第十六節 あらゆる悪い事柄の根
日宋貿易の真実。
宋は得をするが、日本は損をする貿易であった。
「お金が普及すれば……
人々は思い思いの場所で飲食し、船などに乗って旅行し、豪華な宿や趣きのある宿に宿泊し、地域の芸能を観て、様々な音楽を聴くことができるようになる!
人々の暮らしは、今よりもずっと豊かで楽しくなるに違いない!」
一途にこう思ってお金を普及させた平清盛も、実際は宋にまんまと『欺かれて』いたのだろうか。
◇
災いの連鎖は止まらない。
モノではない飲食、観光、交通、芸能や風俗などの商売が盛んになり、あらゆる場所に商店が立ち、飲食や芸能、風俗を提供する店、旅行客のための宿も次々と出来、人々の暮らしは豊かで、楽しくはなったが……
大勢の人が農地から離れる事態を作り出してしまう。
加えて。
日宋貿易の真実に気付いた一部の人々が、宋銭を売って、金や銀、米などに換えていく。
ある日を境にして、宋銭の価値が下がり、モノの値段が上がり始めた。
このような状況で……
台風や豪雨による洪水、これに干魃も加わった飢饉、そして地震に流行病などの自然災害が次々と襲い掛かって来る。
当時の日本は未曾有の物価高騰[インフレ]を起こし、躍起になって増やしたお金も、生活に必要なモノと交換できずゴミ同然と化した。
「飢え死にするくらいならば、他人から力ずくで奪い取ってやろう」
こう考える者が次々と湧き、強盗や殺人が世にあふれ、各地で暴動や反乱が起こって日本全土が無法地帯と化した。
『1467年に始まった応仁の乱が、戦国乱世を招いた』
こんな出鱈目を書く歴史の教科書など……
勘違いも甚だしい!
歴史のテストでは点数をもらえるのだろうが、そんな薄っぺらい暗記で社会に出て、正しいお金との付き合い方ができるかどうか甚だ疑問である。
実際は、こうだ。
「生きるための手段に過ぎないお金を、人間が愚かにも生きる目的へと変えていき……
大勢の人間がお金の奴隷と化したことで……
秩序を脆くも崩壊させ、戦国乱世を招いてしまった」
と。
◇
「凛よ。
話を戻すが……
『幕府を討て、北条を討て』
後醍醐天皇のこの倒幕命令を受けて、人々はどうしたと思う?」
「予想は付きます。
人々はこれ幸いと……」
「その通りだ。
人々は一斉に北条一族に襲い掛かり、その領地と財産を奪った」
「ただの『略奪』ではありませんか、こんなもの。
人々は天皇の命令に本心で従ったわけではないのでしょう?
北条一族の富に目が眩んだだけ」
「そうだが……
仕方あるまい。
既に、秩序が崩壊しているのだからな」
「秩序を立て直さねばならないと仰りたいのですか?」
「うむ。
だからこそ後醍醐天皇は……
鎌倉幕府を滅ぼすと、すぐに秩序の立て直しを図ったのだ」
「どのようにして?」
「まずは、戦いに参加した人々への賞罰。
大勢の者たちが天皇に従って戦ったが、その本心はそなたが申した通り、北条一族の富に目が眩んだだけ。
絶好の機会とばかりに略奪を働いたに過ぎん」
「はい」
「賞罰を十分に詮議[検討すること]する上でも……
奪った領地と財産を、一旦は『返上』させねなばなるまい?」
「確かに。
北条一族から奪った領地と財産を我が物にしている状態は、略奪を許しているも同然となってしまいます」
「その通りだ。
略奪には断固たる『姿勢』で臨まなければならん」
「ただ……
父上。
人々がその命令に従うでしょうか?
富に目が眩み、今まで主と仰いだ北条一族に平然と叛旗を翻せる恥知らずな人たちです。
己の、しかも目先の利益ばかりを追求する、どうしようもない人たち……
大人しく従うとは到底思えませんが」
「ああ。
人々は、奪った富を返上することを拒んだ。
各地で暴動や反乱を起こした」
「またですか!」
「結果として。
後醍醐天皇は秩序を立て直せなかった。
源氏の棟梁[代表のこと]の血を引く足利尊氏は、それを見てある『決断』をする」
「どんな決断を?」
「天皇と逆のことをしたのよ」
「人々が奪った富を、そのまま我が物とすることを認めたと!?」
「うむ」
「何ということを!
