一章之四 保険室へ
「ねぇ、まーだ?疲れた~足、痛いぃ」
「この森を抜ければ、『ありえない者達』の都に着くはずだから」
「休もうよ~」
「そうだな・・・もう少し歩いて、安全な場所を探そう」
「分かった~」
声の具合で、夢の中の人物『ゼイン』が少年であることに気づいた。
何故か、その少年の目線で夢を見る。
彼の妹のミネアナは、十歳にも満たないはずだ。
「ねぇ、お兄ちゃん、霊石の匂いがするよ」
ゼインは鼻をすん、と鳴らしながら風の香りを嗅いだ。
「そのようだな。そこで休もう」
「霊石の側は、獣が集りにくい」
「そうだ」
覚えていたことを自慢げに喜ぶミネアナ。
可愛い、と思っている。
口の端が少し上がる。
霊石の周りに、草木は生えない。
その石を中心に、円を描くように、草木がない。
茂みを掻き分け、小さな天然の広場へ。
白く、大きな岩。
ほっと溜息を吐こうとした時だった。
「誰だ」
ミネアナがはっと息を飲む。
「ブルーローズか?」
数秒の間。
「猫の匂いがする・・・獣人か」
「あんたからは、狼の匂いがする・・・」
霊石の死角にいる人物が、鼻で笑った。
「何がおかしい」
「子供のようだな」
「あんたは大人だな」
「そうだ。話しをしないか?」
「何の?」
「何の用でここにいる?」
「ここはあんたの領地か?」
「そうだ」
「何?」
「まぁ、こっちに来て座れ」
ゼインとミネアナはお互いを見る。
躊躇したが、慎重に男に近づく。
パチン、と、彼の足元で焚火が小さく弾ける音がした。
布に包まれた剣を抱いている、年齢不詳の男。
黒髪に黒目で、声にぴったりの美男だ。
二人は、彼の向かい側に座った。
もう森の中は暗い。
赤い炎は魔性をおびているのだろうか?
ずっと、じっと見ていたくなるような魅力がある。
「私はライカ。君達の名前は?」
「ゼイン」
「ミネアナ」
「何の用でここらにいる?」
「『ありえない者達』の都を目指している。知らないか?」
「そこが私の里だ」
「本当にっ?」
「ああ」
ライカは笑って見せた。
「流れ者か?」
「両親が言っていた。獣人を受け入れてくれる都みたいな里が、樹海にあると」
「そうだ」
「そこに行きたい」
「分かった。連れて行ってやろう」
「マムとパピーはそこにいますかっ?」
ミネアナが期待を込めて敬語を使う。
「そんな名前は聞いたことがない」
「『両親』のことだ」とゼイン。
数秒の、間。
ゼインはライカを見つめる。
その視線の意味に気づいたライカは、ミネアナを見て、微笑んで見せた。
「私が知らないだけで、いるかもしれない」
はしゃぎだすミネアナ。
僕の思うに、ゼインとミネアナの両親は、もうこの世にはいない。
何故かそれを、知ってる。
・・・
・・・・・・
そのあと僕達は、森の中を抜ける。
崖に出て、開けた青空を見る。
「わ~っ」
喜ぶミネアナ。
「やっとだ・・・」
そして喜ぶゼイン。
ライカは崖の下、橋がいくつも架かっている大きな樹を示した。
「私の里、ブルーローズと呼んでいる」
「ブルーローズって?」
「『ありえない者達』って意味だよ」
どうやって崖の下に降りたのかは、あいまいになっている。
いつの間にか屋内にいて、ライカと僕とミネアナが歩いている。
「息子がいてね、ぜひ友人になってもらいたい」
「どんな子ですかっ?」
ミネアナが飛び跳ね歩きをしながら聞く。
「ん~・・・小難しいね。そういうのは得意?」
「コムズカシイ、って何?」
「俺も小難しい」
「はは。そうか」
「ああ、ちょっとかなり、ムズカシイって意味だね」
「何で意味が分かった?」
「お兄ちゃんがコムズカシイから」
ゼインの無言。
ミネアナは口元を上げる。
ライカを見る。
『僕』だったら、愛想か天然とかで少し笑うところだ。
どうやらライカは、そんな感じじゃないひとらしい。
「仲良くなれるかしら?」
「ぜひとも、仲良くなってもらいたいな」
猫の耳をしている青年が、すれ違いざま、ライカに挨拶をした。
「息子がどこか知らんか」
「広場におります」
「ありがとう」
「いえ」
広場に向かう。
複数の獣人達が談笑している。
ライカを目に認めると、皆が挨拶をした。
「お帰り、父上」
いつの間にかいたのは、十代前半の少年だった。
黒髪に、グリーン・アイ。
