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 僕はみんなからハンサムだと言われるが、自分ではよくわからない。だけど僕がやってきたときの村の女の子たちの騒ぎぶりを見れば、そうなのかもしれないという気がする。

 森の中を一人で歩くことが好きだったので、僕は寺子屋に通う道も気にならなかった。

 僕の家は村を離れた一軒家で、少しでも近道をするためにいつも森の小道を突っ切るのだが、それがまったく嫌ではなかったのだ。

 寺子屋は神父が片手間にやっているもので、正式な学校ではもちろんないが、近在にある唯一の教育機関だった。僕も不満には思っていたが、こんな田舎では他にどうしようもなかったんだ。

 森は暗く、頭上はまるで天井のように葉や枝でおおわれている。道は狭く、人や馬が行くギリギリの幅しかない。

 どういうわけかこの日、僕は雨具を忘れて寺子屋へ出かけていた。あの季節は雨が多く、長靴やレインコートなしではとても歩けないのだが、授業が終わったあと、降り始めないうちにと急いで歩いてきたのに、森の中ほどでとうとう雨につかまってしまった。

 仕方がないので、大岩の下に避難することにした。道の途中に大入道のように空に張り出した岩があり、その下なら雨に当たらずにすんだのだ。

 といっても、まわりはみなびしょぬれで、座ることすらできなかった。

 ここで雨がやむのを待つしかなかったが、すでに体はすっかり濡れ、いくらもたたないうちにガタガタと震え始めるに違いなかった。マイカに出会ったのは、そのときのことだった。

 マイカという女のことは、以前から噂で聞いていた。森を歩くのなら気をつけろ、とも言われていた。

 廃墟も同然の城に住み、何をするでもなく幽霊のように森の中や、無人の荒地をさまよっているらしい。

 迷信深い連中は、マイカの姿を見かけるだけで十字を切ることさえあった。

 そのマイカが馬に乗って不意に現れ、大岩の下にいる僕の目の前を通り過ぎていったんだ。

 もちろんマイカも馬も雨を受けていたが、どちらも分厚い布をかぶり、体が濡れることを防いでいる。

 マイカは少しうつむいている。だが馬は何も感じないらしく、泥の上を平気で歩いていた。

 僕の存在に最初に気づいたのは馬だった。大きな黒い瞳で目に留め、ほんの少し歩調をゆるめてブルルと鳴いたが、背中の上の女主人に伝えるには、それで十分だった。

 マイカが顔を上げ、こちらを見つめたようだった。

 でもマイカの顔は見えなかった。それが雨よけの布のせいではないことがわかるのに、時間はかからなかった。

 雨よけ布がなくても、彼女の顔は見ることができなかったに違いない。マイカが濃いベールで常に顔を隠しているということを、僕は思い出したのだ。

 マイカの容貌について話すとき、村人たちはいつもひそひそと声を潜めた。いわく、子供のころマイカは顔にひどいケガを負ったらしい。いや、大やけどをしたのだ。いや顔だけでなく、体中に大きな傷を受けたらしいなどなど。

 噂の真偽はともかく、このときもマイカはすっぽりと顔を隠していた。

 そのマイカと出会って、胸がドキンとしなかったといえばウソになる。馬は自然に立ち止まり、次の瞬間にはマイカが口を開いていた。

「今日は寒いわ。そんなところで濡れていては、あなたは風邪をひいてしまうわ」

「だって…」

 マイカの馬は大柄で、その大きな瞳も僕を見つめている。今にも噛み付かれてしまうのではないか、という気がした。

 馬の背中にかけてあった布を手に取り、マイカがポンと投げてよこしたのは、そのときのことだった。

「それをかぶって、私の後ろをついてくるのですよ。城はすぐそこです。服を乾かしてあげましょう」

 返事をしようとしたときには、馬はもう向きを変え始めていた。少し迷ったが、大岩の下を出て、ついていくことにした。

 雨はなかなか降り止まなかった。城が見えてきたのは、水と泥のせいで靴がすっかり重くなり、頭の上に布を押さえておく手もだるくなってきたころだった。木々の間に浮かび上がる城の姿に、僕はとうとう立ち止まってしまった。

 城は黒い石で作られ、ゴツゴツと不器用に地面から突き出している。二重になっている城壁や深い堀など、まるっきり中世のままの感じだ。

 はね橋が渡され、その堀を渡るようになっている。渡りながら気がついたのだが、雨を受けて水面いっぱいに波が立っていた。

 屋根の下へ入るとすぐにメイドが現れ、手を取ってマイカを降ろしてやり、馬を引いてどこかへ姿を消した。ついでに僕の手からも、雨よけの布を受け取っていった。マイカが身振りをするので、僕はついていった。

 決して小さな城ではないのだが、とにかく何もかもが古びていた。服を脱いで裸になり、毛布をかぶって火の前にいるように、と言われた。

 マイカはすぐにどこかへ行ってしまったが、見たこともないほど大きな暖炉がキッチンにあり、イスを借りて、僕はその前に座ったのだ。寒さも体の震えも、すぐに引っ込んでしまった。

