5
カナリアの丘で偶然の出会いをしてから数日が経った。
あの日の夜は動揺してぐっすり眠ることができなかったものの、翌日にはすっきり割り切ることができた。
(もう会うこともないだろうし。それよりも今日は…)
またクッキーを焼こうか。木の実と果物を混ぜたケーキでもいいな。
ケーキ。いいかも。
木の実は保存してあるけど、果物は取りに行く必要がある。
今回は森の中なので格好をそこまで気にする必要もないだろうと、新緑のローブを被り、籠を持つ。
そうしてしばらく。
収穫を行っていると、不意に後ろから声がかけられた。
「リディアナ嬢?」
驚いて振り返ると、つい数刻前にはもう会うこともないだろうと考えていた人物、クラウド様が黒い馬に乗ってこちらを見ていた。
「リディアナ嬢」
驚いて声が出ないでいると、再び声をかけられる。
「ふふ、幽霊でも見たような表情をしてますよ?」
「ええと、…クラウド様?」
この間、無口無表情だった人と同一人物とは思えないほど甘やかに微笑む麗人。
(本当に誰?二重人格?双子?)
頭の中が疑問符でいっぱいになっている間に、クラウドが馬から降りてリディアナの目の前までやってくる。
「様、はいらないです。クラウドと、お呼びください」
尋常ではないほどの色気に曝されて、くらりとする。
「大丈夫ですか?」
ふらついたところ、背中を優しく支えられ、距離が近づく。
(ちちちち、ち、近いよ!)
「ねぇ、呼んでください」
「ひゃい!く、くらうど…さま」
「クラウド、です。ほらもう一度」
「くらうど…さん…で勘弁してください…」
「仕方がないですね。それでいいです。…今はまだ」
動揺していたため最後は聞き取れなかったが、お許しが出たので少し距離をとる。
「どうして離れるのですか?わたしが嫌い?」
離れた距離より1.5歩分くらいをさらに縮められる。
そりゃそうだ、だって足の長さが違うんだから!
「ああああの、そうではなくて、ち、近いです。その、あまり男性に慣れていないので、近すぎると心臓が持ちません…!」
「ふふ、それは失礼しました」
綺麗に笑うと、今度は適度に距離をあけてくれる。
「そ、そういえば、クラウドさ…んはどうしてここに?」
「ああ、そうでした。ピアスを落としてしまったようで、付与している魔力を辿ってきたのです」
「ピアス、ですか?」
「ええ」
そういってクラウドはピアスが付いている方の耳を見せる。
瞳と同じ、アメジストの綺麗なものだ。
「おそらく、最後に貴女に近づいた際に落ちて、その籠の中へ入ってしまったようです」
急いで籠の中を探ると、小さな硬いものが手にあたる。
「ええと、すみません。気がつかなくて…」
「いいえ、こちらの落ち度です」
「傷とかついてないといいんですけ…ど…」
取り出した物に目を向けて絶望した。
高級そうなそれは平民には手を出せない代物だろう。
それなのに、綺麗なアメジストのついたピアスのピンは見事にぐにゃりと曲がってしまっている。
「す、すすすすみません!ど、どうしましょう、弁償…させてください!何年かかるかわからないですが、必ずお支払します!」
真っ青になって言い募ると、優しく手を包まれる。
「大丈夫ですよ。もとはといえば、わたしが貴女の籠の中に落としてしまったのがいけないのです。貴女が気に病むことはありません」
「で、でも…!」
「それにすぐに直せるので大丈夫ですよ」
動転するリディアナを落ち着かせるように優しく話しかけてくれるが、リディアナはしょんぼりと肩を落とした。
それを見たクラウドは少し考え込むように黙った後、良いことを思い付いたと提案をする。
「そうですね…それでもリディアナ嬢の気持ちが晴れないというのならば、お願いを聞いていただけますか?」
「は、はい!私にできることなら!」
「では、わたしと友達になってください」
「へ?」
「リディアナ嬢と話していると心が安らぐのです。駄目ですか?」
「い、いえ!喜んで!」
自分が友達になることが、ピアスを壊してしまった代償には見合わないうえに、むしろ得なことなどないだろうとも思うけど、リディアナはクラウドの優しさに甘えることにする。
「よかった、嬉しいです」
そう言って細められるアメジストは心から喜んでいるように見えて、リディアナは心臓が跳ねたような気がした。
「あの、クラウドさんも良かったら私のこと、呼び捨ててもらえませんか?」
なんだか"嬢"ってつけられるとむず痒くて…
そういうとクラウドは花が開いたように笑う。
「…では、リディと呼んでもよろしいですか?」
「もちろんです、クラウドさん」
(まさか綺麗なお友達ができるなんて…!!)