怖いほどの美男だが、彼の落ち着きようの方が、それよりいくぶんか怖い雰囲気。
「ただいま帰った、息子よ。お前の友人を連れてきたぞ」
「俺に友人はいない」
「今からなるんだ」
「ならねばならんのですか?」
「さて、ねぇ・・・ん~・・・」
ライカは頭をかいた。
「ねぇ、名前、何て言うの?」
ミネアナの質問。
ライカの息子は沈黙したまま、答えない。
ライカは困惑気味に苦笑した。
「息子のルーシーだ。仲良くしてやってくれ」
「私、ミネアナ」
ルーシーと呼ばれた少年は、じっと二人を見て、そしてきびすを返した。
しばらく歩く。
そして振り返る。
「何故ついて来ない?」
「ああ、いいの?」
「父上が友人だと言った。ついて来い」
素直について行こうとするミネアナの腕を掴み、先に進むゼイン。
ルーシーに近づく。
数秒の、間。
「名前は?」
「ゼイン」
「俺の名前は、ルシフェル」
* * *
目を開けると、いつものように煩い教室。
桜庭満は、細く長く溜息を吐いた。
めまいを感じる。
生徒を無視しているかのような、授業の進め方の教師。
教師がチョークを置き、振り向く。
「次、読んでくれる者はいるかな?僕の話聞いてないだろうけど・・・」
教師は教室に目をめぐらせる。
「桜庭君、次、教科書の・・・」
「あ、はいはい」
桜庭満は席から立ち上がり、音読をしようとした。
そしてふらり、と意識を失い、その場に倒れる。
「満っ?」
「おい、満っ?」
最初に反応したのは棗で、次が葉介だった。
隣の席に座っていた葉介の方が先に席を立ち、満を抱き起こす。
「満っ」
教室が騒然とする。
どうした、とか、いや知らん、とか誰かが言っている。
「俺が運ぶから」
「ここはわたしが・・・」
教師が近付いて来た。
「いえ、いいです」
「俺が運ぶ」
「いや、俺が運ぶから」
「ああ、分かった・・・」
「ちょっと手伝ってくれ」
「分かった」
棗の協力のもと、葉介は満をおぶった。
「ごめん・・・」
呟く満。
「いいから、今は黙ってろ」
満をおぶり教室を出る葉介、そしてそれに付き添う棗。
棗は満の背中をさすっている。
顔をのぞきこむ。
「大丈夫か?」
満はぐったりとしていたが微笑して見せた。
* * *
桜庭満が倒れたのは四時限目で、次は昼休みになる。
保健室で飲食は禁止。
だいたいいつも昼食を屋上でとってる棗は、今日も昼食の場所を屋上に選んだ。
隣に座っているのは樋口葉介。
身長が百八十センチほどあるがっちりとした体形でクラスで一番背が高い。
棗は朝のうちに近くの店で買ったパン。
葉介は、彼の母親手作りの弁当を食べている。
葉介が屋上で昼食をするのは、手作り弁当を食べてる姿をあまり見られたくないからだ。
早食いで、すでに弁当を食べ終わろうとしている。
「平気か、あいつ?」
しばらくの沈黙。
口の中に入っていたパンを飲み込む棗。
「満?」
「ああ」
「分からない」
「ん」
葉介は弁当箱のふたを閉じ、包み直した。
「ちょっくら様子見てくる」
「今?」
「ん」
「じゃあ、俺もちょっとしたらいく」
「ゆっくり食べろ」
「ああ・・・」
立ち上がる葉介。
それを見送る棗は、ストローで栄養ドリンクを飲んだ。
* * *
生徒会室。
樹理は声をあげた。
「あっ」
弁当を食べていた蔵人は、資料から視線を妹に移した。
「どうした?」
「休み時間に屋上に空を見に行ったんだけど、携帯電話忘れてきた・・・」
「何っ?今すぐ取って来い」
「分かってるよっ」
* * *
樋口葉介は階段を降りる。
保健室は一階。
二階まで降りたところで、ひとりの女子とすれ違った。
その女子は小走りに階段を駆け上がっていく。
彼女が走ってきた方面には、特別な時にしか使わない教室ぐらいしかない。
それで、妙に印象に残った。
何故自分がそれを印象に残したのかは分からないし、特別気にするつもりもない。
生徒会の関係者なのか、と心の中で一瞬でつぶやいて、
葉介はそのまま一階まで降りた。
* * *
樹理は生徒会室から出ると、小走りに階段へと向かう。
複数の生徒達とすれ違いながら、階段を上がっていく。
屋上への扉。
それを押す。
外で風でも吹いているのか、開けにくかった。
扉が重い。
急に扉が開く。
「うわっ」
樹理は前につんのめり、屋上へと出た。