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三章之六 ジャガイモクッキー事件


 一年に一度、五月に進路希望調査がある。

 簡単に言うと、将来何になりたいかのアンケートみたいなものだ。

 ただ、あとから『調査』が入るので、適当なことは書いてはならない。

 ホームルームが始まり、希望書が配られる。


 じゃあ、無難ぶなんな職業を書いておこうか。


 なんて樹理は思ってみるが、この学校の理事長は母。

 そして生徒会長は兄。


 仕事はしてみたいが、では何の職種がいいのか、と考えるとまとまらない。


 お兄ちゃんは、家を継ぐのだろうか、とか、思考をそらしてみる。

 この学校は、とある大企業をしている会社の社長、つまり樹理の母が経営している。

 そのとある大企業の会長が、祖父。


 父と母のナレソメはお見合い。

 今は離婚して、父は行方不明気味だ。

 時々手紙が届くので、生きていることは分かっている。

 三浦家が婿養子をとった形になるので、離婚をしたが名字は三浦のまま。



 当時は、それがよく分からなかったな~。

 まぁ、今でもあんまり分かってないんだけど・・・あはは。



「じゃあ、そろそろ回収しますよ~」


 担任の声がして、樹理ははっとする。

 みっつある希望欄には、なにひとつ書いていない。


 慌てていらっていたシャーペンの芯をカチカチと出し、走り書きをする。


 樹理は、第一希望欄にこう書いた。


『 芸術家 』




 * * *




 一方その頃、二年七組。

 やはり彼らも、就職希望調査を受けている。


 満は鼻と上唇の上に、えんぴつを挟んで、背伸び。

 そして「あっ」と言うと、就職希望書に何かを書き込む。

 後ろの席に振り向く。


「書いた?見せて見せて~」


 後ろの席にいたのは、棗。

 棗は頬杖を突いて、難しそうな顔をしている。


 リュックから出したCDを差し出す満。


「サンキュー」

「ああ、貸してたっけ?」

「うん」


 棗は取り合えずCDを机の中にしまう。


「お前、どうすんの?」

「僕?『ウルトラマン』って書いておいた」


「第一志望?」

「ううん。第二」


「第三は?」

「まだ書いてない」


「ふぅん・・・」

「棗は?極道じゃないの?」

「極道って、書こうか?」

「やめた方がいいよ~」

「うっせ」


 棗はうしろの席に振り向く。

 その席にいるのは、葉介。


「書いた?」

「ああ。家継ぐつもり」

「お菓子屋さん?」

「ああ」

「いいな~」


 葉介の隣の席にいた孝司が言う。


「もう手伝いとかしてるんだろ?」

「うん・・・まぁ・・・」


 ちょっと気恥ずかしそうな葉介。

 満が孝司に聞く。


「孝司君は、何になりたいの?」

「作家」

「え?」

「小説家」

「ええ~っ」


 満と棗は意外そうな顔をする。


「小説とか、書いてるの?」

「ちょくちょく」


「読まして?」

「やだ。棗はどうすんの?」 

「俺?家、手伝おうかなぁ」


「極道手伝うって、麻薬まやく売りさばくとか?」

「うちは、任侠にんきょうだってのっ」

「違いがよくわからん。任侠は麻薬売ってないの?」


「うちは売ってない。他のとこのかせぎ方知らない」

「なんだ・・・」


「お前、小説のネタにしようと思ったんじゃねぇだろな?」

「あはは」

「何が、あははだ」


 葉介が聞く。


「満はどうすんの?」

「ウルトラマン」


 棗が言う。


「多分、将来仕事なかったら、家具の買い付け始めるよ」

「なんで?」


「ああ、僕のパパ、家具の買い付けしててね。外国とかに月に一回くらい飛ぶんだけど、そこの会社、もうちょっと社員欲しいんだって」


「そこ、狙ってんの?」

「よく分かんない」

「考えとけよ~」


「わ~かってるけど、今は将来のこと考えたくない。今を楽しみたい」


「今がよければ、将来はどうでもいいって?」

「そういう意味じゃないって」

「ああ、なんだ、安心した」

「なに、心配してくれてるの?」

「そうだよ」



 数秒の間。


 

