一章之五 恋人たちの初めての再会
棗は溜息を吐いた。
後ろの金網に手を突いて、立ち上がる。
今日は少し、風があるな、と思いながら出入り口へと向かう。
棗は誤解した。
出入り口の扉を葉介がきちんと閉めず、半端に開いていると。
内側では、樹理が扉を押していることなど知る由も無い。
ドアノブに手をかけ、扉を開ける。
「うわっ」
衝撃。
何かが突進してきた。
ふわふわとした茶色毛の頭。
思わずそれをわしづかみにする。
「きゃっ」
わしづかみにした髪を、そのままぐいっと持ち上げてしまった。
「あ・・・」
「な、何っ」
棗はその茶色毛の少女の顔を見た。
一気に意識が遠のく。
意思が内側にこもった。
そして何らかの意思が、おもてへと出た。
「リンッ・・・リンッ」
樹理が目を見開いた。
瞬く。
棗の顔を見ている。
数秒の沈黙。
見つめ合う。
樹理が泣きそうな顔になった。
「ル・・・」
棗は樹理を勢いよく抱き寄せると、
無理やりキスを始めた。
嫌がっているのか、それとも恍惚にもだえているのか分からない樹理を、力で抑える。
しばらくキスをしていると、こわばっていた樹理の身体から力が抜ける。
棗は樹理の髪をぐしゃぐしゃと掻き回す。
「んんっ・・・」
唇を少し離す。
「リン・・・」
かたく目をつぶっていた樹理が、目を開いた。
茶色に近い黒目。
「リンッ・・・」
数秒の間。
樹理は自分の唇に触れた。
そして、目を見開く。
乾いた音が響いた。
樹理は棗のほほに平手打ちをした。
「っ・・・」
口の端が切れ、口元を押さえる棗。
* * *
樹理は重い扉を引き開け、走ってその場から逃げた。
背中の方から声がする。
「リンッ」
樹理は階段を駆け下り、生徒会室の扉を開け放った。
大きな音が鳴り、扉は閉まる。
「樹理、乱暴に扉を開け閉めするな」
樹理は後ろ手に握っていたドアノブから手を離し、扉に体をあずける。
ずるずると背中を擦りながら脱力して、その場にへたりこんだ。
「樹理・・・?」
ぐすん、と樹理は鼻をすすった。
生徒会長席から立ち上がる蔵人。
「どうした、樹理っ?」
ぐすん、ぐすん、と半べそをかいている樹理。
「ケータイ忘れた~~~」
駆け寄ろうとした蔵人が立ち止まる。
「・・・は?」
* * *
保健室。
ベッドで眠っている満と、それに付き添っている葉介。
葉介は見た目で怖がられるが、人の善さでクラスの中でも上位にいる。
おひとよしの自分を気にしているタイプでもなく、何かが出来上がっている人物だ。
葉介が心配しているのは、満のおひとよし加減。
満は葉介と違って、おひとよしの自分に悩んでいる。
そんな満に、別におかしな意味ではなく、惹かれている葉介。
いつだったか、棗もそんな満を心配していると言っていた。
誰かを心配している様子を、見せないようにしている満は、優しいと思っている。
誰かを心配している様子を、完全には隠せない所が、彼の魅力の一部だとも言える。
葉介がお見舞いに来た時、満は寝ていた。
そこらにあったイスを持ってきて、ベッドの側に座っている葉介。
しばらく満を見ながら、ぼうっとしていた。
唸りながら、寝返りをうつ満。
彼がぼそりと、しかし聞こえる大きさの声で呟いた。
「ルシファー・・・」
* * *
屋上。
扉に対面して、立ちすくんでいる棗。
それを見ている人物がひとり、屋上にいる。
何のためなのか、ハシゴがかかり、登れるようになっている場所だ。
そこでくつろいでいた人物。
ヤマウチ・カズヒコ。
広瀬棗の同級生、同じクラスの生徒だ。
彼は携帯電話の画面と、広瀬棗を見ている。
画面には、棗と、茶髪の少女のキスシーンを撮り、保存した画像。
山内一彦は口元を上げた。
高速でメールを打つと、それをとある人物に送った。
広瀬棗が頭を抱え、髪をぐしゃりと握った時、死角へと隠れた。
* * *
棗は頭を抱えてきびすを返し、フェンスへと向かった。
再び座ると片ヒザを立て、顔を覆う。
「何なんだっ・・・?」
自分の意識が内側から出てきたと感じた頃、めまいが起こった。
意識が遠のいていく。
「っ・・・」
ぎゅっと体に力が入って、一拍後、棗は虚脱した。
だらりと投げ出されたかのような体は金網に凭れる。
* * *
「あ」
メールが来た。
山内一彦は、内容を確認。
確認すると、すぐに携帯電話をポケットにしまった。
そろりと下をのぞくと、フェンスに凭れた広瀬棗がいた。
寝ているのか休んでいるのか分からないが、目をつぶっている。
「しめしめ」
山内一彦は素早く金属のハシゴを使って屋上の広場へ降りると、棗を見た。
一彦の、笑っているように見える顔。
お前は葬式に出るな、と親に言われるほど、何かを楽しんでいるような顔をしている。
今は実際に、楽しんでいるので笑顔だ。
彼はドアノブに手をかける。
開けるのにすこし手惑い、もう一度棗の方に振り向く。
一彦は扉を開けると、なるべく音が鳴らないように扉を閉め、屋上をあとにした。
* * *
「こちらにっ」
いきなりの声だった。
俺は誰かに抱きしめられている。
俺はそのひとの白い服をにぎりしめている。
「こちらですっ。道が開けましたっ」
俺を抱きしめているひとが俺を見た。
金髪に、グリーン・アイ。
少女のような可憐さを持っている顔立ち。
いつの間に髪を切ったのだろう?
