僕の誕生日
こんにちは
どうぞお楽しみください
西暦 αβγΔ 僕は生まれた......
体重は平均的で特に問題なく元気な男の子で生まれた。強いて言うなれば少々頭が大きくてなかなか出てこなかったこかな。
流石に産婦さんたちも帝王切開をしたほうが良いのではと議論が飛んでいたらしいが、問題なく出るところから出てきたようで立会人の方々含め皆安どしていたらしい。
生後一週間
何事も問題なく普通に起きて母乳を飲んでは寝る...これの繰り返しですくすくと育っていった。
この後2年後に生まれる僕の妹は夜泣きがすごかったらしいが僕はそれほど夜泣きがなかったようである意味心配されていたようだ。ちなみに、一日の平均睡眠時間が20時間でほとんど泣かなかったことから死んでるんじゃないかと何かと心配されていたらしい。
「ただ寝てるんだから気にしすぎじゃないか?」
とその頃の僕は思ったに違いない。
まあ要するに自由気ままに寝て過ごしていたようです。
生後一か月
今までと変わらずずっと寝て過ごしてます。
今の僕としては
「ここで何かあっても困るから寝て正解だよ!てか何もないならずっと寝てくれ」
と、ほめに行きたい。
生後二か月
まだまだ寝ている時間のほうが長いが少しずつ首を動かしていたらしい。
両親の話ではこのころすでにパパママの違いが分かってるんじゃないかと言われた。
「いやそんなことができたら天才児じゃん。ありえないから」
と言い返したら
「それもそうか」
って笑われた。
生後3か月
僕は周りの子たちより少し首がすわるのが早かった。
「ねがえりなんておちゃのこさいさい!みたかマミーよ!」
とでも言っていたのだろうか。
うん僕だ、言っていたに違いない。いや、思っていたに違いないか。
このころから僕は2歳になるまでずっと一緒にいることになる相棒のおしゃぶりに出会った。
「あ~なんだかこいつがいるとおちつく。これからよろしくな!あいぼう‼」
とか言ってた記憶があるはずもないけど...言ってたんじゃないかな。
このころも特に問題なく寝ることがとにかく好きな男の子だったらしい。
生後4~5か月
本当に寝るのが好きなようで。
寝て寝て寝て寝て寝て寝て寝て寝て寝て寝て寝て寝て寝て etc.
「......寝てばっかりじゃん!」
と突っ込む方もいるかもしれないけど、本当に寝ることが好きだったみたい。
両親の話によると
「いつみても寝ている姿ばっかりだったよ。車の中でも滾々と寝続けていたし、仕事から帰ってきても寝ていたからね。二人して、これはある意味大物になるねって笑っていたよ」
らしい。
それと、
「それと、いつ見てもきれいな寝顔をしていた。まぁそのせいで私似ね、いや僕似だみたいなことをよく言ってた...最終的に僕が言い負けるけど」
なんだか申し訳ない。
生後6か月
僕はハイハイができるようになった。
あっちにドーン!こっちにドーン!
よくぶつかっていたらしいけど不思議と怪我はしなかったらしい。
何故怪我をしなかったかって?
壁にぶつかりそうになったら父さんが代わりに壁になって、上から物が落ちてきそうになったら滑り込みキャッチ。そんなことばかりだから父さんは絆創膏だらけになっていた。それでもニコニコして僕を抱き上げている写真がアルバムに残っている。本当に感謝だけど毎回思う...母よ写真ばっかり取ってないで父さんのカバーをしてください......
生後7か月
マミーが名前を呼んでいる。マミーの隣でパピーも手招きをしながら名前を呼んでいる。
「ママが大好きな○○〇ちゃんこっちにおいで!」
「ほーら○○○ー。パパはこっちだよー、こっちにおいでー」
「どっちについたほうがせいかいなんだ?...こうなったら」
「む?なんか俺のところにきっちゃったみたいだぞ?」
「「NOOOOOOOOOOOO」」
僕はめっちゃおじいちゃん子だ。絶対このころのせいだと思うがまぁ、いいんじゃないかな。おじいちゃんめっちゃ頭いいし優しいし。よくやった、生後7か月の僕。父さん母さん......なんかごめんなさい。
生後9か月
ハイハイができるからよく動き回るようになった。
狭い場所や空きっぱなしの押し入れなんかによく入っていた。冒険感覚で家の中を探検していたんだと思うけど良く動くようになったおかげで睡眠時間も長いままだった。
まぁ、ね?寝る子は育つっていうしいいことだと思うよ。
生後10か月
僕はつかまり立ちにチャレンジしていた。
「あっ、おーい○○、○○○が、○○○がつかまり立ちをしようとしてるよ!」
「え?本当に?......本当だ!頑張れ!○○○!」
コテン
「「あ~惜しい!」」
エールを送る父さんにグッと見守り続ける母さん。
「14かいめのしょうじき。こんどこそせいこうするぞ!」
次の瞬間父さんが僕を抱き上げ母さんが抱き着いてきた。どうやらつかまり立ちは成功したらしい。
「このころは本当にひやひやしたよ。だけど何度失敗しても諦めないところが僕にそっくりだって○○よく言ってたよ」
だそうだ。
確かに父さんは諦めが悪いことに関しては我が家でトップクラス。ギャンブルに一切興味がないことが唯一の救いかな。
それにしてもつかまり立ちを成功した時のこの写真はいつになっても手放せない。それほど僕にとって大事なものなのだろうけど見るたび少々恥ずかしさがわいてくる。なんでだろう?
生後11か月
伝え歩きの練習。
机の周りをよくぐるぐる回っていた。短い距離ならよちよち歩きもできるようになっていたが両親は
僕に被害が及ばぬようカバーをするのが大変だったようでこのころのどの写真も両親そろってボロボロだ。
父さん母さん、守ってくださりありがとうございます。
生後12か月
「ほら、あとちょっと」
「頑張れ、○○〇ならできるよ!」
「「やったー!」」
おぼつかないがあまり伝え歩きをしないでよちよち歩きができるようになっていた。
ハイハイしたてのようにあっちでドーン、こっちでドーン、今度はそっちでドーン。
父さんのミニカーコレクションも僕の被害にあったらしくその時の写真なのか父さんの顔がすごく青い。父さん......ごめんなさい。今度の休みにお酒を持っていくよ。
それと歩けるようになったほかに短い単語を話せるようになった。ママ、パパ、ジジとよく口にしていたらしい。
このころから父さんはビデオカメラで記録をし始めていたそうで今でも記念ビデオが何本も残っている。
「今度見てみるか......ビデオプレイヤーあったかな?」
お読みいただきありがとうございます。
次話の投稿をご期待ください