第一章 青色の瞳にうつるもの
世界は汚れている。寛大な神様っていうのも許してくれないと思う。人間の欲によって汚され続けてきた世界、不平等な見放されてもいい世界、そんな世界を……。
「おーーーい」
イヤホンをとりながら返答する藤堂空太は昔なじみのコロッケ屋に寄る。
そのコロッケ屋は昔ながらのコロッケが売りなのだが、ごく最近に新作コロッケとか言ってフルーツを織り交ぜたコロッケと呼べるかわからないものを作ってトイレの住人を大勢作った迷店である。
「朋美さん、普通のコロッケでこんなにうまいんだから新商品なんて作らなくても客来るでしょ」
空太よりも年上だが顔の整った女性がエプロン姿で店先に出てきた。
加藤朋美には子供の時から世話になっている。今でも付き合いがあるのは学校の通り道にコロッケ屋があり、店主が朋美でなにかと絡んでくるからだ。
「バカだねー、こんな小さな町の人はこんな普通のコロッケなんて食べ飽きてるさ。あたしの創作はすごいんだからね! 子供の時は朋ちゃんに何か作らせたら国民栄誉賞ももらえるよってもてはやされたもんさ」
……確かにとてつもないものだとは思う。
「そんなどうでもいい事はさておき」
本当にどうでもいい事を聞かされたこっちの身にもなってほしいと思い空太はうなだれる。
「ここらへんで白杖ついたあんたぐらいの女の子なんて居たかいね~」
「そんなやつ、知らないけどどうしたの?」
「いや、知らないんならいいんだけどね。その、目立っててちょっと怯えている様だったから、心配でねぇ」
「……そっか」
白杖を突くということは盲目ということになるのだが、この近辺には聾学校は存在しない。あるのは山と山に挟まれているこの町と空太の通う蒼藤学園北校とその分校、南校だけだ。
この町には緑生い茂る森林と、昔ながらの町並みが情緒を生み出し程よいバランスが取れている。町というより村に近いほどの規模で、若人は都会へ移住してしまい人口も減少の一途をたどっているそうだ。この天宮町という場所は現代問題とされる過疎地化しているという。
そんな町で育った空太はそんなことも気にせずにコロッケを食べ、世間話をしながら優雅に学校をさぼるのであった。
お茶を啜っていると朋美が睨みつけてくる。
「あんた、学校じゃないのかい? 勉強はするもんだよ。まあ、あたしもよくさぼってはいたがね」
「同じようなもんじゃねーか」
「うっさいよ」
「邪魔者は退散しますよ」
「まいど~」
そんなやる気の感じられない声を聞きながら学校に向け足を進める。決してあの独身魔女にほだされたわけではない。
そろそろ一時限目が終わる頃合いだ。気が向いたら学校へ向かおうと思い、いつもの古びたデパートの屋上へ向かった。
そこは空に吸い込まれるような感覚になる。
入学してから暫くして、サボりと言ったら屋上だろうと安直な考えで屋上を探していた。周りの商業ビルの方が高いのだが大体の建物は立ち入り禁止になっているため、しょうがなくデパートの屋上に来ている。
まあ、学校からも近いし一番出入りがしやすく出来ているため満更でもないのだ。それに、そのデパートは人の出入りが少ないので屋上に登ろうなんて奴は全くと言っていいほどいないという点も素晴らしい。
そこはまるでいつもの世界から断絶された、空と自分一人だけの世界が出来上がるのだ。
「今日は特にいい天気だな……」
屋上に着くといつものようにベンチに寝そべる。寝そべるとすぐに眠りの魔物に襲われた。少し日差しが眩しいが、この春陽気の日差しと程よい暖かさには抗いようがなかったのだ。
「……」
気づいたら昼過ぎをまわっていた。かれこれ、三時間ほど眠っていたようだ。
「やっちまった……」
「……そうですね」
「まあ春の陽気には抗えないよな……」
「わたしも眠いですもの」
「だよ……え?」
「なんでおれは会話してるんだ⁉︎」
