび、一緒に付いてきた従者(じゅうしゃ)侍女(じじょ)たちに難しい質問をしていた。


湖や滝、海岸線などの起伏に富んだ地形、あるいは扇状地(せんじょうち)沖積(ちゅうせき)平野などの広大な平地。

どの土地にも無数の植物が生え、季節ごとに様々な(いろど)りを見せ、美しい景観を作り出して観る者を魅了する。


これは地震や火山活動による土砂の堆積(たいせき)、河川による侵食などが気の遠くなるほどの長い年月を(つい)やして生み出された地形だと解明されてはいるが……

人間『だけ』が魅了される理由については全く解明されていない。


「わたくしは、人だけが魅了される理由を聞いています。

答えになっていませんが。

神話がどうしたと?

人が面白おかしく作った程度の話に『答え』などあるわけないでしょう」


従者(じゅうしゃ)侍女(じじょ)たちが地域に伝わる神話をいくら説明しても、凛は何の興味も抱かず全部聞き流していたようだ。


 ◇


加えて。


()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

草木や花、動物や虫などの生物、そして人間自身についてこう聞かれると、従者(じゅうしゃ)侍女(じじょ)たちは困り果てた。


凛が現代の教科書を読む機会があれば、こう感想を漏らしたに違いない。

「あなた方は……

全てのモノが何もない所から勝手に生み出され、挙げ句の果てに人間が猿から生じたとの話を聞いて、おかしいとすら感じなかったのですか?

『科学という代物(しろもの)が導き出した答えが、その程度とは……

(あき)れたものよ』

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

と。


 ◇


「あの方は何をしているのですか?

その仕事には、どんな目的があるのですか?」


働く人々を見る度に凛は質問し……

従者(じゅうしゃ)侍女(じじょ)たちが答えられないと、直接本人に尋ねようとしてよく止められていた。


「わたくしが尋ねた方が早いではありませんか」

こう言って、更に困らせていたようだ。


もっとも。

凛に尋ねられた人は皆、彼女に好感を持ったようである。

自分のことを理解しようと努める相手に好感を持つのは当然だろう。


人から愛される素質を持っているのかもしれない。


 ◇


加えて。


凛は、女性にも関わらず雑談を苦手にしていた。

雑談を雑談で返すことができない。


「どうして、そんな展開に?」

「思い込みを省いて、事実だけを教えてくれませんか?」

「そういう一方的な視点ではなく、他の視点からも考えてみたいのですが」

およそ雑談には似合わない返し方ばかりだ。


「分かって欲しくて言っただけなのに」

「全然楽しくない」

相手からはそう思われていたに違いない。


冷淡(れいたん)な人間だと思われた場合もあったようだが……

それに関しては彼女に全く当てはまらないと言えるだろう。


彼女はそもそも感受性が強く、非常に感情豊かな人物であった。

その強い感受性のため、ついつい相手に感情移入してしまう。

思いやりがあって優しい反面、感情に流されやすく喜怒哀楽が激しい。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


それでもやはり……

雑談を苦手にしているのは致命的であった。

つまらない人間だと思われ、友達になる人間が限られる。


同年代の女性の中でよく『孤立』していた。


 ◇


凛の理解者。


両親を除くと侍女頭(じじょがしら)[侍女の代表のこと]の阿国(おくに)ともう一人の侍女・比留(ひる)だろう。

この2人の他にもう一人、左馬助(さまのすけ)がいた。


凛より20歳以上も年上ながら、不思議と馬が合っていたらしい。

同じ価値観を持つ人間同士に年の差は関係ないのかもしれない。


恋をする年齢になると……

左馬助がその対象となるのは、ごく自然の成り行きであった。

それは彼も同様だろう。

凛が大人へと近付くにつれ、彼女への意識が変わっていくのだから。

妹のような存在ではなく『女』として。


やがて大人になり、恋に愛が加わった。

互いに生涯を共にしたい相手になっていた。


凛の想いも、左馬助の想いも、父はよく知っている。

左馬助は父が最も信頼する家臣でもある。

結婚相手として何ら問題はない。

適齢期となれば、すぐに左馬助の妻にするつもりだったのだ。


信長の命令は……

父と娘の願いを見事に打ち砕いてしまった。


 ◇


「凛様。

お父上様がお呼びにございます」


この日。

侍女頭・阿国(おくに)の様子は、あまりにも異常であった。

顔面が蒼白(そうはく)になっている。


「大丈夫ですか?

阿国。

どうしたの?」


相手を心配するあまり……

凛は、自分が呼ばれていることにすら気付いていない。


「いえ。

何でもございません。

急ぎ、向かいましょう」

こう言われてようやく気付くほどであった。


阿国(おくに)比留(ひる)を連れて父の待つ部屋へと向かう。

まさか、自分の身にこれから起きることなど知りようがない。


「父上、参りました。

凛でございます」


部屋の入口で頭を下げた。

父親とはいえ、光秀は明智家の主人でもある。


「凛、ここへ」

席が用意されていた。


「かしこまりました」

頭を上げたとき、事態の深刻さに気付く。

父の様子もまた異常であったからだ。


「凛。

そなたに織田信長様よりの命令を伝える。

『明智光秀の長女、凛。

摂津国(せっつのくに)へ行き、荒木村重(あらきむらしげ)の長男・村次(むらつぐ)に嫁ぐように』」


え?

今、何と?

わたしが摂津国へ行って、荒木村重の長男に嫁ぐ?


荒木家と言えば、摂津国を治める立派な『大名』のはず。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()


何か、悪い夢でも見ているの?

【次節予告 第参節 天下布武】

織田信長からの命令は、あまりにも奇妙でした。

後継者になれない次男や三男ならまだしも……

長男の嫁に、家臣の娘をもらって喜ぶ大名などいるわけがないのです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