そんなことを許して良いのですか?」
「許して良いわけがない。
天皇は、京の都に戻って釈明するよう尊氏に何度も求めたとか」
「ですが……
尊氏は、戻らなかったのでしょう?」
「尊氏自身は戻ろうとしたが……
一族の者どもが『力ずく』で止めたらしい」
「仕方なく天皇に対して謀反を起こしたと?」
「暴動や反乱を鎮めるには、人々に妥協するしかなかったからな……」
「真に、妥協するしかなかったのでしょうか?
逆賊の汚名によって尊氏は、一度は新田義貞、楠木正成、そして北畠顕家の連合軍に敗れて九州まで落ち延びていますが……
何と『別』の天皇を立てて、再度京の都へ攻め上っています」
「……」
「むしろ。
天皇に対して積極的に謀反を起こしているようにも見えるのですが?」
「凛よ。
そもそも尊氏の名前は……
後醍醐天皇の名前である尊治から一字もらっていたことを忘れたのか?
尊氏の名前は死ぬまで尊氏で、死んでからも尊氏であろう?」
「尊氏『自身』が、名前を変えることを拒んだと?」
「一族や家臣から名前を変えるよう迫られても……
一切、耳を貸さなかったのだろうな。
生涯ずっと良心の呵責に苛まれていたのかもしれん」
「父上。
その後醍醐天皇ですが……
歴史の書物にはこう書かれていました。
『側室の阿野廉子という悪女に唆されていた。
お気に入りの者にしか恩賞を与えず、立派な屋敷を建てるために重税を課した。
最後は武士たちに反乱を起こされて京から逃げた』
と」
「敗北した者によく付けられる、事実無根の『敗因』だ。
いくら敗因を分かりやすくしたいとはいえ……
悪女の登場、不公平な人事、重税を課すなど、どこにでもある、ごくありふれた話ではないか」
「確かにそうかもしれません。
楽に読んでもらうために都合の良い悪役を作り、大事なことを省いて真実までも捻じ曲げる人たちの思い付きそうなことです」
「あまりにも内容が浅すぎて、かえって『つまらない』と思うがな」
「……」
◇
「話を続けよう。
最終的に勝利した足利尊氏は室町幕府を開く。
それでも、秩序はある程度しか立て直せなかった」
「ある程度しか?」
「室町幕府は、源頼朝が作った鎌倉幕府よりも大きく劣っていた。
武士たちに戦う『自由』を与えてしまったからのう」
「戦う自由を?
どうしてです?」
「そなたに教えたではないか。
戦の真の『目的』を見抜けと」
「戦は、人々が銭[お金]を増やすための『手段』だと!」
「そうだ。
武士たちに戦う自由を与えなければどうなる?
銭[お金]を増やす手段を失うぞ?
己の、しかも目先の利益ばかり追求し、忠義のかけらもない、恥知らずでどうしようもない者たちが……
また暴動や反乱を起こすだけのことであろう」
娘は深い溜息を付く。
「父上。
生きるための手段に過ぎない銭[お金]を、人が愚かにも生きる目的へと変えていき……
大勢の人が銭の奴隷と化したこと。
そこに、『あらゆる悪い事柄の根』があるのですね」
「うむ」
「一体……
どうすれば、その根を絶てるのでしょうか?」
「あらゆる悪い事柄の根を絶つ……
難しいことだ。
それよりも、凛。
そなた……
少し、疲れたのではないか?
しばらく休もうぞ。
そなたのために茶を点てよう」
父は慣れた手付きで茶を点て始めた。
出来上がると、娘に優しく差し出す。
娘はすぐに飲むことができた。
ちょうど良い温かさに加減されていたからだ。
両手で茶碗を持ち、美味しそうに飲んでいる。
娘のために茶を点てるのは、これが最後かもしれない……
飲み干すまで目を離せなかった。
愛娘は、目の中に入れても痛くないほど愛くるしかった。
◇
2,000年以上も前に書かれた本がある。
書かれている内容は、分かりやすいどころか非常に分かりにくい。
楽に読める要素がまるでない。
内容を分かりやすく、楽に読めるようにして、大勢の人に読んでもらおうという気配が全く無いのだ。
それにも関わらず……
この本は、二位以下を大きく突き放す圧倒的な人類史上一位の座を誇っている。
そこに、こういう一文がある。
「富もうとする人たちは罠に陥り、多くの無分別で有害な欲望を抱き、破滅に至る。
お金を愛することは、あらゆる悪い事柄の根であるからだ」
と。
あらゆる悪い事柄の根は、お金そのものではない。
お金を愛する人間自身にある。
【次節予告 第十七節 戦争の天才、来たる】
ときは1337年。
奥州の地で、一人の若者が秩序を立て直すための戦いに挑む決意を固めました。
700km以上も先の、はるか彼方にある京の都へ向かって、尋常ではない凄まじい速度で進撃を開始するのです。




