二章之七 ローズ像
飛んでいた。
突然始まる夢に、そろそろ慣れてきた。
樹理は、自分がリンになったことを自覚する。
リンが飛んでいるのは、森の上。
果ての無いかのよな一面の緑。
喜びよ、美しい神々のきらめきよ 楽園の娘よ
私達は歩み寄る 炎のように酔いしれて 天上の者よ あなたの聖堂へと
あなたの人間を超えた力は、切り離した次元を再び結び合わせる
あなたの軽やかな翼のとどまる所では、あらゆる人々がきょうだいになる。
リンはその歌に惹かれ、下降した。
森の木々の枝に停まっている黒い鳥を見つける。
話しかけてみる。
素敵な歌ね。
なんだお前?
あなた、お名前は何て言うの?
カラス。
カラスさん、東はどちら?
あっちだよ。
ありがとう。
時々嘘つく鳥がいるから、気をつけた方がいいよ。
分かった、ありがとう。
リンはカラスの言われた通りの方向へ飛び始めた。
・・・どれくらいの時間、飛んでいたのだろうか。
だんだんとおぼろげになっていく、編集された飛んでいる時間。
いつの間にか薄桃色の花畑が見えてくる。
またあの歌が聞こえた。
何語なのだろうか?
樹理は、この歌をどこかで聞いたことがあるような気がした。
さきほどのカラスが歌っていたからではない。
もっと昔。
幼い頃。
天界の浮島にいた頃に、聞いたことがあるような気がした。
それは澄み渡る、凛とした声で・・・
今『私』は、リン?
それとも樹理?
歌の方へ飛んでみると、花畑の中に、白い虎と、翼の耳を持つ少年がいた。
研究所みたいな所から、一緒に逃げたふたりだ。
西の森に戻る、と言っていたが、何故ここにいるのだろう?
リンは彼らの元へ降りてみた。
そこで、夢は途切れた。
* * *
「お散歩?」
「ええ。いかがです?」
「いいわね。ルーシー、あなたもおいでなさいな」
窓の外を見ている俺。
母の声に振り向く。
「はい、母上」
移動。
にこにこしながら話しかけてくる従者。
確か、幹部のはずだ。
少し変わり者なので覚えている。
何故少し変わり者だと思われるのかと言うと、常に背中の羽を出しているからだ。
その羽色が純黒だというのも印象に残っているひとつ。
魔人と天使のハーフで、羽の色は黒だが天使の羽の作りだ。
金髪、碧眼。
年齢は知らないが、五十年仕えないと幹部指定されないので、少なくとも五十歳。
姿が二十代の若者のままだ。
「ローズ像の所まで、行ってみませんか?」
「あそこは危険よ」
「何で?」
前を見ていたが、手を繋いでいる母の顔に振り向く俺。
「砂漠に結界は張れないの。あそこは結界の終わりよ」
「だから、ローズの背中に守ってもらうのでしょう?」
「皆はそう言ってるわね?」
「母上はローズの力を信じていない?」
「そう言うわけではないわ。本当にいたのだったら、ローズは素晴らしい方だわ」
「俺もそう思う」
母が微笑する。
幼いルシフェルが言う。
「今、いい子ね、って思ったでしょう?」
笑い出す母。
思わず口元を上げる俺。
外に出ると、色んな種族の血の入った者達に挨拶される。
猫耳や犬鼻、シッポがある者などなど、だ。
覚醒遺伝で、動物の言葉しか喋れない人間も少ないがいる。
岩に囲まれた道を通り、ローズ像の前。
ローズと対面。
彼女に顔はない。
彼女に顔が似ていると問題だから、とか、色々理由があるらしい。
里の護り。
ここから先は砂漠だ。
彼女は『砂の者たち』にも旅人の護りとして背中を拝まれている。
名前を、ローズ、と言う。
正面から風が吹く。
母がそちらに近づく。
「何かしら?とてもいい匂いがするわ」
「ん?何です?」
「薔薇の香りよ」
「何?この匂い?デザート・ローズ?」
「砂漠の薔薇の香りではないわ。ブルーローズの香りよ」
ふらふらと歩き出す母、メルティーナ。
「ありえない香り?」
「天界には、ブルーローズがあるのよ・・・呼んでるわ・・・呼ばれてる」
「母上?」
メルティーナを見る、案内人の視線に気づく。
無表情を保っているつもりらしいが、明らかににやついていた。
「母上、これ以上は危険ですっ」
俺は母上の腕を引っ張った。
それとほぼ同時だった。