 満は自分の机の方に振り返り、何かを書いた。

 その紙を棗、葉介、孝司に見せる。


「第一希望、家具屋に就職っ」


 三人が同時に関心した。


『「ほぉ~」』 




 * * *




 昼食時間、生徒会室。

 そこには、生徒会員と、樹理。


「そう言えば樹理ちゃんは、将来どうするの?」


 質問したのは、松崎美緑。


「え~・・・秘密」


 美緑は微笑。

 生徒会長席に座っている蔵人を見る。


「会長は、もちろんお家が経営していらっしゃる会社を継ぐんですよね?」

「あ~・・・ああ、まぁ」

「なんか、素敵だわぁ~」


「ははは・・・」


 笑って誤魔化す樹理。


 あの結婚届付きの告白から、兄蔵人は逃げている。

 逃げてはいけない。

 ただ、松崎美緑の態度の豹変ひょうへんを見ていると、逃げたい気持ちが痛いほど分かる。


 事情を知らない生徒会員が、どうかしたんですか、と聞くくらい、いつもと違う。


 どうしていいのか、分からない。

 

 それが樹理と蔵人の、松崎美緑に対する現在の状態だ。


「それで、会長、わたし・・・」

「あっ、ああ、クッキーありがと」

「ああっ、いえ~」


 数秒の間。


 一年生の生徒会員が口に何かが入ったまま言う。


「美味しいですよ~、このジャガイモ入りクッキー」


 松崎美緑は笑顔のまま、蔵人を見ている。

 何だか、食べざるをえない感じだ。

 何か嫌な予感がする。


 蔵人は口元を上げる。


「家に帰ってからにするよ」

「今、感想聞きたいんです~」

「いや、遠慮しておく」

「何でですか?」

「今、満腹なんだ。樹理、紅茶」

「あ、はい」


 弁当を食べていた樹理が席を立とうとする。


「ああ、いい、いい、私が入れて差し上げますわ」

「え」


 紅茶を入れる美緑。

 その紅茶がカップにそそがれるのを見ている蔵人。


 樹理には、兄がイライラしているのが分かった。

 ただイライラしているのを隠しているようなので、黙っていることにする。

 今樹理にできるのは、兄の側にいてやることぐらいだ。


 美緑はにこやかに紅茶を生徒会長席のテーブルに置いた。


「はい、どうぞっ」


 蔵人は言った。


「俺は樹理に入れてもらいたかったんだけど?」


 美緑の顔がすっと無表情になる。


「なんで?」

「は?」

「私がそんなに嫌いですかっ?」



 生徒会室にいた全員が美緑と蔵人の方を見る。



「誤解されるような言動げんどうは、正直、止めてほしい・・・」


「あの・・・もしかして、会長と松崎書記って、付き合ってるんですか?」


 蔵人がその質問をした生徒会員を見た。

 そして、美緑の顔に向き直る。


「もう一度言う。周りに誤解される言動は止めて欲しい」


 松崎美緑の目が赤くうるんでゆく。


「やっぱり・・・やっぱり、そうなんですね・・・」


 数秒の沈黙。

 蔵人はあくまでも冷静に対応した。


「何がだ?」


 美緑は大声を上げて泣く。


「やっぱりホモなんだっ」


 美緑は泣き顔を隠すために顔を手でおおい、生徒会室を飛び出す。


 唖然としている生徒会室。

 胸元にまだ唖然が残っているが、沈黙が浮き出してきた頃。



「は・・・?」



 生徒会室にいた全員が、生徒会長、三浦蔵人を見た。 


 蔵人は席に座ったまま、頭を抱えて大きな溜息を吐いた。


「あの・・・会長ってホモなんですか?」


 蔵人はまた、大きな溜息を吐いただけで、その質問には答えなかった。





 * * *




「は?」

「とにかく、渡して下さいねっ」


 廊下を走って行く女性徒に、相楽孝司は声をかけた。


「あんた、名前はっ?」


 聞こえなかったのか、そのまま走り去っていく女生徒。

 手の中の包みと便箋びんせんを見て、孝司は名前が書いてあるかどうか見た。


 樋口葉介君へ

 