 キッチンだから、もちろんコックが出入りした。中年のよく太った女で、スープ鍋をかき混ぜるためにそばへやってきたとき、僕は話しかけた。

「おばさんは、この城で長く働いているの?」

「もう十五年になるね」

「この城には、どういう人が住んでいるの?」

「マイカ様の他にかい?」

「うん」

「マイカ様もお気の毒な方さね。あのお顔のせいで嫁にも行けない。本家からも見捨てられたようなものだね」

「本家って?」

「もちろんマンドレーク家のことさ。あんたも知っているだろう? マイカ様は、あの大金持ち一族の一員なのさ」

「へえ…」

 好奇心を感じ、もっと話を続けたかったが、別の仕事があるようで、コックはやがてどこかへ行ってしまった。

 少しして、すっかり乾いた服が返ってきた。さっきのメイドが運んできてくれたのだが、身振りからこの人は口がきけないのだとわかった。質問することはあきらめ、僕は服を着て、家へと帰った。



 このころから僕は、いろいろと奇妙なことを経験するようになった。

 最初は、寺子屋の帰り道に花が並べられるところから始まった。つまれてきたばかりの新鮮な花が、明らかに人間の手で、僕を迎えるかのように道の両側に飾られているのだ。まるで祭りの日に村の通りを行くちょうちん行列みたいに、森の中に長くずらりと列を作るようになった。

 それが何日か続き、ついには珍しい種類のカブトムシが、細いヒモでもって、木の枝から目立つように釣り下げられるようになった。

 こういうカブトムシがこの森にいるということは聞かされていたが、僕はまだ一度も実物を見たことがなかった。興味をひかれて立ち止まり、しげしげと眺めた。

 だが意味がわからなかったので、カブトムシが自分のものだとは気づかず、ヒモをほどいて持って帰るようなことはしなかった。今から考えれば、森の中に隠れ、贈り主は僕の姿をじっと見ていたに違いない。

 翌朝起き出して、ひどく驚いた。窓の外に、またあのカブトムシがぶら下げてあったんだ。角の形や大きさに見覚えがあり、昨日と同じ虫に違いなかった。

 窓を開け、顔を突き出したが、誰の姿も見えなかった。急いで服を着て外に出ると、足跡を見つけることができた。女の足跡で、窓のそばに来て、カブトムシを結びつけるために爪先立ちした跡まで見つけることができた。

 そこを離れ、足音を忍ばせてその人物が歩いたらしい先には、馬のひづめの跡も見つかった。ひづめはとても大きく、すぐにマイカの馬のことを思い出した。

 あのサイズの馬は、近在には一頭しかいないに違いなかった。



 村祭りが近づいてくると、村の話題はたった一つになった。

『祭りの騎士に選ばれるのは、一体誰だろう』

 祭りの騎士とは、村の少年の中から毎年選ばれ、行事の中心になる。これに選ばれることは村内の人気のバロメーターであり、その年の騎士の名を発表する日が近づくと、男の子はみなそわそわし始めるのだ。

 でも僕はあまり気にしていなかった。村にやってきたばかりの新参者だから、選ばれる可能性は少なかった。

 ところが意外なことが起こった。

 騎士に決まった者の名は教会の壁に張り出されるのだが、それがなんと僕の名だったんだ。友達に聞かされ、走って見にいったが、その通りだった。

 自分の目が信じられないような気までしたが、何度見ても間違いではなかった。

 まわりの連中に冷やかされ、背中をぽんぽんとたたかれ、女の子たちにはキャーキャー言われ、僕は騒がしい一日を過ごすことになった。

 そんな僕を、もう一つの驚きが待っていた。まわりに人がいなくなったところで神父が現れ、僕に耳打ちをしていった。その内容が僕を驚かせたんだ。

 今年の騎士には僕を選べ、という指示を出したのは、あのマイカだったというんだ。

 この村は何世紀も昔からマンドレーク家の領地であり、かつては法的なもめごとから、男女の結婚許可、死人を埋葬するための墓地の割り当てといったことまで、すべてマンドレーク家が支配していた。

 その名残りが今でも残っていて、『今年の騎士には誰を選ぼう』というとき、村からマイカの城へ使者を出し、その指示を受けるという習慣があった。いつもの年であればマイカは、『そちらのよろしいように』と答えるのに、今年はなぜか違ったらしい。

「今年の騎士には、カイをお選びなさい」

 だから僕の名が教会の壁に張り出されることになったわけだった。

 祭りの準備が始まり、騎士に選ばれた者として、僕が最初の義務を果たす日がやってきた。

 日曜日だったが、身支度をして、朝早く家を出た。言うべきセリフの書かれたメモはポケットの中にあったが、昨夜のうちに頭に入れてしまっていた。

 毎年のことだから、城の人々もよくわかっていて、用意をすませて待ちかまえていた。神父と待ち合わせて一緒に城門をくぐると、あのメイドが待っていて、すぐにマイカのいる場所へ連れていってくれた。

 この城は過去に本当に領主の住まいだったことがあり、そのときの『謁見の広間』が現在でも残っていた。古めかしい大きな玉座があり、それに腰かけていたが、マイカは立ち上がって迎えてくれた。