彼女は俺の目を見て、納得を促し、頷く。
俺はそれに気づき、頷き返す。
彼女に手を引かれ、そして弓や剣を持った男達に囲まれながら走る。
「どうして私が幽閉されている場所が分かったの?」
小走りに進む男達は無言。
母上は・・・
母上?
この金髪の女、母親なのか?
金髪の女性は、周りの男達の顔を見た。
「あなた達っ」
「そうです」
「そうでございます。メルティーナ様」
「堕天使軍っ」
「そういう名前がついたのですねっ」
「今、考えたの」
「相変わらずで」
この緊迫した中、男達の微笑の気配を感じ取る。
「何か来るっ」
俺は声を上げる。
途端に、前方の空間に亀裂を伴った風が吹いた。
大きな亀裂の中から、真っ白な軍服を着た軍人天使が複数現れた。
弓矢の攻撃。
不意を突かれたおそらく父上の配下が倒れていく。
剣を腰の鞘から引き抜いた真っ白な軍服の男が、俺に剣を振り下ろした。
咄嗟に翼を広げ、手を払ってバリアを張る。
濃縮された空気が、剣を跳ね返す。
ザン、と音がした。
声が出ないほどの痛み。
「きゃあっ」
メルティーナが別の攻撃を避けているのを確認。
うしろに振り向く。
背後にもブラックホールみたいなものが現れて、片翼を落とされたのを知る。
それを認め、痛みにあえごうとした時。
ブラックホールから出て来た真っ白な軍服の軍人天使が攻撃してきた。
バリアを張るため、片手を上げようとする。
「ルーシーっ」
真っ赤な飛沫。
俺は目を見開く。
俺の母親『メルティーナ』という天使が、
俺の目の前に立ちはだかり、斬られた。
・・・スローモーション。
それとも、本当にゆっくりだったのだろか?
メルティーナは床に倒れた。
「母上っ」
メルティーナの体を、剣が貫いた。
「母上っ」
うしろから抱き上げられる。
振り向くと、父上の配下。
「母上がっ・・・」
「申し訳ありませんっ」
「母上はっ?」
「申し訳ありませんっ」
「母上がっ・・・」
「せめて貴方様だけでも、ご帰還下さいっ」
父上の配下は泣いていた。
堕天使。
元、天使。
彼がメルティーナに惚れていたことを知る。
そして何があっても、『俺』を救い出す計画であることも察した。
走り出した父上の配下。
倒れているメルティーナ。
「あっ・・・」
数秒、頭の中が空っぽになる。
曲がり角。
そして庭園。
「ああっ・・・」
何の関係も無いかのような。
関係していて、すましているかのように見える草木。
そして花々。
俺の中で、何かが壊れた。
「あああああああああああああああああああああああっっっ」
周りの建物や庭園が、俺の発した衝撃波で、崩壊する。
いや。
内側から見ている俺が崩壊を感知する寸前、夢は、ふつりと途切れた。
・・・
・・・・・
俺は目を覚ます。
気づいたそこは屋上で、気だるい腕をあげて腕時計を確認した。
数秒の、間。
俺は髪をぐしゃりと握り、大きな溜息を吐いた。
「・・・母さん・・・」
おもわず口に出してしまったフレーズ・・・棗の母は存命していない。
棗はしばらく、呆然としていた。
呆然と、過去を思い出していた。
きっとあのメルティーナという天使の夢を見るのは、過去のトラウマからだ。
若くして亡くなった母の、命日が近いから見た夢なんだろう。
棗はそう思って立ち上がった。