三章之五 新しい家族
蔵人は帰宅した。
玄関先でカバンを降ろしながら、靴を脱いでスリッパに履き替える。
自宅に帰宅するのに、インターフォンを押す習慣がある家がある。
不思議なことをするもんだ、と妹の樹理と話したことがあるのを思い出した。
「樹理」
リビングの明かりがついていたので、てっきりそこにいるものだと思った蔵人。
リビングに樹理はいない。
学校から帰ってから樹理が家にいるのだとしたら、たいていリビングか自室だ。
蔵人は二階に上がり、樹理の自室のドアをノックして、返事がある前に開けた。
名を呼ぶと、振り向く樹理。
「あ。お帰り~」
咄嗟に何かを隠したような気がしたが、タオルを自然に横に置いただけかもしれない。
気にしないことにする。
蔵人は大きな溜息を吐き、ネクタイをゆるめながら、樹理のイスに座る。
ベッドに腰掛けている樹理は、兄の顔をじっと見つめた。
「何かあったの?」
「ああ・・・」
「何?」
「松崎美緑に告白された」
「どういう感じで?」
「色んな告白されてきたが、今回は意味が解らない・・・」
「なぜ?」
「結婚届を渡された」
「はぁっ?」
蔵人は胸ポケットから、折りたたまれた紙を取り出した。
差し出されたその紙を広げる樹理。
「うわ~。初めて見た~っ」
「俺もだ」
兄を見る樹理。
「で、どうしたの?」
「どうしたもこうしたも、怖いから『考えておく』って言って帰って来た」
数秒の沈黙。
「そっちの方が危なくない?」
「何がだ?」
「お兄ちゃんって自然消滅選ぶ傾向にあるタイプだよね」
「知らんね」
「今回はちゃんと返事した方がいいよ。いつまでも待ってたらどうするの?」
「意味が解らない・・・」
「ん?何で?」
「怖い・・・」
「そりゃあ、いきなり結婚届渡されたんだったらビックリするかもね」
「彼女十七歳だぞ。結婚できる年齢だ」
「私には『そろそろ結婚考えろ』って七歳の時から言ってるくせに・・・」
「それとこれとは別だ」
「何がだよ」
「何で怒ってきてるんだ・・・俺は今、非常に疲れている」
「知らんよ」
「言葉使いに気をつけたまえ」
「わ・か・り・ま・し・た・よ、『お兄様』」
「ああ・・・疲れる・・・」
「女抱きたい?」
「樹理っ」
「やばっ・・・」
樹理は蔵人の上げた声に飛び跳ねるほど驚いたあと、楽しそうに笑顔になった。
「ひさや・・・ひさや、ひさや、ひさや・・・あいつのセクシャルトークのせいだ・・・」
「あはは・・・」
本気の笑顔が苦笑に変わっていく樹理。
その時、樹理の横に置いてあったタオルが、動いてニャーと鳴いた。
「は?」
それをばっちり見ていた蔵人。
「あ・・・あはは・・・」
ゆっくりと動くタオルから樹理に視線を移す蔵人。
「樹理、ちゃん?」
「はい?」
蔵人はにっこりと笑った。
動くタオルを示す。
「それは、何なのかな?」
「また怒る、ですか?」
「また、ってことは・・・似た件で怒られたことがあるのかな?」
「あの・・・いえ・・・はい・・・あのですね・・・お兄様・・・・」
「ん?」
しどろもどろになる樹理。
タオルの中から出てくる、灰色の子猫。
可愛い声で鳴く。
蔵人はそれを見ると、また樹理を見た。
蔵人は笑顔のままだ。
「怒らないから、言ってごらん?」
「もうっ、怒ってるーーーっ」
* * *
夕飯を終え、自室に向かう棗。
階段を上りながら、携帯電話をいじくろうと取り出す。
「あ、メール・・・」
どうせまたクラスメイトの誰かだろう、と思った。
メールを開き、差出人を確認。
差出人、三浦樹理。
題・新しい家族
何故か、ドキリとする。
差出人の名前になのか、題名になのかも分からない。
「写メール付き・・・」
三浦樹理本人の写真だったらいいな、とか感覚で思う。
取り合えず内容を読んでみる。
【あのあと、家に連れて帰って、兄にバレて、笑顔で怒られました。前に捨てられてる犬を拾ってきたことがあるので、また怒られるのは覚悟だったのですが、あんまり怒られませんでした。呆れてたんでしょうか?あはは。何かいつもと喋り方違うくてスイマセン。ダメだったらヒサヤ君に飼ってもらおうと思ったのですが、何だか「ちゃんと自分でも世話しろよ」ってことになって、保健室前にいたあの子猫が、新しい家族になりました】
スクロールすると、付属されてる写真が現れる。
それは三浦樹理と、子猫の画像。
おそらく、自分で撮ったのだろう。
斜め上からのアングルだ。
三浦の部屋なのだろうか?