 もちろんマイカは、いつものように濃いベールで顔を隠していた。あの下にはどんな顔があるのだろう、とチラリと思った。

 広間はガランとして薄暗く、片側にある窓から光が差し込んでいる。玉座のわきに立てかけてある長い剣が、それを受けて輝いていた。

 儀式そのものは簡単だった。マイカの前に進み出て、覚えてきた問答を僕がやってみせるというだけで、本当にすぐにすんだ。まずマイカが言う。

「なんじは誰なるや?」

 僕は答える。

「村はずれに住むカイ」

「何のためにここへ来られた?」

「その剣により祝福を受け、騎士となるため」

 問答がすむと、僕はマイカの前にひざまずき、剣を取って、マイカが僕の肩をぽんぽんとたたくのだ。

 これで儀式は終わるはずだった。人目があるのだから、マイカもめったなことはできない。でも彼女はかなり大胆だったのかもしれない。

 剣で肩をたたくとき、狙いをつけるのに苦労しているふりをして顔を近づけ、マイカはそっとささやいたんだ。小さな声だから、他の人の耳には入らなかっただろう。

「カイ、あなたは私の弟におなりなさい。そうすれば、ちゃんとした学校へ行きたいという願いをかなえてあげましょう。私には、それだけのお金と力があるのですよ」

 数日して祭りは終わり、僕は無事に騎士の役目を果たすことができた。

 ほっとして家に帰った夜のことだったが、今日はおもしろい一日だったなと思いながらベッドに入ると、誰かが窓をコツンコツンとたたく音が聞こえることに気がついた。

 立ち上がってカーテンをどけ、窓をそっと開けてみると、そこにいたのはマイカのメイドだった。メイドは、白い紙に書かれた手紙をそっと差し出したんだ。

 受け取ると、メイドはすぐに身をひるがえした。黒い服を着ているので、その姿はあっという間に見えなくなったが、足音だけはしばらく聞こえていた。

 僕は手紙を開いた。高価なしっかりした紙に、いかにも弾力のある上等なペンで書かれている。女らしく繊細で華やかな文字だが、同時に強い意志も感じられる。

 差出人はもちろんマイカで、城で交わした会話の返答を求めていた。僕に返事を書かせたいらしいが、マイカが指定するその投函方法が変わっていて、むしろ僕は書くべき返事の内容ではなく、投函方法のおもしろさに心を奪われてしまった。

 僕は、マイカに返事を書きたくて仕方がなくなった。

 今から思えば、すべてマイカの計略だったのだろうが、あのときの僕は何も気づいていなかった。僕のような年齢の子供をおもしろがらせ、何かに誘い込むのに、あれほどうまい方法は他にないに違いない。

 次の日曜、僕は一人で村へ出かけた。人目を忍んで、教会の裏の墓地へと入っていった。

 どの墓石を調べるべきかは、すでに教えられていた。約束どおりの位置に、すぐに鳥カゴも見つけることができた。その中には伝書鳩が入っていて、まん丸な目で僕を見つめていた。

 よく人に慣れた鳩なので、足に手紙を結びつけることも簡単だった。空に放すと音を立てて羽ばたき、あっという間に見えなくなってしまった。

 僕とマイカの関係は、こうやって始まったんだ。

 マイカは約束を破らなかった。マイカが突然家を訪ねてきたとき、叔父と叔母はひっくり返りそうなほど驚いていた。

 旧領主の末裔であるだけでなく、マンドレーク家は今でも首都で大きな力を持っているのだから無理もないが、親代わりのこの二人が両目を飛び出させ、金魚のように口をパクパクさせるのを見て、僕は少し気が晴れた。

 僕を引き取るために、マイカがいくら支払ったのかは知らない。

 だが交渉はとんとん拍子に進み、僕は半月後には首都の土を踏んでいた。

 森の中の城は引き払い、マイカも一緒にやってきたが、コックの言ったとおり、マイカは確かにマンドレーク家の一員であり、自分がこれから住むことになる屋敷の大きさを目にして、僕は口をポカンと開けたものだった。

 王宮が新市街へ移転して以来、旧市街はあたかもマンドレーク家の領地であるかのごとくになっていた。

 道幅が狭く、坂の多い不便な町だが、ここがかつて国家の中心であったことは事実なんだ。役所はみな引っ越してしまったものの、今でも工業がさかんで、ここを支配しているマンドレーク家も大した物で、旧市街全体を一つの小王国と考えることだって、それほどばかげてはいなかった。

 僕がさらに驚いたのは、マイカがマンドレーク家の長女であるということだった。

 だから今はまだ元気にしているものの、一家の当主の死後には、相続や跡継ぎという問題が出てくるわけだ。

 マイカにはルクスという妹がおり、マイカが森の奥へ引きこもっていた間は、当然このルクスが家を継ぐものと思われていた。ところがそこへ突然マイカが舞い戻ったので、問題がややこしくなり始めていた。