 便箋の表に、そう書いてあった。

 教室に入り、葉介に近寄る。


「葉介、これ」

「ん?」


 棗、満、まさと話していた葉介は振り向く。

 周りが異常反応。


「まっ、まさかこれはっ、恋文こいぶみと手作りお菓子っ」


『「なにっ?」』


「見せろ」

「開けろ」

「読め」


 葉介は孝司を見る。


「何、これ?」


 孝司は肩をすくめ、近くの席に座る。

 雅が手紙を読む。


「『樋口葉介君、君のためにジャガイモクッキーを焼いてみました。必ず食べてね?」』


 それを読んでいる間にも、満が包みを開く。

 緑色のリボンをしゅるりと解く。


「おお~、クッキーだぁー」


 受取人の了解もず、クッキーを手に取り、ほおばる棗。


「あ、美味し」


 満と雅も、勝手にクッキーに手を伸ばしている。


「いただきまーす」

「しぼりだしタイプのクッキーだにゃぁ、これ」


 孝司が葉介に聞く。


「俺も食べていい?」

「ああ」


 孝司がクッキーを食べる。


「いいんじゃん?甘さひかえめで」


 数秒の間。

 葉介はクッキーと机に置かれた手紙を見ている。

 孝司を見る。


「なんか、怖ぇ・・・」


 ――

 ―――――・・・


 次の授業中、棗、満、雅、孝司が腹痛をうったえ、保健室へ。

 原因は皆の証言により、食あたりだと判明。


 唸りながら腹部を押さえベッドに横たわる四人に、葉介は言った。


「ごめん、嫌な予感がしたのに・・・」


「お前のせいじゃねぇよ・・・」

「そだよ・・・」

「そうだっちゃ・・・」

「気にするな・・・」


 葉介は泣きそうになっている。

 それを見て、思い出す孝司。


「そう言えば、クッキーと手紙の差出人、なんか泣いたあとみたいに涙目だった・・・」


 保険医が言う。


「もしかしたら『オーイチゴーナナ』かもしれないから、救急車呼ぶわね」


「オーイチゴーナナっ?」




 * * *




 そのあと実際に救急車が来て、少々騒ぎが起こった。

 テレビの取材しゅざいが来たのだ。


 帰宅した樹理と蔵人は、夕方のニュースを見た。

 搬送はんそうされる同じ学校の生徒の映像を見て、テレビの電源を消す。


 蔵人は溜息。

 樹理はぼそりと言う。


「今頃、お母さんのご機嫌、マックス悪いだろうね」

「そうだな・・・」




 * * *




 翌日。

 樹理は昼休みに二年七組を訪ねた。

 呼び出したのは、樋口葉介。


「なに?」

「あの・・・一緒にお昼ご飯食べませんか?」


「棗なら、いないよ」

「はい」


「満もいない」


「分かってます。昨日メールして、しばらくは学校来れないって言ってましたし・・・」


「じゃあ、雅?」

「マサ?って誰です?」


「俺を誘っているのか?」

「はい」


「何で?」

「凹んでるんじゃないかと思って・・・」


 数秒の間。


「もしかして、棗達が何か言った?」

「多分凹んでも、ひとりで学校に行くだろうなって」


 更に、数秒の間。


「で、頼まれたのか?」


