前編
「こうなったらここに頼むしかない!」
緑 綾菜は目の前にそびえ立つ「私立白石探偵事務所」のビルを見て呟いた。
「私、白石探偵事務所の筑波と申します。
本日はどのようなご依頼でしょうか」
事務所の中はそれぞれ依頼人にたいしての個人スペースがある。
そのうちの1つで綾菜は所員の筑波と話をしていた。
「実は、主人が不倫をしているかもしれないのです。
というのも、最近の主人との離婚を考えておりまして、あの人本当に酷いんですよ。
それで、慰謝料などを請求するときに、不倫などの証拠があればより多くもらえるのではないかと…」
「なるほど。
それで、具体的にはどのような根拠が…?」
筑波は銀縁の眼鏡のフレームに手を当てながらメモをとる姿勢をとった。
「具体的には、って言われるとよくわからないんですが…」
「女の勘、と言うことでしょうか?」
「まぁ、そのようなものです」
その答えに筑波は少し表情を曇らせた。
「そうですとかなり不倫を立証するのは難しいと思われますが…」
「ですよね」
綾菜はやっぱりとでも言った表情で顔を伏せた。
そのときだった。
「筑波君。
諦めるのはまだ早いよ」
黒いスーツをビシッと着こなした、美形の若い男性が部屋に入ってきた。
「しょ、所長!」
綾菜は心の内で首を傾げた。
―この若い人があの話題の所長?
「あ、これは突然失礼しました。
私、所長の『白石 零弐』と申します」
そう言うと、零弐は綾菜に名刺を差し出した。
「は、はぁ」
「ところでお尋ねいたしますが、不倫相手に心当たりはおありですが?」
そう言われると、綾菜は何かを思い出したように顔を明るくした。
「そう言えば、主人の同僚の永良さんが、主人が同じ部署の三井さんの家に出入りしているみたいなことを言ってた気が。
主人はいつもオーダーメイドの革靴を履いているんですけど、それを三井さんの家に急遽訪れたときにそれを玄関先で見たとか」
「なるほど。
では、その線で捜査をするとしましょう。
じゃあ筑波君、あとは頼んだ」
「はい!」
そう言うと零弐は入ってきたときと同様に、颯爽と部屋の外に消えていった。
「では、まず具体的な調査方法なんですが、その三井さんという方のご自宅は何処にあるかわかりますか?」
筑波はさっきとはうってかわって明るい表情である。
「えぇ。一度主人が病気で会社を休んだときになんか書類のようなものを届けに行ったことがあるので」
一方の綾菜も、これで夫の不倫が証明される可能性が増えたのかと思うと、少し安堵の表情を浮かばせている。
「ではその家の付近で私どもが待ち伏せをし、ご主人が三井さんのご自宅に入ったところを写真で撮ってそれを証拠にする、というような方法でどうでしょうか?」
「ありがとうございます!!
一応、これは主人の普段会社にいくときの様子です」
どこからかこのために隠し撮りしたのであろう、スーツ姿の綾菜の夫の全身が写真として写っている。
「ありがとうごさいます。
この革靴が…」
「例のオーダーメイドのものです。
ちなみに、主人はやたらとオーダーメイドのものが好きで、分かりにくいですがスーツもそうですし、この腕時計も色の組み合わせは主人が決めたものなんです」
「なるほど、それではこれらオーダーメイドのものが写真に写り込んでいれば、たとえ顔を隠していたとしても証拠にはなりますね。
わかりました、それでは早速明日から調査をしようと思いますので、三井さんのご自宅の場所だけ教えていただけないでしょうか?」
そのとき、綾菜はふと不安げな表情を浮かべた。
「調査料はいったいどれくらいで…?」
「御心配なさらず」
筑波はそう言うと微笑みを浮かべて言った。
「交通費などの実費を除けば、成功報酬の10000円でけっこうです。
慰謝料をもらえればまず、問題ない額でしょう」
「ありがとうごさいます!」
綾菜はそれを聞くと、すべての不安が取り除かれたのか、満面の笑みを浮かべた。
このときはまだ、筑波も綾菜も知らなかった。
この、倫理に反すること、不倫の証明は
思いの外難問であったことを。