 でももちろん、そんなことはまったく知らずに、僕は首都へやってきたんだ。

 やってきた直後から、僕の生活は本当に大きく変化した。叔父の家に住んでいた頃には経験しなかったことばかりで、まるで日曜のよそ行きのような洋服を毎日着て、毎食はさすがにマイカが許してくれなかったが、午後のお茶の時間には甘くておいしいお菓子が出るようになった。

 その他、普段の食事の内容だって比べ物にならないし、首都には博物館でも美術館でも、劇場でもなんでもある。小づかいだってもらえ、それ以外にも、マイカ自身が本好きだということもあって、少々値段の張る本であっても、言えばいくらだって買ってもらえるようになった。

 僕は、ちゃんとした学校へも通い始めた。あらかじめマイカは、僕が評判のよい学校に転入できるよう手続きをしておいてくれた。

 学校は旧市街の中心にあり、時代がかった高い塔を備える校舎は石で作られ、暗く寒々しかったが、気にはならなかった。ここは自分が望んでやってきた世界であり、とにかく僕は、田舎や森の奥で埋もれてしまうことが我慢ならなかったんだ。



 数人のともを連れて、ルクスが突然学校の教室へやってきたのは、ある日の午後のことだった。授業中にノックの音がして、思いがけず姿を見せた。

 僕はまったく知らなくて、後で聞かされて驚いたのだが、ルクスはこの学校の『名誉校長』だった。形だけのことだがルクスもマイカも、『名誉なんとか』とか『終身かんとか』というさまざまな称号をあちこちから贈られていたらしい。

 繰り返しになるけれど、彼女たちは旧市街では、本当に王女のような扱いを受けていたんだよ。

 教室へやってきて、ルクスが何をしたと思う? 僕を教室から引っ張り出し、なんと校長室へ連れていったんだ。

 校長の命令だから、逆らうわけにはいかなかった。立ち上がり、廊下に出て、僕はルクスのあとをついていった。

 でもルクスはざっくばらんで、声も怖い調子ではなかった。二人で向かい合ってふかふかなイスに座ると、すぐに口を開いた。

「あなたがカイなのね。森の奥から姉が連れ帰ったことは、町中の噂になっているわ」

「噂って?」

「姉が何を考えているのか、見当がつかないからでしょうね」

「お姉さんって、マイカのことだよね」

「そうよ。あなたはマイカの顔を見たことがないのかしら?」

「いつもベールで隠してるよ。僕は一度も見たことがない。小さいころにひどいケガをしたんだってね」

「いいえ、あなたはマイカの顔をすでに見ているのよ」

「どうして?」

「うふふ、マイカと私は双子なのよ。ベールで隠していなければ、マイカは私とまったく同じ顔をしているはずだわ」

「へえ」

 僕はもう一度ルクスの顔を眺めた。子供らしい遠慮のなさというやつかもしれないね。でもルクスはいやな表情など見せなかった。

「それで校長先生、僕に何の用なの?」

 ルクスは声を立てて笑い始めた。

「用なんてないのよ。ただ町中で噂のあなたの顔を見てみたかっただけ。名誉校長なんて下らない称号だけど、持っていて役に立ったわ」

 ルクスも気がすんだらしい。すぐに僕を教室へ帰らせた。薄暗い廊下を歩いてゆきながら、マイカとルクスがまったく同じ顔をした双子だということを、何回も思い返さないではいられなかった。



 僕の夕食はいつも、マイカと一緒に取ることになっていた。ロウソクで照明され、壁には大きな油絵の飾ってある食堂だが、中央にカーテンのような仕切りが置かれて、互いの顔を見ることはできないようになっている。食事のときだけは、マイカもベールを外した。

 おなかをすかせ、テーブルの前で待っていると、あの口のきけないメイドがドアを開け、マイカが入ってくる。マイカがいつも着飾っていることには、もちろん僕も気がついていた。

 この日もいつものように食べ始めたのだが、昼間ルクスが学校へやってきたことを話したとたん、マイカの様子が変わってしまったのには驚いた。

 その声はとても厳しく、まるで僕を責めるかのようだった。

「カイ、ルクスは何をしに学校へやってきたのです?」

「知らないよ。ただ僕の顔が見たかったからと言ってた」

「あなたの顔?」

「僕のことは町中の噂になってるんだってね。ちっとも知らなかった」

「ええ、その通りです…。でもそのことと、妹がしゃしゃり出てくることとは、まったく関係がないではありませんか」

「僕は知らないよ。ルクスは僕の学校の名誉校長なんでしょ?」

「なんですって? ああそうだった。すっかり忘れていたわ。妹は方々の学校で、その役を引き受けている。ということは、あなたを別の学校へ転校させても無駄だということね。転校していった先の学校でも、きっと妹は名誉校長をしているに違いないわ」