「えっ?違いますっ。私にできること、なんだろうなって思ったからですっ」


「本当か?」

「はい」


「俺は、嬉しい」


 樹理は口元を上げた。


「お昼ご飯、何食べるんですか?」

「ああ、朝の内にコンビニでパン買ってある」

「へ~・・・じゃあ、生徒会室へ」

「は?」



 生徒会室。

 そこには、生徒会員と樹理と、葉介がいる。


 お弁当の包みを開ける樹理。


「あ、だし巻き卵入ってる♪」

「本当にだし巻きなんだろうな?砂糖入りの甘いやつじゃないだろうな?」


 蔵人が言う。

 樹理はつまみぐい。


「あ、不思議な味」

「お前にやる」


 蔵人はわざと、樹理にいつも以上にかまっている。

 葉介の方を見ないようにしている。


 葉介も葉介で、蔵人を見ないようにカレーパンを食べている。

 樹理が無邪気に葉介に聞く。


「カレーパンって、ジャガイモとかニンジンとか入ってるんですか?」

「食べたことないのか?」

「はい」

「なんで?」

「さぁ?」


 生徒会員が言った。


「そう言えば、松崎さん来ませんねぇ」

「昨日のジャガイモクッキーのお礼に、新しいお茶っぱ持って来たのに~」


 樹理が食いつく。


「え~、なんのお茶っぱですかぁ?」

「私が家でブレンドした特別のやつなの~」

「ベルガモット入ってます?」

「あ、そう言えば樹理ちゃん、茶道部だ」

「はい~」

「ファンジャンテンジャンファンって知ってる?」

「え~、中国のお茶っ?」

「当たり~。今度はそれで」

「どうやって手に入れるんです?」

「親戚にコネがあるの~」

「わぁ~」


「待ってくれ」


 樹理と、樹理と話していた生徒会員、カミヤマ・カオルコは声のした方に振り向いた。

 葉介は言う。


「ジャガイモクッキー?」


 数秒の間。


「ああ、ええ。昨日、食べたんですよ?」

「まさか手作りの?」

「そうですが、何か?」

「そのジャガイモクッキー作ったのは誰だ?」

「え・・・」


 神山薫子かみやまかおるこが困って、蔵人を見る。

 蔵人がようやく葉介を見る。


「何だ?」


「あいつら、俺に送られてきたジャガイモクッキー食べて食あたりになったんだ」

「は?」


 はっとする蔵人。

 ぽかんとする生徒会員達。


「どういう意味です?」


「好意を持って送ってきたふりをしていたが、あのクッキーには悪意が満ちていた・・・」

 

 蔵人は眉間を寄せる。


「何を言っている?」


 樹理が言う。


「樋口先輩の家は、洋菓子店をしているんだよ。愛情こもってるかどうか、分かるって意味だよ」


「そうなのか?」

「ああ・・・」


 生徒会室の扉が開いた。

 そこに現れた、松崎美緑。


 皆が息を飲んだりして、沈黙する。


「あの・・・昨日は・・・」


 あやまろうとする発音の彼女。

 しかし彼女の言葉が途中で途切とぎれたのは、樋口葉介を見つけたからだ。


「なんでっ?なんでっ?」


 皆がビクリと身体を硬直こうちょくさせ、美緑を見ている。 


「松崎君、あのね・・・」

 

