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今ここにエディックス・アヴァンシアがいたら首根っことっ捕まえて問い詰めたい。
なぜ、こんな状況になっているのかと。
きっかけは間違いなく――エディックスの本だ。
非現実的に存在している少女は、チェルトを見つめている。今にも噛みつかんばかりにその瞳は怒りに燃えている。
(知らない……君は誰)
鼓動が早くなる。困惑よりも、恐怖のほうが大きい。
再び暴れようとする少女へ、アレクが「やめろ」と声を上げる。少女がアレクに向き直った。
「ワタシの目的はアナタではない。離すのですネ!」
「目的?何をしようとしてるのかわからないうちは、離すわけにはいかないな」
「ならば――」
少女はそこで、きっ、とアレクを睨む。
「実力を、行使しますネ」
チェルトの中に、何か嫌な予感のようなものが生まれる。と同時に、少女が身につけている石――大きなオーバル型の赤い宝石のようなものの内部が、動いたように見えた。
目を疑うが、それはほのかに発光していた。透明な赤の内部に、何かが浮かび上がって――
「マナプログラム、展開!」
少女の声に呼応して、それは実行された。
静止していた状態から前触れもなく空気が動く。チェルトの眼前で、アレクの身体が斜め上に吹き飛んだ。
「――っ!」
「アレク!」
音も光もなかった。だが、彼は爆風でも受けたように数メートル飛ばされ、白い空間の中に落ちる。慣性で回転した後、うつ伏せになった。
背筋を冷たいものが走る。駆け寄ろうとした瞬間、横からのびてきた手に胸ぐらをつかまれた。
「……あ……」
ぞっとする。正面から両手でシャツとカーディガンをまとめてつかまれ、少女の額の赤い石がよく見えた。
瞬時に理解する――内部に浮かぶのは文字列だ。
文字は小さく断片的だったが、チェルトにはその文字列の意味が推測できた。
(圧力変化プログラム――空気の圧力で、アレクを吹き飛ばしたんだ!)
それは科学技術ではなく、物質の存在エネルギー「マナ」にアクセスし「事象」を引き起こすプログラム。
少女は空気にアクセスし、圧力変化を引き起こした――それは、まるで古代の神殿が引き起こす事象そのもの。
(この空間に浮かぶ光はマナプログラムだ。そしてこの子が身に着けてる赤い石が――……「トリガー」……!)
マナプログラムを実行するには「トリガー」が必要だ。それは神官や王が持つ紋章――……こんにちではマナプログラムの一部であったことが判明している……――の描かれた「アクセサリ」だ。様式に従ったトリガーとの接触によりマナプログラムは完成し、展開され、実行される。
しかし少女の持つトリガーは、研究により判明しているアクセサリとは違う――
(そうだよ、ここは遺跡でもなんでもない。白い「空間」だ。この子は、マナプログラムに満たされた「空間」を、様式なしに……予備動作なしに、実行してる……?)
引き金を引かずに銃は撃てないはずなのに。
父であるエディックス・アヴァンシアが残した大量の研究資料にも、このような記載はなかったはずだった。
混乱を極めて、チェルトは言葉を失う。少女は武器の中にいる。少女そのものがいつ飛んでくるかわからない弾丸のように感じられた。
再び、少女が口を開く。
「アナタに、ゲートは渡さない!」
「……え……?」
やっとのことで問い返した。激しく感情が跳ね上がることはなかったが、呼吸が震える。理解はまだ追いつかない。
「アナタに、ゲートは渡さないと言ったのですネ」
少女は怒りをこめて繰り返す。
――「ゲート」。エディックス・アヴァンシアがハリアー・レジアスへ向けて残した最後の言葉。
「ワタシは警告に来ましたネ。アナタの思い通りにはさせない!」
「ま、待ってよ、……僕がなにを――」
「警告ですネ。マナコンピュータをワタシに渡しなさい」
「マナ……何?」
「知らないとは言わせませんネ!」
叫ぶように怒鳴られ、チェルトが身を縮ませる。
「マナプログラムを展開するパートナー、そしてゲート実行の認証キーになるもの、それがマナコンピュータ。アナタはゲートを開ける!それは、許されない!」
「僕が?「ゲート」を?そんなはずない、知らない……何も知らないよ!」
「とぼけないで――」
「手を離せ!」
突然の声に、少女はぴたりと動きを止める。
アレクだ。空気の圧力で吹き飛ばされたものの怪我はなかったようだ。少し離れた場所からこちらへ呼びかけてきている。
「もう一度言う、手を離してくれ」
「……何をするつもりなのですネ?」
「そいつは何も知らないと言ってるだろ。――きっと、お前は人違いをしてるんだ。落ち着いて事情を説明してくれ。頼むから手を離してくれ。俺もこれを使いたいわけじゃないんだ」
アレクがリボルバーの銃身をさかさまに持って、片手を広げて見せる。撃つ意思が無いように見せかけているが、実際撃とうと思えば撃てるくらいの構えの解き方――なるほど、とチェルトは少し感心する。
実際アレクは立ち回りが上手い。自警団に入っていたとも聞いている。暴力は嫌いだ、などと常々言っていて、だからこそ自分が強くならないといけないというのが彼の考えだ。「強くないと、手加減できませんからね」と。
本当は話し合いで解決したいのだろうが、この少女にそれが通用するのかどうか――チェルトは怪しいと思っていた。アレクもきっと同じだ、だから銃を捨てないのだろう。
少女の瞳はやけに赤く、表情は無機質だ。
「ゲートは渡さない」
少女はチェルトへ同じ言葉を繰り返す。そして再び少女が身につけている大きな赤い石がほのかに発光を始める――
「認めないと言うなら――ゲート実行の認証キーを、ワタシがアナタから、奪う!」
力ずくで――というつもりなのだろう、つまり、またマナプログラムを実行するつもりで――
「やめろ!」
アレクの叫びと、音が弾けた。銃声だ。
一発目は威嚇射撃。銃口は真上を向いている。
「あ……!」
小さな悲鳴のような少女の声。チェルトを締め上げていた手が緩んだ。
(脅しが、効いた……?)
しかし少女の視線はアレクではなく、真上へ向けられる。その視線を追って、チェルトは息をのんだ。
白に、亀裂が入っている。
ミシ、と何かがひび割れる音。
一瞬の後、白い空間はガラスが割れるような音を立てて、粉々に砕けた。