「マイカは校長先生じゃないの?」

「私は違います。この町の文化や芸術、教育は妹の担当です」

「マイカは何の担当なの?」

「私は製鉄所や機械工場、鉱山などですね。あちこちの会社や工場の名誉重役なのですよ」

「お金持ち?」

「ええ」

「でもマイカの担当は固い物ばかりだね。鉄や機械や鉱山なんてさ」

「それが私の仕事なのです」

「ルクスとは双子なんだってね」

「私たちが成人したとき、父はこの町を二つに分けたのです。この町にあるやわらかい物をすべて父は妹に与え、私には固い物ばかりを与えました」

「どうして?」

「さあ、姉妹の性格の違いかもしれません。私と妹にはそうするのがふさわしい、と父は考えたのでしょう。それはそうとカイ、一つ約束をなさい」

「何を?」

「ルクスには二度と会わないことをです。顔を見ても、言葉をかわしてもいけません」

「なんで?」

「それは、あなたが私のものだからです。妹のものではありません。いいですね。約束してくれますね」

 そこまで言われてしまうと、首を縦に振るしかなかった。

 だけどそんなことも、ルクスはまったくお構いなしだった。数日後の学校帰り、道を歩いている僕を待ち伏せていたんだ。

「カイ、今日の学校はすんだの?」

 ルクスがともを連れているのは明らかだった。ルクスのような人が町の中を一人で歩くはずはない。メイドが二人、少し離れたところに立っているのが見えた。

 そこからスタスタとやってきて、ルクスは僕を捕まえたんだ。

「あっルクス…」

 ルクスはにっこりした。

「そうよ。今日は校長先生なんて呼ばないでね」

「あのねルクス、マイカが怒って、もうルクスとは会わないと約束させられた。口をきくのもだめだって」

「あはは、いかにも姉らしい言い草だわ。それは私も知っているのよ。姉はアリシアに持たせて、手紙を送ってきたもの」

「アリシアって?」

「姉には口のきけないメイドがいるでしょう? あの人よ。『もうカイには近づくな。いっさい口をきくな』と姉は書いてよこしたわ」

「それに返事を書いたの?」

「まさか。姉の手紙なんか、すぐに丸めてポイと捨てたわ」

「マイカが怒るよ」

「怒っても構わないもの。怖くなんかないもの」

「僕は怒られる」

「そうね、あなたのことを考えなくてはならないわね。じゃあ、こうしましょう。私が道路を歩くことまでは、姉も禁止できないわ。歩きながら私は勝手に独り言を言うから、あなたは黙って聞いていなさい。ただ耳で聞くだけで、返事さえしなければ、あなたは私と話したことにならないわ。

 これなら姉との約束を破ったことにはならない。どう、名案でしょう? ああそうか、あなたは返事ができないのね。でもいいわ。私は勝手に独り言を言うのだから…」

 そうやって僕とルクスは歩き始めた。僕が道の右側で、ルクスは左の端にいる。少し遅れて、メイドたちがついてきた。

 次の日曜の朝、僕は教会へは行かなかった。頭が痛いといって、部屋に引きこもっていたんだ。

 マイカは何も疑わず、ともを連れて出かけてしまった。これでもう昼まで帰ってこない。

 屋敷の中でも、使用人の全員が教会へ出かけるわけではなかった。大きな屋敷だから、そんなことをしたら仕事がとどこおって、大変なことになる。たとえば居間の掃除などは、主人のいない隙に済ませる必要があった。

 だがそんな最中にマイカがひょいと戻ってきたのには、使用人たちも驚いたかもしれない。どうにもマイカらしくないことだったのだ。

 馬を降りて家の中へ入ってくるなり、

「ちょっと忘れ物をしたのですよ」

 とマイカは言ったそうだ。

「さようでございますか」

 マイカが僕の部屋へ足を向けるのを見て、召使いたちはさらに奇妙に思ったに違いないが、何も口には出さなかった。

 部屋へやってきて、マイカはすぐに僕を連れ出した。頭痛はもう治ったと言って、僕もついていったんだ。

 僕を自分の馬の後ろに乗せ、マイカは屋敷の門を出た。普段乗っている馬とは毛の色が少し違うことまでは、使用人たちも気がつかなかった。

 屋敷の門を二丁ばかり離れてはじめて、マイカはベールを脱いだ。そこにあったのはルクスの顔だったが、もちろん僕は驚いたりしなかった。最初から計画し、示し合わせていたことなんだ。

 前日からきちんと計算して、ちょうど今頃の時刻にマイカの屋敷へ届くように、ルクスは手紙を投函していた。

 手紙の中身は他愛のないもので、「休暇代わりに二週間ほどの間、カイは私の屋敷で過ごします」というだけのことで、最後の一行などは、「だってお姉さまの弟であるカイは、私の弟でもあるわけでしょう? 弟が姉の屋敷を訪ねて、何の不思議がありましょう」と締めくくられていた。



 ルクスの屋敷では、僕はとても楽しい時間をすごすことができた。パーティーが毎日のように開かれ、色々な人と知り合うことができた。芝居や音楽会にも出かけ、新しい知識をたくさん得た。自分が望んでいたのはこういう生活なんだという気がした。