 蔵人が切り出そうとしたが、美緑は更に声を上げた。


「ホモなんだっ。やっぱりホモなんだっ。美術室でセックスしてたっ」

「はぁっ?」


 いきなり席を立とうとする葉介。

 それを咄嗟に抱きついて止める樹理。


 蔵人は葉介を見る。

 目が合った。

 そして、アイコンタクトを取った。


 蔵人が自ら美緑の手を引き、生徒会長用の机に押し付けた。

 美緑の顔はうっとりとしている。

 ことを始めようとしていると思ったのか、蔵人の腰に手を回した。

 蔵人は机の上に手を突く。


「彼にクッキーをあげた?」

「彼って呼ばないでっっ」

「ああ、ごめんね・・・『あいつ』にクッキーをあげた?」

「ええ、あげたわ」

「ジャガイモの?」

「そうっ。ジャガイモのが入ったクッキーをあげたのっ」


 皆がはっとして、息を飲む。


「わざと、なんだね?」

「そう、わざと・・・あなたを誘惑したから、罰を下したの」

「わざと、なんだね?」

「そう、そう、そうなのっ。わざとなのっ。私って可愛いわっ」


 蔵人はいきなり松崎美緑から離れた。


「警察呼んで」


 一拍の間。


「は、はいっ・・・」


 生徒会員のひとりが、携帯電話を取り出す。


「どういうことっ?」


 叫ぶ美緑。

 蔵人が冷静に言う。


「ここから、全員出て」


 皆が作戦をさっし、走るようにして貴重品きちょうひんを持って生徒会室から出る。

 樹理も葉介に付き添い、廊下に出た。

 蔵人が出ると、生徒会室に松崎美緑ひとりを残し、鍵をかけた。


「どういうことよっ?」


 すぐに内側から鍵を開ける音がする。

 皆がとっさに、扉を押さえた。


 ドンドンドン、と扉を叩き殴る音が響いた。


「どういうことっ?ねぇっ?ねぇっ?」


 樹理は背中で扉を押さえ、叩かれる度に起こる振動を背中で感じている。 

 生徒会員も含め、樋口葉介を気遣きづかうようにちらちらと見た。


 葉介は泣いていた。


「女だから、殴れねぇ・・・」


 ドンドンドン、ドンドンドンッ。


「開けなさいよっ」



 しばらくすると、警察が学校に来た。

 生徒会室の扉が開く。

 つんのめるように出てきた松崎美緑を、いきなり殴った者がいた。

 樹理だ。


「樹理っ?」

「三浦っ?」


 樹理はそのあと、四回、松崎美緑を殴った。


「最初のは、樋口先輩の分で、あとのはクッキー食べたひとたちの分ですっ」


 樹理は泣いていた。

 ハンカチを取り出す余裕もなく、袖口そでぐちで涙をぬぐった。


 事件は、模倣犯もほうはんが出る可能性が高いと判断され、表には出ないらしい。

 鼻血をふいた松崎美緑は、鼻にティッシュをつめている状態で警察に捕まった。

 樹理にとがめは、誰も出さなかった。




 * * *




「ねぇ、リンは本当にこの樹海の中にいるの?」

「ああ、いる。少しは黙れ」


 数秒の沈黙。

 自分が樹海の中を歩いていることに気づく。

 そばにはビャッコ。


「ねぇ、砂漠の方ににあった顔のないあれ、なんで顔ないの?作ってる途中?」

「『あれ』って言うなっ」


 反応したのは金髪の女。


「君、名前なんていうの?」

「ミネアナっ」


「あれ、って何で言ったらいけないの?」

「失礼だろうにっ、ローズ様にさぁっ」

「誰、それ?」

「『それ』とも言うなっ」

「誰?」

「我らがブルーローズの守護を司っているお方。とっても尊いのっ」

「今もいるの?」

「伝説だよ」

「意味が分からない・・・」

「ああっ、そうっ」


 ミネアナはぷいっと向き直った。

 どうやら『ローズ』という女性を信仰しんこう崇拝すうはいしているらしい。

 

 ある種の宗教だろうか?


 できるなら、夢ですらその手の話は避けたいところだ。


 俺は今、疲れてるんだ。


 警察に事情聴取を受けて、そのあとミウラ・タカコの毒舌を聞いたのだ。


 神がどうのこうの、今は考えたくないんだよ。


 久也のとこ行け、久也のとこ。

 あいつは神学だっけ?

