第十一節 戦いの黒幕とは、誰のことか
明智光秀の『愛娘』・凛。
彼女には生涯を共にしたい相手がいたものの、政略結婚の道具として摂津国の有岡城[現在の兵庫県伊丹市]へ嫁ぐことを決断する。
すべては……
20年ほど前の、父から母への『誓い』が始まりであった。
あの日。
熙子の美しさに一目惚れした光秀は、同時に並外れた『純粋』さを持つ女性であることも知る。
「戦国乱世に終止符を打ち、平和な世を達成したい」
当時の人々にとって……
こんな志など、ただの『夢物語』に過ぎない。
「『普通』の女子なら、笑って聞き流すだろう。
それよりも。
銭[お金]を増やすこと、楽しむこと、有名になることを追求する男に付いて行く方がずっと楽なのだから……
やはり。
生涯を共にする相手は熙子しかいない」
こう確信した光秀は、一か八かの賭けに出た。
「それがしには、『志』がある。
だから……
熙子殿。
それがしの妻になって支えて欲しい」
こう乞い願ったのだ。
光秀の求婚に、煕子は満面の笑みで応えた。
「はい。
十兵衛[光秀]殿。
喜んで参ります。
ただし。
今ここで、わたくしに誓って頂けませんか」
「何を?」
「その志を、最後まで全うすると」
「勿論!
誓う。
我が命の尽きる日まで……
そなたを大切にし続けることも」
やがて。
信長に最も重用される存在となった父は、こう言うようになった。
「あの誓いを守ることが、わしの『使命』だ。
そのためなら手段など選ばない。
強大な武力を持つ摂津国を、必ず手に入れて見せる!」
と。
◇
さて。
国を手に入れるには、どうすれば良いのだろうか?
「全て占領すればいい」
大抵の戦略物にはこう書かれていると思うが……
残念ながら無知な『素人』が考える机上の空論に過ぎない。
兵法の観点で見れば、一番やってはいけない方法なのだから。
占領地を広げるほど駐屯する大勢の兵士が必要となり、それを維持する膨大な食糧や武器弾薬の補給も必要となって莫大なお金が消えていく。
補給を疎かにした途端、兵士たちは現地調達という名の『略奪』すら始めるだろう。
一方で。
現地の人々にとって、占領という事実だけでも不愉快極まりない話だ。
次から次へとやってくる現地人との揉め事に、指揮官は頭を悩まされることだろう。
どう考えても占領という方法は割に合わない。
◇
もっと『楽』に国を手に入れる方法はないのだろうか?
答えから先に言うと、ある。
現地の一人を『身内』にした上で、国の支配者に据えることだ。
光秀が荒木村重を摂津国の大名に据え、愛娘まで差し出したのは……
すべて、国を手に入れるための『策略』の一環であった。
◇
ただし。
凛の嫁ぎ先となった摂津国は、一つ大きな『問題点』を抱えていた。
この国は現在の大阪府大阪市、吹田市、摂津市、茨木市、高槻市、豊中市、池田市、兵庫県神戸市、尼崎市、西宮市、芦屋市、明石市、伊丹市、宝塚市などを含んでいるが……
現代においても方言、習慣、価値観などの違いが目立ち、逆に共通点を見出す方が難しい地域でもある。
この問題点を光秀は正確に捉えていた。
「室町幕府の有力な大名であった細川家が没落したことで国の秩序は完全に崩壊し、池田、伊丹、茨木、高山、中川、郡、有馬、塩川、能勢、明石などの国衆[独立した領主のこと]や、石山[現在の大阪市中央区]に総本山を置く本願寺教団などが各地に割拠して、勝手気ままな行動を取っている。
この国を統一するなど容易なことではない」
と。
特に厄介極まりないのが本願寺教団であった。
国中の人々から絶大な人気を得ており、荒木村重を除く有力者たちはほぼすべて教団と何らかの関係を持っているほどである。
こう結論付けた。
「わしは、教団が政に関わることなど絶対に認めない。
そのためならば悪辣な手法を用いても一向に構わん。
偽りの噂[デマ]を国中にバラ撒き、噂を何でも真に受けてしまう人々を操って、民自身が村重を『選ぶ』よう誘導すれば良いのだ」
と。
池田勝正、伊丹親興、茨木重朝、和田惟政の4人の有力な国衆[独立した領主のこと]に比べ、家臣の出身であった村重は圧倒的に支持者が少ない。
それでも。
格差や増税などで現状に不満を抱く民の声を巧みに『増幅』させた光秀は……
あたかも国中の人々が、新たな支配者を望んでいるかのように印象付けていく。
こうして。
白井河原の地に集まった人々のほとんどは、改革者として既存の4人の支配者と対峙した村重に期待し、『味方』に付いた。
結果。
村重は、数に物を言わせて4人を一網打尽とすることに成功したのである。
◇
光秀の策略は順調に進んだものの、強烈な『副作用』を伴ってしまう。
前の章で阿国が指摘した通り……
荒木村重に摂津国を一つにする実力など全くない。
国を一つにするどころか、足元を治めることすら難渋していたのだ!