 マイカの屋敷も確かに大きく立派な場所だったが、派手さはなく、マイカなども毎日本を読んで過ごしていて、少し退屈を感じないではなかったのだ。

 だがルクスの屋敷での暮らしも、いつまでも同じように続くものではなかった。ある夜、大きな変化が訪れたんだ。

 ふかふかしたベッドの中で、僕はぐっすり眠っていた。でも気配で目を覚ました。

 部屋の中は暗く、カーテンの隙間から月光が差し込んでいるだけだ。だけど僕は見ることができた。誰かがベッドの脇に立っている。

「マイカなの?」

 その人はゆっくりとうなずいた。黒いベールですっぽりと顔を隠した姿だ。着ている物にも見覚えがあった。

「カイ」

「マイカ、こんなところで何をしてるの? いつの間にやってきたの? よくこの部屋がわかったね」

「ここは私が生まれ育った屋敷でもあるのですよ。あなたにはルクスが一番よい部屋を与えるだろうと思ったし、誰にも見られることなく忍び込むことのできる秘密の通路も、ちゃんとあるのです。あなたに見せたい物があって、私は来たのです」

「何を?」

「ベッドから出なさい。外は寒いから、何か着たほうがいいでしょう。さあ、私についてきなさい」

 ドアを開け放し、マイカは僕を庭へ連れ出した。芝生が一面に植えられ、あちこちに花壇や茂みが作られている。月光を受けながら、僕たちは歩いていった。

「ねえマイカ、僕のことを怒ってる?」

「なぜです?」

「黙ってこの屋敷に来ちゃったから」

「はじめは少し腹を立てました。でもルクスからの手紙にもあるとおり、あなたは彼女の弟でもあるのですね。そう思うと納得できました」

「そうなの。よかった」

「ふふ、少しは不安だったのですか?」

「うん」

「さあ見えてきたわカイ。あの塔をごらん」

「庭のすみにある古いやつだね。灯台みたいな形をしてる。何のための塔なのだろうと、最初に来た日から思ってた」

「あれは何百年も昔、この屋敷が砦だった時代に建てられたものです。敵の様子を探る見張台でした」

「この町にもそんな時代があったんだね」

「でも国が平和になると、砦は屋敷に作りかえられたわ。そしてあの塔も不要になったの」

「ふうん」

 僕とマイカは、塔の足元までやってくることができた。木でできた大きなドアがあり、キーを取り出して、マイカが開けてくれた。

「さあお入り」

 部屋の中は暗かったが、すぐにマイカはランプに火をつけた。黄色い光に照らされた内部を、僕は眺めることになった。

「あれれマイカ、壁に大きな絵があるよ」

 近寄って見上げると、マイカも同じようにした。

「私とルクスの油絵だわ。まだ九歳だったころかしら」

「へえ」

 僕はしみじみ見つめないではいられなかった。同じ顔をして、同じドレスを着た少女が二人、暖炉の前に並んでいるのだ。

 このころ二人は仲がよかったのかもしれない。手をつないでいる。もちろんどちらの少女の顔にも、傷一つない。

「ねえマイカ」

「どうしたの?」

「ううん、なんでもない…」

「さあ、もう一つ奥の部屋へ行きましょう」

「そこには何があるの?」

「見ればわかります」

 ドアをくぐりぬけ、僕たちは次の部屋へと進んだ。

 広くガランとした場所だが、中央に井戸があるのが目に付いた。まわりを石で丸く囲まれている。近寄ってひょいと中をのぞき込んだが、真っ暗なばかりで何も見えなかった。

「こんなところに井戸があるんだね。そうか、この屋敷が砦だった時代に使われていたんだ」

「実はカイ、さっきの油絵が描かれたころ、私たち姉妹はある少年と友達だったのです」

「少年って?」

「ハンサムで、とてもきれいな男の子でしたよ」

「ふうん」

「私たち姉妹は、どちらもその男の子が好きになりました。男の子の名はカイといいました」

「へえ偶然だね」

「ルクスと私は、いつもカイと一緒にいました。彼とますます仲良くなっていったのです。私に対して、ついにルクスは焼きもちを焼くようになりました」

「そのカイをめぐって?」

「そうです。その後色々ごたごたがあって、ついにルクスはそのカイをどうしたと思います?」

「さあ?」

「そのころすでに、ルクスのわがままぶりは目に余るものがありました。父は私たちを平等に愛してくれましたが、ルクスはそれでは満足できなかったのです。この町を二つに分けるときに、父がルクスにはやわらかい物、美しい物ばかりを与えたのも、その影響です。私よりも良い物を得ないと、ルクスは絶対に納得しなかったのです」

「それで?」

「もう想像がついたでしょう? ルクスはいつも私と張り合ってきたのです。一歩身を引き、常に譲歩することを私は覚えました。でもルクスの欲望には際限がなかったのです。カイが私たちの前に現れたのは、そういう時でした」

「そのカイはどうなったの?」

「ルクスは、まずこの塔のキーを手に入れました。そして、カイをこの井戸の中へ落とそうとしたのです」

「本当に?」

「もちろん私は止めようとしました。その時そばにいたのは、私だけだったのです」

「それはうまくいったの? カイは助かったの?」

「隠し持っていたナイフで、ルクスは私に切りつけてきました。私が顔に深いキズを負ったのは、この時だったのです」

「それからどうなったの?」

「傷口を押さえながら、私は屋敷へ駆け戻ることができました。でもすぐに気を失ってしまったのです。死んでも不思議のないほどの大出血だったそうです。私は眠り続け、やっと目を覚ましたのは二日後のことでした」