 そんなのかじってるから。


 早く終わって、深い眠りにつかせろよ。


 あ~・・・

 眠い。


 自分が夢を見ていることを自覚してしまった夢は、そうでないより目覚めが疲れる。


 俺は明日も学校なんだ。

 しばらく忙しくなりそうなんだよ。


 言いたいことがあるなら、本題に入ってくれ。



「ミネアナ」

「何?」

「お前、可愛いね」

「はぁっ?」


 ミネアナとその兄が振り向く。

 茶髪の男にき、っとにらまれた。

 

「『お前』って言うな」


 ふたりの向こう側に、人影が見える。

 ミネアナとその兄の間を割って、俺は駆け出す。


「リンっ」


 向こう側から嬉しそうに駆けてくるのは、青い髪の少女。

 日に透けた部分が銀色に光っている。

 俺はリンを抱きしめた。


「リンッ、白夜だよっ、覚えてるっ?」


 覚えてるっ。


「ひさしぶり~っ」


 ヘルメイスは細身だが、非力ひりきではないらしい。

 持ち上げた彼女をそのままに、ぐるぐると回った。



 樹理の小さい頃みたいな笑い方だな・・・


 高得点だ、リンとやら。



 彼女を地面に降ろすと、彼女は自分から俺に抱きついた。

 そして一緒に近付いて来た黒髪の男に振り向く。


「ヒルヨル、だな」

「僕はヘルメイスだよっ。昼夜って、って気安く呼ぶなっ」


 黒髪の男の肩には、わしなのかたかなのかは分からないが、茶色の鳥がいる。

 その鳥は羽ばたき、ミネアナの兄、茶髪の男の肩に停まった。


「やっぱりそっちになついてるんだな・・・」


 ふふん、と茶髪の男は口元で笑った。


「ゼイン様に拾われた身ですゆえ、一生のご奉公をお誓いし、そのかわりお側に、と」


「分かっている」


 黒髪の男がそう反応してはじめて、茶色の鳥がのどの奥で喋ったのが分かった。

 

「この鳥、口で喋るんだね。僕、鳥語もできるんだ。リンもだよね?」


 リンが微笑を浮かべてうなずく。


 茶色の鳥ののど元を指先で撫でる黒髪の男。

 その男の緑色の目が、こちらに向いた。


「歓迎する。新入り。俺はここ、ブルーローズの里を仕切る者、ルシファー。そちらの茶髪が右腕のゼイン、金髪がその妹のミネアナ、そしてこの青い銀髪が、俺の妻のリンだ」



 数秒の間。



 は・・・?



 蔵人はうっすらと目を開けた。

 気づいたらベッドから落ちて、床にいた。


 ダルいのでそのまま枕の横に手を伸ばし、メガネと携帯電話を取る。


 メールを打つ。

 宛て先人は、久也。


【ルシファーに妻っているか?】


 しばらく待っていたが返事が来ない。

 携帯電話の時計機能を見たら、まだ六時十四分。


 起きているのかも微妙だし、起きていても学校の準備に忙しい時間だ。


 床から起き上がり、パジャマの上着のボタンをふたつほど外した頃。

 携帯電話が鳴る。

 

【おはよ~。ルシファーに妻がいたかどうかは、よく分からない。どったのよ?】


【リン、って名前に心当たりは?】


【神話の中で?】


【当たり前だ】


【オーディンの妻、フリッグの侍女・・・どったのよ?前に樹理ちゃんにも同じような質問されたんだけど?なんかのゲーム?】


「樹理も・・・?」


 樹理が同じような質問をしたというのはどういうことだろう、と蔵人は思い返信。


【ヘルメイス、は?】


【多分、ヘルメス、だよ。商業、雄弁ゆうべん、伝達の神。もしくはエルメスとも言うね】


【ブランド?】


【あの世界的有名なブランドは、ヘルメスからあやかって付けられた名前なんだよ。つづりは『E』じゃなくて、『H』からだしね。エルメスって呼ばれだしたのは、歴史的近代なんだって】