空中に、亀裂が走った。
むせかえりそうになるほどの、薔薇の香り。
それと同時に、白い袖の腕が母上を掴み、亀裂の中の空間へと引きずりこんだ。
驚いた顔のまま、亀裂の中へ消える母。
「ブルーローズの香りは、天使を酔わせる・・・」
そう呟いたのは、案内人だった。
純黒の羽を広げ、空間の渦、亀裂の中へと入っていく。
「ドラゴン・ウイングッ?」
亀裂の中から声がした。
「これを手に入れるために、どれほど苦労したか・・・ははははははははっ」
俺は周りを見た。
誰もいない。
亀裂がふさがり始める。
数秒の、ジレンマ。
「母上っ」
俺は亀裂の中へと、飛び込んだ。
それから、俺、広瀬棗は数秒?数分?目覚めそうなおぼろげな時間を体験する。
そして、いつの間にか、また夢に戻っている。
・・・
・・・・・
真っ白な部屋。
俺は白い服をまとい、イスに座っている。
対面しているのは、踊っている女達。
しゃなりしゃなり。
しゃんしゃん、と、首飾りや腰飾りが音を立てる。
掌から炎を出し、空間を払って軌跡を作る。
くるりと回って、自分の周りを炎で包んだりしている。
「いかがでございますか?」
母、メルティーナを誘拐するのに手を貸した裏切り者、サム。
彼は俺のお付きになった。
俺を苦しめるための、天界の『はからい』、だ。
サムもそれを楽しんでいる。
「母上に会いたい」
「お母上、メルティーナ様はお忙しいのです」
「何故母上に執着している?」
「わたくしめが?」
一拍の間で、計算。
「そう」
「まさか」
彼は鼻で笑った。
「彼女に執着しているのは天界、この浮島の者達」
「何故?」
「伝説のドラゴン・オーブを操れるかもしれない存在だからですよ」
「ああ、前に聞いたような・・・」
「そうですか」
「嘘」
「は?」
「誰もさらった理由言わなかったけど、そういうことだったんだな」
「は・・・?」
サムの驚愕の顔。
それを見て、俺は壁際に立っている天使軍の見張り達に視線を送った。
彼らが動き出す。
「ま、待って下さいっ。言ってはいけないなど、言われていないっ」
そう叫ぶ彼は、白い軍服達に部屋から引きずり出された。
歌い、踊り、火を操る女天使達は、戸惑っている。
俺、ルシフェルは、彼女達を見た。
「・・・続きは?」
場面変化。
いきなり、居場所が変わっている。
庭園。
階段があって、手すりに凭れている金髪の女性を見つける。
髪が短くなっていて、気づくのに遅れた。
母、メルティーナだ。
「母上っ」
駆け寄る俺。
俺の声に気づき、両手を広げてくれる母。
「ルーシー・・・」
母の腕の中、安心して、泣きそうなほど幸せを感じる。
母の周りを飛んでいた鳥のさえずりが、俺と母を祝福しているかのように思えた。
手をつなぎ、一緒に庭園を散歩。
見張りもいるが、少し離れた所にいる。
「リン、という子に会ったわ」
「リン?誰です?」
「彼女、喋れないの。でもお話したわ」
「母上がひとりで?」
母の微笑。
「違うわ。彼女、頭の中で思ったことを伝えられるの」
「へぇ・・・可愛いですか?」
「あはは。そうね。とても可愛らしい容姿だし、可愛い喋り方の子だったわ」
「そうですか」
「あなたにお似合いだと思う」
「やめて下さい」
少し恥ずかしくなって、母から目をそらす。
前に夢で言っていた。
母から、リンの話を聞いていて、知っていた、と・・・。
どういうことだ?
何で夢が繋がっている?
夢の中、小鳥が見えない所でさえずった。
「息子のルーシーだ。仲良くしてやってくれ」
「私、ミネアナ」
じっと、金髪金目の少女と茶髪に茶色の目をした少年を見つめる俺。
どうやたまたいつの間にか場面転換したらしい。
ここはどこだろう?
息子のルーシー、と、誰かが言った。
この黒髪の男が、『父上』なのか?
方向転換。
しばらく歩く。
ついて来る様子が無い。
振り返る。
「何故ついて来ない?」
「ああ、いいの?」
「父上が友人だと言った。ついて来い」
ミネアナという少女の腕をつかみ、先に出る少年。
数秒の間。
見つめ合う。
「名前は?」
「ゼイン」
「俺の名前は、ルシフェル」
そこで、目が覚めた。