そんな危険な場所へ、光秀の愛娘・凛は飛び込むことになる。
様々な争い事に巻き込まれるのも時間の問題だろう。
「『敵を知り、己を知れば百戦危うからず』
わたくしは……
真の敵が誰なのかを正確に見分ける能力を身に着ける必要があるのですね」
凛自身も。
正確に見分ける能力、つまり『識別力』を持つ必要性を正しく認識していたのである。
◇
「まず1つ目は、『戦いの黒幕』という敵のこと」
「戦いの黒幕?
初めて聞きましたが。
一体、誰なのです?」
凛は驚いていた。
裏で戦を操っている人々がいるとでも?
どの書物にもなかったけれど……
「6人いる。
1人目は、室町幕府。
これは既に信長様が滅ぼした。
2人目は、大名。
3人目は、国衆[独立した領主のこと]。
4人目は、武器商人。
5人目は、南蛮人。
最後の6人目は、『民』そのものだ」
あまりの多さに驚いた。
幕府に大名や国衆を加えると、武士のほとんどでは?
それに武器商人や南蛮人、民も?
南蛮人とは、スペイン人とポルトガル人のことを指す。
南から来た野蛮人という意味でそう呼ばれていた。
特に、強力な艦隊を持つスペインは名実ともに世界最強国家であった。
後にエリザベス女王との海上決戦で歴史的大敗を喫するまでは……
◇
「父上。
戦いの黒幕に武器商人と南蛮人を含むのは、戦に必要なモノで銭[お金]を儲けているからです?」
「うむ」
「では、民は?」
「そなたは既にそれを知っているはずだ」
「知っている?」
しばらく考えた凛は……
徐々に、その意味を悟り始める。
幼い頃から彼女は人々がどんな仕事をし、その仕事にどんな目的があるかを知りたがっていた。
そして、それを知れば知るほど気付いたこともあった。
ほとんどの仕事が、直接的にも間接的にも戦争と関係していることに。
大勢の『民』が槍や刀などの武器、盾、矢や弾丸などの消耗品、甲冑や衣服などを作る仕事をしていた。
加えて。
原料となる鉄、木材や竹、衣服の原料となる木綿などを作る仕事もあった。
さらに旗、幕、兵が寝る道具、兵糧を入れる箱や紙、水筒作りまであった。
戦争は、ありとあらゆる人々の『生活』を支えている。
戦争がなくなってしまうと……
大勢の人々が仕事を失い、収入を失い、生活基盤を失ってしまうのだ!
凛は、ある大胆な仮説へと辿り着いた。
「父上。
戦で生活が成り立つ大勢の『民こそが戦いの黒幕』であると仰りたいのですか?」
「よく分かったのう。
凛よ」
同時に凛は、この仮説が重大な問題を抱えていることにも気付く。
「お待ちください。
これでは戦いの黒幕が『多すぎて』、戦が終わらないではありませんか」
と。
◇
肯定も否定もせず、父はさらに話を続けていく。
「それだけではない。
銭[お金]そのものを欲する『民』もいる」
「え!?
銭[お金]そのもの?」
「うむ」
「そもそも。
銭は、モノと交換するために『存在』しているはずでは?」
そして凛は……
現代の人々の多くが忘れてしまった、ごく当たり前の真理を口に出す。
「銭そのものには何の価値もないではありませんか」
と。
娘が口に出した言葉は、父を十分に満足させるものであったらしい。
「その通りだ!
それでも銭[お金]に魅了され、銭の奴隷へと成り下がった民がいる。
目先の銭を得ること、銭がもたらす楽しみばかりを追求して生きている」
「そんな生き方を……
どれだけの人がしているのです?」
「とにかく。
数え切れないほど『大勢』だ」
「そんなにも、大勢?」
◇
光秀は……
戦争で生活が成り立つ民衆と、お金そのものを欲する民衆こそが戦いの黒幕であると言っていた。
果たして。
問題は、それだけなのだろうか?
【次節予告 第十二節 無知な素人が引き起こす災い】
父は、戦争の素人たちが戦場に出ることが問題だと言います。
それを凛に理解させるため……
応仁の乱と、一向一揆の例を挙げるのです。