「ルクスは? カイはどうなったの?」

「ルクスは何も知らぬ顔をしていました。私を心配するふりをしましたが、あの子は昔から芝居が上手なのです。私は階段で転び、とがった石の角で顔を切ったのだとルクスは言いました。父は何一つ疑いませんでしたし、私も真実を話す勇気がありませんでした。真実を知れば、ルクスを溺愛している父の心は壊れてしまうと思ったのです。それは私にとっても恐ろしいことでした」

「カイは?」

「もちろんその日以来、誰も見た者はいません」

「じゃあ今でも、この井戸の底にいるんだね」

「ええ」

「でも、なぜ僕にそれを教えてくれるの?」

「うふふ、なぜってカイ、あなたはあのカイの生まれ変わりなのでしょう? あなたがやってきたのは、ルクスの悪事を暴き、世に知らせるためだわ。だから同じ名前を持って生まれてきたのよ」

「僕、そんなカイのことなんか知らないよ」

「このナイフをごらん。十年前、私はあなたをこの井戸の中へ捨てようとした。止めようとした姉の顔を、私はこのナイフで切りつけたわ」

「姉? あんたはマイカなんじゃないの?」

「ああ、とうとう口が滑ってしまった。もちろん私はマイカなんかじゃない。よくごらん」

 勢いよく、彼女は自分のベールをはぎ取った。もちろんそこには、傷一つないルクスの顔があったんだ。

「さあカイ、十年前は失敗したけれど、今度は誰にも邪魔させないわ。井戸のへりへお登り」

「いやだ」

「わがままを言うのはおやめ。この数日間、天国のような暮らしをさせてやったじゃないか。思い残すことはあるまい?」

 だが何もかもが十年前と同じというわけにはいかなかったのだろう。僕はなんとかルクスを出し抜き、井戸の前から駆け出すことに成功したんだ。

 でも入ってきたドアには、ルクスがすでに鍵をかけていた。僕は塔の奥へと向かうしかなかった。

 走るのは、ルクスよりも僕のほうが速かった。だけどもちろん、暗い廊下をパタパタと足音が追いかけてくる。

「逃げてもむだよ、カイ。塔のドアにはすべて鍵がかかっているわ」

 ならば窓はどうだと僕は考えた。

 窓にはすべてよろい戸が下ろされていたが、いくらも立たないうちに、鍵が壊れて役に立たなくなっている窓を見つけることができた。

 よろい戸も腐って、もろくなっていた。全身の力を使えば、押し破るのは簡単なことだった。

 僕は、ギリギリのところでルクスのナイフを逃れることができたんだ。僕の体をかすめ、ナイフは窓枠に長い傷をつけた。

 この窓は高い場所にあって、僕でも両手を使ってはい上がらなくてはならなかった。長いドレスを着たルクスに、それができるはずはなかった。

 塔の外に出て、地面にドサリと落ちたがすぐに立ち上がり、僕は駆け出した。

 母屋の方向へ向かうなど問題外だった。そっちは塔の入口に近い。ナイフを光らせながら、ルクスが待ちかまえていることだろう。

 母屋の戸をたたき、使用人たちに助けを求めるのも気が進まなかった。使用人たちはルクスの味方をするに違いないからだ。

 彼らがいかに献身的で、ルクスに忠実であるか、それこそ王女に仕える家来のようであるかを、僕はここ数日、目の当たりにしてきたのだ。使用人たちはすぐに僕を捕まえ、ルクスに引き渡してしまうだろう。

 僕が行くべき方向は一つしかなかった。この屋敷を出て、外部に助けを求めるのだ。

 月光しか照らすもののない庭を、僕は走り続けた。ナイフを持ったルクスがいつ姿を見せるかと、何度も振り返らないではいられなかった。

 大きな屋敷なので時間がかかったが、とうとう塀までやってくることができた。砦だった時代からある、ごつくて高いものだ。だが今はツタに覆われている。素手でも登るのは不可能ではないだろう。

 ツタに手をかけようとしたのだが、次の瞬間、目の前の光景に、思わず息が止まってしまいそうになった。塀の石の一部が、まだ手も触れていないのに、突然ゴトリと動いたんだ。

