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二章之九 向こう側がこぼれてく


「あれ・・・?」


 帰りの準備をしていた松崎書記。

 ソファの座卓ざたくに、生徒手帳がある。

 それを手に取った。


「誰のかしら・・・?」


 生徒手帳を裏返す松崎。

 顔写真と名前入りの生徒手帳。

 その写真を見て、はっとした顔をする松崎。


「会長のっ・・・」


 思わずちょっと匂いをかいでみたりする松崎。


 彼女が生徒会に立候補で入ったのは、生徒会に蔵人がいるからだ。

 ファンクラブ会員七番、マツザキ・ミドリ。

 松崎美緑まつざきみどりは蔵人の顔写真にキスをした。

 体温の跡がついたので、袖で拭く。


「持って帰ったら・・・」


 数秒の間。


「ああ、ダメよね・・・」 


 松崎は荷物を持つと、生徒会室を出た。


 生徒会室に鍵をかける。


 一番最後まで残っていた者が、鍵をかけるという決まりがある。

 最近は松崎が鍵をかけることが多い。

 彼女は部活動をしていないからだ。


「美術室・・・」




 * * *




 蔵人はクラシックを聴いている。

 イヤフォン付きのCDプレイヤーで、クラシックを聴いている。

 周りにシャカシャカと聞こえるほどの音量だ。

 この曲を聴くと、なぜか筆が進む。


 外界がいかいと自分を切り離すためで美術活動以外で使う気はない、と言ったら、通った。

 学校公認だ。


 美術活動以外の目的でCDプレイヤーを持って来ている生徒がいることは知っている。

 それは、見つけても大目に見ることにしている。

 その代わり、廊下を走るのはなるべく注意すると宣言してある。


 これは極秘だが、願掛がんかけみたいなトラウマが由来だ。


 蔵人は美術室で一人、絵画と対面している。

 口に筆をくわえている。

 パレットを持っている左手にも一本、筆をまかせている。

 蔵人の絵の特徴は、黄色の差し色だ。

 ちょうど、口にくわえていた筆に変え、黄色の絵の具を筆に取るところだった。

 左指にまかせていた筆が落ち、床を転がって、机の下に入った。


「ちっ」


 蔵人は思わず舌打ち。

 実はけっこうな短気だったりする。


 一度樹理が牛乳を少しこぼした時に彼女が舌打ちしたことがあった。

 その舌打ちの仕方で、自分の癖が移ったのだと分かった。

 それ以来、舌打ちはあまりしないように気をつけている。


 蔵人は机の下にもぐった。


 美術室の扉が開いた。

 イヤフォンをしている蔵人は、それに気づかなかった。




 * * *




 美術室の扉を開ける葉介。

 一番後ろの席に座ったので、そちらに向かう。

 