驚くように起き上がると後ろには少女が立っていた。その少女は陽が照り返るような艶やかな黒髪で、その瞳はまるで青空をそのまま映し出したような青い目をしていた。少女はその瞳で果てしない空を見据えていた。
「いつからいたんですか?」
驚きを隠せない空太が聞くと、
「いつからでしょうね。そもそも何処なんですかね、ここは……」
その少女は果てしなく遠くを見据えた上に、今にも泣いてしまいそうな顔をしていた。まるで何かを探すような。
「ここは一応、鹿島商店街の近くにあるデパートの屋上だけど」
「そうですか。これは親切にすみません」
そう言いながらも目には精気が込められてはいなかった。そのままにしておくのも悪いと思い、見覚えのある服装について聞いてみることにした。
「その制服って蒼北の転入生?」
「あなたは蒼北の方ですか?」
蒼北とは、空太の通う学校の略称である。
今にでも人を殺すのかという勢いで迫って来た少女に肯定の返事をすると、
「よかった〜……」
今度は全身に力が入らなくなったのか膝から崩れ落ちてしまった。
状況に追いつけない空太だったが、少女が隠すように持っているあるものが目についた。
「その白い杖……」
一瞬、怯えたように少女は身構えていたが、すぐに隠すように喋りだした。
「これは、わたしの武器なの……。必須装備品。これが無いと、コンビニにも、家を出ることすら出来ない。そういうものなの。」
「あんた、目が見えないのか」
そんな質問をすると少女は丁寧に答えてくれる。
「見えないって言っても全く見えないわけじゃないから少しだけ見えるのよ。まあほぼ見えないんだけどね。それに色もちょっと分からないかな。弱視と全色盲の掛け合わせ」
暗闇。空太には到底想像もできない世界に彼女はいた。暗闇の中、色のない世界で彼女はどう生きているのだろう。そんな少女のことをもっと知りたいと思ったが自分の愚直さに気づく。単純に興味を持っての質問だったが、失礼すぎる質問に自分の頭の弱さに失望した。
「ほんとにデリカシーのない質問で悪い‼︎ おれのこと殴ってもいいぞ‼︎ むしろ、殴ってくれ」
誠意を込めて、謝る。そんな姿の空太に少女は微笑みを向けた。
「……」
少女は拳を握り、空太の胸に一撃を加えた。
一撃を食らった空太は少し困惑した。なぜかというと、それは、とても優しいものだったからだ。
困惑の中、視線が今にも折れてしまいそうな細い腕に移った。沢山の擦り傷跡が苦労の証として物語る。
「言っておくけどこの傷は歴戦の証ですごくわたし、ほんとは強いんだぞ!」
強さを誇張するよう言ったと思えば、すぐに優しい顔になり、
「それに、あなたは他人の気持ちに寄り添えるとても優しい人。そんな人は殴れません」
すごく嬉しそうな笑顔でそんな恥ずかしいことを言う。そんな笑顔に照れてしまい顔を伏せるしかなかった。しかし、顔を上げるとそこには先程までの笑顔は無く、少し泣きそうな少女がいた。
困惑しつつも事情を聞いてみることにする。
「何かあったのか? もしよければ相談に乗るけど……」
「学校までの道分からないから教えてください!」
少女は深々と、それはとても綺麗なお辞儀をした。
空太の考えもそうなのではないかと思っていたので特段驚いたりはしなかったが……。もう一つ思ったことというと、すぐ表情が変わって面白いやつだなと、こいつとは仲良くやっていけそうな気がするということだった。
姿勢を正しながら自己紹介をする。
「まあ困ってるみたいだし案内するよ。おれは、藤堂空太。歳は十七だ」
「同い年だね。よろしく、空太‼︎ わたしは、白木葵。あおいは花の葵の漢字を使います」
「いきなり名前呼びかよ」
「だって、なんかそう呼びたいんだもん」
ひらひらと制服のスカートを風でなびかせながら、その少女は元気に自己紹介をしていた。だが瞳だけは、空の果てを見通すような真っ直ぐな瞳でなぜか寂しげな瞳のように感じた。
そんな葵の瞳になぜか懐かしい感覚に駆られていた。その真実には、気付く訳もなく……。