【あいかわらず、妙に詳しいやつだな】


【お礼は?】


【今度家に来い。もてなしてやる】


【オーケー♪学校の準備あるから、ここらで】


 それを見て、携帯電話を閉じる蔵人。



 制服に着替え、樹理の部屋をノックする。

 また返事が返ってくる前にドアを開けてしまった。


 そこには、着替え中の樹理。


「ん?」


 気配に気づいて、上着の袖に腕を通した状態で蔵人に振り向く樹理。


「ちょっといいか?」

「おはよ。どーしたの?」

「ん・・・ちょっと、夢見が悪くてな・・・」

「ああ・・・」


 樹理の机と対になっているイスに座る蔵人。

 着替えを続ける樹理。


「お前、何でオーディン調べてる?」

「何、それ?」

「フラッグの侍女」

「カエル?」

「ああ、フラッグじゃない、フリッグだ」

「なんのこと?」

「覚えてないのか?」

「んん~?なんだっけ?」

「じゃあ、『リン』って知ってるか?」


 スカートのファスナーを上げていた樹理が、顔色を変えて蔵人を見た。


「なんでお兄ちゃんまで『リン』知ってるのっ?」


 蔵人は意外そうな顔をした。


「テレビかなんかで昔見たのか・・・」

「久也君から聞いたのっ?」

「やっぱり久也がらみか・・・」

「ねぇっ」

「なんだ」

「お兄ちゃんって、夢の中では、誰っ?」



 数秒の間。


 

「はっ?」


 背中に寒気さむけのようなものが走った。


 しばらく目を見開いたまま、蔵人は動かなかった。


「どういう・・・意味だ?」

「お兄ちゃん、夢の中では誰なの?誰の目線で夢を見るのっ?」


 ぽかんとしている蔵人。

 その肩を揺さぶる樹理。


「ねぇっ、ねえっ、てばっ」


 瞬く蔵人。


「あ・・・ああ、そろそろ朝食にしよう。この話はまた今度だ」

「朝食の時に話してくれるっ?」

「いや・・・近々、久也が家に来るから」

「分かった、その時ねっ」


 蔵人は軽いめまいを感じた。

 その瞬間、一面が薄桃色の花畑が見えた。


 また瞬く。

 樹理のイスから立ち上がる。

 幻覚のようなものがいなくなる。


 蔵人は樹理の部屋から出る前に言った。


「携帯電話、忘れるなよ」

「わーかってるよっ」




 * * *




 その日の昼食時間、樹理はまた、葉介を生徒会室へと誘った。

 しかし、他の仲間と食べるから、と言われて断られた。

 学年の幹部がいなくなって、皆がさびしがっているらしい。


 そうか~、と思いながら樹理は兄のいる生徒会室へ向かう。

 途中で、そう言えば広瀬棗も『リン』の夢を見ることを思い出す。

 このことを兄に話そうかどうか悩んだ。


 あの腹痛事件は『オーイチゴーナナ』かもしれないという噂がたち、どういう対処をするのか話し合われるらしい。

 生徒会室にいたら、会議の邪魔になるかなぁ、と思う樹理。

 そこに、女子トイレから出てきた人物が声をかける。


「樹理ちゃんっ」

「ん?」


 声のした方を見ると、そこには茶道部で一緒の高梨輪たかなしりんぐと、一年四組のコグマ・ワカバが手を振っていた。

 ハスキーボイスの小熊若葉こぐまわかばが言った。


「一緒に昼食しない?」

「あ、するする~」


 兄に【昼食はお友達とするから】とメールを送る。

 樹理はすっかりあの不思議な夢の話を、ひととき忘れた。


 ――

 ―――――・・・


 家に帰って、夜。

 眠る前だった。


「あ・・・」


 広瀬先輩にメールしようかな?


 携帯電話を持ってみる樹理。

 数秒の思考。


「空気、読まないと、ね・・・」


 樹理は携帯電話を、枕元に戻した。


 

 その日は、夢を、見なかった。



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