 蔵人はまだ机の下にかがんでいて、葉介も彼の存在に気づいていない。

 座っていた席の側まで行き、机の中をさぐる葉介。

 丸みを帯びた筆がなかなかつかまらなかった蔵人は、やっとのことで筆を捕まえる。


 蔵人が立ち上がろうとした。

 その気配に気づき、筆箱を引き出した葉介が振り向く。

 視線に気づき、葉介の方を見る蔵人。


 蔵人が聴いているのは、通称『第九』。

 目と目が合った瞬間、その曲はちょうど、盛り上がりの手前だった。


 衝撃で動けない。

 しばらく見つめ合う二人。


 誰かが言った。

 自分の中にいる、誰かが。


 蔵人を通して呟く。


「ビャッコ・・・」


 相手が目を見開いた。

 そして、その瞳から、涙がこぼれた。


「ヘルメイスッ・・・」


 蔵人には、葉介の声が聞こえなかった。

 蔵人には、葉介が白い虎に見えていた。


「ヘルメイスッ」


 葉介は蔵人に抱きつく。

 彼の身長は百八十くらいあって、体重もそれなりにある。

 細身の蔵人は押し倒された。


「ビャッコッ・・・」


 葉介が白い虎に見えている蔵人は、夢心地だった。

 イヤフォンから頭に、響きわたる歌。

 ドイツ語だ。


 ダイネ ツァウバー ビンデン ヴェーダー 

 ヴァス ディ モーデ シュトレング ゲタイルト


 蔵人の上に馬乗りになった葉介は、蔵人の口を中心に顔を舐め始めた。

 蔵人は酒に酔ったような意識のまま、猫猛獣を可愛がるかのように彼の頭をなでた。

 熱っぽい。


 ビャッコが・・・いや、葉介が興奮のあまり蔵人の頭をなでくった。

 その拍子に、イヤフォンが蔵人の肩に落ちた。


 シャカシャカと音がもれている。


 数秒、見つめ合う二人。


「は・・・?」

「は?」


「は・・・?」

「・・・は?」


「はっ?」


 目を見開いた葉介がもの凄いいきおいで退いた。


「何だ、テメェっ」

「それはこちらのセリフだっ」


 顔をぬぐいながら叫ぶ蔵人。


「何なんだっ?」

「どういうつもりだっ」

「ヘルメイスってどういうことだっ?」

「はっ?」

「何でだっ?」

「何がだっ?」


 数秒の間。


「こいつヤベェ」

「はぁっ?」


 弾かれたような動きだった。

 葉介は側に落ちている筆箱を拾うと、走って美術室を出て行った。




 * * *




 呆然と立っている女子生徒。

 逃げるのを忘れていた。

 走ってくる、身長の高い男子生徒。

 彼が扉の隙間すきまをつかみ、美術室から出てくる。


 一瞬、目が合った。


 彼はかまわず、廊下を走って行く。

 その後ろ姿を見送り、そして美術室に入れもせず、しばらく立ち尽くしている女。


 数歩、退いた。


「会長って・・・まさかっ・・・」


 松崎美緑は、口に手を当てた。

 彼女は走って、美術室から離れて行った。

 

 


 * * *


     

「あ、お帰り~」


 リビングへのドアを開いた蔵人を迎えた声の主は、妹樹理。


「ああ・・・」


 樹理はソファの背もたれに片手をかけて、上半身をねじっている体勢だ。


「遅かったね、どうしたの?」  

「ん?ああ・・・少し、ボーっとしてた」


「疲れてるの?」

「ああ、まぁ・・・多分、そうだ。幻覚まで見えた気がする」


 そう言って蔵人は、唇に自然に触れた自分に対して、眉間を寄せて顔をしかめた。


「何か飲む?」

「ああ、適当に・・・頼む」


 ソファから立ち上がる樹理。


「はい、生徒手帳」

「何?」


 樹理が差し出した生徒手帳を受け取る蔵人。


「どこで?」

「松崎さんが生徒会室で拾ったって、わざわざ茶道部まで来てたよ」


「ああ、そうか。明日礼を言っておく」

「私からも言っておいたからね~」

「分かった」


 蔵人は胸ポケットに生徒手帳を入れて、ブレザーを脱ぐ。


「そうだ。写メ見た?」

「写メ?」


「茶道部の着物合わせのっ」

「あ」


「忘れてたの?楽しみにしてた感じだったのに?」

「いや、帰ってからの楽しみにとっておいた」


「何か嘘っぽいんですけど・・・」

「今から見る」


 蔵人は携帯電話を取り出し、メールを確認した。


【白桃色の着物に決まったよ~】


 添付されている写真を見る。

 数秒後。

 もの凄い速さでボタンを打つ蔵人。


「はい、緑茶」


 蔵人はお茶を受け取りながら、携帯画面を見せた。


「待ちうけにした」

「ええっ?ありがと~。気に入ったの?」


「着物の柄が気に入っただけだ」

「そう言うと思った~。お兄ちゃんの好みかもしれないの選んだの~」

「ああ、そうか」


 蔵人はお茶をすすった。

 口元が上がっている。


「熱いから気をつけてね」


 樹理はテレビの続きを見に、ソファへと戻る。

 リモコンで一時停止を解く。


 夜中に放送されている、アメリカ輸入のドラマを録画しておいてあるらしい。

 主要人物が冗談を言ったりすると、笑い声の効果音が出るタイプのドラマだ。

 アメリカでは、二、三年前に流行ったやつらしい。


 蔵人はまだ、美術室で起こったことのショックから立ち直っていない。


 何だったんだ、あの夢に出てくる白い虎と・・・二年の男子生徒。


「樹理」

「ん~?今、テレビ見てる」


「一年の男子のネクタイの色は?」

「青でしょ?」

「じゃあ、二年は緑だよな?」

「そう、三年は黒」


「じゃあ、あいつはやっぱり、二年・・・」

「何?」

「いや・・・」


 蔵人はまた、茶をすする。


「お兄ちゃん、立ちながら飲むの、お行儀ぎょうぎ悪いよ」


「なぁ、樹理・・・」

「何?」


 樹理は蔵人の方に振り向く。

 何か、深刻なものを抱えていそうな声だったからだ。


「俺って・・・」

「どうしたの?悩み?」


「そうだ、悩んでいる・・・」

「何?」



 数秒の間。



「俺って、セクシーなのか?」



 数秒の間ののち、樹理は妹として言い放った。



「は?」  


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