 どうしていいかわからなくて、僕は棒のように突っ立ったままになってしまった。

 石はカラカラと崩れ続け、とうとう大きな穴が開いた。そこを通り抜け、誰かがやってくる気配を見せたんだ。暗いので、もちろん姿はよく見えないが、その人物が口を開いた。

「そこにいるのはカイなのですか?」

「あんたはだれ?」

 ここには、どうやら古くから隠し通路があったらしい。

「カイ、もう私を忘れたのですか?」

「マイカ?」

「ええ」

 頭をかがめ、穴を通り抜けてきた人物は、本当にマイカと同じ姿をしていた。でも僕は身構えた。

「うそだルクス、どうやって先回りをした? ふん、ベールを降ろしてマイカのふりをしてもだめさ。僕にはわかる」

「何のことを言っているのです? ルクスがどうかしたのですか? 私はマイカですよ」

「だまされるもんか」

「一体何を言っているのです? ルクスが何かしたのですね。でなければ、こんな時間にあなたがこんな場所にいるはずがないわ。カイ、手をお出しなさい」

 あっと気がついたときには、僕は手首をつかまれていた。その手を持ったまま、彼女はベール越しに自分の頬に押し当て、触れさせたのだ。

 思わず胸がどきりとしたが、僕は指先にはっきりと感じることができた。彼女の頬には、長く深いキズが二本、並んで走っていたんだ。

「あんたは本当にマイカなの?」

「そうですよ。でも話は後にしましょう。ルクスに見つからないうちに、ここを離れなければなりません」

 おとなしく手を引かれ、僕は塀の穴を通り抜けていった。

 外にはひとけのない夜の町が広がっていたが、どこに隠していたのか、マイカは馬を連れてきた。それに乗り、僕たちは道路を進み始めた。

 すぐに僕は、今夜ルクスの屋敷で何が起こったのかを話し始めた。マイカは黙って聞いていた。

「それでマイカ、これからどこへ行くの?」

「まずあなたをどこかへ隠さなくてはなりません。人を使って、妹はあなたを探させるでしょうから」

「どうして?」

「あなたは妹の悪事をすべて知っているのですよ。そのあなたをこのままにするはずがありません。でも一つだけ希望があります」

「なに?」

「私があなたを取り戻したことを、妹はまだ知りません。あなたが一人で逃げ出したと思うことでしょう」

「ねえマイカ、どうして今夜迎えに来てくれたの? ルクスが悪いことをするとわかっていたの?」

「妹のたくらみは最初から見当がついていました。もっと早くに来たかったのですが、父を説得するのに手間取って、今夜になってしまったのです」

「説得って?」

「妹の屋敷には、かつて父も住んでいたことがあるのですよ。父は今でも、屋敷のマスターキーを保管しています。それを貸してくれるよう説得していたのです」

「そのキーは借りることができたの?」

「ほら、ここにありますよ。でも必要ありませんでしたね。あなたの逃亡に私が関わっていることは、まだ妹にはばれていません。それをうまく使って、時間をかせぐことにしましょう」

「僕はどこへ行くの? どこに隠れるの?」

「私もそれを悩んでいるのですよ。旧市街の外へ出ることは不可能でしょう。妹は城門に見張りを立てているはずです。いずれなんとか荷物の中にでもまぎれ込ませて、あなたをこの町から逃がす算段をするつもりですが、今すぐは無理です」

「じゃあ、どうするの?」

「ふふふ、そんなに不安そうな顔をすることはありませんよ。田舎から来た旅行者のような顔をして、旅館にでも泊まることにしましょう。ただ少し問題があるのです」

「なんなの?」

「私はあなたのそばにいるわけにはいかない、ということです。私はひどく目立ちますから」

「うん、そうだね」

 マイカは言葉どおりに計画を進めた。夜が明けて日がさすころには、僕は着替えを与えられ、旅館の一室にいた。

 地方からやってきた旅行者のための施設で、同じようなものは旧市街にはいくらでもあった。それに宿泊客は何百人もいるのだ。その中にまぎれ込めば、ルクスが配下をいくら持っていても、見つけるのは難しいに違いない。

 マイカからは日に一度、手紙が届いた。口のきけないアリシアというメイドが届けてくれた。




 親愛なるカイ

そちらの様子はいかがですか。

今朝、ルクスが私の屋敷へやってきました。

表向きはちょっとした相談ごとを装っていましたが、私の様子を探るための訪問であることは明らかでした。

「カイは元気にしていますか?」と質問したら、表情が変わりました。

でも妹は、あなたは屋敷で元気にしているとウソをつき続けるつもりのようです。

あの最初の日、雨の降る森の中で出会い、私があなたを城へ連れ帰ったことを覚えていますか?

実はあの時、ある用事で妹も私の城へ来ていたのです。

火に当たって体を乾かしているあなたを、物陰に隠れて妹は盗み見たのです。

そして不注意にも、あなたの名が十年前の男の子と同じカイであることを、私は妹に話してしまいました。

その瞬間から、妹はあなたに対して、奇妙で強い執着を持つようになったのです。

妹の毒牙から守るため、私はあなたを弟にし、首都へと連れてきたわけですが、すべてが裏目に出てしまったわけですね。

申し訳なく思っています。

話は変わりますが、あなたが昨日の手紙で書いてくれた二人組の男のことが、私はとても気になります。もう少し詳しく教えてください。

食堂のすみのテーブルに陣取り、革命や蜂起といった言葉を使って、こそこそ話していたのですね。

それは反乱軍のメンバーかもしれません。

この町を治めるマンドレーク家のやり方が気に入らず、革命と称して暴力に訴えようとする者たちがいるのです。

それが、もしもその旅館に泊まっている客なのなら、できるだけ観察して、その行動を知らせてください。

でも、くれぐれも無理をしないように。

ルクスの配下は町中に散らばりました。

あなたは追われる身なのですよ。

 あなたの身を案じる者より


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