部屋の様子を想像してしまった。
その間に部屋の前に到着し、ドアを開ける。
返信する。
【会長も猫の世話するの?】
三分ほどたって、返事があった。
【特にする気ないそうです。猫好きですか?】
【わざわざ会長に聞きに行ったのか?嫌いじゃないけど、何?】
【いえ、側にいたので。夜もやってる動物病院が近所にあったので、そこでワクチンとか打ってもらいました。兄は仕事が早いです。アメリカンショートヘアーの血が入った雑種かもしれないんですって。名前何がいいですかね?】
【猫の名前?】
【募集中です(笑)】
棗はちょっと微笑。
【前に拾った犬は飼ったのか?】
次の返事には、少し時間があった。
【はい。もう亡くなってしまいましたが、『林檎』って言います】
返事に時間があったのは、トイレにでも行っていたのか・・・
いや。
きっと、亡くなったその犬を思っていたんだろうな、とか棗は思う。
三浦樹理は思い出し泣きとかするんだろうか・・・?
そこから思考の切り替え。
夕飯のすぐあとだったので、思いついたのだと思う。
【リンゴって読むんだよね?】
【はい】
【じゃあ、ユズ】
【子猫の名前ですか?】
【そう】
【え、なんで『ユズ』?】
【夕飯に柚子が出たから】
【ああっ。林檎も喜びそうですっ。子猫の名前、『ユズ』にしますねっ】
棗は念のため、携帯のネットへ。
検索、柚子。
検索結果、みかん科 学名シトラス
実は、香りや酸味を味わうために収穫される
消費、生産ともに日本が最大
さまざまな香水にも使われている
「ほぉ~・・・『シトラス』って名前もいいかもな~」
近い種に、すだちがある
数秒の間。
棗は困惑する。
「焼き魚にしぼるのって、柚子だよな・・・?」
何だか不安になったが、このことは三浦樹理に黙っておこう、と思った棗だった。
* * *
あれ?
いつの間にか、眠ってるし・・・
明日CD返さないといけないのにぃ・・・
夢の中で、またゼイン目線。
彼は一人で歩いている。
気候がよく分からない服装をしている。
視界の中に、金髪の女が見えてくる。
彼女は視線に気づき、手を振る。
ベリーショートの金髪に、金色の眼をした妹ミネアナ、だ。
すぐ側は砂漠。
砂漠と岩の群集と樹海の境界線で、何か作業をしている。
更に歩を進め、近づく。
「どうしたの?こんな所まで?」
「それはこちらの台詞だ」
「ああ、心配?」
「修繕作業か」
「そ」
ミネアナは、灰色の石像にこびりついた苔を、絵を描く道具のようなものでガリガリとこそぎ取っている。
しばらく黙り、その様子を見ている。
「足」
「は?」
「足を出した服装をあまりするな」
「なんで?」
「日焼けしたら、かっこ悪いだろ」
ミネアナは口元を上げた。
「このローズの石像って、いつからあるんだろうね?」
顔のない女天使の石像から、いっきに空を見上げるゼイン。
そこには、空飛ぶホワイトタイガーと、その背にまたがった少年。
向こう側も、こちらに気づいて近づいてくる。
咄嗟にミネアナの腕を掴み、自分の後方へと押し出す。
「何っ、兄貴っ?」
戦闘態勢。
ミネアナも気づいたのだろう。
背後で息を飲む音が聞こえた。
少年が、口を開く。
・・・
・・・・・
満はそこで、目を覚ました。
大きなあくびをすると、すぐ側に置いてあるリモコン達の中からひとつ選んで操作。
自室にあるテレビをつける。
朝のニュース番組のチャンネルに合わせた。
その画面の中に、時刻が表示してある。
時間を確認にしてテレビを消すと、アジアンテイストの家具が並ぶ部屋から出た。
リビングにいる、父を見つける。
「ねぇ~っ、あのアロマの香りどうにかならないのっ?眠れないんですけどっ?」
満の父は、新聞を読みながらコーヒーを飲んでいる。
「『おはよう』は?」
「おーはーよーうーごーざーいーまっす」
「おはよ~、みつる~」
「おはよ~、ミノル。えらいねぇ~」
朝食の乗った皿を運んで来たのは、満の妹の穣。
まだ幼稚園生だ。
最近、自分の名前をひらがなで書けるようになったばかり。
満のことを呼び捨てにするのは、まだ「お兄ちゃん」という言葉を教えていないからだ。
「ミノルは、毎日くらいお手伝いするでしょ~?だからぁ、えらいっ、のっ」
最近改装された自室の香りのことを忘れ、満は笑顔。
「僕もお手伝いしよーかなー?」
「それ、昨日も言った~」
「にゃーははははっ」
パジャマのままキッチンへと向かう。
「あ~、満君、おはよ~」
「おはよ~、ママちゃん」
そこにいたのは、十代に見えなくもないほど童顔で小柄な、満の母親。
今でもちょくちょく、きょうだいに間違われる。
満は冷蔵庫を開けて、牛乳を取り出す。
「あ、もうすぐ無くなるよ~」
「え?何が?」
「牛乳」
「ああ。オーケー。今日買って来るわ~」
「今日、学校遅刻していいですか~?」
数秒の間。
火にかけたフライパンの中身が、ジュージューと音を立てている。
「え、今日、学校?」